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August 01, 2007

時評論文の難しさ

■ 昨晩、『中央公論』に寄せる原稿の校正作業が終わる。
 学術論文を書くのと時評論文を書くのは、別の技量が要るものであるけれども、此度の雪斎の「民主党に『喝』」論稿は、この時評論文特有の難しさを実感させたものであった。学術論文は、「確定していない事実」に依拠して書かれることはないけれども、時評論文は、「確定していない事実」を想定することが往々にしてある。雪斎の「民主党に『喝』」論稿は、「民主党勝利」という「確定していない事実」を想定して書いた。今だからこそ、「民主党勝利は誰でも予想していた」という反応が出てきそうであるけれども、結果が出るまでは、「想定が外れていたら、どうしよう…」とびくびくさせられるわけである。輪転機が回ってしまえば、たたえ誤った想定で書いても、取り消すことはできず、世に出た原稿は、ほぼ永久に残ることになる。政治学者と称する人々は、普通は、そういうリスクの高い原稿は書かない。雪斎は、元々、「永田町インサイダー」であったので、この種の原稿を書くのには抵抗はないけれども、それでも此度は「怖かった」というしかない。

 しかも、『中央公論』のようなメディアに出す原稿は、時評論文ではあっても緻密に書かなければならない。しかも、紙幅は四百字詰原稿用紙二十数分であるので余計なことは書けない。ブログで書くのとは違う「神経戦」の趣きがある。政治学者の中には、時評論文を書くのを「余興」と軽んじている人々がいるけれども、そういう人々に限って、その「余興」ができないものである。雪斎が日頃、世話になり、尊敬もする政治学者の多くは、そうした「余興」も完璧にできる人々である。
 雪斎の「民主党に『喝』論稿は、十日に世に出ることになる。時節柄、此度の選挙を総括する原稿としては、雪斎のものが「第一陣」の一つになるであろう。因みに、この『中央公論』の選挙特集には、雪斎の原稿に加え、自民党重鎮議員と著名経済学者の原稿、自民・民主両党の中堅議員による対談が載ることのことである。雪斎を除く他の人々は、その名前を知らない人々はいない「ビッグ・ネーム」なので、「何故、お前がそこに混じっているのか」といわれそうである。
 ところで、雪斎の「民主党に『喝』論稿は、どのような中身を持っているのか。原稿の性質上、ブログでは書けないけれども、「民主党の政権交代には、どのような前提条件があるか」という問題意識だけは表明してもいいであろう。民主党の政権交代も、けっして容易ではない。民主党の中にも、それを冷静に見ている人士がいる。。

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