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September 05, 2007

四半世紀前の記憶

■ 四半世紀前、青森・八戸に「エフゲニー・スヴェトラーノフ&ソヴィエト国立交響楽団」の一行が来たことがある。当時、在来線しか通っていない地方都市に、こういう水準のオーケストラが来たことは、一大事であった。父親は、こういうことには関心を示さなかったけれども、雪斎は、かなり凄いことだと思った。コンサートに行くカネを工面できなかったのは、ちょっとした「青春の痛恨事」である。
 ところで、雪斎は、おそらくは、母方の祖父に趣味や気質が似ている。祖父は、大正年間に上京した往時の「モボ」の典型的な人物であり、宮城県北の田舎に戻って写真館を開業した。母方の祖母も、往時の「モガ」である。そうしたところであればこそ、雪斎の趣味の土壌が出来上がったような気がする。
 前のエントリーで、「安倍総理は祖父・岸信介の影を拭え」と書いたけれども、冷静に考えれば、それは無茶なことであるかもしれないと思う。多分、男子にとっては、「父親」は「殺す」対象であるけれども、「祖父」は「憧憬」の対象である。こうしたことが、安倍総理にあっては、特に強いのではないか。
 加えて、こうして考えると、人々に与える影響でいえば、「母方の祖父母」と「父方の祖父母」のどちらが大きいのであろうかと思うことがある。小泉又二郎、岸信介、吉田茂は、それぞれ小泉純一郎前総理、安倍総理、麻生幹事長にとっては、「母方の祖父」なのである。この意味をもう少し考える必要があるかもしれjない。

■ 『東奥日報』に寄せる毎月の原稿である。青森県は、近年の「格差」の議論でいえば、最も厳しい状況に置かれている。ただし、雪斎が高校生であった四半世紀前にも、青森県は、大学進学率で全国最下位三傑に名を連ねていた。現下の「格差が小泉「構造改革」の産物であるという議論が、にわかに信じ難いものであるのは、そうした昔からの経緯を前にすればこそである。「今に始まったことではない…」と率直に思う、
 雪斎は、四半世紀前、青森・八戸の高校生であった頃、高坂正堯先生の「外交」論に触れたことで、政治学の道に入ろうと思った。同じように、青森県に、雪斎の論稿に触れて政治や外交・安全保障の議論に関心を持つ高校生がいれば、嬉しいと思う。青森県民に向けて外交評論を示す意味は、そううしたところにある。

