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July 04, 2007

「核」に関する備忘録

■ 日本における冷戦研究の古典『冷戦の起源』(永井陽之助著、中央公論社)を再読する。このシリーズには、細谷千博、中嶋峰雄、入江昭、本間長世、五百旗頭真といった先生方の著作が並んでいた。
 何故、再読しようとしたかといえば、「何故、ハリー・トルーマンが原爆投下を決断したか」ということの考察が記されていたと記憶したからである。久間章生大臣は、何を念頭においていたのかと思ったのである。

 この書の記述の中でメモしておくべきものを抜書きにする。「/斜線」以降は雪斎の補足である。
 □ ドイツ降伏以前に原爆が完成したら、それがドイツに対して使用されたのは確実であった。
  / 「黄色人種」である日本人だから狙ったというわけではない。
    トルーマンの発言には、人種偏偏見が指摘されるけれども、そう認識しなければ、トルーマンも「精神の平衡」を保てなかったということかもしれない。
 □ 原爆投下は、日本軍部に「戦争終結の口実」を与えた。
  / 「戦争継続能力」と「抗戦意志」は異なる。「止める」には相応の理由が要る。
  / ただし、原爆を投下しても、それが日本を屈服させる決定打になるかは定かではなかった。
  / 故に、「原爆が戦争を終結させた」というのも、後付けの解釈である。
 □ 対日原爆投下は、ポツダム会談以降、対日戦早期終結の達成以上の「政治目的」を持つに至った。
  / 「ヤルタ以後」と「ポツダム以後」の政治環境は異なる。
  / 「ヤルタでソ連に譲歩し過ぎた」という反省が一九四五年四月以降、米国政府部内に浮上する。
 □ トルーマンは、原爆を手にしたとき、ソ連参戦の必要はなくなったと判断し、それ以降は、ソ連参戦を遅らせることを考慮した。
  / 特にヨーロッパでソ連の増長を抑えたいという考慮が働いた。加えて、日本占領ににソ連が口を出して来る事態を憂慮した。
 □ 「原爆投下はソ連参戦阻止を目的としていた」という説がある。「日本に苛烈な無条件降伏を強いることで、日本の降伏決定を遅らせ、そのことによって、対日原爆投下を可能にして、以てソ連参戦をを制止しようとした」という説である。これは米国における「修正主義学派」の学説である。当時のバーンズ国務長官の言動に依拠している。
  / 多分、久間大臣は、この「修正主義」学説に影響されたかもしれない。だから、久間発言は、「暴論」ではないのである。ただし、政治家は、「こういう説がある」という言い方を通してもらう必要があるのであろう。
 もっとも、永井教授は、「修正主義」」学説には批判的である。。

■ 久間章生防衛大臣辞任の報を銀座で聞いた。これで、日本の政治の世界では、「核」を怜悧に語ることが出来る日は、遠のくのであろう。教条的な「平和主義者」の「反核」論と観念的な「民族主義者」の「核武装」論の不毛なボレロが続くのか…。
 少し調べてみたら、閣僚が任期中に三名も辞任したのは、近年では、宮澤喜一改造内閣、橋本龍太郎第二次改造内閣の例があるだけのようである。何れも、政権末期の現象である、
 後任は、小池百合子補佐官である。時節柄、「おめでとうございます」とは、申し上げ難い。女性の国防担当閣僚の登場であるから、時節が異なれば、相当なインパクトを与えたと思うのであるけれども、今は、「地合」が悪すぎる。

■ 雪斎が三日前のエントリーで紹介した「SILVER GLOBE 地球儀 」であるけれども、「NTTコミュニケーションズ」のTV・CMに登場していたことに気付いた、ビジネスマンが机上でくるくる回すシーンが流れた。雪斎の「鑑識眼」の正しさが証明されたようで、結構、うれしい。こういうことで、「うれしさ」を感じなければならないとは…。


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Comments

「核」と空襲の違いは屠殺と狩りの違いと言うとおかしいでしょうか。
回避できる可能性が無い。自分が何で殺されたのかも分らない。無差別テロと同じで「核」は人間の尊厳を否定する行為です。文明人の行為ではありません。
終戦の詔でも『文明をも破却』とあります。

また、「原爆が戦争を終結させた」というのが後付けの解釈なら、「降伏が遅れたために原爆などによる被害が大きくなった」というのも後付けの解釈ではないでしょうか。
武装解除後、ソ連や中国に売り渡されたなら、日本民族は消えていたかもしれません。
戦後の「寛大な」占領政策を知っていれば、早く降伏すべきだったとなるのでしょうが。
結局、原爆とソ連という現実の「野蛮」が、武装解除後の可能性としての「野蛮」を上回った。アメリカが「文明」であることに賭けたのが「終戦」だったのではないのでしょうか。

Posted by: motton | July 04, 2007 03:38 PM

私は雪斎先生とは違って

これで、日本の政治の世界では、「核」を怜悧に語ることが出来る日は、遠のくのであろう。

とは思いません。

むしろ、落ち着いて原爆投下の文脈をみつめなおすキッカケになるのではないか、と思っております。

久間氏の辞任劇に関しては、彼を糾弾する声の大きい人々と国民感情とが軌を同一にしているわけでもなく、大多数の国民の声としては、「また久間か。イラク戦争を政府としては支持してない、だとか、アメリカもあまりエラそうに言うな、だとか、大臣としてもっと状況に応じた過不足のない発言をしていただきたいものだ。彼の感覚はちょっと状況からズレてるし、別にあの声の大きい連中が私たちの気持ちを代弁しているとも思わないが、久間が責められる分には別にどうでもいいや、彼の自業自得だ。少なくとも弁護するべき理由はないね」というあたりではありますまいか。

Posted by: 妖怪 | July 04, 2007 08:30 PM

Posted by: MUTI | July 04, 2007 10:42 PM

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