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July 29, 2007

決戦は日曜日。

■ 土曜日未明、『中央公論』に載せる原稿が片付く。
 「民主党に『喝』」という趣旨の原稿である。
 今まで書いた原稿の中では、もっとも苦しんだ原稿である。
 以前から伝えられた報道の大勢に依拠して、「自民党敗北、民主党勝利」を織り込んで原稿を執筆したけれども、この想定の通りの結果が出るかは、まだ判らないからである。
 だから、「自公両党+一本釣り+α」で過半数維持という結果になると、原稿の前提が崩れるのである。
 ゲラの最終チェック期限が火曜日であるから、結果を踏まえた修正が利くのは、実質、数時間しかないのである。結構、難しい仕事になったような気がする。
 もっとも、この三日間で民主党優位を覆すような特段の材料は、出てこなかった。
 そのまま、「寄り切り」になったのであろうか。

■ 雪斎は、「何よりも自分の懐を心配する」という人間の習性に従えば、この選挙の結果がマーケットに与える影響を注視している。このところの世界株安連鎖に、選挙結果がどのような影響を嗚及ぼすのか。
 ある見方によれば、最も歓迎されざるパターンは、「自民党が僅差で負ける」という状態であるらしい。
 「勝つなら、勝ちっぷりをよく」、「負けるなら、負けっぷりをよく」してもらわないと困るということであるらしい。
 要するに、「斯界不透明」というのが、最も嫌われるのである。
 サブプライムモーゲージ問題が噴出したことで、マーケット自体の先行きが不透明になっている。
 明日の動きは、どうなるのであろうか。

■ 下掲は、『月刊自由民主』に寄せた原稿である。この一、二ヶ月、世は、、「年金記録管理不備」問題に揺れたけれども、終わってみれば、「空騒ぎ」であったということになるのではないであろうか。
 □ 一身一戸を斉治して恒産有りて恒心有り
 年金を含む社会福祉領域の施策が「国家の役割」の筆頭に置かれるものであるという諒解は、何時の頃に出来上がったのであろうか。此度の参議院議員選挙の争点として年金制度の扱いが浮上した現時点の情勢を前にして、筆者は、そうしたことを考える。
 そもそも、日本の年金制度は、戦前期に軍人・文官に対する「恩給」制度として出発した。これに、官業共済制度の一環としての年金制度が加わった。戦時中には、船員保険制度, あるいは工場労働者や鉱山労働者の年金保険制度として、それぞれ導入されてきた。その上、敗色濃くなった昭和十九年に荷労働者年金保険制度が厚生年金保険制度に改組された。「保険料」は、大概、戦費として使われた。このように、年金制度の元々の趣旨は、「公務に携わった人々への補償」であった。にもかかわらず、戦後の常識の中では、その「補償」は、総ての国民を普く対象とするものとされた。諸々の「補償」制度は、実際に補償される人々の数が極めて少ないことが存立の前提である。少子・高齢化の加速により年金制度の土台が揺らいでいるのも、当然の成り行きなのである。
 加えて、もう一つの事実に触れておくことにしよう。メリルリンチが昨年六月時点で発表した世界の富裕層に関する調査結果によれば、不動産を除く金融資産が百万米ドルを超える富裕層の人口は、二〇〇五年末で八百七十万人に達し、三千万米ドル以上の金融資産を保有する超富裕層の人口は、八万五千四百人となった。日本の富裕層人口は、百四十一万人に達し、世界の富裕層全体の一六・二%を占めるとのことである。しかも、この百四十一万という数字は、前年から五%弱が増えた上でのものである。「国家の役割」の一環としての年金制度を確実に必要としない層が、日本には相当な程度まで存在しているのである。
 この二つの風景を前にして、「だから、格差が拡大しているではないか」と反応するのは、安直の極みであるであろう。メリルリンチの調査は、二〇〇五年に顕著に富裕層人口が増えた国として、韓国、インド、ロシア、南アフリカを挙げている。一九九〇年代以降の中国における富裕層の登場は、あらためて指摘するまでもない。「グローバリゼーション」の趨勢は、国境を越えた資本の移動を加速させた結果、世界各地に富裕層を出現させた。そうした「グローバリゼーション」の趨勢は、社会福祉政策に象徴される富の分配の側面での「国家の役割」に再考を迫っている。現下の年金制度に絡む紛糾を前にして、本来、議論されるべきは、「グローバリゼーション」の趨勢の中での「国家の役割」の範囲である。年金制度は、「老後の生活の面倒を見るのも、『国家の役割』である」という想定の上に成り立っているけれども、そもそも、そうしたことが「国家の役割」として可能なのであろうか。年金制度に絡む現下の紛糾が、制度の運用の際の不手際の責任を追及する方向に走っているのは、誠に解せぬことである。今、世の人々は、当座の「悪人狩り」感情に惑って、「グローバリゼーション」の趨勢の中での「国家の役割」を見極める格好の機会を逸しようとしているのではないか、
 「一身一戸を斉治して恒産有りて恒心有り、之を吾人自治の本拠とせん」とは、濱口梧陵の言葉である。濱口梧陵が生きた幕末・明治前期という時代は、日本が十九世紀後半の帝国主義潮流に巻き込まれた時代であった、幕末・明治前期の日本は、「グローバリゼーション」の奔流の中にある現下の日本とは、趣きを同じくしていよう。「一身一戸を斉治して恒産有りて恒心有り…」という濱口梧陵の言葉は、「立国は私なり」という福澤諭吉の言葉にも相通じた響きを持つものであるけれども、それは、「グローバリゼーション」の趨勢の中での「国家の役割」を考慮する上でも重要な示唆を含んでいる。結局のところは、「グローバリゼーション」の趨勢の中での「国家の役割」は簡縮を余儀なくされているのであれば、それに向き合う態度は、自ら得た「恒産・恒心」の裏付けを伴った「吾人自治」を実現するというものである。この事情こそが、現下の年金制度に絡む議論に際しても留意されるべきであろう。
   『月刊自由民主』(2007年8月号)掲載 

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Comments

雪斎先生が引用されているメリルリンチの調査には、日、中、韓、台、印、香港、シンガポール、インドネシアに対象を絞った分析もあります(Merrill Lynch-Capgemini Asia-Pacific Wealth Report 2006)。
富裕層はこれら地域に240万人いるそうですが、日本人が140.6万人ということは6割近くになりますね。一体どこにそんな富があるのかなとも思いますが、7.6兆ドルとされる富裕層の金融資産で日本が占める割合は46%の3.5兆ドルだそうです。ということは、比較的広い層にそこそこの富が保有されているということなのでしょう。超富裕層(純金融資産30百万ドル超、15.600人)になると、その割合は日本と中国がほぼ同じ3割程度であることとも整合的で、日本の超大金持ちの数は比較的少ないということだと思います。格差社会といわれていますが、世界的に見ればまだ日本の富の偏在の程度は低いほうだと言えるでしょう。
とはいえ、グローバリゼーションの波が押し寄せるなかで、格差も世界標準に近づく可能性は否定できず、自分や子供たちの将来を思うとあまり楽観的にはなれない自分がいます。

Posted by: M | July 29, 2007 at 10:01 PM

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