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October 02, 2007

「お手並み拝見」の意味

■ またまた今週は更新しないという前言を撤回するエントリーである。
 福田康夫総理の所信表明は、予想通り、地味なものであった。
 野党の反応の中でも、綿貫民輔国民新党代表の反応は興味深かった。曰く、「政治家は政治思想家ではないl。…お手並み拝見だ…」とのことである。何とも味わい深い反応である。
 今、解散総選挙に踏み切れば、立場上、険しいのは、民主党である、次の選挙は、自民党にとっては、「負けなければ勝ち」という選挙であるけれども、民主党にとっては、「勝たなければ負け」という選挙である。民主党にとってのハードルが、高いのである。こうした情勢を冷静に見据えた上で、「解散・総選挙を」と民主党が唱えているのであれば、民主党の「地力」も着実に付いていると判断できようけれども、そうでないならば、民主党にとっては、解散・総選挙それ自体が「退潮を告げる鐘」になりかねない。「お手並み拝見」というのは、民主党にとっても同じことである。
 福田総理の執政には、多分、次のような「裏」の意味合いがある。「福田内閣は、民主党と大差ないことを推進する。われわれに民主党が協力しないのであれば、それは、自ら掲げた政策の推進に異を唱えるということである」。民主党にも、難しい局面が始まっている。

 ところで、過日、自由民主党機関紙『週刊自由民主』に下の文章を書いた。政変その他の自民党の「節目」の時に登場するパターンが、このところ続いている。

 □ 再び、中庸を得た「『燻し銀』の統治」を期待する。
 福田康夫新総裁が登場した。
 筆者は、昨年、安倍晋三前総裁登場に際して、「安倍総理には『燻し銀』の統治を期待する」と書いた。小泉純一郎元総理の「華麗、激越な統治」は、「濃厚にして強烈な牛肉料理」に喩えられるものであったとすれば、その「濃厚にして強烈な牛肉料理」の後に出されるべきものは、「米飯と紫葉漬け」に類するものでなければならないと考えたからである。それは、世の人々に対して「安心感」や「安堵感」を与える統治のことである。実際には、過去一年、安倍前総理執政下には、年金記録の杜撰な管理、閣僚の度重なる失言や辞任といったように、世の人々の「不安」を増幅させるような出来事が相次いだ。参議院選挙敗北に示される自民党の党勢失速の背景には、「私の年金は大丈夫か」とか「この内閣で大丈夫か」とかといった国民各層の「不安」がある。
 故に、筆者は、福田新総裁登場に際して、再び同じことを唱えなければならない。それは、「世の人々には、誰もが安堵する『米飯と紫葉漬け』を出してやって下さい」ということである。無論、「米飯と紫葉漬け」は、「濃厚な牛肉料理」と違って滋養になるとは思われない。その意味では、「濃厚な牛肉料理」に喩えられる小泉執政の中核であった「構造改革」路線は、確実に踏襲されなければならない。「構造改革」路線の頓挫は、「経済立国・日本」の沈没を意味するのである。けれども、現在、「米飯と紫葉漬け」 に象徴される「安心感」や「安堵感」を提供できる政治指導者が、「小泉以後」の時代の要請に沿っていたのであり、福田新総裁は、その役回りを担うのに最も相応しいのではなかろうか。
 もっとも、こうした中庸を得た「『燻し銀』の統治」は、世に誠に地味な印象を与えるものであるが故に、「福田総裁で次の衆議院選挙が勝てるのか…」という懸念は、確かに浮上するであろう。しかし、自民党にとっては、次の選挙は「負けなければ勝ち」という意味合いの濃い選挙なのである。福田新総裁の下での自民党は、その「負けない」体制を構築すればよいのである。「昔の善く戦う者は、まず勝つべからざるをなして、以て敵に勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り」という『孫子』の記述は、現下の自民党においてこそ参照に値しよう。
 古来、「統治」における理想とは、「鼓腹撃壌の世」を実現させることであった。世が移り、民主主義体制下でマス・メディアの発展に伴い、政治の「劇場」化が指摘される時世においても、そのことは変らない。大体、その時々の政治情勢に一喜一憂しなければならない情勢は、国民にとっての「幸福」を決して意味しない。淡々と着実に。それが、福田新総裁に期待される「『燻し銀』の統治」のスタイルである。
   『週刊自由民主』(2007年10月2日付)

