福澤諭吉の言葉・続
■ 「…随て新聞紙の如きも自から事に慣れざるが故に、其の議論にも自ら用心を欠き、却て大言壮語して国内の人心を騒がすのみならず、実際に当局の事を妨るの感なきに非ず。本人の考は毫も悪意あるに非ずと雖も、国家の不利は免かる可らず。大いに警しむ可き所なり。外交の結局はつまり国力の如何に決するものなれども、その掛引は甚だ微妙なり…」。
―福澤諭吉 「新聞紙の外交論」『時事新報』(明治三十年八月八日)社説
22日のエントリーで紹介した福澤諭吉 「新聞紙の外交論」の一節は、論稿の締めの文章であるけれども、これは、中盤部分の一節である。
この論稿が書かれた明治三十年八月というのは、前々年に日清戦争・下関条約締結という外交イヴェントがあり、日本が列強への「最初の跳躍」を果たした年である。奇しくも、この論稿の出た二週間余り後、陸奥宗光が死去している。陸奥といえば、『蹇蹇録』にある「畢竟、我にありては、その進むべき地に進み、その止まらざるを得ざる所に止まりたるものなり。余は、何人をもってこの局に当たらしむるも、また、決して他策なかりしを信ぜんと欲す」という言葉が有名であろう。
当然のことながら、福澤は、陸奥の「蹇蹇録」を読むことはなかったはずだし、「他策なかりしを信ぜんと欲す」という言葉も知らなかったであろう。
ただし、福澤の論稿を読んで実感するのは、外務大臣という職業が「他策なかりしを信ぜんと欲す」という感慨と常に隣り合わせであるという事情は、福澤には察知できていたということである。おそらく、福澤が凡百の言論家と異なるのは、一貫して在野に身を置きながら、こうした執政の「現実」を理解していたことであろう。
故に、「新聞紙の口調を見るに、…遠慮なく批評して他を罵るの声を放つことなきに非ず」という当世風にいう「メディア批判」も出てくるわけである。
雪斎にとっては、この福澤の言葉は、言論家としての信条の一つを成すものである。「他策なかりしを信ぜんと欲す」という感慨を慮った言論を指して、「御用学者の論」と呼ぶ人々がいれば、勝手に呼べばよろしい。そうした人々は、雪斎とは言論の立脚点が異なるだけである。
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Comments
御用でない学者の大言壮語には 本当に困ってしまいます 売文家と区別がつきません 大新聞や雑誌の広告史観しかり
満鉄には 総裁こころもち という言葉があり 勤務の心がけとして 調査部を含め実際の仕事につくものの基本だったそう
最近 左翼の自己解体に便乗して 頼んでも無い旗をふりまわす先生方跋扈し 教育再生会議に ヤンキー先生やら体操選手やら 大衆の卑なる心性に阿る流れが強い中
国家の統治者に仮想のわが身をおいて 中庸をゆくのは大変でしょうが 期待を新たにしました ご健筆を願います
Posted by: Ld.Ryu | January 26, 2007 06:14 PM
Ld.Ryu殿
御言葉、痛み入ります。
Posted by: 雪斎 | January 31, 2007 08:13 AM