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June 19, 2007

「年金」は、どうでもいいネタである。 続

■ 「まぁ、そうであろうな…」という記事である。
 

□ 年金制度「信頼していない」が76%…読売世論調査
               6月18日23時11分配信 読売新聞
 読売新聞社が16、17の両日実施した全国世論調査(面接方式)で、国の年金制度を信頼していない人が「どちらかといえば」を合わせて76%に上った。
 同じ質問をした97年12月以降の8回の調査で最も高く、「年金記録漏れ問題」により国民の年金不信にさらに拍車がかかったことが明らかになった。「信頼している」も過去最低の計23%だった。
 年金制度への「不信感」は、97年以降、5割台で推移してきた。閣僚らの年金未納・未加入問題が広がり、年金改革関連法をめぐって小泉内閣への批判が起きた2004年5月には7割台に達し、前回参院選で与党が苦戦した要因となった。
 年代別では、「信頼していない」はすべての年代で多数となり、20~30歳代は計87%に上るなど、特に若い世代の不信感が目立った。

 そもそも、日本の年金制度は、戦前期に軍人・文官に対する「恩給」制度として出発した。これに、官業共済制度の一環としての年金制度が加わった。戦時中には、船員保険制度, あるいは工場労働者や鉱山労働者の年金保険制度として、それぞれ導入されてきた。その上、敗色濃くなった昭和19年にに労働者年金保険制度が厚生年金保険制度に改組された。「保険料」は、大概、戦費として使われた。
 このように、年金制度の元々の趣旨は、「公務に携わった人々への補償」であった。「現役の時は、カネのことを考えずに働け。老後は国が面倒を見る」という趣旨であったのである。戦時中は、「戦時中は、公務員でなくとも、カネのことを考えずに働け。何かあったら国が面倒を見る」という趣旨の下で、その「補償」の対象が国民一般に拡大されたのである。
 然るに、戦後、「平時において、国家のために働いたわけでもないのに、老後を国から面倒を見てもらえる」という信仰が出来上がったのでは、何故であろうか。「補償」制度は、実際に補償される人々の数が極めて少ないことが存立の前提である。今の事態は、「ねずみ講」と同類ではないのか。
 安倍晋三総理の掲げる「戦後レジームからの脱却」が本物であるならば、「老後のことまで国が面倒を見るという『戦後』精神を後生大事に守っていくのか」と問いかけるべきであったろう。少なくとも、現在の四十代初頭以下の世代の人々の大勢は、そのようなことは当初から期待していない。できるはずもないことをできるかのように語ってもらうよりは、できないことはできないと語ってもらったほうが、余程、すっきりすると思うのだが…。

■ ところで、過日、雪斎のところに、住民税の納税通知書が送られてきた。今年の納税額の高さには、眼を剥いた。そろそろ私立大学教員には、夏季ボーナスが出る頃であるけれども、その相当部分は、住民税納付で消えることになる。誠に不愉快であるけれども、その不愉快さが民主主義の原点である。その不愉快さがあればこそ、「俺は確かに銀行からカネを下ろして納税した。公務員はちゃんと働けよ」という感覚が鋭く研ぎ澄まされる。最近、自治労公務員の働き方として喧伝されている「45分働いて、15分休む」などというのは、そうした不愉快さを感じていれば、率直に論外の極みだと思う。近くの区役所で昔みたいに勤務時間中に茶を呑みながら新聞を読んでいるような職員がいたら、一喝してやろうかと思う。それが堂々とできるということである。故に、雪斎は、いっそのこと所得税も、「天引き」ではなく自ら納税するスタイルに改めてもらったほうがいいと思っている。
 「代表なければ課税なし」。民主主義体制の一つのモデルである米国の独立革命と建国への動きは、「税金」を払わされる不愉快さから始まった。この故事の意味は、きちんと確認されるべきであろう。
 15日付『東奥日報』が報じている。
 

□ 住民税増額で問い合わせ殺到
 市民税・県民税の納税通知書発送が始まっている県内。地方の財源アップを目的とした税源移譲により、今月から住民税が増額となったため、県内各市町村には税額に対して、「こんなに高いのは納得いかない」「計算間違いではないか」といった問い合わせが相次いでいる。各市町村の税務担当職員は、税源移譲について説明するなどの対応に追われている。
 税源移譲は所得税(国税)の減額と住民税(地方税)の増額により、約三兆円を地方に移すというもので、個人のトータルの納税額はそれほど変わらない。ただし、今年は定率減税の廃止も重なり、実際は“増税”になる世帯が多いという。  …後略。
 
 自分が知力と体力を尽くして稼いだカネの行方には、もっと敏感になってよい。最近の研究では、江戸時代の農民ですら、唯々諾々と「お上」に年貢を収めていたわけではないということが、明らかになっているのである。
 もっとも、雪斎にとっては、目下のカネにまつわる関心事は、「今月末に入る投資配当が幾らになるのか」ということである。やはり、「年金」のことは、どうでもよくなっている。

