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July 23, 2007

「政治家の失言」と民主主義

■ 参議院選挙の投票一週間前である。
 メディアの関心は、政治家の「政策」を伝えるよりも、「失言」をほじくりだすことに集まったようである。
 与党有力者の「失言」はネタにされやすい。野党政治家も同じ頻度で「失言」を繰り返していると推測されるけれども、ニュースにする価値がないから伝えられない。その差が選挙情勢にも反映されている。 
 政治家は、何故、「失言」をするのか。
 それは、日本が民主主義体制の国家であるからである。
 おそらく、政治家が有権者に噛んで含めるように所信を説明しようとすればするほど、「失言」のリスクは高くなる。「噛んで含めるように所信を説明する」折には、有権者の理解を助けるために、何らかの「喩え話」を使うものであるけれども、その「喩え話」が下世話なものになることが往々にある。いわゆる「高尚な議論」は、そのままでは、有権者には受け容れられないことが多いのである。
 「失言」が、多くの場合、議論の本筋ではない「喩え話」の文脈で出てくるのは、そのためである。
 たとえば、麻生太郎外相の「アルツハイマーでも判る」発言は、「知的能力が落ちた人々でも理解できるくらいの単純な話」の「喩え話」だったのである。柳沢伯夫厚生労働大臣の「産む機械」発言も、然りである。
 だが、そういう事情を知ってか知らずか、政治家の「失言」をほじくることに血眼になる報道の仕方は、政治ジャーjナリズムの「自傷行為」ではないのか。
 この反動が、かなり怖い気がする。
 段々、メディアの「失言」報道にも、食傷気味になってきている雰囲気があるのである。
 そういえば、言論の世界にも居たようである。他人の議論の本筋ではない部分に噛み付いて悦に入ってくる御仁たちが…。雪斎が「相手にしない」ことにしている御仁たちである。

 ところで、雪斎は、此度の選挙は、「高みの見物」を決め込んだ。
 今は、『中央公論』に寄せる原稿を書いている。
 民主党に「喝」を入れるという趣旨の原稿である。
 今までの雪斎の印象かすれば、ちょっと毛色の違う原稿になるかもしれない。
 ただし、雪斎は、「永田町」に居た時も、そして今も、「自由民主党員」であったことはない。
 故に、こういう原稿を書く意義も、あろうというものである。
 よって、今週半ばまで、エントリーの更新も中断である。

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Comments

久々にコメントをさせていただきます。05年の衆院選挙以来、どうも国政選挙はムードに流されやすくなっているようです。冷静な政策論議が全くなくなってしまい、安部総理の主張している、改憲、教育などはほとんど俎上にのっていないのが、残念です。雪斎先生におかれましては思いっきり民主党に喝を入れていただきたく、よろしくお願いいたします。

Posted by: MAKO | July 26, 2007 at 11:45 PM

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