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May 31, 2007

嗚呼、フランス語

■ 一昨日、かんべえ殿のところで、「雪斎がフランス語を勉強し始めた」と紹介された。
 日本でも影響力のあるウェブ・サイトに書かれた以上、雪斎も、引っ込みが付かなくなった。
 加えて、昨日午後、在日フランス大使館のR・P書記官が来訪し、一時間ぐらい話をした。
 後で書記官から来たメールには、こう書いてあった。
    Vous apprenez toujours le francais ?
 要するに、「相変わらずフランス語をやっとるけ」ということである。
 内堀も外堀も埋まっているなと思う。
 とはいえ、二十年前に比べれば、日本人が語学を習得する環境は劇的に佳くなっていると思う。
 CDとコンピューターの効果は、この点をかなり補強している。
 とりあえず、入門書、文法書、単語集、辞書を買い揃えて始動させた。このセレクションでいいかどうかを、フランス語に詳しい人々に聞いてみたい気がする。。
  入門書 『フランス語のABC』(白水社)
  文法書 『現代フランス広文典』白水社)
  辞書   『ロワイヤル仏和辞典』(旺文社)
 『遥かなノートルダム』を書いた仏文学者・森有正がフランスに渡ったのは、昭和二十五年、有正が三十九歳の時であった。もっとも、有正は日本国内でフランス語の取得に励んでいたのかもしれないけれども、実際にフランスに行ったのは、齢四十近くになってからであったのである。そして、有正は、亡くなるまで、そのままパリに居ついてしまったのである。だから、人間は、何時でも、「新しいこと」を始められるのではないであろうか。

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May 29, 2007

志半ばにして…

■ 昨日午前、愛知和男事務所に帰朝報告に出る。先週一週間は、実質休眠状態であったので、今週からエンジン始動である。

■ 昼前、かんべえ殿のオフィスに押しかける。フランス報告という建前だったが、「そもそも、双日総研とはどんななところよ」という野次馬根性が頭を擡げた結果である。
 かんべえ殿にお話したことは、色々である。
 フランス旅行は、「ただほど高いものはない」ものになりそうである。
 齢四十を過ぎてから、フランス語をやろうと思い始める。今まで、まったく「縁」の無かったフランス語である。
フランスから書籍を買ってきたのけえれども、それは読めなければ意味がない。一年や二年を取得に費やしたところで、その分を長生きしてフランス語の文献を参照できるようにすれば、政治学徒として思考の幅も広がるであろう。さしあたり以下のホームページの記事を読めるようにしたいものである。
 ● 『ル・フィガロ』
 ● 『ル・モンド』
 「壮にして学べば老いて衰えず」である。二十歳前後の受験生だった頃の「熱」を思い出せばいい。

■ 夕方近く、帰宅した時、松岡利勝農相が自殺したことを知る。衝撃は大きい。
 政治家の自殺ぐらい、雪斎には不愉快なものはない。それは、国家にとっては何の益もないことであるからである。
 松岡氏は、たとえば竹中平蔵氏が「小泉構造改革」を象徴する「表」人物であるとすれば、その「裏」人物であった。
 松岡氏は、典型的な「古い自民党」気質の人物であると思われたのであるけれども、何時の頃からか、「構造改革」党になった。それは、松岡氏が「構造改革」が日本の農業を壊滅させるのではなく飛躍させるものであると気付いたからであろう。この転向は、「構造改革」の文脈では大きかったと思う。松岡氏に限らず、官僚出身の政治家は、一つの政策志向さえ見極めることが出来れば、その後の政策展開をかなり精力的に行うものである。その点、松岡氏は、「攻めの農業」の展開の急先鋒だった。前回ののエントリーでも書いたけれども、「『ジャパン・ブランド』の食材が世界を席巻する日」を誰よりも夢見たのは、松岡氏であったような気がする。
 それにしても、日本の政治家は、政策論議以外に消費するエネルギーが多すぎる。松岡氏の自殺は、農業失政の責を負ったというよりは、自身の醜聞を気にした故のことであったようである。だから、いたたまれない。「有能で黒い政治家と「無能で白い政治家」どちらかを選べといわれれば、雪斎は、躊躇なく前者を選ぶべきであろうと思うのだが…。
 松岡氏のご冥福をお祈り申し上げます。

