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July 20, 2007

「核」の管理という課題

■ 『溜池通信』で紹介されていた『The Economist 』記事要旨からの抜き書きである。
 久間防衛相が米国の原爆投下を是認するような発言をした。久間の発言は主流派歴史家の見解通り、原爆投下が日本の降伏を早め、ソ連の大規模占領を防いだというもの。これが日本の右派(歴史見直し派)と左派(反戦平和派)を結束させてしまった。不運にも久間の選挙区は長崎であり、自民党候補が民主党と競っている。九州は保守の金城湯池なるも、自民党の選挙マシーンは弱体化している。久間は7 月3 日に辞任した。
 雪斎は、「久間発言は、教条的な『平和主義者』と観念的な『民族主義者』の醜悪な野合の光景を出現させた。誠に気色悪いものを見せられた想いがする」と書いたけれども、『The Economist 』記事要旨を前にして、「何だ。同じことを言っているやないけ」と反応する。

■ 昨日付『産経新聞』「正論」欄に寄せた原稿である。今年上半期には、まったく書いていなかったけれども、柏崎刈羽原発の実態暴露を期に「核」の管理に懸念が深まっている今、「よいタイミングで出せた原稿になった」と思う。
 「核」をどのように管理するか。この国では、どうも実践的な議論が伴っていない。「セックス」と「マネー」を語る時と同じような匂いがある。「そんな汚らわしいものを…」という風情である。「セックス」も「マネー」も、人間生活の大事な要素である。そして、「核」も…。雪斎は、こういうものは、みな好きなので、「かまとと」ぶっている人々の神経は、ちょっと理解できないのだが…。
 ここで一つの可能性を考える。
 「反核平和主義者」は、、もし自身の信条を大事にしたければ、電力、機械を初めとする「核」関連会社の株を持つべきであろう。「反核平和主義者」は、株主の立場によって、経営陣に対して「安全」の徹底を要求すべきであろう。広島・長崎だけではなく、「チェルノブイリ」も「核の惨禍」の事例なのであるから、「核の惨禍を繰り返さない」という彼らの信念が本物ならば、そのほうが「実質性」を伴った振る舞いになるはずである。そして、民族主義者」も同じことを考えるべきであろう。「フランスは、アラブの石油よりも、フランスの技術者を信じる」。原子力開発に熱心なフランスの論理であるけれども、その論理は、「民族主義者」には、率直に受け容れやすいいものであろう。そうであるならば、「民族主義者」は、株主の立場によって、経営陣に対して「日本の『核』技術の維持」を徹底させるように要求すべきであろう。そのほうが、「日本の誇り」を守るという点では、「実質性」を伴った振る舞いになるはずである。
 たとえば東京電力の株を広島市民百十数万人が全員で一人辺り1万円くらいずつ出して総数300万株近くを持ち、株主総会に押しかければ、かなりの力になりそうである。経営陣も、びびりそうである。というのも、経営陣の「首」を左右できるのは、メディアの批判などではなく、法令上は株主総会の議決であるからである。秋葉忠利・広島市長も、「広島の声」を強調するのであれば、これくらいのことは考えるべきだと思う。昨日、東京電力株は5%近く落ちているから、暫くの間、格好の「買い場」モードに入ったのではないであろうか。「配当もいいから、買おうかな…」(笑)。もっとも、雪斎は、高級鋼材を含む「技術」ナショナリストなので、株主になったら、「ちゃんと技術を守らんかい…」と口走る方向に走りそうであるけれども…。
 「核」関連会社の経営陣に絶えず「安全」への圧力をかけようとすれば、こういう「戦略性」は必要であろう。昨日、村上世彰氏に実刑判決が下った。「モノを言う株主」も、やり方の問題なのである。こうして、物事は、つながっている。

