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September 28, 2007

保守論客の「冬の時代」

■ 安倍晋三内閣の総括が始まっている。たとえば次のような記事がある。
 □ 特集:安倍首相の1年 安倍政権の挫折 「戦後レジームからの脱却」「美しい国」
 長期政権を目指した安倍晋三内閣は、首相自らがその任に耐えられなくなったことで、1年という短命に終わる。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、内政・外交を問わず目指す政策を力で推し進めながら、終えんは余りにあっけなかった。強気の首相を支えたのは、小泉前政権の遺産とも言うべき衆院での与党の圧倒的多数。しかし、参院選で過半数を失い「数」に頼る政策展開が不可能になったことで、再起への意思は阻まれた。【古本陽荘、田所柳子、大場伸也】
   …中略
 ◇保守派、「冬の時代」懸念
 安倍首相の突然の退陣に、閣内外で政権を支えてきた保守派は落胆を深めている。「リベラル寄り」と位置づけられる福田康夫元官房長官が自民党の新総裁になったことで発言力が弱まるのは確実で、職を投げ出した首相を批判する声も出ている。
 首相のブレーンの一人だった高崎経済大の八木秀次教授は「保守はしばらく冬の時代を迎える」と話す。「安倍首相は保守のシンボルだった。首相がだめだから保守派もだめだとレッテルを張られるのは困る」
 安倍政権の実績についても「教育基本法改正や防衛庁の省昇格、国民投票法制定など歴史に残る政策を実現したが、靖国神社参拝や歴史認識では持論を封印し、外からは分かりにくかった」と疑問を呈し、「政策は正しいが手法が稚拙で内閣全体としてのイメージが悪かった」と総括した。
 首相を囲む「保守論客の会」メンバーのジャーナリスト、桜井よしこ氏は、より批判的だ。辞任劇について「誰も辞めると思わなかった中で、その意外性を埋める説明がどれだけあったか。理解の難しい辞め方だ」と批判。「戦後体制からの脱却をうたった安倍さん自身が戦後日本のもろさを体現していたのではないか。今の日本に対し、安全保障面の自立性や教育などで危機感を感じる人は多い。戦後レジームからの脱却が後退するなら大変残念だ」とも語った。
 保守派内から不満や批判が出ていることについて、東京大の御厨貴教授(日本政治史)は「本人の能力とやろうとすることの間にギャップがあったのに、過剰な期待があった。今になって『情けない』と言うのは筋違いだ」と指摘。「今後しばらく、安倍首相に期待した保守派の活躍する余地はないだろうが、彼らの主張が地に足をつけてないことがはっきりしたので次の戦略を練るべきだろう」と状況を分析した。
                   毎日新聞 2007年9月24日 東京朝刊

 前に記事に関する限りは、雪斎は、御厨貴先生の指摘に全面的に賛成する。というのも、雪斎は、下掲のような原稿を『産経新聞』に書いていたからである。文中にも示唆したように、保守論客には、安倍執政に「勝手に期待して勝手に落胆した」風情が漂っている。文中、「自ら政治の営みに手を染めているわけでもない学者やジャーナリストのような知識層が、自らの「理念」「思想」「発想」を寸分も違わず政治家に実現してもらえると期待するのは、知識層の『傲慢』を示すものでしかない」と書いたけれども、そこで念頭に置いた知識層とは、前の記事に言及された「保守論客」のことである。彼らの「冬の時代」など、彼らが自ら招いた自業自得の結果でしかない。

