清沢洌の言葉
■ 「お前がこの国に生れた以上は、国家を愛するに決まっている。が、お前の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いることだけは認めるようになってくれ」。
―清沢洌『非常日本への直言』「序に代えて わが児に与う」『清沢洌評論集』(岩波文庫)所収―
清沢洌が書いた文章の中でも、かなり印象的な言葉である。昭和八年三月は、前々年の満州事変、前年の上海事変を経て、日中関係の「不幸な時間」が本格的に始まろうとしていた時期である。清沢の幼い子供が、中国人を観て、「あの人たちと戦争をするのでしょう」と問いかけてきたのに驚いて、清沢は、子供を諭す体裁で文章を書いた。冒頭の言葉は、その文章の一節である、
「自分の考えるように考えなくても、この国を愛する者が沢山いる」と考えない人々、もしくは「自分の考えるように考えなければ、この国を愛していない」と考える人々が、最近、矢鱈に多くないか。昔は、「自分の考えるように考えなければ、平和を愛していない」と考える人々を相手にして、疲れる想いをしたものであるけれども、今は、「自分の考えるように考えなければ、この国を愛していない」と考える人々を相手にして、疲れなければならない。
雪斎には、まだ息子・娘はおろか、妻もいない。だが、先々、息子・娘を持つ身になったら、この清沢の言葉に倣った言葉を自分なりに伝えたいと思う。
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Comments
「オールド」リベラリストの言が、常識になって「古い」と評されるのが理想ではありますが、この世はなかなかそうなることを許さないようです。
国内・国外問題を問わず、民主主義が機能するには自制が不可欠だと考えますが、苦労しているのは、この国だけではないようです。
自由な社会の復元力は驚くべきものがありますが、時間がかかります。僭越ながら、先生の最大の仕事は「長生き」かと存じます。
Posted by: Hache | February 15, 2007 02:48 AM
メーカーの製造現場の改善活動では、「なぜ」を5回以上くりかえせ、という教えがあります。要は、自分の頭でよく考えろ、ということです。真剣に自分の頭で深く考えないと、相手や他人も自分と同じような「反応」をしないとけしからん、と「反射的に」判断することになる。しかし、冷静な人たちも結構いて、誰が真剣にモノを深く考えているかじっと見ている、と信じています。ただ、マスメディアの風潮は、今も昔も聴衆を「反射的反応」に追い込もうとしているように見えます。
Posted by: 珈琲 | February 15, 2007 11:05 AM
雪斎さん
こんにちは。
清沢は、大変、好きな人物です。
グローバル化とまで、マクロなことは、言いませんが、多様性というものの、裏の側面でしょうか。何か、一元的なものに、収斂させようとする、風潮があります。
例えば、国家をどう捉え(国家のどのフェイズ)を、どう愛していてもいいと私は、思っています。
インプット→媒介変数なし→アウトプット→社会的事実・言説→インプット・・・という、ある種の自己内省的な側面を他者や、対象から得る(行う)ことなく、構成的な循環理論に陥っているように思います。
ナラティブなき時代、漂流するセルフ・アイデンティティを、何か最もらしい、ナショナル・アイデンティに投影したい不安な時代なのかと思います。
Posted by: forrestal | February 15, 2007 12:53 PM
人々が国を愛しても 愛してなくとも 国は人々を愛さねばならないでしょう 平和もそうです 国の中心では 常に 人々と世界の平和が 祈られ 政治家として選ばれたとはいえ 大臣となり お仕えする立場となったら 祈りを現実世界で実現するのが職責ですから 様々な愛の形があり それを 統べるのが究極この国の国家の特質でしょうから 祖先から私たちそして末代まで語り継ぐ 国と民の生命の一体性がまさに様々な生き方に己とつながるものを探そうとする この国の精神文化だったのですがね 今でも本質はかわらんと信じます ちょっとお天気は曇り気味ですが
Posted by: Ld.Ryu | February 15, 2007 02:14 PM