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May 26, 2007

「食」と国際政治

■ パリ滞在中、三度ほど正式のランチに招かれた。その内の二度、前菜として「ポマティア」(ブルゴーニュ・エスカルゴ)を注文した。環境変化と乱獲が祟ってフランス国内では絶滅寸前まで行っている「ポマティア」であるけれども、これを世界で最初に養殖に成功したのは、日本人である。「日本には、エスカルゴを食する文化はないので、この人物は、全然、儲かっていないようであるけれども、日本には、儲けにならないことでも頑張ってしまうオタク的な人々が至る所にいるのですな…」。こうしたことをフランス外交官との会話で伝えるネタとして使うだけのために、二度も「ポマティア」を食した。もっと色々なもの食えたのに、もったいなかったというべきであろうか。聞いていた中国赴任歴のあるフランス外交官は、「中国人は、当面の儲けになることしかしませんわね…」と水を向けてきた。「そう、だから、日本の経済力は、まだまだ強い。長期で観れば、アジアにおけるフランスのパートナーは、中国ではなく日本だ」と伝えておいた。
 そういえば、帰路のエールフランス機内で外国人客がほおばっていたのは、安藤百福の偉大な発明である「カップ・ヌードル」であった。内心、ニヤリとした。
 ということで、「食」絡みで次のような原稿を書いてみた。「ジャパン・プランド」の「食材」が世界を席巻する日が来れば、それは、日本の「国力」になる。小泉純一郎前総理も、その関係で政治活動を始動させたそうである。

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May 25, 2007

政治家の「意志」と憲法学者の「権威」

■ 「偉大な人物の存在なくして、大事業は何一つ成就しない。そして、偉大な人物は偉大な人物になろうと欲したから偉大な人物になったのである」。
   ―シャルル・ド・ゴール著『剣の刃』(小野繁訳)
 このド・ゴールの言葉を頭に入れながら、次の「読売新聞」記事を読んでみる。誠に面白い記事である。
 

□ [方位計]気鋭の改憲論者、どこに
           2007.05.20 読売新聞東京朝刊 4頁 写有 (全1,135字) 
 「憲法施行から60年。人間でいえば還暦で、本来ならばお祝いをすべきだが、憲法は果たして赤いちゃんちゃんこが着られるのか。ちゃんちゃんこというよりは経帷子(きょうかたびら)を着さされそうな雰囲気だ」
 国民投票法成立を翌々日に控えた12日。東京・成城大で開かれた憲法学会「全国憲法研究会」春期研究集会で、司会の駒村圭吾慶大教授は憲法の現状を経帷子に例えた。
 経帷子は、仏式で葬る際に死者に着せる白い着物だ。憲法改正を憲法が死ぬととらえるのは穏やかではないが、同会をはじめ、憲法学界は「護憲」派が大多数を占めている。
 憲法新時代を語ってくれる30代、40代の新進気鋭の学者はいないのか。そう考えていた時、「論座」6月号(朝日新聞社)で、東大の石川健治教授の論文「ラオコオンとトロヤの木馬」にめぐりあった。^
 石川氏は、1962年生まれ。「現代憲法学の奇才」「20年に1人の逸材」(インターネット百科事典「ウィキペディア」)と激賞され、研究者間の評価は際立っている。
 それだけに論文を読んで、いささかショックを受けた。論旨は、こうだ。
 <自衛隊の正当性を剥奪(はくだつ)し、コントロールしてきたのは9条2項だ。自衛隊は国内的な治安出動も予定した組織だ。9条2項を改正して自衛隊に正当性を与えた上で国民の自由を確保できるだけの力量は、戦前の帝国議会での「前科」がある日本の議会政治にはいまだ備わっていない>
 石川氏は「9条改憲には得るものがなく、失うものだけが果てしなく大きい」とも言う。これが研究者の間で「憲法3天才の1人」とされる人の考え方なのか……。
 憲法学界で、石川氏らの一つ前の世代で注目されるのが「55年生まれ組」だ。松井茂記・元阪大教授、棟居快行(むねすえとしゆき)阪大教授、安念潤司(あんねんじゅんじ)成蹊大教授らで、56年生まれの長谷部恭男東大教授もこの世代だ。
 棟居氏は、石川氏の論理を「9条の風圧で自衛隊をある程度までに押しとどめているというのは憲法の本来の役割ではない。9条は自衛隊の存在を前提としない文字通りの丸腰論で、とっくに賞味期限は切れている」と批判する。棟居氏は石川氏ら若手研究者が「護憲」の論陣を張ることにユニークな見方を示す。
 「彼らが改憲となったら、政府や与党もまともな学者を集めたいわけだから、改正原案作りなどに引っ張られ、すごく忙しくなる。(現憲法起草にかかわった)東大の宮沢俊義教授のようなことをやらされたら勉強できなくなる、と思っているのではないか」
 安念氏も「憲法の世界では、改憲論者は、はっきり言って二流学者」と言い切った。
 同業者から認められ、政府が手を伸ばしたくなる気鋭の改憲論者の登場を心待ちにしたい。(前木理一郎)

