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April 17, 2007

維新一四〇年

■ 少しネタは古いが、「ほお」と思った話である。東北人の微妙な神経には、配慮したということであろうか。
 

□ 「先輩が迷惑掛けた」=長州と会津、140年目の和解-参院補欠選で安倍首相
                            4月14日23時2分配信 時事通信
 参院補欠選応援のため福島県入りした安倍晋三首相は14日、会津藩の居城・鶴ケ城のある会津若松市でも街頭演説。戊辰(ぼしん)戦争(1868年)で長州藩などの政府軍が会津藩を降伏させたとあって、首相はマイクを握ると「わたしは山口県の出身。先輩がご迷惑をお掛けしたことをおわびしなければいけない」とまずは陳謝した。
 さらに「安倍という姓の由来は、(平安時代に源頼義・義家親子と戦った)岩手、青森の安倍一族。元は仲間だと思っていただきたい」と強調し、「これからは一緒に素晴らしい会津をつくっていこう」と呼び掛けた。これには集まった聴衆から笑いと拍手が起こっていた。

 今もなお、「長州」と「会津」の確執はある。広い意味では、奥州人が「長州人」に対して持つ感情は、あまりよくない。薩摩人に対する感情は、それほどでもないと思うけれども、長州人に対する感情が良好であるという話は、今まで聞いたことがない。戊辰戦争から一四〇年も経っていながら、何故なのであろう。
 たとえば、次のような事実がある。
  山陽新幹線下関開業  1975年3月
  東北新幹線八戸開業  2002年12月
         青森開業 2010年予定
 新幹線鉄道網が本州の「西端」に到達するのと「北端」に到達するのには、実に三十五年の「時差」がある。この「時差」の意味を、どのように考えるのか。日本の近代の歳月の中では、「白河以北」は徹底して冷遇されてきたという感情があるけれども、そうした感情は、こうしたインフラ整備における「時差」を前にしても刺激される。
 司馬遼太郎が描いた「維新の群像」物語にも、雪斎がどこか冷めた眼差しを向けているのは、そうした奥州人としての感情が確かに作用している。「蛤御門の変の折、御所に向けて大砲を撃った長州が、そんなにえらいか」という感情は、確かにあるわけである。
 だから、安倍晋三総理が「自分は維新の群像に連なっている」などという自己認識を開陳すると、雪斎は白けた気分になる。人間の「感情」は、かくも難しい。

■ 今朝の一枚
  ○ ブラームス:
    ・ピアノ協奏曲第1番ニ短調 op.15
    ・ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83
    ・幻想曲集 op.116
   エミール・ギレリス(p)
  オイゲン・ヨッフム(指揮) 
   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 
 

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Comments

10年ほど前の話ですが・・会津若松のスナックで、
「アンタは●○生まれかぁ・・戊辰の折は世話になった」
「●○○衛門をご存知か??」と囲まれたことがあります。
 その武将は、私の生まれ育った地の旗本で、戊辰の役では、会津藩のため参戦していたとのことでした。お互いの郷土の話で盛り上がり、
「この酒が会津の魂じゃ」としこたま飲まされた記憶があります。
 私も安倍総理の演説には、ささやかな配慮があったのかと
思った次第です。特定アジア情勢の変転で日本人の目が西に向かいがちですが、東北、北海道をどのように盛り上げるか大いに考える必要がありますよね。 
 

Posted by: SAKAKI | April 17, 2007 at 09:37 AM

東北人として、どちらかというと薩摩の方がきらわれていますよ。長州は最初から敵だったが薩摩は土壇場で裏切ったか

Posted by: t02s828e | April 17, 2007 at 10:32 AM

雪斎先生、このブログをいつも楽しみにしている者です。読み取り専門でいようと思ったのですが、きょうの話題についつい誘い込まれてしまいました。

私は両親が山口県出身なもので、ご先祖には、この「御所に向けて大砲を撃った」禁門の変で憤死した人もいるようです(私には狂気の沙汰の無駄死にに思えますが)。四半世紀前に社会人になったときに父親から「会津の人間には気をつけよ」と言われました(なんと大袈裟なことよ)。安倍さんに限らず、山口県関係者が会津の地に乗り込むというのは、日本人が中国やフィリピンに行く時よりもずっと大きな緊張を伴うようです。首相の言葉は、その緊張ゆえの発言と思います。

社会人になってしばらくの間、上野駅を乗り換えに使うことが多かったのですが、当時の上野駅(新幹線ができる前)は東京駅とは別世界で、この国が明治の時代から東北をいじめ続けてきたことを痛感しました。

でも雪斎先生、現代の山陽新幹線は下関に行くために通したものではありません。九州の都、福岡・博多が目標、終着駅。山口県はただの通過地です。いまはどうか知りませんが、最初の頃は確か、広島の次の停車駅が小倉という「ひかり」があったと思います。山口県の存在感はもう、そんなものです。

日銀券千円札も、昔は伊藤博文だったのが、いつの間にか野口英世に代わってしまったようです。21世紀の現代、もう昔のような東北イジメは残っていないのではないでしょうか。

でもまあ、こういう対立感情が未だ根強く残っていることを結構おもしろがる私でもあります。ちなみに山口方面では、ブームになった新撰組は「テロリスト」の烙印を押されており(当時の長州も似たようなもんだと思いますが)、大河ドラマでブームになったりするのを苦々しい気持ちで見ています。ただ長州人は、明治になって栄華を極めた人と、途中で死んだうちの祖先のように、戦勝者としての受益格差が大きかったためでしょうか、藩閥が消えて官界での出世という共通利益がなくなってからは、地域として一つにまとまるという意識はもう強くないようです。

PS:フランス旅行、雪斎先生の報告を楽しみにしております。大統領選挙を見せるといかいう名目なんでしょうかね。ドゴールのお墓とは雪斎先生らしいです。ちなみに私も、フランスで訪れた場所で一番印象深かったのは、何十万ものお墓で埋め尽くされたベルダン古戦場でした。この戦いの死者数は戊辰戦争の比ではありません。長州・会津と、フランス・ドイツ。どちらも恨みを抱えながら、いっしょにやっています。

Posted by: うめもと | April 17, 2007 at 01:53 PM

自分は薩長土肥の肥前の生まれでありますが、存在感が薄いせいかw、さほど東北で居心地が悪かった記憶はありません。
新幹線も、いろいろ事情はあったのでしょうが、博多から先へは四半世紀ほったらかされておりました。未だ長崎には通じておりませんし(まぁ、今の時代となっては反対運動もおきてますがね)、鹿児島へも完全に繋がってはいません。
維新の勝ち組県といっても所詮田舎はこんな扱いですよ。

Posted by: 3gou | April 17, 2007 at 05:27 PM

安倍総理の大叔父・佐藤栄作首相は田中角栄が作った全国新幹線網計画をばっさり切ってしまい、たまりかねた角さんが「総理、新幹線ができれば山口の地元民が喜ぶじゃないですか」と言ったら、「キツネやタヌキでも乗せるつもりなのか」と一喝したという話がありますね。

Posted by: who | April 17, 2007 at 11:38 PM

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