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August 31, 2007

朝青龍と「グローバリゼーション」の苦み

■ この数週間、かなり不愉快な気分で眺めていたのが、横綱・朝青龍に絡む騒動である。
 この朝青龍騒動の浮上には、白鵬という「もう一人の横綱」の登場が関わっていよう。それにしても、相撲協会の対応の見苦しさと朝青龍叩きに走るメディアの浅ましさには、呆れるばかりである。

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August 28, 2007

安倍晋三第一次改造「下値固め」内閣発足

■ 安倍晋三改造内閣発足である。

総理大臣    安倍晋三  (町村派)
総務大臣    増田寛也  (民間)
法務大臣    鳩山邦夫  (津島派)
外務大臣    町村信孝  (町村派)
財務大臣    額賀福志郎 (津島派)
防衛大臣    高村正彦  (高村派)
文部科学大臣 伊吹文明  (伊吹派)
厚生労働大臣 舛添要一  (無派閥・参議院)
農林水産大臣 遠藤武彦  (山崎派)
経済産業大臣 甘利明    (山崎派)
国土交通大臣 冬柴鉄三  (公明党)
環境大臣    鴨下一郎  (津島派)
官房長官    与謝野馨  (無派閥)
国家公安委員長 泉信也   (二階派・参議院)
経済財政大臣 大田弘子  (民間)
沖北担当大臣 岸田文雄  (古賀派)
少子担当大臣 上川陽子  (古賀派)
金融・行革担当大臣 渡辺喜美  (無派閥)

官房副長官   大野松茂  (町村派)
官房副長官   岩城光英  (町村派)

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August 26, 2007

安倍晋三第一次改造「下値固め」内閣

■ 明日、安倍晋三内閣の改造が行われる。
 此度の内閣改造の目的は、安倍晋三内閣と自民党の勢いにおける「下値固め」をおこなうことである。だから、この内閣改造で支持率の劇的な反転を狙う意味はない。「底」が抜けるのを避けることができさえすればいい。
 故に、今次改造内閣は、次の衆議院選挙に向けた内閣ではない。次の選挙は、「第二次改造内閣」か「ポスト安倍内閣」で対処することになるのであろう。そのためにも、安倍総理にとっては、此度の改造は、「慎慮の所産」でなければならない。「殿軍の戦」を闘うのが、此度の改造内閣なのである。

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August 25, 2007

投資の話

■ ぐっちー殿のところで、「雪斎は儲けている」という趣旨の紹介があった故にか、アクセス数が急増して戦慄する。「儲けている」のは、否定しないけれども、その水準は、至って平凡である。一汁二菜の普段の食事は、学生の頃から変らない。「フェアドマ」で途方もないフォアグラを食しても、それは何時もある話ではない。
 もっとも、投資によるリターンが得られるようになったのは、昨年になってからのことである。投資の際の基本は、『孫子』の言葉を借りれば、「昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるをなして、以て敵の勝つべきを待つ。 勝つべからざるは己れに在り。勝つべきは敵に在り」である。投資においてはは、「大損を絶対にしないという」構えを築くことが最初の布石である。

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August 23, 2007

12時間の眠りの後で…

■ 本日、起きてみたら時計は午前11時を回っていた。12時間も爆睡していたわけである。午前中、涼しかったので、「プチ冬眠モード」に入ったというところか。

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August 21, 2007

稽古不足を幕は待たない…。

■ 安倍晋三総理は、インドネシアで経済連携協定に調印したそうである。財界関係者を同行させた此度の外遊は、経済利得を増進させることを目指したものであるけれれども、安倍総理は、こういう経済絡みの対外政策のほうが却って業績を積み重ねることができるのではないかと思う。こういう領域では、「美しい国」にい象徴される安倍総理一流の「思い入れ」は通用しないのだから、安倍総理も、慎重に事を運ぶことができるであろう。
 昔、池田勇人総理が訪欧した折、シャルル・ド・ゴールから「トランジスターのールスマン」と揶揄されたという挿話は、まことしやかに語られている。しかし、ド・ゴールは、決して池田を馬鹿にするつもりで、そうした言辞を吐いたわけではないというのが真相のようである。
 ところで、内閣改造に向けて色々な話が伝わっている。注目点は四つである。
 1 官房長官  塩崎長官留任は、もはやあるまい。
 2 外務大臣  町村信孝氏と高村正彦氏が後任として浮上しているけれども、このポストは、安倍総理の執政の「色合い」を占う上では、誠に大事である。
 3 防衛大臣  小池大臣は、留任なのであろうか。
 4 農水大臣  実質、「呪われたポスト」である。このポストは、「構造改革」路線が続くか続かないかを占うものになるでああろう。
 雪斎は、この際、閣僚ポストは総て、「閣僚経験者」で固めてもよいのではないかと思う。いまさら、新しいことをして政権の浮揚を図ろうとすることに、いかほどの意味があるというのであろうか。
 総理補佐官は、ひとりだけを残すようである。正しい方針である。補佐官は、総理大臣に「意見を具申する」官職であって、何らかの権限を持って官僚組織に相対する官職ではない。故に、このポストに五人も政治家を充てたのは、制度の趣旨が理解されていなかったことの証左である。もし、五人の枠を使いたければ、総て「学者・民間人」を起用するのが、常道である。「財政・金融」、「外交・安全保障」、「社会福祉」といった各領域の専門家は、総理の判断を支えるためだけに活動するのである。