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May 22, 2007

騎士と武士

■ 城山三郎氏の「お別れの会」が開催されたそうである。辻井喬氏の弔辞が印象に残った。曰く、「(城山氏は…)、人を主義主張ではなくサムライかどうかで判断した…」。

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May 21, 2007

政治学者と法律学者の作法

■ パリから帰朝して、そろそろ「現実」に戻る必要がある。日曜朝は、憲法典絡みの討論が目立った。国民投票法案の成立、集団的自衛権に関する「柳井懇談会」の議論の始動は、憲法典絡みの議論をクローズ・アップさせているのは、間違いないであろう。

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May 19, 2007

フランスから帰国

■ パリから帰朝した。実に濃密な十日間であった。
 これから、訪仏で得たことを自分なりに咀嚼する必要がある。
 とりあえず、印象深いことを一つだけ記しておく。
 とあるフランスの雑誌のテレビ・コマーシャルには眼を向いた。
 それは、次のような按配である。
 「一人の男が、路地を歩いている。突然、男の眼の前に群衆が現われ、男に向かって走り寄っていく。男は、群集に恐れを為し、引き返して一目散に逃げていく…」。
 これは、昔、ビートたけしさんが出ていたお笑い系番組での演出そのままである。
 北野武という才能の持つ名声を痛感する一瞬であった。

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May 15, 2007

確信を得た日

■ 昼、シテ島のサン・シャペル寺院とノートル・ダム寺院を訪れる。
 昔、高校の教科書で森有正の「遥かなノートルダム」を読んだ記憶が蘇った。
 清冽な空間である。とても観光地だとは思えない雰囲気である。

■ 昼食に招かれた。
  よりによって、誘惑に勝てず、「ポマティア」(ブルゴーニュ・エスカルゴ)を食した。
  六匹分で9ユーロである。旨かった。

■ 午後、ドミニク・シュナッパー教授と懇談した。
 フランスの女流社会学者にして、レイモン・アロンの息女である。
 レイモン・アロンの思想の「核」にあるものについて議論した。
 教授によれば、アロンの思想の「核」は、「現実に立脚した柔軟なリベラリズム」だそうである。それは、紛れもなく、雪斎の標榜するものである。そして、教授は、それを「物事をひとつのことに還元させない」精神と呼んだ。御意という他ない。
 アロンは、「右」の思想家と言われた。だから、1960年代の学生運動華やかなりし頃には、「われわれは、アロンとともに正しいことよりも、サルトルとともに誤っているほうを選ぶ」と左派学生に嘲られた。ただし、教授によれば、「アロンとっては右か左かという議論はどうでもよかった」とのことである。「共産主義を批判したから、右といゎれただけのことだ」との由である。
 教授の説明に一々、納得した。
 「私も、アロンの教えを直接に請わなかったが、何代か後のアロンの弟子だ」と教授に伝えておいた。自分の知識人のスタンスに確信が得られた。