 □ 新内閣へ  「時宜を得た統治」を望む  当座の観点でも「必要な選択」を
 ≪新総理の登場を歓迎する≫ 
 福田康夫新総理が登場した。筆者は、福田新総理の登場を歓迎する。とはいえ筆者は、先刻の自民総裁際選挙で麻生太郎前幹事長が総裁に選出されていれば「麻生新総理登場を歓迎する」と書いたはずである。
 要するに、必要なことが必要な時機に執り行われる「統治」さえできていれば、それが誰の手で行われるかは、二の次、三の次である。特定の政治家に対して過剰な期待と警戒のいずれかを寄せる趣旨の政治評論は、それ自体としてはあまり質の高いものではない。
 振り返れば、安倍晋三前総理には、その執政初期には「保守・右翼」層からの「過剰期待」と「進歩・左翼」層からの「過剰警戒」とが向けられ、その執政末期には「過剰期待」の裏返しとしての「落胆」の気分が「保守・右翼」層に漂っていたようである。安倍前総理執政下の対外政策には、中韓両国との関係修復、地球環境保護に関する国際的な議論の主導、対印提携の加速といった顕著な業績が挙げられるけれども、「靖国」や「拉致」といった案件では「保守・右翼」層の期待に沿う結果を挙げるに至らなかった。それが「保守・右翼」層の、半ば身勝手な「落胆」を招いた理由である。
 ≪「必要な選択」と優先順位≫
 しかし、自ら政治の営みに手を染めているわけでもない学者やジャーナリストのような知識層が、自らの「理念」「思想」「発想」を寸分も違わず政治家に実現してもらえると期待するのは、知識層の「傲慢(ごうまん)」を示すものでしかない。そして知識層が手掛けられるのは、その折々の政治情勢に即して「必要な選択」を説くことでしかない。
 「保守」「進歩」などという粗雑な仕分けからは、そうした「必要な選択」に関する議論が抜け落ちる。安倍前総理が標榜(ひょうぼう)した「戦後レジーム」見直しに関連する諸々の施策にしても、それは中長期の観点では「必要な選択」に含まれたとしても、当座の観点でも「必要な選択」であったとは限らない。安倍前総理の執政の頓挫には、その「必要な選択」の優先順位の設定を誤ったという事情が反映されていよう。
 その点、小泉純一郎という政治指導者は、21世紀最初の5年という時代の要請には見事に合致した執政を行った。「冷戦の終結」に伴う国際政治変動の最中で経済失速に苦しんだ1990年代の歳月の後では、小泉元総理が主導した「構造改革」路線は、経済復調を図る上では「必要な選択」であった。
 現在「構造改革」路線を批判する人々ですらも、経済低迷に呻吟(しんぎん)した1990年代の情勢がよかったと唱えることはしないはずである。また、小泉執政期における対外政策上の業績の最たるものは「ブッシュ・コイズミ同盟」と称された日米関係の「蜜月」の実現であるけれども、それもまた「9・11」テロ事件やイラク戦争に際して「必要な選択」を適切に積み重ねた結果であった。
 ≪抽象的な言辞ではなくて≫
 故に福田新総理に期待されることもまた、現下の日本の情勢に即した「必要な選択」を示し続けることでしかない。過去1年、安倍前総理執政下には、年金記録の杜撰(ずさん)な管理、閣僚の度重なる失言や辞任といったように、世の人々の「不安」を増幅させるような出来事が相次いだ。参議院選挙敗北に示される自民党の党勢失速には「私の年金は大丈夫か」とか「この内閣で大丈夫か」とかといった国民各層の「不安」が反映されている。
 当面、福田新総理の執政の課題は、こうした「不安」の一つ一つを取り除くことに集約されるであろう。無論そこでは、安倍前総理が標榜した「美しい国の実現」や「戦後レジームからの脱却」といった抽象的な言辞ではなく、その「必要な選択」を示し続ける具体的な営みがあるのみである。ヘンリー・A・キッシンジャーが示したように、「最悪事態」に備えるのではなく、何らかの抽象的な「ヴィジョン」を実現しようとするのは、政治家に要請される姿勢とは別のものであるということは、この際、強調するに値しよう。
 政治の世界では、それぞれの政治家にとっては「自分が手掛けたい政策」と「時代に要請された政策」は、必ずしも重なり合わない。この2つの種類の政策が相克した折に優先されるべきは「時代に要請された政策」であるのは、疑いをいれまい。筆者が福田新総理に執政の留意点として何かを献言するとすれば、それは「時代の要請」が何であるかを見誤らないということの一事である。
  『産経新聞』「正論」蘭(2007年9月26日付)