  □ 安倍改造「下値固め」内閣発足―外交が支える民主国家
 安倍晋三改造内閣が発足した。此度の改造内閣の使命は、参議院選挙惨敗という結果に帰着した安倍内閣と自民党の勢いにおける「下値固め」を行うことである。改造内閣には、支持率の劇的な反転を狙う意味はなく、「底」が抜けるのを避けることができさえすればよいのである。故に、今次改造内閣は、次の衆議院選挙に向けた内閣ではない。次の選挙は、「第二次改造内閣」か「ポスト安倍内閣」で対処することになるのであろう。そのためにも、安倍総理にとっては、此度の改造は、「慎慮の所産」でなければならなかったし、「殿軍の戦」を闘うのが此度の改造内閣の使命であったのである。内閣改造直後に『共同通信信』が実施した世論調査の結果によれば、内閣支持率は四〇・五パーセントに達し、選挙直後の時点から一一・五ポイントの戻りを示した。
 ところで、内閣改造に先立ち、安倍総理は、インドネシア、インド、マレーシアの三ヵ国を訪問した。安倍総理の外遊は、概ね成功であったと解すべきであろう。「世界最大の民主主義国家」であるインドとの提携を前面に押し出したのは、誠に結構なことであったという他はない。この対印提携の模索は、安倍総理が就任直後に手を打った対中「戦略的互恵関係」構築という業績の上でこそ、意味を持った。この対中関係の「雪解け」という施策がなければ、此度の対印接近もまた、あまりにも見え透いた対中牽制の施策という評価を与えるしかなかったであろう。これに加え、麻生太郎前外務大臣のブラジル訪問、甘利明経済産業大臣の東南アジア訪問といったように、日本の対外政策の布石は、着々と打たれている。たとえば、東南アジア諸国連合との経済連携協定締結に向けた先刻の大筋合意を経て、東アジア自由貿易構想の実現に向けた着実な地歩を固めることができれば、それは、安倍内閣の対外政策における重要な業績に数えられよう。
安倍内閣は、「拉致」に象徴されるように安倍総理自らの「思い入れ」が反映される案件を除けば、対外政策の領域においては業績を積み重ねてきた。こうした事実にも、確かな評価の眼が向けられなければなるまい。
 そして、安倍改造内閣は、対外政策・安全保障領域においては、近年でも異例とも評すべき重厚な陣容を整えた。町村信孝外務大臣は、総理の出身派閥の領袖であり、既に外務大臣を経験している。高村正彦防衛大臣に関しては、外務、法務の重職を務めた高村大臣をこのポストに持ってきたところに、安倍総理の「気合」が感じられる。防衛庁長官時代から数えても、こういう派閥領袖クラスの重鎮政治家が防衛担当閣僚になった事例は、稀有である。それは、今後の「防衛大臣」という地位の重みを担保するためにも、結構なことであった。加えて、自民党運営の要である幹事長には、麻生太郎前外務大臣が就任している。「派閥均衡」などという定型的な評に惑わされることなく改造内閣や自民党幹部の布陣を眺めれば、それが誠に期待値も高いものであることは、瞭然としていよう。特に良好な国際関係の上に存立が成っている日本のような国家においては、その時々の内閣の評価を対外政策の観点から行うことは、殊の外,大事なのである。
 無論、こうした対外政策の評価は、一般国民には縁遠いものであるかもしれない。しかし、吉田茂は、「外交感覚なき国民は滅ぶ」と語った。現在の民主主義体制の下では、そうした外交の意味を適切に解釈できる「外交感覚」を持ち合わせることが、一般国民にも要請されているのである。
 「外交の事態いよいよ切迫すれば、外交の事を記し又これを論ずるに當りては自から外務大臣たるの心得を以てするが故に、一身の私に於ては世間の人気に投ず可き壮快の説なきに非ざれども、紙に臨めば自から筆の不自由を感じて自から躊躇するものなり。苟も国家の利害を思ふものならんには此心得なかる可らず」。
これは、福澤諭吉が明治三十年八月に「新聞紙の外交論」と題して『時事新報』紙上に寄せた論稿の一節である。福澤がこの論稿を書いた時代から、日本国民の政治意識は、どれだけ成熟したのであろうか。
  『東奥日報』(2007年9月2日)掲載    

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Comments

偶然ですね、私の夫の父親は障害者で、道東で写真館を営んでいました。私の父はノンポリですが、祖父は九州の三井炭坑で社会党代議士をかついで労働運動をしていました。晩年は「わしゃあ、やっぱり共産党がいい」と言っていたそうです。自分は祖父の血を引いたのかと思いました。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | September 05, 2007 at 09:59 PM

追伸。夫の父親も宮城出身です。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | September 05, 2007 at 10:03 PM

 雪斎様の論稿(東奥日報)に触れて政治や外交・安全保障の議論に関心を持った昔高校生です(苦笑)。
 先日軽い気持ちで『地方の痛み』という言葉を使ってしまい、ある方からその痛みとは?と返されてしまいました。よく考えてみますと、賃金格差が問題なのではなく、消費税、年金保険料などが賃金に占める割合の格差が痛みとなっていると思います。例の『給食費の不払い率』に関して青森県が全国第一位の完納率(特に津軽地区)であることからも、都会と地方の賃金格差はそう大きな問題では無いと思います。
 その痛みは加速されれば、一揆になるかもしれませんが(笑)、その辺を小泉氏は判っていたから消費税アップはしなかったのでしょう。

Posted by: 村長 | September 06, 2007 at 02:54 PM

母方の祖父は、北海道の田舎町で質屋を経営していて、現職町長に対抗馬を立てるために身上をほぼ全て注ぎ込み、選挙に負けた後に急死したのだそうです。その約10ヵ月後に生まれたのが当方。子供の頃から「生まれ変わり」と言われ、13回忌ではまだ生きてた祖父の兄弟親戚に「(祖父の)子供の頃にそっくりだ」と泣いて手を握られ、今も母の実家にある遺影を見ると、あと数年でほぼコピーと言えるくらい似ている事を痛感します。
母は、祖父みたいな生き方をしてほしくない、という育て方をしたそうなのですが、結果として顔だけじゃなく、年を経るごとに性格も似てきてしまっており、父方・母方に関わらず、祖父を知る人からは「やっぱり生まれ変わり」と言われます。

当方の場合は、両親に対する反発から採った行動が、両親の望まぬ道→祖父の進んできた道、となった例でしょうけど、やはり、払拭は難しいなぁ。

Posted by: 桜新町長五郎 | September 07, 2007 at 11:21 AM

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