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May 14, 2007

パリの風景

■ パリの週末、そして休日である。日程は、実質オフになったので、色々なところを回ってみた。
 ① ルーブル美術館
  / 「モナリザ」と「ミロのビーナス」が別格の扱いとなっている。ただし、雪斎には、ルーブルの建物自体の起源が中世の「見張り台」だったという話に納得した。一番、見たいと思っていたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を見ることができったのはよかった。オルセーやオランジェリーは、次の機会に回すしかない。
 ② モンマントルの丘、サクレクール寺院
  / 昔、画家の連中が集まった場所である。ユトリロ、モジリアーニ、ロートレック…。しかし、今は…。
 ③ ボン・マルシェ
  / パリの老舗デパートである。土曜午後、この隣のスーパーマーケットで牛乳やら果物やらを買い込んで、徒歩で滞在ホテルに戻る。 
 ④ オペラ・ガルニエ
  / 土曜夜、上演中の創作前衛バレエを観る。バレエといっても、オペラとバレエとドキュメンタリー映像とコンピューター映像の4種混合という趣のものであった。近代科学技術文明に対してのフランスらしい風刺の効いたものであった。
 ④ シャンゼリゼ通り、凱旋門
  / 金曜昼、同行する雪斎の母親の意向で行ったところである。凱旋門近くのとある高級ブランド品店に連行される。母親は、何やら高そうなバッグを買ってきた。請求書はまだ見ていない。「結局、これがしたかったのか…」と思う。
 ⑤ ブラッスリー
 / パリに来てから、何故かブラッスリーで食事を取っている。一皿7ユーロ位のお手軽なものである。エスカルゴは、日本で「も「本物」が食えるということなので、無理してレストランに行く必要もあるまいと思う。しかし、ブラッスリーで食事を取っていると、フランス語さえモノにできればパリで暮らせそうな錯覚に陥る。気のせい…かな。
 ⑥ 書店
  / 「シャルル・ド・ゴール辞典」なるものを見つけたので、早速、購入する。当然、フランス語で書かれている。
これを読むtために、フランス語をやり直す必要があるといううことであろうか。

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May 11, 2007

ピエール・ガロワ将軍

■ パリ日程二日分が終了である。
 とりあえず、次のことを書きとめておく。
 ① 「サルコジが日本を軽視するということはない」。 フランス外務省担当官によれば、シラクが「知日家」と呼ばれたのは、彼の文化的な趣味に拠るところが大きけれども、サルコジは、経済、科学技術における日本の側面に強い関心を抱いているとのことである。「日本には、サルコジの最も熱心な支持者になりそうな男がいる。それは多分、私だ」。雪斎のフランスでの怪気炎である。ド・ゴール継承者の資格が「自律への意志」の強調であるならば、雪斎は、その資格を完全に有しているはずである。

 ② 「日本が周囲を核保有国に取り囲まれている以上、日本が核武装に踏み切るのは当然である。そうしないことが不安定要因になるかもしれない。…核エネルギーの利用は、自立の条件である。日本は、石油にこだわったばかりに、米国と戦争をはじめたのではなかったか。…核の拡散は、重大な問題である。テロリストの手に渡るのが懸念される」。ド・ゴール時代のフランス核武装を理論付けたピエール・ガロワ将軍の言葉である。この伝説的な人物に会えるとは思わなかった。御年九十は越えているであろう。「日本では核に関するアレルギーは、特に若手の世代では、もうありません。核利害得失を冷静に考えることはできるようになってきています。ただし、まだそれが得だとは思いませんが・・・」。雪斎は、このように応じておいた。雪斎は、「左」の「唯一の被爆国」感情と「右」の「日本よ国家たれ、-核の選択」感情の双方を批判してきた。戦略は、どのような場合でも、「感情」ではなく、「利害得失」で議論すべきものである、第二次世界大戦後の「偉大な戦略家」の印象は、そうした想いを新たにしてくれた。「戦略は、自律への意志に常に裏付けられている」。これがガロワ将軍との会談における結論である。

