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October 24, 2007

子供にカネを掛けない国家

■ 昨日のエントリーの続きである。次の二つのデータを参照してみよう。
① 少子化対策公的支出の国際比較
② 学校教育費対GDP比の国際比較

 ①②も、「日本が如何に子供にカネを掛けていないか」を証明している。このデータだけを見れば、「親は居なくとも子は育つ」とばかりに、「子供は放っておいても育つと思っているのではないか…」と皮肉の一つもいいたくなる。安倍前内閣時の「教育再生会議」は存続するようであるけれども、そこでの提言は、「子供に掛けるカネを増やせ」の一つで充分である。安倍前内閣期の「教育再生」の動きに際しては、子供を出汁にして政治運動をやっているようにしか見えない御仁たちが「右」にも「左」にも蠢いたようであるけれども、そもそも、「カネを掛けていない現状」を放置しているのだから、話にならないというべきであろう。
 それにしても、子供にはカネは掛けない、防衛費にもカネを使わないという国が、財政上は火の車というのは、冷静に考えれば解せぬ話である。「溝にカネを捨てるような」効果の上がらないカネの使い方をしていたとううことであろうか。。ぐっちー殿の認識の通り、「日本人はカネ遣いが下手だ」といわれれば、それまでだが・…。
 下掲は青森県内紙「東奥日報」に寄せた原稿である。「中央・地方」格差の是正と教育再生をまとめてやるなら、これくらいのことは考えて欲しいものである。大体、中学・高校ぐらいの年齢になれば学校に親元から通わせる必要もない。「都会の子供たちは、12歳を過ぎたら『田舎』に行け」という勧めである。当然、「田舎」の学校も、最高の教育環境を用意すべく努力しなければならないし、国や地方自治体も相応の財政上の裏付けを与える必要がある。無論、こうしたことは、スポーツの世界ならば今までも行われているのかもしれない。ただし、こうしたことは、スポーツの世界に限定する必要もないのではないであろうか。
 昔、「かわいい子には旅をさせよ」と言った。今時の親は、子供に「旅」をさせているのか。

 □ 「中央・地方」格差を超える視点
 十月一日午後、福田康夫新総理は、衆議院本会議で就任後初めての所信表明演説を行った。福田総理は、演説中、「構造改革の方向性は変えず、生じた問題には処方せんを講じる」と述べ、「構造改革」路線を継続する一方、「中央・地方」格差の是正に向けた取り組みを具体的に進める意向を示した。もっとも、「中央・地方」格差の実態は、冷静に把握される必要がある。現下の「中央・地方」格差に絡む議論が皮相な「印象」論に終始している嫌いも、ないわけではないのである。
 たとえば、一九九九年から二〇〇四年に至る全国二三七五市区町村の納税者一人当りの平均所得を並べたデータがある。このデータに依れば、上位十市区町村は、港区(東京)を筆頭にして、千代田区(東京)、渋谷区{東京}、上野村(沖縄)、芦屋市(兵庫)、中央区 (東京)、文京区(東京)、目黒区(東京)追分町(北海道)、世田谷区(東京)と続く。下位十市区町村 は、山田町(宮崎)、城辺町 (沖縄)、七山村(佐賀)、八竜町(秋田)、野尻町(宮崎)、波佐見町(長崎)、東成瀬村(秋田)、 山江村(熊本)、球磨村(熊本)と続き、最下位が上砂川町(北海道)となる。
平均所得最上位の東京都港区(九四七万円)と最下位の北海道上砂川町(二一一万円)の間には、実に四倍半近くの開きがある。確かに、この数値だけを見れば、「日本の格差も相当な水準に達している」と反応するのが、自然な成り行きであろう。ただし、そうした反応は、表層的なものである。
 このデータに関して興味深いのは、北海道内における「格差」の実態である。新千歳空港の御膝元である追分町は、全国九位に名を連ねているし、ホタテの水揚げ高日本一を誇る猿払町は、一七位に入っている。方や、全国最下位の上砂川町を初めとして、近隣の歌志内市を含む空知地方一帯は、昔日の産炭地であったものの、「エネルギー革命」の波に置き去りにされたまま、浮かび上がることができていない、因みに、北海道随一の大都会であるはずの札幌市は、全国で五〇一位、道内限定でも十八位である。
故に、「都会=豊か、田舎=貧しい」という図式は、単純には成り立たないし、こうした「格差」に絡む情勢が二〇〇〇年以降に生じたものであると断ずる根拠も、希薄である。結局のところ、「中央・地方」格差なるものは、それこそ数十年の歳月の積み重なりの結果なのである。「中央・地方」格差が小泉純一郎元総理によって主導された「構造改革」路線の「陰」であるという説明は、俗論であると考えるのが正確であろう。
 このように考えれば、「中央・地方」格差を越える方策を考えるにも、様々な可能性が考慮されなければなるまい。
 筆者は、「地方」の再生は、結局、「人材の養成」に依るしかないのでないかと考えている。たとえば、青森県でいえば、全国から広く中学生を集め、「高校の三年の歳月」を青森県の風物の中で過ごしてもらう仕組を大々的に整えるのが、一つの方策である。人間の一生においては、世俗の刺激から離れ、静かに人格を陶冶し教養を身に付ける「蛹」に類する時期が必要であるけれども、そうした「蛹」の時期に相応しい環境を提供できるのは、「都会」ではなく「田舎」なのである。加えて、現在は、情報通信網や交通網の発達によって、「都会」でなければ何らかの「情報」や「モノ」を入手できないということは、なくなっている。昔日、「田舎」で洋書を入手するには、大変な時間と労力を要したけれども、今では、ネット書店に発注すれば済む。大学・大学院のような高等教育ならばともかくとして、人間の「基礎固め」を行う中等教育を施すに際して、現在の「地方」が特段の不利を抱えているわけではないのである。英国のパブリック・スクールや米国のボーディング・スクールのように、「都会」から親元を離れた少年や少女を引き受け、数年の後に高等教育の場に送り込む。そうした環境を用意するのは、「田舎」においてこそ相応しいのではないか。
 青森県は、このような趣旨における「中等教育立県」を標榜できるのか。これは、青森県での「中等教育」を経た筆者にとっても、興味深い未来予想図である。
      『東奥日報』』(2007年10月7日付)掲載