 □ 怜悧な「核」論議の機運は萎えたのか―日本こそ「核」管理の智恵を示せ
 ≪「唯一の被爆国」感情から≫
 「犠牲者の数からすれば、東京空襲のほうが、広島・長崎よりも被害は多いはずだ。それなのに、なぜ日本人は核を特別なものと認識しているのか…」。
 筆者が去る5月中旬にフランスを訪問中にピエール・マリー・ガロワ将軍と面談した折、将軍は、このように問い掛けてきた。1960年代初頭、シャルル・ド・ゴール執政期のフランスは、冷戦下の東西対立の狭間で独自の核武装に踏み切ったけれども、その理論付けを主導した老将軍の問いは、筆者には誠に印象深いものであった。
 実際、筆者が言論活動の最初期の題材としていたのは「唯一の被爆国」感情に寄り掛かって「核」を語る姿勢への批判であった。「唯一の被爆国」感情に囚(とら)われた結果、日本の人々は、国際政治を怜悧(れいり)に認識する機会を逸してきたのではないか。筆者は、こうした問題意識の下で、本欄でも「核」に関する所見を幾度も披露してきた。
 筆者は、久間章生前防衛大臣が自らを辞任に追い込んだ過般の「核の意味」発言は、その政治上の効果はともかくとして、その趣旨において理解している。第二次世界大戦終結当時の我が国の政治指導層に「抗戦意志」の継続を断念させた主な要因が「特に長崎に対する原爆投下」と「ソ連参戦」にあるのは、既に定説である。そして「原爆投下」と「ソ連参戦」に促された早期終戦の結果、戦後の我が国がドイツのような分割占領と民族分断という事態を避けられたというのも、有力学説の一つである。久間発言は、そのような諸々の説を念頭に置いてのものであったと推測される。
 ≪久間発言批判に共通する≫
 無論、我が国にとっては、「核」は常に感情が絡む話題の一つである。そして「核の惨禍」を再現させないという目標は、既に自明の民族の大義として広範な合意を得ているであろう。しかし、もしそうであるならば、我が国こそが「核」の管理や拡散防止を徹底させるための「智恵」を蓄積していて然るべきであった。「冷戦の終結」以後の国際社会では、「核」の管理や拡散防止が一大課題になっているのであるから、それに相対する折の「智恵の輪」に裏付けられてこそ、「唯一の被爆国」という我が国の自己規定は、相応の意味を持ったであろう。
 そして、たとえば北朝鮮の「核」に絡む現下の「6カ国協議」は、そうした「智恵の蓄積」を生かす格好の舞台であったはずである。しかしながら、実際には「6カ国協議」での議論を主導しているのは、米中両国であって我が国ではない。というのも、我が国にあっては「核」と「拉致」の両案件の落着という二重目標を追求せざるを得ない事情がある一方で、そうした「智恵の蓄積」が十分ではないからである。
 「核」を「自明の絶対悪」として語る教条的な「平和主義者」にせよ、原爆投下に踏み切った米国への反感を拭(ぬぐ)い去れない観念的な「民族主義者」にせよ、久間発言批判の文脈で噴出した議論に共通するのは、この「智恵の蓄積」に対する関心の薄さである。そして、こうした議論の多くに筆者が冷淡な眼差しを向けてきたのは、その「実践性」の乏しさの故である。
 このように考えれば、久間発言が再現させたのは、教条的な「平和主義者」と観念的な「民族主義者」の野合の光景であった。そして、久間辞任という結果によって、日本の政治の世界においては「核」を怜悧に語ることができる日は、確実に遠のくであろう。「平和主義者」の「反核」論と「民族主義者」の「核武装」論が織り成す以前からの不毛なボレロは、今後も続くのかもしれない。この情勢の下では「核」の管理や拡散防止のための「智恵」の蓄積は、率直に難しい作業になるであろう。それは「核」の管理や拡散防止という現在進行形の課題に取り組む折には、支障にしかなるまい。そして、そのことは冷戦終結からも既に20年近くの時間が経とうとしている現下の国際環境の下では、決して我が国の利益には合致しないであろう。
 「少なくとも私を含めて日本の若い世代の知識層では、『核』を語る折の禁忌は薄れています。日本でも昔日に比べれば、『核』を利害得失の観点から怜悧に語ることができるようになっているのです…」
 筆者は、前述のガロワ将軍の問いに対して、このように説明しておいた。筆者は、果たして老将軍に誤った説明をしたのであろうか。
  『産経新聞』「正論」欄(2007年7月19日)掲載

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Comments

 三菱重工業、東芝、日立と世界でもトップクラスの原子力技術を持つ企業が沢山あるだけに、政治の側の停滞は惜しい気がしますね。

Posted by: ささらい | July 20, 2007 at 08:53 PM

地震と原発について、知人が書いてます。
http://blog.goo.ne.jp/heywa/d/20070718

終わりのほうにトリウム型原発についてちらっと触れてます。

Posted by: 笛吹働爺 | July 21, 2007 at 01:04 AM

>「反核平和主義者」は、、電力、機械を初めとする「核」関連会社の株を持つべきであろう
 素晴らしいですね。これに加えて、六ヶ所村で進めつつあるITERへの賛同も表明すべきでしょう。まさか、太陽も核融合だから反対!!は、無いでしょうね。
 17日に八戸港に寄港して、『核反対』『環境を守れ』とアピールして、次の宣伝地へ向かった、Peace&GreenBoat なる団体も核分裂と核融合をごちゃ混ぜに反対し、化石燃料を消費しながら韓国、ロシア、日本を巡っています。せめて自分の足で全国行脚(自転車も可)するならば、説得力もあろうかと思いますが。

Posted by: 村長 | July 21, 2007 at 05:59 PM

>第二次世界大戦終結当時の我が国の政治指導層に「抗戦意志」の継続を断念させた主な要因が「特に長崎に対する原爆投下」と「ソ連参戦」にあるのは、既に定説である。
こちらはともかくも、

>「原爆投下」と「ソ連参戦」に促された早期終戦の結果、戦後の我が国がドイツのような分割占領と民族分断という事態を避けられたというのも、有力学説の一つである。
こちらを「有力」学説とするのはどうしてでしょうか?声が大きければ、事実でなくても有力とするのでしょうか?

Posted by: ゴンベイ | July 27, 2007 at 12:50 AM

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