 昨年、書いたのが、下の文章である。再掲する。

 □ 安倍新総裁には「『燻し銀』の統治」を期待する。
 安倍晋三新総裁に期待されるのは、後に古代ローマ帝国初代皇帝としてアウグストゥスと称されることになるオクタヴィアヌスに類する役割である。
 振り返れば、古代ローマ時代、「稀代の英雄」であったユリウス・カエサルの後を継いだオクタヴィアヌスは、常備軍の設置と国境線に沿った軍団配置を進め、それに応じた軍制改革を断行した。共和政から帝政に移行する時期の古代ローマにおいて、オクタヴィアヌスの「統治」が創ったのは、ローマという「帝国」の基盤であり、その「帝国」の権勢に支えられた「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)の基盤であった。
 小泉純一郎前総裁は、「失われた十年」と呼ばれた一九九〇年代以降の政治上の混迷と経済上の停滞に終止符を打つことを要請され、それに応えた政治指導者であった。たとえば金融機関の不良債権処理や郵政三事業民営化の断行に象徴されるように、「小泉劇場」と評された華々しくも激越にして冷徹な「統治」の手法は、その政治混迷と経済停滞を終わらせるためにこそ、必要とされたのである。そして、安倍新総裁の手には、オクタヴィアヌスが「帝国」の基盤を創ったように、日本の「普通の国」としての基盤を完成させ、定着させる作業が委ねられている。そのためにも、次の二つの点が留意されるべきである。
 先ず,安倍新総裁の「統治」の眼目は、小泉前総裁が終止符を打った政治上の混迷と経済上の停滞の歳月の風景を再び出現させないことである。その再現の芽は、依然として残っているのである。次に、そのためにこそ、安倍新総裁の「統治」に際しては、特定の政治理念に染まり切らないという意味での「イデオロギー・フリー」を旨とした自由民主党の「伝統」を踏襲することが要請される。「小泉改革」の断行の日々は、何らかの理念やイデオロギーを実現しようとした軌跡ではなく、具体的な政策案件を着実に片付けようとしてきた努力の連続であった。「小泉改革」を継承するということの意味は、そうしたことなのである。
 オクタヴィアヌスは、自らを後継者として指名したカエサルに比べれば際立った才能に恵まれていたわけではなく、その「統治」も誠に地味なものであったと指摘されている。しかし、そうした地味であっても手堅い「『燻し銀』の統治」こそ、「華々しくも激越にして冷徹な統治」の後には相応しいものであろう。
   『週刊自由民主』(2006年9月26日付)

 安倍前総理の統治は、「イデオロギー・フリー」とは行かなかった。カール・シュミット流に「友」と「敵」を峻別し、他との対立を際立たせる手法は、かなり慎重に進めなければ、自分に跳ね返ってくる。安倍前総理は、民主党との対立を不用意に煽り過ぎた。それならば、自民党との対立を強調しようとしている今の民主党は、どうなのであろうか。永田町における「風向き」などは、一瞬に変る。

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Comments

 この種の前言撤回は大歓迎ですよ。
 福田さんは「あくまで私はリリーフですから。フフン。」と割り切ってたりするんですかね?。

Posted by: ささらい | October 02, 2007 at 11:47 PM

自民党が「負けなければ勝ち」というのは、少々首をかしげてしまいますね。
確実なのは、次の衆院選では自民党は3分の2以上の議席を確保しない限り、自力での法案成立が不可能になるということです。
つまり、前回の郵政選挙並みの大勝をもう一度する必要があるわけです。
「負けなければ勝ち」ではなく、「大勝しないとレイムダック」というのが本当のところではないですか。

Posted by: sirouto | October 03, 2007 at 01:52 AM

横レスですが、
>確実なのは、次の衆院選では自民党は3分の2以上の議席を確保しない限り、自力での法案成立が不可能になるということです。

とありますが、衆議院の定数が480人。最悪公明党との連立が解消されたとしても、過半数の241人いれば良いのではないでしょうか?

Posted by: さんだぁ | October 03, 2007 at 10:18 AM

雪斎さん

こんばんは。

福田総理の所信表明は、確かに、地味でしたが、堅実で、良い内容だったと思います。又、民主党の政策と似せてきたのも、仰る通り、戦略でしょうね。

両党とも、今臨時国会は、正念場ですが、民主党の批判優先が、どう国民に移るかでしょうね。

解散総選挙に関していうなら、仮に、自公が過半数を取れば、それは、国民の支持、民意の反映ということになりますから、参議院での民主党の力は、弱まりますね。

つまり、今、民主党は、先の選挙を受けて、衆議院は、正確には、福田政権は、国民の民意を問うてない、信託をえてないという主張で、強硬に出れていますが、これがそのまま、反対になってしまうということです。

それにしても永田町の「風向き」は、変わりやすいものですね。

Posted by: forrestal | October 03, 2007 at 09:51 PM

>過半数の241人いれば良いのではないでしょうか?

その場合、参院で自公合わせても過半数を取れない現状では、他党の協力を得ない限り法案成立はできないでしょう。
衆院で3分の2以上を確保していないと、再可決という方法は取れませんからね。

それに、議席を減らすということは、それだけの自民党議員が現実に失職するということです。
もし議席を減らしながら過半数を維持した場合、失職した議員達を後目に高らかに勝利宣言できるものでしょうか。
忘れるべきでないのは、今回が郵政選挙後初の衆院選だということです。選挙結果は、議員の増減という形で否応なく前回と比較されます。
おそらく、自民党は勝つと思いますが、「負けなければ勝ち」という態度で議席を減らすようなことがあれば、その後の政権運営は厳しいものとなりかねませんよ。

Posted by: sirouto | October 04, 2007 at 01:27 AM

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