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March 17, 2007

春は名のみの…

■ 昨日朝、雑誌『論座』に寄せる原稿の執筆作業が終わる。編集部に原稿を送って、ヘロへロの状態になって、そのまま爆睡と相成る。出来は、「まあ、何時も通りだな…」という感じのものである。担当編集者T氏から、メールが入り、「何時も通りの原稿ですね…」だそうである。「何時も通りの原稿を何時も通りに書く」。これが実際には難しい。
 とはいえ、此度の原稿は、様々な意味で「メモリアル」なものになるであろう。その「メモリアルな原稿」を載せたのが、雑誌『論座』とは…。十年前には、考えも付かなかったことである。朝日新聞というメディアも、変化の途中のようである。そういえば、朝日新聞の論説総元締めのW氏が若き日に影響を受けたのは、高坂正堯先生や永井陽之助先生だったそうである。「なるほど、そういうことであったのね…」と思う。

■ 一昨日の『産経新聞』社説には、かなり驚いた。
 「6カ国協議 米国の“裏切り”を憂う だれが日米離反を喜ぶのか」と題された社説には、次のような記述がある。
 「ここは日米ともに踏ん張りどころである。とくに、北を「テロ支援国家」のリストから外すべきではない。ブッシュ政権が「拉致はテロ」と呼んできたことからすれば、テロへの屈服に等しい。米国の変節は日本人に深い失望を与え、せっかく強まってきた同盟関係は後退を余儀なくされよう」。
 昔、平沼 騏一郎 が、「独ソ不可侵条約」締結の報に接して、「欧州の天地は複雑怪奇」と声明を出して辞職したのと同じ類の狼狽を感じさせる記述である。
 だが、「核」を進展させるるという一つの目標を追求するために手を尽くした米国は、「核」と「拉致」という二重の目標を追求した日本とは、異なる「利害」を背負っている。そういうことは、いわなくても判ることであろう。
 ハイパー・パワーたる米国にとっては、北朝鮮情勢などは二の次、三の次の案件である。まして、「拉致」は、米国の「利害」には何ら関わらない案件である。
 そういうことを考慮すればこそ。、雪斎は、「核」と「拉致」を分離させて議論することを提案してきた。「六ヵ国協議」の場では、「核」を進展させる米国の努力を徹底して支えるのが、同盟国としての筋であるからである。
 故に、「日本は、『核』を進展させるために、具体的に何をしたのか」という問いは、かなり重要である。もし、日本が「拉致」を気にする余りに、「核」進展に大したアシストをしていないのであれば、米国の対日態度が冷淡になるのは、むしろ当然であろう。他国の「裏切り」や「変節」を云々する前に、自国の努力が充分であったかどうかを検証するのが先である。
 日本の「反米」論者が「それみたことか。だから、米国は信用できない…」と嘯く様子が、眼に浮かぶようである。誠に不愉快である。

■ この時期になると、新年度に向けた態勢が出来上がりつつある。
 ① 四月以降は、とある地方新聞にレギュラーでコラムを担当する。
 ② とある民間シンクタンクの活動に協力して文章を書く。
 段々、雪斎がイメージしていた活動の「型」が出来つつある。

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Comments

雪斎さん、どうも。ペルゼウスです。
先日は乱暴な書き込み、申し訳ありません。

自分でも調べたりしてゆくうちに、実は雪斎さんと同じ結論に達してしまいました。

凄く残念ですが、日本全体の国益と引き換えに拉致家族を救うというのは相当無茶な事です。
アメリカと対決する力などこの国にあるはずもなく、ましてや今マスコミで出ている核武装など論外で、これは相当危険な考えです。今度は日本が北朝鮮になってしまいます。

問題はどう切り出すかでしょう。
政権転覆にもつながりかねない要素を孕んでいて、袋叩きに会いかねません。これは政治家として相当な勇気を要すると思います。

これは名ライターがスピーチでも書いて皆が納得する説得をする以外にありません。それか家族会側から切り出させるかです。

ただ、リスクの大きさを伝えれば、国民の多くは納得してくれると思います。日本の優秀な役人がどう他の国々と話をつけているかですね。

日本が100パーセント譲歩してしまうのではまずいでしょう(向こうが付け上がる)が、一歩も譲れないでは交渉も成立しません。

統一朝鮮が出来る事を考えておくと、間違いなく相当反日になる(いまですらそうだ)事は必定ですが、強大な軍事力を持つ事は必死の国とあたら事を構えるのは良策ではありません。

多分もう「絵」はできているのでしょうけど、どう実行されるのかが気になります。
安部首相が被害者の方々に土下座してでも状況を理解してもらうほかありません。その勇気ありやなしやとしたところでしょうか。

Posted by: ペルゼウス | March 17, 2007 at 05:55 AM

ただ希望もあります。

以前、小泉首相が北朝鮮から帰られて、家族会から袋叩きに会ったとき、多くの叱責の声が家族会がわにあがりました。

確かに拉致問題は重要だ。しかし日本国が戦争するほどの事ではないというメッセージが明らかにそこに存在し、私は「良識」を感じました。国益とは何かをよく理解した国民からのアクションと思います。

そこを上手くつけば決して国民もNOと言わないはずです。今は内政の問題も大きく、外ばかりに目を向けるわけにも行きません。日本人の悪い癖でひとたび決めると最後まで貫くところがありますが、それは先の戦争で大失敗したことではないでしょうか。

長い書き込みになりましたが、私も一国民である以上発言せざるを得ません。

朝鮮半島と米国と双方との対決など狂気のさたとしか言いようが無いからです。

Posted by: ペルゼウス | March 17, 2007 at 06:18 AM

>故に、「日本は、『核』を進展させるために、具体的に何をしたのか」という問いは、かなり重要である。

私も、この点を重要だと思ってきました。

万が一、実際に武力が行使されるような状況での責任・出血のほとんどを、
日本が米国にお任せしているいることに、
今の米国で極東アジアに関心を持つ人のうち相当数が
疑問・不満を持ってると考えることが自然のように思われます。
(「強力な日本軍が行動することは、もう見たくないから肩代わり」
という人はどれだけいるでしょうか)


さて、
冷戦後期、ソビエトが中距離核ミサイルのSS20を大量配備して、
欧と米の分断を図った事案がありました。

これに対して、欧米は、やはり中距離核ミサイルのパーシング配備計画で対抗、
ソ連を交渉の座につけ、「欧州における」軍縮を達成した、
という事例があったように記憶しています。

北鮮・中共による核軍備の進行・増大に対しては、
この事例が参考になるのではないでしょうか。

日本が自ら、
「非核三原則」中の「持ち込ませず」を破棄すると共に、
東アジアに増大する中距離核戦力に対抗するため、
米国の中距離核兵器を日本国の領域で運用する計画とその予算等の措置を
米国に提案する位の積極性を示すぐらいのことは必要だったのではないでしょうか。

Posted by: MUTI | March 17, 2007 at 04:32 PM

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