■ ②のデータにリンクが張ることができていなかったようである。
 お詫びの上、修正する。

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「学者生活」カテゴリの記事

Comments

 子育てパパとして、教育現場の悲しい状況は残念でなりません。児童手当増やしても塾代に消えるだけです。習い事や塾をかけもちできる世帯と、それらにカネをつぎ込めない世帯の格差も大きく、伸びる才能が埋もれて行ことも多いです。
全寮制のパブリックスクールのようなもので、エリートの養成を図ろうとしないのでしょうかね??

Posted by: SAKAKI | October 24, 2007 at 08:56 PM

雪斎さん

こんばんは。この11月から、教育関係の仕事をするものとしてのコメントとしては、不適切かもしれませんが、仮に、ある一定の物差し(偏差値)で、計ったとしても、今の、教育環境は、出来る子にも、出来ない子にも、良いものではありませんね。つまり、どちらも学力を伸ばせません。又、学力以外の才能を伸ばす機会を逸しているように思います。多様性や工夫が少なすぎます。

国家戦略として、教育を論じるのならば、子供にお金を教育にお金を少なとも、その機会と環境を整えることは、中・長期的に、大きなプラスになるはずです。

Posted by: forrestal | October 24, 2007 at 11:17 PM

こんばんは、雪斎さん。

>日本版パブリックスクール
 大変興味深い案ですね。今日の全国学力調査を見ても、地方だから義務教育中の学生の能力が格段に低いという県はほとんど見られませんでしたし、どの県でもわりと平均的(それ以上)な学力を持った学生は多いのかもしれません。
 その中から希望する生徒を国が集中して育てることにより、親の負担を減らすというのは名案でしょう。

 個人的にはドラッカーさんも仰る通り、現在の世の中は肉体労働から知識労働に急激にシフトしています。ドカタの中でも単純肉体の価値はどんどん下がっており、生めや増やせやで子供の数が増えたとしても必ずしも国全体としての生産性の向上につながるかは怪しいと考えております。
 そういう世の中である以上、知識労働者若しくは肉体労働を極めた職人として子供たちを育てていくためには、一人あたりのコストはかなりかかり、普通にサラリーマンをしている親としても財布が厳しい状況であります。

