« 保守論客の「冬の時代」 | Main | 秋の三題噺 »

September 29, 2007

勘助、雪斎、官兵衛

■ 以前、 「溜池通信」「不規則発言」欄で「かんべえさんと雪斎さんの違いは…」と問われた話が紹介されていたけれども、同じ趣旨の取材を雪斎も受けている。「現代における『軍師』とは何か」という趣旨で、Y新聞の●●記者が問い掛けてきたのである。

 この取材の動機として、NHK大河ドラマ『風林火山』への反響があるとは、●●記者が語ってくれた。井上靖原作の小説「風林火山」は、雪斎が知る限り四度、映画・ドラマになっている。主人公・山本勘助を演じたのは、三船敏郎、里見浩太郎、北大路欣也、そして今の内野聖陽といった実力俳優である。故に、世の人々にとって馴染みの深い武将であるけれども、勘助それ自体は長らく実在が疑われた武将であった。
 加えて、『風林火山』は、「隻眼萎脚の男」の生涯を描いた「障害者ドラマ」でもある。しかし、これを「障害者ドラマ」と思って視ている向きは、ないであろう。 何故かといえば、描かれているのは、軍師・山本勘助の「野望」であるからである。史上、「軍師」と呼ばれる人々には、身体頑健とは程遠い存在であった事例が多い。豊臣秀吉の前期の「軍師」であった竹中半兵衛は、「蒲柳の質」であったし、黒田官兵衛は、「萎脚の武将」であった。輿に乗ったまま差配したとされる立花道雪も、そうした武将である。こうした「軍師」像の原型となったであろう孔明や子房も、そうした気質の人物だったとされている。
 要するに、孔明、子房、半兵衛、官兵衛に類する「軍師」を東国にも見出したいという願望が、江戸時代以降に反映されたのが「軍師・山本勘助」の真実であったのではなかろうか。確かに、徳川家康の「軍師」という人々は、思い当たらないわけである。
 ところで、「軍師」、「参謀」に要求される才能と純然たる「学者」に要求される才能は、おそらくは似ているようで異なる。「軍師」、「参謀」は、どちらかといえば修行僧のように禁欲的に学術研究に打ち込むのを佳しとする「学者」とは異なり、「俗世の欲」にまみれることを当然のこととして受け容れなければならない。「権力欲」は、そうした「俗世の欲」の典型であるが故に、それを真正面から見ないようでは、「きちんとした使い方」も考えることができない。
 雪斎はといえば、今は大学に籍を置いているから、「政治学者」を名乗っているけれども、本質的に「軍師」、「参謀」型の人間である。故に、雪斎は、その時々の宰相に献言する体裁で論稿を発表するのを基本スタンスとしている。雪斎に「権力迎合」、「日和見」という批判を投げ掛けるぐらい、無意味なものはない。日本に米国の対外関係評議会のような政策シンクタンクがあれば、そこを拠点にしたほうが性に合っているかもしれない。米国などでは、そうしたシンクタンクを拠点にする人々と大学を拠点にする人々には、明確な差異があるわけではない。「志向」が違うといったほうが、正しいのであろう。
 また、雪斎は、「軍師・参謀」型の人間であると自覚する故に、純然たる「学者」の業績には、敬意を払っている。純然たる「学者」の業績に触れるのは、楽しいことである。
 先月、雪斎が『中央公論』に寄せた論稿「民主党は消費税選挙後の社会党の轍を踏むか」は、先月末の『毎日新聞』「雑誌を読む」欄で中西寛先生(京都大学教授)から好意的に紹介して頂いた。雪斎が書くものは、「軍師・参謀」としての姿勢で論じるけれども、第一線の「学者」の人々が読むに堪えるものでなければならない。雪斎は、大学に籍を置き始めてから、、「評論家」という肩書きも捨て、オフィシャルな立場で論じる対象も「政治」に限定することにした。気楽な立場で色々な物事に首を突っ込むのが許される時節は、もう過ぎた。
 今は、宰相・福田康夫に献言することの中身を考えよう。さしあたり、福田総理最初の外遊が、どこになるかを注目する必要がある。「給油活動」継続という土産を持ってワシントンに乗り込むというのが、最も手堅い選択だと思うけれども、どうであろうか。

■ 諸般の事情により、来週の更新を停止します。

■ 今夜の一枚
 ● ドミトリー・ショスタコーヴィッチ
   交響曲第7番ハ長調作品80 「レニングラード」
   キリル・コンドラシン
   モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

|

« 保守論客の「冬の時代」 | Main | 秋の三題噺 »

「学者生活」カテゴリの記事

Comments

>雪斎に「権力迎合」、「日和見」という批判を投げ掛けるぐらい、無意味なものはない。

ああ、一応、こう言われるのを気にしてるんすね(w

Posted by: 通りすがり | September 29, 2007 at 11:11 AM

(1)福田首相への提言として、これはビックリしましたね。さすがであります。

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070928/srn070928000.htm

(2)軍師・参謀論がお好きな方は、かんべえが昔書いたものですけど、下記を是非どうぞ。

http://tameike.net/writing/dialogue2.htm

(3)「通りすがり」さん、知らない人に悪口言われると、ワシだって一応気になりますぜ。

Posted by: かんべえ | September 30, 2007 at 07:34 AM

かんべえさん こんにちは。
参謀がトップに判断材料を提供すると言う機能でみれば
中世欧州に、「何を言っても罪に問われることが無い」
道化と言う存在がありましたな。
茶坊主や鼓持ちとがあっても、武家社会は、ああいった
機能職を産み出せませんでしたね。
私個人は、スタッフの進言は「計器の表示」だと考えて
おります。
それを、意思決定に用いるかはトップの職能であると。
参謀が三暴であっては困りますが、「結果に対して無責任」でなければ、進言など怖くて出来ないかと・・・と、言うより
責任をとることは参謀の役割では無いと考えます。

Posted by: TOR | September 30, 2007 at 10:57 AM

「『給油活動』継続という土産を持ってワシントンに乗り込むというのが、最も手堅い選択だと思うけれども、どうであろうか」。

全く同意ですね。けれんみがなく、紛れがないと思います。「時代に要請された政策」を着実に実行してゆくには、紛れの多い手順は、不要だと思います。岡崎大使の「正論」は、「上策」、「中策」を示していて(「下策」は書くまでもない)、「中策」を実行するのがまともでしょう。外政でコンセンサスを築いた上で、内政での論争は歓迎。手順が逆だと、思いっきりまぎれると思います。年金でも細かい議論が多そうですが、地域間格差などをとり上げると、これというほどの手段がないだけに、外政がなおざりになるでしょう。実際には同時に進行するのでしょうが、外政でコンセンサスを築くことを優先する方が、紛れがない手順だと思います。

Posted by: Hache | September 30, 2007 at 03:24 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71618/16367568

Listed below are links to weblogs that reference 勘助、雪斎、官兵衛:

« 保守論客の「冬の時代」 | Main | 秋の三題噺 »