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January 07, 2008

始動、2008年。 

■ そろそろ、雪斎も動き出さなければならない。
 年末年始に読み進めていたのが、下の書である。
 〇 John Lukacs, "George Kennan: A Study of Character", Yale University Press, 2007
 ケナンが世を去って三年の時間が経とうとしている現時点で、既にケナンの評伝が出された。ケナンに関して0は、生前から様々な研究書が出されたけれども、この書は、逝去後に出された評伝としては嚆矢として位置付けられるものであろう。

 この書の中で印象深い記述を抜き出してみよう。 

 ケナンは、ナショナリストではなく、パトリオットであった。
 なぜならば、
 ナショナリズムが攻撃的である一方で、パトリオッティズムは防衛的であるからであり、
 ナショナリズムがポピュリストである一方で、パトリオッティズムはトラディショナリストであるからであり、
 ナショナリズムが形のない大衆を互いに結び付ける粘着性セメントである一方で、パトリオッティズムは自らの国土や歴史に対する愛着であるからである。
 パトリオットは、自国の誤りに関心を抱くものである。

 この「ナショナリスト」と「パトリオット」の違いに関する説明は、それに同意するかはともかくとして、興味深いものであった。もし、この説明の通りならば、雪斎は、「パトリオット」と呼ばれることを歓迎しても、「ナショナリスト」と呼ばれるのは迷惑だなと思う。
 室生犀星の詩に曰く

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
   …
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや

 …である。
 「祖国」もまた、適切な距離を保ちながら、そして、その光も影も引き受けながら、静かに語るべきものであろう。
 平成の御代も二十年目である。
 

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Comments

雪斎さん
今年もよろしくお願いいたします。
ほとんど同じことを、ヘルムート・シュミットがずいぶん以前に言っていました。そのとき以来、私も愛国者であることをこころがけています。

Posted by: 珈琲 | January 07, 2008 at 07:54 PM

雪斎さん

こんばんは。ケナンといい、キッシンジャーといいもう、研究対象に入ってますね。キッシンジャーは、自分で語ってる部分も少なからずあるのですが、米中接近もあって、ニクソン、キッシンジャー関係の文献をよく見かけますね。

アメリカも、リアリズムを取り戻しつつあるのでしょうかねえ。

Posted by: forrestal | January 07, 2008 at 09:46 PM

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