 特に大学で真面目に勉強をする気もない学生のために、大学という肩書を手に入れるために有象無象の大学ができているのは、補助金を出している国にも、将来の役に立たない肩書を得るために必死にお金を払っている両親にも負担になるだけでしょう。

 例えば何かしら大学等の高等教育期間中に、「この試験(資格)を通れば就職時に確実に認められる」という大学名ではない能力としての共通項目を設けたらどうなのだろうなどと考えております。

Posted by: for | October 24, 2007 at 11:49 PM

どちらの図表も、子供、老人の割合を考慮しないと、
どれだけ力を入れているかはわからないのでは無いでしょうか。
日本は、未成年の人口自体が少ないでしょうし、
その分、GDP比としたら小さくなるのは当然では。
まぁ、それにしたって、少ないのかもしれませんが。

Posted by: matu | October 25, 2007 at 03:10 AM

子供(学校教育)にもっと公的費用を使うべしという意見には、大いに賛成。ただ、子供向け公的費用と出生率の相関は、あまり無いと思います(諸外国のデータをみても)。老人と若者に対する公的支出の比率は、日本の政治行動研究、例えば有権者の投票行動や圧力団体、それを受けた政治家や官僚組織の行動などの、政治学的分析研究に値するテーマだと思いますね。
それとこの問題は、過去の制度文化にひきづられている面も。なんといっても2,3十年前までは、日本は老人は少数派で比較的めぐまれてないと思われていた。今は、?
自分の周りを見渡せば、はっきりと判ります。

Posted by: M.N.生 | October 25, 2007 at 09:18 AM

都会=豊か・強者、地方=貧しい・弱者
若者=豊か・強者、老人=貧しい・弱者

この二元論でしか物事を語れないから、おかしな事になる。
学力試験を見たって大阪と北海道が最下位グループ、東京が中位で、
秋田がトップという上記のイメージからはあまりにかけ離れた結果になった。
(もっとも都会と地方の場合はインフラの有無が、
どっちが豊かでどっちが貧しいかを錯覚させている側面はありますが)

そもそも子供が学力低下しているなら、
なぜもっとお金を使おうという議論にならないのか、
ゆとり教育を是正して詰め込みに戻したらそれだけで学力が上がるかのようなマスコミの報じ方が疑問です。
あんたがた詰め込み教育の弊害を忘れたのかい?

将来に投資しないと、えらいことになるというのは
平成不況の大きな教訓の一つだと思ったのですが、違うのですか?

あと、子供を社会全体で育てるとおっしゃるなら、
年収500万円以上の独身者は所得税を2%ほど上げて
それを少子化対策や教育財源にしたら?とも思います。

Posted by: あかさたな | October 25, 2007 at 12:39 PM

雪斎様

いつも楽しく読ませていただいております。

ついこの前のThe Economistに 「なぜ教育にかける予算と成果は無関係なのか」 という非常に興味深い記事がありました。この記事では、大半の欧米諸国ではなぜ莫大な予算をかけるのに結果が出ないかを、マッキンゼーのレポートに沿って考え、大切なのは予算そのものではなくきちんとした仕組みを設計することだと結んでいます。日本はどちらかというと成功例とされています。

http://www.economist.com/world/international/displaystory.cfm?story_id=9989914

もちろん、それでも雪斎さんのおっしゃるポイントには強く同意します。特に「旅をさせよ」については。

“日本の諺「かわいい子には旅をさせよ」に従い、私はExeterにいく事になった。”と始まるケンジ・ヨシノの“Covering”は、読み進むに従い、ボーディングスクールへの「旅」が彼に深い成長と思索をもたらす様子がよく分ります。多分、アメリカの強さの源でしょう。日本にも同様なボーディングスクールがあるのであれば、自分の子供にも行かせてみたいですね。

Posted by: エバンストニアン | October 27, 2007 at 02:21 AM

地方再生が「人材の育成」に拠るしかない、とは思いませんが、都会の子ども達を地方に留学させるというのは、面白いアイデアですね。地方の自然と暮らしの体験は、どんなに都会の子どもたちに良い影響を与えることでしょうか。自分の国を知ることは、外国体験させるより重要だと思います。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | October 28, 2007 at 11:30 PM

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