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December 20, 2007

「自由」への想い

■ 雪斎にとっては、「自由」が至上の価値である。
 雪斎は、六歳から九歳までの頃、障害児施設で暮らしていた。その時期、何が憂鬱であったかといえば、「食いたいものが食いたいときに食えない」ということである。アイスクリームが食べたいな思ったときに、駄賃をもらって店で好きなものを選んで買うというわけにはいかないのである。加えて、万事、規則ずくめの暮らしだから、息苦しいこと、この上ないのである。「こういうところからは早く出たい」と思っていた。
 だから、後年、社会主義体制の実態を知るようになったときに、「昔のこと、そのままだ」と思ったものである。
 「自由」とは「独立自尊」の同義である。
 そして、雪斎は、二十数年かけて、「自由」を手に入れた。カネは何のためにあるのか。それは、自分の「自由」を担保するためのものである。生きていく上での「不自由」は、カネがあれば減らすことができる。元々、物欲にも淡白な雪斎が何故、「投資家」もやっているかといえば、自分の「自由」のためである。
 「日本人は『自由』を勝ち取った歴史がない」というのが、一般的な説明であるけれども、少なくとも雪斎にとっては、「自由」は「勝ち取ったもの」である。これを失ってなるものかと思う。 
 そういえば、映画『ブレイブハート』でメル・ギブソンが演じるウィリアム・ウォレスが最後の所雄叫びを上げる言葉は、
   「フリーダム !!」
 である。
 スコットランドの「独立自尊」のために闘った男の物語である。
 それは、雪斎の骨の髄まで染み込んだ価値意識である。

■ 過刻、福田康夫内閣支持率急降下の報が伝わる。
 年金番号照合の件、福田総理が「公約というほどのことか」と語ったのが、災いしたようである。加えて、此度の肝炎訴訟案件に関する対応は、内閣への逆風を強めるであろう。
 そもそも、年金番号照合の話は、安倍晋三前総理の方針を引き継いだ「宿題」である。福田内閣発足時に、「無理なことは無理だ」とはっきりと表明したほうがいいと思うのであるけれども、それはできなかった。だが、幾千万人分の情報照合など、どのように考えても無理な話のような気がする。
 大体、こうしたことを遺漏なくやろうと思えば、国民一人ひとりに「背番号」を付けましょうかという議論はある。年金、医療、納税、旅券発給などの人生の総ての局面で使う番号である。これをやれば、「いつでもどこでも、同じ番号でオーケー」である。しかし、それをやると、映画『未来世紀ブラジル』の憂鬱な世界を実際に登場させることになる。この国の人々は、そうした世界がお望みであろうか。
 結局、「どこまでが国の役割なのか」という合意を作るしかない。
 たとえば、政府が「食品偽装Gメン」を設置するようである。意味がない政策である。「偽装が発覚すれば、会社がつぶれる」。この常識が定着すれば充分だと思うのであるけれども、何故、それ以上のことをしようとするのであろうか、「不二家」も「船場吉兆」も「白い恋人」も、問題を起こした経営陣は、創業者一族であれ退場した。それが総てではないのか。それでも、「偽装」が不安だというのであれば、公正取引委員会の権限を強化すればよいだけのことではないのか。
 雪斎は、官僚が好きである。ただし、それは、特に外務、財務、防衛、内務・警察に関わる官僚に限りである。厚生労働関係の官僚の仕事が必要であるとは思われない。そもそも、旧厚生省という役所それ自体が、社会主義色の強い戦時統制経済の産物である。そういうものを何故、戦後も温存させてきたのか。このところ、メディアが伝える話は、年金にせよ肝炎訴訟にせよ、厚生労働行政絡みのものである。これは奇怪な風景という他はない。
 この国は本当に「自由主義国家」なのか。この国の「左翼・進歩」層が、「社会主義者」、「社会民主主義者」であるのと同様に、この国の「保守・右翼」層は、「国家社会主義者」ではないのか。どちらも、「市場原理主義」という言葉が好きである。そして、どちらも、「人々を他人に依存させること」が好きであるらしい。
 「自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり、人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引受くる者はなかるべし。これを譬えれば盲人の行列に手引きなきが如し、甚だ不都合ならずや」。
 「独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり」。
 福澤諭吉の『学問のすすめ』の一節である。
 日本の「自由主義」の精神の源流に位置付けられるものである。
 そういえば、雪斎が障害児施設にいた頃、初めて読んだ偉人伝は、『ふくざわ ゆきち』だった。