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August 19, 2007

夏も盛りを過ぎて…

■ 本日からエントリー執筆再開である。
 先週の政治ネタ話でいえば、防衛省人事に絡む紛糾は、安倍晋三内閣にはマイナスであったろう。
 官僚の人事に政治家が手を出すことぐらい細心の注意を要するものはない。
 官僚組織全体からすれば、政治家は大臣であっても、結局は組織の「お客さん」である。
 その「お客さん」が手を突っ込むのであれば、余程の信頼を築き意思疎通を図った上でなければ、要らぬ摩擦を生じさせる。「権限があるから何でもできる」というわけではない。
 それにしても、小池防衛大臣の留任は、既定方針であったはずである。
 小池大臣就任は、先ず歓迎する向きが支配的であった。
 しかし、此度の騒動の結果、その留任にも確証を持てなくなってしまった。
 もっとも、小池大臣と守屋次官が「警察出身者の次官昇格」を避けるために一芝居を打ったというのであれば、
それは凄いことだと思うけれども、それは与太話の類でしかないであろう。かくして、「混乱」の印象だけが残ってしまった。「統治」の営みでは、「おいおい、大丈夫か」という不安を与える対応が、もっとも嫌われる。安倍総理の執政においては、そうした対応が多すぎるのである。
 安倍晋三総理の「浮揚」は、この次の党役員・組閣人事が実質、「最後の機会」である。
 少しでも問題が起きそうな人材は、徹底して排除jしなければなるまい。逆にいえば、この次の組閣の後、また問題が浮上することになれば、「ジ・エンド」である。
 これができなければ、安倍総理は、「元総理」として、「政治家としての長い余生」を過ごさなければならなくなる。もはや、「美しい国」も「戦後レジームからの脱却」も、政治上の「旗」としては意味がない。

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August 12, 2007

今後の当ブログの運営方針

 各位
 前略、日頃、「雪斎の随想録」をお読み頂き、有り難うございます。
 過去二年八ヵ月余り、エントリーを書き続けてきましたが、今後はエントリー執筆の頻度を減らし、週二回程度の更新と致します。諸事山積の故、エントリーの「質」を維持するのに必要な時間と精力を割くのが難しくなってきた事情に依るものです。
 このブログは、来週まで更新を中断致しますけれども、来週以降は、この新たな方針に切り替えて運営する所存です。各位の御寛恕をお願いする次第です、
                         草々
  雪斎

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August 11, 2007

「鶏を裂くに牛刀を以ってする」。

■ 最近は、古典の新訳が続々と出ている。これも出たのかと思ったのが、アダム・スミスの『国富論』の新訳である。これは、確かに読みやすい書にはなっている。
 ○ アダム・スミス、 『国富論 上  国の豊かさの本質と原因についての研究』
          (山岡洋一訳、日本経済新聞出版社、二〇〇七年)
 ○ アダム・スミス、 『国富論 下  国の豊かさの本質と原因についての研究』
          (山岡洋一訳、日本経済新聞出版社、二〇〇七年)
 佐々木毅先生が『政治学の名著30』の中で『国富論』を「政治学の書」と位置付けて紹介しているけれども、特に「第五編・第一章」の記述は、完全に「政治学」の記述である。
 この新訳には、根岸隆・東京大学名誉教授の解説が付されている。「一家に一冊」という趣きの書である。

■ このところの「サブプライム・ショック」に伴う市場混乱は、どの時点で収束するのであろうか。
 欧州中央銀行は、前日の948億ユーロに続き、610億ユーロの資金供給を行ったようである。
 今朝、FRBが一日に三度に渡り総額380億ドルの資金供給を行ったと報じられている。
 指標ボードを見たら、ダウ平均は、31ドルマイナスで引けている。
 月曜日の東京で、どうなるかというところであろう。
 ところで、この金融当局の対応を見たら、「鶏を裂くに牛刀を以ってする」という言葉を思い出した。この言葉それ自体には、「適切でない」という意味があるのであるけれども、欧州中銀やFRBの動きをみると、「鶏を裂くに牛刀を以ってする」という手法は、危機克服の折には有効なものなのであろう。少なくとも、「兵力の逐次」投入を繰り返した一九九〇年代の日本のことを思えば…。