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Comments

 どんな社会にも共通した基本的問題の中できわだっている問題が二つある。一つは人は社会に貢献し何かを生み出したいという動機を持っている、ということである。それとともにもう一つは、自らを養えない人々は守らなければならない、ということだ。二つをまとめて言えば、動機と公平な分配との釣り合いの問題と考えることができる。後者を重視しすぎれば前者が弱まるだろうし、逆も然りである。右のような単純な二分法を用いるなら、次のような問いに対する答えによって、人間を大まかに二つのグループに分類することができる。つまり(a)福祉関係の救済を受けている人のリストから詐取している人たちをすべて排除することと、(b)何の援助もなく知らないうちに空から落っこちてしまうツバメを一羽も出さないようにすることのどちらが重要か、という問いである。(a)と答えた人は共和党であり、(b)は民主党だ。どちらの答えも理屈としては筋を通すことができる。私はたまたま(b)の方が好きだというだけのことである。
(by ハーバート・A・サイモン:1978年度ノーベル経済学賞受賞者)

Posted by: 通行人 | June 19, 2007 at 08:21 PM

団塊世代の私としては、これまで年長者の年金を支えてきて、自らもある程度の見返りを期待しており、けして「年金はどうでもよい」というわけではありません。ただ、野党のいずれもが年金問題をよりよく運営するという具体的な提案がない現状では、冷静に考えて、どうしても年金が選挙の争点になりようがないではないか、という理解です。

Posted by: 珈琲 | June 19, 2007 at 10:14 PM

「消えた年金記録」が発覚して、年金はあてにならないと思う人が増えたのでしょう。それまでは信頼していたはずです。
若い人が年金を信頼しないのは、保険料が高く、生活費を圧迫するからであり、さらに昨今のように、定職に就けず、不安定労働に従事し低収入では、当然、年金制度に加入もできないのですから、信頼するどころではありません。年金制度からはじき出される故の不信感と捉えるべきです。
公務者から一般国民へと対象が広がり、年金は「補償」から「保障」へと前進したのです。皆年金皆保険制度は、戦後は資本主義的生産労働を進めるための、自動安全弁装置になったはずです。この大きな安心の柱があってこそ、国民は保守政治を信じて、資本と国家にたいして、勤勉に忠実に働いてきたのではないでしょうか。マルクス主義的社会政策流にいうならば、「飴と鞭」を使い分けて、国民を体制へ支持させてきたのです。年金記録が正しく管理されてこなかったことに、国民は社会保険庁職員に厳しく責任を問うべきであり、政府は社保庁を監督する責任がある、極めて「政治的な」問題であります。

Posted by: うみおくれクラブ・ゆみ | June 20, 2007 at 12:19 AM

雪斎さん

何度もすいません。

なかなかTBがうまく送れなかったのですが、ようやく成功したみたいです。

TB送らせて頂きました。すいません。

今後もよろしくお願い致します。

Posted by: forrestal | June 20, 2007 at 12:49 PM

これまでは、飴をもらって喜んでいたバカな有権者ばかりだったっていうことですか?

Posted by: Abeshi! | June 21, 2007 at 02:58 PM

社会保険庁に関する醜聞はもう10年以上も前から取りざたされ、少なくとも私周辺の同世代の間では年金も社会保険庁もつぶすしかないだろうという認識でした。
それをいまさら、たかだか情報統合が5000万件程度滞っていた程度で(社会保険庁ならさもありなんでしょう)、何を大騒ぎしているのかと。
騒ぐのが10年遅いと苦笑しつつ見ております。
年金無くちゃ老後やってけない!なんて不甲斐ない若者なんて居ませんし、老いた親が困窮しているなら子である自分たちが支えてやればいいじゃないですか。
時間も労力も無駄なので、無能の極みの社会保険庁解体、年金制度の廃止(積み立て式の任意なら国で運営してもいいのかもしれませんが)とはっきり言ってくれる政治家は居ないもんですかね?

Posted by: horetn | June 22, 2007 at 02:06 PM

>45分働いて、15分休む

ひどいデマだ。
もともとこれはコンピューター入力業務を45分行ったら、
健康のため「他の業務を15分行う」という「目安」だ。
しかも、そんなものも有名無実にすぎず、何時間でも入力業務は行っていて、それは当たり前のことであると職員も認識しているのは、現場を一度でも取材すれば明らかだ。
裏づけ調査もせず、実体性のない文言一つで誹謗中傷を行うなど、学者とは思えない。

>近くの区役所で昔みたいに勤務時間中に茶を呑みながら新聞を読んでいるような職員がいたら、一喝してやろうかと思う

実際にそんな人間がいたら、本当にどんどん叱責して欲しい。
ただ、確認もせず不確かな伝聞だけで憤り、誤情報を撒き散らすのは勘弁願いたい。

Posted by: | June 23, 2007 at 01:40 PM

on殿
「喧伝されている」と書いた意味がお判りですかな。
 「喧伝される―盛んに言いはやして世間に広く知らされる」。だから、「伝聞」であることをきちん明記していますが、それが何か問題ですか。
 加えて、「勤務期間中に茶を飲みながら新聞を読んでいた」地方自治体職員のことは、ちゃんと覚えていますので、これは伝聞でも何でもない事実です。どこの役所であったかを書きましょうか。
 拙者も、段々、ダーク・サイドに落ちて来たな(苦笑)、

Posted by: 雪斎 | June 23, 2007 at 07:06 PM

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Tracked on June 20, 2007 at 12:45 PM

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