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Comments

今後、保守論壇は麻生氏に「過剰期待」を寄せるのでしょうね。まあ、あの人の考えは安倍氏以上に保守論壇とは食い違ってると思いますが。

Posted by: Baatarism | September 28, 2007 at 12:20 PM

 右とか左とか言うことだけを売り物にしている人は、そりゃあすぐに飽きられるでしょう。

 そう言う内容のない修飾語ではなくて、具体的な言葉で称賛されたり非難されたりする人間になりたいものです。

Posted by: べっちゃん | September 28, 2007 at 10:09 PM

しかしながら、安倍政権にとっては、一部の「保守派」から批判されたことよりも、国民の多くから失望をもって受け止められたことの方が問題だったはず。
原因は何も「若さ」や「未熟さ」だけではなく、より根源的には「時代の要請に十分に応えていない。あるいは逆行している」と国民からみなされたことであったと思います。
もし、自民党の中枢にいるかたがたが、老獪・老練でありさへすれば、国民からの信頼を回復できると考えているとしたら、何もわかっていないことになりまして、そうではないことを願いますが、あまリ期待はしていません。
一方で国民に政治参加を求め、他方で日本の国際的地位を向上させることに成功した、小泉氏だけが例外だったのでしょうか。
自民党総裁である以前に、日本国の内閣総理大臣であって欲しい。それが国民の願いでしょう。総理たるものは国家と結婚していただかなければ困るのであります。

Posted by: 妖怪 | September 28, 2007 at 10:12 PM

一応保守論客で、学者肌の私が付言してみる。

今の日本で、保守論客の人間ってのは多かれ少なかれ
理想主義者なところがあります。
だから、その理想を安倍総理にぶつけ、実際多くが帰ってきた。
でも理想だったために、『現実』に潰された。
かのグラックスのように。

ぶっちゃけ殺されなかっただけマシじゃないですか?

でも、麻生には『理想を汲み取れることができるふり』ができる。
それが麻生の怖いところでもあるんですが…
まあそれはおいておきましょう。
そのため、保守論客はその『表面』によって、彼に過剰な期待をする。

その期待は、多分『現実主義者』の麻生には上手くかわされるでしょうし、
実際今回もかわされ、あまつさえその『期待』をも現実政治に利用された。

2ch風に言うならば、『保守論客涙目w』って感じですか。

ま、そういう意味で、『論客』はおいといて、麻生には
『いろいろな意味で』期待してます。

Posted by: sophnuts | September 29, 2007 at 10:55 PM

こんばんは。
保守論壇のダメっぷりは、まあその通りなんですが、もともと「アンチ朝日・岩波」というところからスタートしているので、まだまだ成熟した議論ができないんでしょうね。
過去の戦争について「日本は悪くない」とか、欧米なら極右政党が扇動目的で主張しそうなことも平気で言っちゃっているわけですから、困ったものです。
(北朝鮮にはもっと圧力をかけろと主張しながら、真珠湾直前のアメリカの強硬外交(ハルノートとか)には否定的な見解を持つ人が多いのは不思議なのですが・・・)
年金問題でも菅直人氏や労働組合のせいにして「安倍首相には責任はない」とするに至っては、贔屓の引倒しに近い、粗雑な主張と言わざるを得ません。

困ったことに、安倍首相の演説や答弁にはそうした保守論壇の方々の主張が多く取り入れられ、国外的には顰蹙を買い、国内的にも「そんなこと聞きたいんじゃないのに、何言ってるの???」という反応で、喋れば喋るほど支持率が低下していったように見えました。
しかし安倍首相はそんな視野狭窄な議論を本当に誠実に訴えていたので、大真面目になればなるほど道化じみて見え、最後は痛々しさばかりが目に付きました。
でも、安倍首相退陣に対する反応から見ても、保守論壇の側の反省はないようで、これからも勇ましいことばかり言いそうな感じで、げんなりしています・・・。

福田内閣については、御指摘の通り、官邸「fool five」がやっと一掃されたという点に尽きますね。
とにかく尊大に振る舞うばかりで、本来の調整機能において心許ないばかりか、情報収集能力や危機管理能力に至っては誠にお寒い限りでしたから・・・。

Posted by: 板倉丈浩 | October 01, 2007 at 04:38 AM

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