 続く。

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May 09, 2007

パリ到着

パリに現地時8日夕刻、到着した。
街路樹の緑が眼に映える「いい時節」である。
明日からシャルル・ド・ゴールとド・ゴールの周囲に集ったレイモン・アロン、アンドレ・マルローらの足跡を辿るプログラムが始まる。

フランスは、ニコラ・サルコジの新時代を迎えた。
移民二世の男が、何故、「右派政治家」となり、大統領にまでなりおおせたか。
政治学の上でも興味深い課題である。
ただし、サルコジもその系譜に連なるであろうド・ゴールの政治信条の中には、「人間の精気」に対する肯定がある。人間の「やる気」は全面的に肯定されるべきだし。その「やる気」を発揮できるようにすることが大事だということである。
フランスの「独立」、「威信」を強調したド・ゴールの政治指導の意味は、この「精気」と重ね合わせれば、判りやすい。
サルコジは、たぶん、そのド・ゴール以来の右派政治家のお約束として、その「精気」を強調した。それが受け容れられたということであろう。

そういえば、サルコジは、かなり勤勉な男なのである。・
障害者で「福祉はアホらしい」と語って二冊も書を著した雪斎とは、どこか似ているなと思う。
福祉では、大学准教授の地位も資産も、そしておそらくは妻も手に入らない。
この意味が、フランスでも認知されればよいのだがと思う。

パリに着いてホテルに入ったら、早速、日本からファクシミリで届いた原稿ゲラをチェックした.。
セ・ラ・ヴィ

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May 07, 2007

パリ出発前日

■ パリまでの道中には、正味16時間かかる。日本時間明日午前に出発して、現地到着が夕刻である。
 このエ-ル・フランス機中の時間は長い。何をしようかと思う。
 SDプレーヤーにブルックナーの交響曲全集を入れて、それを機内でぶっ通しで聞くことにした。
 「「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」と詠んだ萩原朔太郎が生きた時代は、確かに遠い。

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May 05, 2007

慌しい連休

■ 連休である。ところが、連休明けに渡仏する予定が入っている故に、出発前に原稿やら何やら片付けておかなければならないことがある。今のところ残っている原稿の最後の一つが、デーヴィッド・ハルバースタムの急逝を受けた追悼原稿である。今日中に片付けておく必要がある。物書き稼業は「綱渡り」である。

■ パリでの滞在日程は、漸くフランス大使館から伝えられた。雪斎のテーマは、「シャルル・ド・ゴールと知識人たち」というものであるので、それに相応しいスケジュールが組まれている。

■ 雪斎の旅行鞄には、モバイル・ノートが入る。これで、フランスから「現地報告」となればよいと思うのだが…。

■ 滞在ホテルは、パリ第7区、オルセー美術館近くの「4つ星」ホテルである。ウェブ・サイトで確認したら、中々、使えそうなホテルである。

■ もし、此度の旅行が無事に終われば、雪斎にとっては、「付いてくれる人物とそれなりのカネがあれば、ヨーロッパでは動ける」ことが証明されるはずである。此度は無理だが、「バイロイト」と「ロイヤル・コンセルトへボウ」を聴きたい雪斎としては、大事なステップである。

■ 今夜の一枚
  ベートーヴェン 交響曲第6番 田園
  ブルーノ・ワルター  コロンビア交響楽団

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May 02, 2007

国際政治学の教科書 続

■ 国際政治学の教科書には、そのサブ・カテゴリーとして、「各国政治史」がある。次のようなものがある。「教科書」は、「体裁の判りやすさ」と「必要な知識の提示」が両立していなければならないと思うけれども、この両立は、実は難しい。

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May 01, 2007

国際政治学の教科書

■ どの世界でも「教科書」を書くのは、斯界の第一人者の証明である。たとえば、国際政治学の世界であれば、次の三つは間違いなく当代の「教科書」である。
① ジョセフ・S・ナイ・ジュニア、 『国際紛争―理論と歴史』(田中明彦・村田晃嗣共訳)
② 中西寛、『国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序』(中公新書)
③ 藤原帰一、『国際政治』(日本放送協会出版)

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