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April 11, 2007

春の三題

■ 昨日、授業開始である。
 三年生のゼミでは、『孫子』、『君主論』を読むのが、約束事項である。
 今年は、「楽」である。
 NHK大河ドラマ「風林火山」のお陰で、結構、『孫子』を身近に感じてもらえる。
 「風林火山」は、『孫子』の次の一節から抜いたものである。
「疾きこと風のごとく、その徐かなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山のごとく、知り難きこと陰のごとく、動くこと雷震のごとし」
 ところで、この一節に関しては、株式投資の心得にも相通ずるという説がある。
 要するに…
 其疾如風 投資に関する情報は迅速に収集する、
 其徐如林 投資銘柄分析は冷静に行う。
 侵掠如火 「買い時」が来たら確信を持って買う。
 不動如山 一旦、買ったら右往左往しない。
 難知如陰 売るタイミングは周囲の雰囲気に呑まれず自分で判断する。
 動如雷震 売るときは一斉に売る。
 …だそうである。
 「をを」と思う。「こじつけだろう」とも…。
 しかし、「風・林・火・山」は簡単だが、「陰・雷震」は実際には難しい。
 ウォーレン・バフェットは、そのことを判っていた…のかな。

■ 日本国際フォーラムの会報に原稿を寄せた。雪斎も、こうした場面に登場できるようになった。誠に長い時間がかかっているけれども、着々と地歩が固まっている。これは、そうした感慨を覚えさせた原稿である。

  □ 「道理」に基づいた議論を 
 「お前がこの国に生れた以上は、国家を愛するに決まっている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ」。
  戦前期、外交評論の世界で活躍した清沢洌は、昭和8年に上梓した著書『非常日本への直言』中、子供を諭す体裁で書いた序文に、このような記述を残している。満州事変、上海事変、満州国建国といった出来事が往時の日本の国際孤立を深め、国民の対外「感情」が鬱屈していく中で、米国や中国との「協調」を説いた清沢の言論は、次第に世に容れられないものになっていく。前に触れた清沢の記述には、そうした戦前期自由主義者の苦しみが漂っている。
  現在の民主主義体制下で対外政策を語る際、留意しなければならないのは、どのように国民「感情」と呼ばれるものと距離を保つかということである。2000年以降、中国、韓国、北朝鮮といった近隣三ヵ国との間に様々な軋轢や難題が浮上したことは、これらの国々に対する日本国民の「感情」を悪化させた。特に核・ミサイル開発や邦人拉致といった案件を抱える北朝鮮に対する「感情」は、単なる反感といった域を越えて、戦前期の「暴支膺懲」論を髣髴とさせる議論を浮かび上がらせている。
  北朝鮮に対する「毅然とした態度」を取ることは、既に国民「感情」の上で合意が出来上がっているかもしれないけれども「毅然とした態度」それ自体からは、具体的な対朝政策の論理や方針を導くことはできない。そして、総ての「感情」や「予断」を排した対朝政策の論理や方針に関する議論が、本来は要請されるものであろう。
  民主主義体制は、政策決定過程に人間の「感情」が直接に反映される危険を帯びた政治制度であるけれども、その危険を減らすのも、対外政策に関する冷徹にして実践的な議論が多様に展開されることである。「道理と感情が衝突した場合には躊躇なく道理に付く」ことを説いた清沢の言葉は、その意味でも重い。
     『日本国際フォーラム会報』(2007年春季号)掲載

■ 今夜の一枚
 ○ 「ブラームス 交響曲全集」から、「第一番」
   (エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)
  : ウィレム・メンゲルベルクが対ナチス・ドイツ協力の故に指揮台から追放された後、ロイヤル・コンセルトへボウの指揮棒を護ったベイヌムの演奏である。このコンセルトへボウの芳醇な音色は、誠に素晴らしい。

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Comments

風林火山・・・これがなかなかもって難しいです。

Posted by: SAKAKI | April 11, 2007 at 07:03 AM

今、日本人に「暴支膺懲」論的議論を起こさせている中国・韓国・北朝鮮の態度は、そうする事を容認した、平たく言えば、そういう事をしても日本からは大したリアクションがないと思わせた過去の宥和外交に問題があります。

確かに外交に感情を持ち込む事は不昧ではありましょうが、相手が外交に感情を持ち込む事も不可と主張せざるを得ず、それを為し得ぬ外務省が何を言った所で日本国民は納得できないのではないかと愚考致します。

まあ、素人はすっこんでろと言われればそれまでなのでありますが、そうなると今度はそのはけ口をテロルに求める輩も出てくるのでは心配致します。遠くは小村寿太郎、近くは田中均の前例もあり、クワバラ、クワバラですが...。

Posted by: ysaki | April 11, 2007 at 03:55 PM

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