■ 連日、暑い日が続く。
  率直に「身の危険」を感じている。本ブログの更新も、「夏休み」モードに入ります。

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August 08, 2007

破釜沈舟

■ 安倍晋三総理の「続投」には、自民党内外からブーイングが浴びせかけられているようである。
 「破釜沈舟」という言葉がある。「退路を断つ」とか「ルビコンを渡る」というものに似た趣きの言葉である。項羽が秦の軍隊と戦った折に使った戦術から来た言葉である。小泉純一郎前総理の「郵政解散」を決めた「8・8演説」には、そういう「破釜沈舟」の趣きが濃厚に漂っていた。安倍総理も、「続投」宣言によって、その「破釜沈舟」の決意を示した心算であろう。だが、どうにも、「熱」が伝わってこない。「構造改革」路線は、貫徹しなければならないけれども、それを伝える安倍総理の言葉には、「定型」的な趣きが濃い。もっと規格外のことをやってもいいと思うのだが…。
 もっとも、安倍総理は、どうにも政権運営が苦しいということになれば、辞めるタイミングは二つしかない。
 第一は、来年の予算案が成立した段階である。その段階で辞めてもらえれば、格好が付く。「洞爺湖サミット」は、「どうせ辞める人物」がホストを務めてはならない。そいうことをすれば、諸国の指導者に対しても失礼であるし、日本国の国益を毀損する。第二は、そのまま総選挙に突入して敗北した時点である。

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August 07, 2007

「構造改革」は「レッセ・フェール」ではない。

■  「サブ・プライム・モーゲージ」の実態は、ぐっちー殿が以前から警鐘を鳴らしていていたけれども、それを「ダンボール入り肉まん」に擬えたかんべえ殿の説明は、誠に判りやすいものであったといえよう。
 日経225は昨日、「上海ショック」後の今年三月の水準になっているけれども、このところのニューヨークの乱高下で損失を出した外国人投資家が損失の穴埋めをするために東京市場で「売り」に走っているのが、その理由であるらしい。大方の日本人にとって、「どうでもいい」ことのために、東京市場が翻弄されているのである。
 そういえば、佐々木毅先生の新著『政治学の名著30』(ちくま新書)の中には、アダム・スミスの『諸国民の富』が紹介されていた。一般的には、『諸国民の富』は、「経済学」の古典という印象が強いけれども、国家における「富」の意味、それに関わる統治のあり様を考究したという点では、紛れもなく政治学の書なのである。
 最近の中国やインドの発展は、「外の富」をいかに国内に呼び込むかということにおいて成功した結果である。日本は、「外の富」をいかに国内に呼び込むかとという点で、万全な仕組を手にしたといえるであろうか。案外、市場万能主義」といった言辞を吐く人々に限って、そうした現実を理解していないところがある。雪斎は、小泉純一郎前総理や安倍晋三総理の「構造改革」路線の意味は、「冷戦の終結」以後の国際環境の中で、「外の富」を国内に呼び込む仕組を整えることを目的にしていたと考えている。それは、決して「レッセ・フェール」の施策ではないのである。

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August 06, 2007

核のない世界

■ 昨日、NHKのドキュメンタリー番組「核クライシス」を観る。
 この番組の中で、ヘンリー・A・キッシンジャーが登場していた。
 「核兵器のない世界」( A World Free of Nuclear Weapons: By George P. Shultz, William J. Perry, Henry A. Kissinger and Sam Nunn. The Wall Street Journal January 4, 2007; Page A15)という記事が紹介されていた。キッシンジャーに加え、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、サム・ナンが連名で発表した原稿である。

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August 04, 2007

選挙特需

■ 「選挙特需」の一週間が過ぎた。結構、色々な原稿を書いた。
 来週には、色々なところに掲載されるはずである。
 率直に「へばった」。
 それでも、梅雨明けが大幅に遅れたのは、雪斎には幸いであった。例年通りの暑さの下で、書き続ける羽目にならずに済んだ。今後の雪斎には、「妻」と「避暑地の別荘」は確実に必要とされるであろう。急がねばならないけれどども、それにしても、最近のマーケットの乱高下ぶりときたら…。

