政治家よ、「バラエティ番組」に顔を出すな。
■ たまには、「暴論」も書いてみよう。
この数年、テレビといえば、NHKとテレビ東京しか観ていない、他にBS放送の紀行番組を観る程度である、
故に、たとえば下のようなプログラムがあるのを知らなかった。
□ 今日午後9時からの日テレ系「爆笑問題の証人喚問-太田光内閣がアノ関係者とっちめちゃうぞSP」
爆笑問題の証人喚問2007では”太田光内閣”にさまざまな閣僚が集合。官房長官の福留功男や環境大臣の東ちづる、年金担当大臣のえなりかずきらが一年の出来事を振り返りながらトークを繰り広げる。
証人として宮崎県知事の東国原英夫氏が登場。番組が宮崎県民にアンケートを行ったところ、周りが騒ぐほど自分たちの生活は変わっていないと手厳しい意見が届く。
農林水産大臣だった松岡利勝さんの自殺直前に謝罪を説得したという鈴木宗男氏や、プロボクシングの”亀田ファミリー”の行く末を握るといわれるアントニオ猪木も現れる。
女性議員が大集合!2007大反省会では、女性議員が石田純一と山本裕典を前に反省会を行う。島田智哉子氏は予算委員会でスカートのファスナーが全開になっていたと告白する。
【ゲスト】福留功男、テリー伊藤、デヴィ夫人、東ちづる、えなりかずき、カンニング竹山、ふかわりょう、木下優樹菜、やくみつる、原口一博、平沢勝栄、山本一太、亀井久興、森ゆうこ、島村宜伸、
アントニオ猪木、大村秀章、横峯良郎、片山さつき、姫井由美子、鈴木宗男、石破 茂、東国原英夫
雪斎は、政治家が「お笑い芸人」と席を並べている風景を好ましいことだと思っていない。「お笑い芸人」の仕事は、要するに、「観客の笑い」を取ることであって、それ以上でもそれ以下でもない。「お笑い芸人」が政治家をネタにするのは、大いにやるべきである。古今東西、政治家をネタにした風刺は、社会風俗の「華」である。「爆笑問題」のように当代随一の実力を備えた「お笑い芸人」ならば、笑いのネタにする政治家には困るまい。
ただし。そうした風刺は、政治家のいないところでやるのが、筋である。庶民は、「お笑い芸人」の芸を観て、一時の息抜きを味わい、笑いのネタにされた政治家は、苦虫を噛み潰すというのが、風刺の本道なのではないかと思う。旧ソ連時代のアネクドートには、秀逸なものが多いけれども、そこには「権力」と「笑い」の緊張関係が反映されている。
たとえば、こういうものは、どうであろうか。
● インド土産
訪印の旅から帰国したブレジネフ書記長。
シェレメチェボ空港から真っ直ぐクレムリンに行かずに、美容院へ駆け込んだ。
「おい、今すぐビューティー・スポットをつけてくれ」
驚いたのは美容師である。
「閣下、あれは女性のつけるものですが、よろしいですか」
と念を押したところ、ブレジネフは言った。
「いや実はガンジー首相が、わしの額を指さし、あなたはまことに偉大なかたですが、惜しいことに
ここが少し足りませんね、と言われたんでね」
故に、最も理解に苦しむのは、政治家が、自分が「笑いのネタ」にされていることに苦虫を噛み潰すどころか、そうした場に嬉々として顔を出していることである。無論、政治家の立場からすれば、テレビに出れば、持説を披露したり、「顔を売って」無党派層にアピールできるというメリットがあるのであろう。マス・デモクラシーの世では、人々に愛されることは、政治家として生き残っていくための「資質」の一つである。
しかしながら、ニコロ・マキアヴェッリの『君主論』に曰く、「わたしは、愛されるよりも怖れられるほうが、君主にとって安全な選択であると言いたい。なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、容赦なく傷つけるという性向があるからだ」である。「愛される」つもりで「バラエティ番組」に登場する政治家は、何時しか「お笑い芸人」と同じ類の人物になり、何時の間にか「軽蔑される」瀬戸際に立つことになる。「軽蔑される」という」政治家にとって最たる不徳を犯す手前まで、行き着くのである。「バラエティ番組」で直接に芸人から弄繰り回される政治家には、普通の人々は「尊敬の念」を抱くであろうか。
雪斎は、政治家を「怖い人々」だと思っている。こういう人々が、「死刑執行命令書」に判を押し、場合によっては宣戦を布告するのである。自ら「怖い人々」であることを自覚しない政治家には、国策を云々する資格はない。
政治家よ。いい加減に「バラエティ番組」に顔を出すのを止めよ。こういうことばかりやっていれば、ますます外国からも侮りを受ける。日本の「国益」も毀損される。
「学者生活」カテゴリの記事
- 「バブル」の夢、「世界第二の経済大国」への追憶(2011.01.06)
- 対韓同盟という「迷い」(2011.01.03)
- 日本の「手の文明」(2010.10.27)
- 「資源のない国」の神話(2010.10.08)
- 真夏の「仕事」(2010.08.06)
The comments to this entry are closed.
