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August 03, 2007

「グローバリゼーション」と「構造改革」

■ 「ベルリンの壁」が崩れた1989年秋の日々を覚えているであろうか。。
 あの日から、世界は変わった。
 日本でも、その頃から、「規制緩和」が盛んに叫ばれるようにようになった。
 世界中を動き回るカネ、モノ、ヒトの流れをいかに利用するかということが、「グローバリゼーション」への適応の中身を意味し、それに失敗すれば経済発展も見込めないという環境がc出来上がったのである。
 明治の日本人が何をしたかといえば、これも、十九世紀の「グローバリゼーション」への適応であるといえる。。
 雪斎が最も尊敬する実業家は、「真珠王」と呼ばれた御木本幸吉である。
 明治天皇を前に、「世界の総ての婦人の首を我が真珠で占めて御覧に入れます」と言い放った男である。
 明治という時代は、日本人が否応なく生活習慣を改めさせた時代のことではない。日本人が「機会」を世界に求めるようになった時代のことである。御木本幸吉とは、そういうスピリットで走った人物である。因みに、現在、真珠の重さを量る国際度量衡は、日本の「匁」である。御木本幸吉は、「グローバル・スタンダード」を作った。それが「グローバリゼーション」への適応の究極の姿である。
 こうして考えれば、松岡利勝、赤城徳彦の両大臣が目指したものは、以下のごとくである。
 それは、「世界の金持ちの胃袋を、われらがコメで満たして御覧に入れます」ということであったのである。
 そして、それは、 「グローバリゼーション」への適応の日一つの形であったのである。
 雪斎は、松岡大臣の死を惜しんだ。赤城大臣が中国で日本産コメ輸出レセプションに立ち会っていたのは、もしかしたら松岡前任大臣の思いを継いでいたのかもしれないと想像する。
 小泉純一郎、安倍晋三が進めようとした「構造改革」を歴史の文脈で位置付ければ、「グローバリゼーション」への適応の加速ということになる。1990年代の暗中模索の後、「グローバリゼーション」への適応の果実を得られるようになってきたのは、この数年なのである。
 「格差」云々という話にしても,新橋・横浜で開通した鉄道が、全国に一応行き渡るまでには40年近くの歳月を要している。「グローバリゼーション」への適応の果実が行き渡るには、それだけの時間が要るということである。

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