■ 安倍晋三総理が「続投」を表明したものの、自民党内からは色々な声が上がっている。
 自民党総裁の「根幹の仕事」は、「選挙に勝つこと」である。
 振り返れば、昨年の総裁選挙に際して、何よりも考慮されたのは、この点である。
 安倍総裁は、「美しい国」といった政策理念の故ではなく、「選挙で勝てる顔」であると期待された故に、選出されたのである。そうすれば、それぞれの議員にとっても、選挙が楽であったろう。
 「保身ではないか…」と怒る向きがあるかもしれないけれども、それが現実である。
 人間は誰でも、先ず自分のことを考える。それを云々しても仕方がない。
 故に、その「根幹の仕事」に失敗を犯した安倍総裁に不満が噴出するのは当然である。
 ただし、安倍総裁は、日本国の宰相である。
 「総裁」と「宰相」とでは、「宰相」の立場が優先される。
 「宰相」は簡単に辞めてはならないのである。

■ 安倍総理の「失地回復」の可能性は、人事一新の中身で占われる。
 雪斎は、内閣改造人事の焦点は、「誰を官房長官に任用するか」であると思っている。
 残念ながら、塩崎恭久官房長官は、交代させたほうがいいであろう。
 安倍総理の「経験の浅さ」をカヴァーできるものを塩崎氏が持っていたように思えない。
 政権の失速には「番頭」にも責任がある。
 福田康夫氏に戻ってもらうとか細田博之氏を再び迎えるような手を打たないと、官邸に対する不安が拭えない。
 加えて、総理補佐官に政治家を任用することは止めた方がよいと思われる。
 補佐官は、基本的に学者・民間人に当てるべきポストであるからである。 

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August 03, 2007

「グローバリゼーション」と「構造改革」

■ 「ベルリンの壁」が崩れた1989年秋の日々を覚えているであろうか。。
 あの日から、世界は変わった。
 日本でも、その頃から、「規制緩和」が盛んに叫ばれるようにようになった。
 世界中を動き回るカネ、モノ、ヒトの流れをいかに利用するかということが、「グローバリゼーション」への適応の中身を意味し、それに失敗すれば経済発展も見込めないという環境がc出来上がったのである。
 明治の日本人が何をしたかといえば、これも、十九世紀の「グローバリゼーション」への適応であるといえる。。
 雪斎が最も尊敬する実業家は、「真珠王」と呼ばれた御木本幸吉である。
 明治天皇を前に、「世界の総ての婦人の首を我が真珠で占めて御覧に入れます」と言い放った男である。
 明治という時代は、日本人が否応なく生活習慣を改めさせた時代のことではない。日本人が「機会」を世界に求めるようになった時代のことである。御木本幸吉とは、そういうスピリットで走った人物である。因みに、現在、真珠の重さを量る国際度量衡は、日本の「匁」である。御木本幸吉は、「グローバル・スタンダード」を作った。それが「グローバリゼーション」への適応の究極の姿である。
 こうして考えれば、松岡利勝、赤城徳彦の両大臣が目指したものは、以下のごとくである。
 それは、「世界の金持ちの胃袋を、われらがコメで満たして御覧に入れます」ということであったのである。
 そして、それは、 「グローバリゼーション」への適応の日一つの形であったのである。
 雪斎は、松岡大臣の死を惜しんだ。赤城大臣が中国で日本産コメ輸出レセプションに立ち会っていたのは、もしかしたら松岡前任大臣の思いを継いでいたのかもしれないと想像する。
 小泉純一郎、安倍晋三が進めようとした「構造改革」を歴史の文脈で位置付ければ、「グローバリゼーション」への適応の加速ということになる。1990年代の暗中模索の後、「グローバリゼーション」への適応の果実を得られるようになってきたのは、この数年なのである。
 「格差」云々という話にしても,新橋・横浜で開通した鉄道が、全国に一応行き渡るまでには40年近くの歳月を要している。「グローバリゼーション」への適応の果実が行き渡るには、それだけの時間が要るということである。

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August 01, 2007

時評論文の難しさ

■ 昨晩、『中央公論』に寄せる原稿の校正作業が終わる。
 学術論文を書くのと時評論文を書くのは、別の技量が要るものであるけれども、此度の雪斎の「民主党に『喝』」論稿は、この時評論文特有の難しさを実感させたものであった。学術論文は、「確定していない事実」に依拠して書かれることはないけれども、時評論文は、「確定していない事実」を想定することが往々にしてある。雪斎の「民主党に『喝』」論稿は、「民主党勝利」という「確定していない事実」を想定して書いた。今だからこそ、「民主党勝利は誰でも予想していた」という反応が出てきそうであるけれども、結果が出るまでは、「想定が外れていたら、どうしよう…」とびくびくさせられるわけである。輪転機が回ってしまえば、たたえ誤った想定で書いても、取り消すことはできず、世に出た原稿は、ほぼ永久に残ることになる。政治学者と称する人々は、普通は、そういうリスクの高い原稿は書かない。雪斎は、元々、「永田町インサイダー」であったので、この種の原稿を書くのには抵抗はないけれども、それでも此度は「怖かった」というしかない。

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