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Comments

個人的な体験を普遍化して主張しているわけですね。

Posted by: Foch | December 21, 2007 at 06:41 AM

偶然、同様のエントリーが出ております。共に、同意いたします。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a0eb89cfe02888ca7bf42cd968c29a89

Posted by: パットメセニー | December 21, 2007 at 08:44 AM

>パットメセニーさん
横レス失礼します。
このエントリーの内容は良いと思うのですが、池田信夫氏については、はてなブックマークで自分を批判する人たちを押さえるためにはてなの会社に対して匿名規制を要望し、それを拒否されるとはてなを批判したりもしているので、自分が不利益を受けても「自由」を擁護する人かどうかは、ちょっと疑問に思うんですよね。
恐らく是々非々で判断すべき人なのでしょう。

Posted by: Baatarism | December 21, 2007 at 12:28 PM

旧厚生省は、○○計画の策定が多いと思います。
でも、法律を根拠とするものもあり、結局は、立法府が社会主義色が強いということでしょうか。

Posted by: 日本海民 | December 21, 2007 at 12:58 PM

お金があれば利便性は買えます。でも、自由は買えません。
食品偽装も防衛庁妻のおねだりも、お金があれば「もっと自由になれる」と思った果ての愚挙でしょう。

さらに「自由とはなにか」、好きなときにアイスが食べられる、というものではないでしょう。

お金かなくとも自由はある、好きなときに好きなものは食べられなくとも。人としての尊厳たる自由を、お金と引き換えにした結果がいまの日本でしょう。

Posted by: mm | December 21, 2007 at 04:29 PM

雪斎さん

こんばんは。

「自由」というものの、ここで、雪斎さんがおっしゃてるのは、実質的な自由です。少なくとも形式的ではないですね。

私は、そのレベルを概念分析まで戻せば、ミルの危害原理とバーリンのfree from/free forで捉えています。大事なことは、~からにせよ、~へにせよ、そこには、責任が伴うということですね。

ロンドン大学のジョン・グレイ氏は、自由とは異なりますが、自由主義において、普遍性があると主張しますね、あと、又、地域ごとの自由主義もあると。

結局、「自由」概念自体は、共産でもリベラル・デモクラシーでも概念自体は変わらないのではないでしょうか。あとは、それをどの程度、許容するかの問題であって。

Posted by: forrestal | December 21, 2007 at 06:06 PM

私が障害児施設入所中に読んだ偉人伝は「ヘレン・ケラー」です。ヘレンが新聞記者と恋愛して、母親に反対されて駆け落ちまで考えたが、結局未遂に終り、成就しなかったことを知ったのは、ここ数年前のことです。へレンが結婚し子どもを産み育てていたら、障害者を見る世間の目も随分と変わっていたのではないかと思います。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | December 21, 2007 at 07:45 PM

内村鑑三の書に、「余は如何にして基督教徒となりし乎」というのがありますな。
 これに倣えば、「雪斎は何故、『自由』を至上のものと考えるようになったか」を説明することは、言論家の責任でしょうな。人間の思想なるものは、その人間の「人生」と「環境」の反映でしかない。だから、ブログで書いたのです。 

Posted by: 雪斎 | December 22, 2007 at 01:09 AM

政府というか自民党は厚労省関係であれほど痛い目をあっているのに、なんで厚労省を解体しようという話にはならないでしょうかね?
結局みんな甘い汁を吸っているのかね?

Posted by: あかさたな | December 23, 2007 at 04:33 PM

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Tracked on December 21, 2007 at 09:04 PM

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