「終わり」の時節
■ 昨日午前、大学で卒業式である。雪斎が担当した四年生は、一人の脱落もなく無事、卒業と相成る。雪斎が
在籍している大学はメジャーなところではないので、卒業のはなむけに、「君たちは『負けなければ勝ち』だ」と檄を飛ばしておいた。
この檄の元ネタは、ヴェトナム戦争の時期にヘンリー・キッシンジャーが漏らした、「正規軍は勝たなければ負けだが、ゲリラは負けなければ勝ちである」という言葉である。東京大学を始めとするメジャー大学の学生は、社会的にステータスのある就職ができなければ、怪訝な眼差しを向けられる、それが、「勝たなければ負けだ」の意味である。方や、マイナー大学の学生は、無事に就職ができれば、「よかったな」といわれる。それが、「負けなければ勝ちである」ということの意味である。社会人になってからも、とにかく「つぶされずに生き延びる」ことを考えなければならない。そういう趣旨の檄であった。
それは、「自分の『力の限界』をちゃんとわきまえた上で、それでも我慢できる結果を手にするために努力せよ」ということである。そして、それが「現実主義者」の心得の第一条なのである。
■ 東京財団「若手安保研」会合は、昨日が最終日である。雪斎は途中加入組であるけれども、毎度、有益な会合であった。座長のかんべえ殿には、感謝あるのみである。最終会合は、原稿執筆の都合があり、中途退席である。29日に報告会があるので、それが「卒業式」である。
最終会合では、「日本核武装論」をテーマに伊藤貫氏の話を聴く。伊藤氏は、当代有数の「日本核武装論者」である。伊藤氏は、米国の「核の傘」が信用できるわけではないとした上で、「日本核武装」を主張してるのである。
雪斎は、「日本核武装論」批判を徹底してやってきたので、おそらく伊藤氏とは認識の重なりあわないところが多いのであろう。伊藤氏にしてみれば、雪斎を含む「親米保守派」は、米国の「核の傘」に依存する状態を放置している点で「真のリアリスト」とはいえないとのことであるけれども、雪斎からすれば、伊藤氏に代表される核武装論者の議論は、「工学的」安全保障認識を反映したものに映る。それは、どこまでも「工学的」であるが故に、実際の国際政治の複雑怪奇ぶりを前にして余り役に立たない代物なのである。そして、それは、その「役に立たない」性質の故に、「観念論」の色彩を濃厚に帯びるのである。
「自分の『力の限界』をちゃんとわきまえた上で、それでも我慢できる結果を手にするために努力する」という「現実主義者」の視点からすれば、日本には、色々と越えるべきハードルがある。憲法改正、通常兵力体系の整備、外交能力の拡充…。こうしたハードルを越えた上で、時々の国際環境に照らし合わせて「核武装」が必要とされるのであれば、その検討を認めるのにやぶさかではないけれども、「日本核武装論者」」は、そうしたハードルを越える手間を惜しんで、いきなり「核」の議論をするのである。
「核武装に踏み切ったフランスの経験は、何故、日本が核武装をしなくてもいいかを示す一つの参考になるでしょう」。雪斎の知るフランス外交官は、こう言った。なるほど、「フランス料理」のコースで、最初から「デザート」を食おうとしてはいけないのである。
■ 帰宅したら、 「ベートーヴェン 交響曲全集」(ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団)のSACD五枚組が届いていた。ヴァントの演奏は好きなので、これをSACDで聴くのは、楽しみである。大枚をはたいて、SACDプレーヤーも買ったし…。
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Comments
昨晩はお疲れ様でした。リアリストといっても「政治的リアリスト」と「軍事的リアリスト」では答えが違いますよねえ、というのが当方の感想です。とはいえ、楽しい思考実験であったと思います。
29日の「卒業式」は桜が間に合いそうですね。どうぞよろしく。
Posted by: かんべえ | March 21, 2007 09:21 AM
小生も29日顔をだそうかと思います。その節はよろしくお願いします。
Posted by: 星の王子様 | March 21, 2007 07:58 PM