Comments
雪斎様はこの手の政治番組の存在を最近になって意識されたかのように欠かれていますが(実際事実関係としてはそうなのでしょうが)、わたくしには先に名前を挙げた田中宏和(thessalonike)氏が支配の政治としての「政治番組」を再三に亘って取り上げている事への対抗措置に思えます。私などが名前を挙げなくとも「世に倦む日日」はかなり著名な政治系ブログ(政治系であることを田中氏は不本意に思っている)なのですが。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_0be7.html#comment-16840075
Posted by: 赤木大介(akakiTaisqe) | December 26, 2007 06:16 AM
雪斎さん
お説のとおりと思います。さらに、私は国民あるいは視聴者の側が、お笑いのネタにされている政治家という存在が、自分が選出した自らの代表者である、という自覚がもっと必要であると思います。結局自分自身が笑いのネタになっていることを、視聴者が自覚する必要があると思います。
Posted by: 珈琲 | December 26, 2007 08:22 AM
私もそのとおりだと思います。
間接民主主義なんてのは卑下してしまえば、どんな者でも一票をもって代表者を選択できるだけの仕組みであり、常に衆愚政へと傾斜しがちなのです。
それを押し止めるのが代表者たちの矜持であり、その矜持に対する選出者の最低限の敬意なのだろうと思います。それなしでは、衆愚政へと向かう力を押し止めるものは何もなくなってしまうと思うのです。
Posted by: akira | December 26, 2007 11:16 AM
そういえば、麻生太郎氏が「行列」に出るときは、いつもあまりしゃべらず、ただ笑顔を浮かべているだけですね。あれは紳助にいじられて軽蔑されないように気をつけているのかもしれませんね。
Posted by: Baatarism | December 26, 2007 12:26 PM
>田中宏和(thessalonike)氏が支配の政治としての「政治番組」を再三に亘って取り上げている事への対抗措置に思えます。
>私などが名前を挙げなくとも「世に倦む日日」はかなり著名な政治系ブログ(政治系であることを田中氏は不本意に思っている)なのですが。
すいません!!
これ、笑うところですか!?!?
参考資料
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/c/33ff771c79bff494858a656f6615e693
Posted by: 通りすがり | December 26, 2007 06:37 PM
特にひどいのが、東国原知事です。
シュワ知事は知事になって以来映画出演を控えていますが、
カレは嬉々として出演しています。
確かに元はタレント出身ですしセールスマンを標榜しているのは分かりますが、
一線を越えた人です。公務がおざなりになっているようにしか思えません。
Posted by: あかさたな | December 26, 2007 07:18 PM
確かに。凄みのある怖い政治家が減ったような気がしますね。
Posted by: SAKAKI | December 26, 2007 10:06 PM
始めまして。
雲斎さまにとっては芸能番組に出演の政治家は本当に「政治家」なのでしょうか?
彼らが醜態をさらせばいずれ落選です。人気取りの言説を続けて当選するなら選挙民の責任です。
どうして国民の付託を得た政治家がマスメディアへの露出を制限することを奨励するのかが理解できません。芸能番組くらいしか政治家が出演する機会が無いのを嘆くべきであって、既成テレビ局の番組内容の多様化(放送免許取得時に民放の教育番組枠として認められた時間配分がバラエティ番組枠と変質されているのは放送業界周知)、さらには(米国のような数百チャンネルでの)多チャンネル化を推進するべきでしょう。
政治家個人の資質を云々するよりも、政治家の意見がきちんと伝わるシステムを設計(制度設計)して、政治家をお互い競争させたほうがいいでしょう。
政治家にモラルを求めるより、人気取りの政策を掲げてヘマをしたら落選するという恐怖で働いていただくほうが現実的と思うのですが。
Posted by: 0083 | December 27, 2007 01:36 AM