小沢一郎の論理・続
■ 雑誌「世界」に掲載された小沢一郎氏の論稿を読む。他の人物に宛てた書簡という体裁を採った論稿は、4ぺージに渡って掲載されている。雑誌全体の方向が、「小泉・安倍からの転換」であるから、小沢論稿も、そうした「転換」の中に位置付けられたのであろう。雪斎には、山口二郎教授のインタヴュー記事が興味深かった。
小沢論稿には、「首肯できる」部分もある。政治家としての発言ではなく、一介の知識層としての発言ならば、それなりに面白いものがある。
ただし、小沢氏の議論は、参議院半数近くの議席という「権力」に裏付けられた政治家の発言である限りは、かなり困惑させられるものである。「小沢氏が考えていること」と「実際に採り得る(採られるべき)政策上の選択肢」の間には、かなりの懸隔がある。
小沢氏のISAF参加論には、社民党や共産党は、「どのような理由であれ、海外での武力行使につながることには反対だ」と語っている。無論、ISAF参加も、その派遣地の状況上、「銃弾を撃つ羽目になる」蓋然性が高いということであって、当初から「銃弾を撃つ」ことを目的にしたはずはあるまい。社民党と共産党の議論も、定型的なものでしかない。ただし、小沢・民主党が衆議院単独過半数を制する形で政権を掌握するのでなければ、彼らが主張するISAF参加も難しいであろう。さらにいえば、現在の民主党ですら、参議院現有議席110であるから、参議院単独過半数を制しているわけではないのである。民主党に国民新党・新党日本の議席を加えても、過半数には足りない。故に、民主党提出の「ISAF参加」法案に自民党からの造反議員が賛成に回るということでなければ、ISAF参加も実質上、「画餅」になる可能性が高いのである。小沢氏は、そうした自分の足許を見て物事を語っているのであろうか。
かくして、「インド洋上の補給」も「ISAF参加」もできないという結果が生じかねない。「カネは出してもヒトは出さない」と揶揄された湾岸戦争時の風景が出現しかねないわけである。
小沢氏にとってトラウマになったであろう風景は、小沢氏の対応によって再現される。「男に騙されて酷い目にあった愚かな女」が、何年か後に再び同じことを繰り返している風情である。小沢氏が「政治家」ならば、そうしたことを避ける感性を持ち合わせてしかるべきだろうけれども、彼もまた「政治家」とは別種の人物なのであろうか。
雪斎は、自民党に近い人物である。ただし、そうしたポジションは別として、「インド洋上の補給」と「ISAF参加」を比べれば、「インド洋上の補給」をこそ優先すべきであろうと思う。それは、「費用対効果」の観点からしても、好都合な選択肢であることは間違いない。そうした国益推進のための「お徳用」の選択肢をわざわざ捨てる意味もあるまい。対外政策の選択肢においても、それが「お徳用」であるかは大事な判断基準である。日本という国家の「資源」が限られている現実は、今も昔も変わらない。
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Comments
「あっ、ゴメンゴメン、今のなしなし」
と小沢氏が待ったをかけても
誰も責めないと思いますけどね。
Posted by: べっちゃん | October 12, 2007 at 10:06 PM
民主党も物騒な党首を担いだものです。皆さん先刻ご承知だったと思いますが。「また小沢か」となっては、困りますね。
でも、選挙を前にして小沢を捨てられない。マスコミがどう対応するのでしょうか。こんな貴重なニュースメーカーは大事でもありますから。
Posted by: Dragon | October 14, 2007 at 09:52 AM
小沢の「国連中心主義(というよりも国連至上主義)」は「普通の国」の姿とは相反するものであります。この矛盾こそが小沢という人物を理解するキーであるように思えます。
なぜ彼は正面から憲法改正と対米支援の重要性を訴えることができず、国際政治の現実から「国連」に逃げようとするのか。
結局のところ、小沢は「普通の国」の論者ではなかったのだと思います。15年前であれば、世の多数派の意見(というよりも落としどころ)に比べれば「普通の国」に近づけようという主張として理解する(ないしは誤解する)こともできた。
しかし、それは幻想であり、時代の変化が、小沢は本当は「普通の国」論者ではなかったことを暴露したのだと思います。
戦後日本の矛盾ないしはねじれを、そのまま一個の人格の内に抱え込んだ人物。それが小沢一郎のように思えてしまいます。
Posted by: 妖怪 | October 16, 2007 at 03:14 PM
もう一点。福田内閣は「少なくとも憲法との関係では、ISAF参加は違法であるとはいえない」という意味合いの対応をするべきでしたね。
政策の是非を問うのではなく、原理原則の問題として「小沢の主張は憲法違反」と言ってしまったところには問題があると思います。
将来において状況が変化した場合、ISAF参加が日本の重要な国益となる場合がないとは言えないのですから、将来のことを思えば、憲法との関係についてはいま少し慎重な言及であってしかるべきではなかったでしょうか。
「小沢憎し」の感情にとらわれて、日本国家の将来にマイナスの対応に終始したと思います。
Posted by: 妖怪 | October 16, 2007 at 09:32 PM