「命懸けの仕事」
■ アーネスト・へミングウェイの小説『武器よさらば』は、 丁度、五十年前にチャールズ・ヴィダー監督の手で映画化されている。粗筋は以下の通りである。
「第一次大戦中、イタリア・オーストリア国境の山々に白雪がふりつもる初冬。アメリカ人でありながらイタリア軍に志願入隊しているフレデリック・ヘンリー(ロック・ハドソン)は、休暇から帰ってきた夜、リナルディ軍医少佐(ヴィットリオ・デ・シーカ)の紹介でイギリス赤十字の看護婦キャサリン・バークレイ(ジェニファー・ジョーンズ)を知った。出撃の日近い夜、強引に温室にキャサリンをさそったヘンリーは、激しい雷鳴のさなか彼女と結ばれたが、翌朝の出撃の雑踏が2人を別れさせた。イゾンツォ河畔の戦闘は激烈をきわめた。多くの戦友の死。ヘンリーも膝に重傷を負って護送された。陽光暖かいミラノの病院で、再び会ったキャサリンとヘンリーは幸福に酔った。しかし夏がきて、ヘンリーの愛のしるしを宿したキャサリンを残して、彼は前線に復帰させられる。山岳地帯の激戦でイタリア軍は敗退し、雪どけの山野に戦列は混乱した。乱戦の中での、反逆罪の名によるリナルディとヘンリーの逮捕と、リナルディの銃殺。ヘンリーは1人逃れてキャサリンの待つミラノへの道をたどった。おちあった2人はマジョーレ湖を渡り、夜の冷雨に中をスイスに入る。ロカルノから、更に美しい奥地へ、平和な天地の中で、またつかの間の幸福が2人に訪れてきた。やがて年をこえた3月、キャサリンの肉体から新しい生命が誕生する時がくる。けれども、激しい苦痛が彼女を襲い帝王切開手術のすえに、彼女は死んだ。雷雨のなかを、連合軍のドイツ本国総攻撃の報がもたらされた日だった。病院の外には雨がふっていた。総ては空しかった。ヘンリーは1人、朝の雨のなかを街に向かって歩った」。
昔から、出産は、女性にとっては、「命懸けの仕事」である。周囲は「戦場」であるのにそこでは「平和」であったはずのスイスで主人公に訪れた不条理というのが、恋人の「出産死」であったというのは、この物語の「悲劇性」を伝えている。スペイン内戦を題材にした『誰がために鐘は鳴る』は、それぞれの人々の「生」の肯定というモチーフが入っていたのに対して、『武器よさらば』には虚無的な印象が強く残る。
こうして考えると、柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言は、印象が余りにも悪過ぎる発言だなと思う。どういうわけかは判らないけれども、安倍晋三総理の「支持率降下」のために多くの人々が一生懸命に貢献しているような気がしてならjない。この発言は、特に主婦層の離反を招いている公算が大きい。せっせと支持率の小金をためようとしても、こうした発言で一気に「浪費」される。悪いサイクルに入っている。
戦後、日本の男は、「命懸けの仕事」をすることはなくなった。たとえビジネスの世界が擬似的な「戦場」として語られるとしても、そこでは、「命の遣り取り」が行われているわけではない。「命懸けの仕事」は、女性の「出産」が限られた事例になっているのである。だとすると、少子化対策の本質は、女性たちに「命懸けの仕事」を請け負ってもよいという動機付けを提供することにあるのであろう。これを、もはや「命懸けの仕事」をするわけでもない男の側が提起するのには、相当の説得力が要る。このところ、小泉前総理と安倍総理というように、「シングル宰相」と「ノーキッズ宰相」が続いている。誠に難しい時代である。
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Comments
日頃は、随想録をはじめ、外交・政治の世界について、勉強させていただいており、
ありがとうございます。
このところ、政治家の軽率と思われる発言が続いていて、残念というより不思議です。
出産・育児に精力をとられては、キャリアが形成されない世の中ということであれば、
政治・政治家もまた例外ではないとは言えるでしょう。
話が少子化へ跳びますが、出産・育児へ周囲からエールを送る気持ちが欠けているので
産む気になれないのではと思います。
ここからは雪斉様の立場を知った上で、愚痴あるいはお願いです。
児童手当は所得制限があります。家庭をもちつつフルタイムで働く女性の家庭にとっては、子供の扶養控除なぞ、
実際にかかる経費に対する割合は圧倒的に低いでしょう。子供の健康状態など個体差が大きいので、
子育てに関連する費用は領収書付きで、現在よりも大幅に引き上げた額を、控除対象にするというアイデアは
いかがでしょうか?その代わり現在の「みなし」扶養控除は削減ということで。
政治家にだけ透明性を求め、「みなし」を排除する方向は、公平ではないですし。
どなたか政治家へお願いできればと思っていたことですが、ツテもなく、いきなり面と向かって
素面で申し上げるには余りにせこいことで機会もありませんでしたが、永年勤続議員の政策秘書である
雪斉様がご一考いただければ幸いです。
家事の前、思いつきでとりとめもないことを書きつづり、失礼致しました。
暖冬とはいえ、シーズンですのでお風邪など召されるよう
ご活躍を期待しています。
Posted by: gemba | January 31, 2007 05:42 AM
genba殿
ありがとうございます。
早速、政策オプションとして検討させていただきます。
Posted by: 雪斎 | January 31, 2007 07:43 AM
小児科医です。
柳沢大臣の発言はいただけませんが、一方で日本国民自体も出産が命がけの仕事であることを忘れて、妊婦が不幸な転機をたどった際に、それを全て医師側の責任して、医療ミスとして糾弾、訴訟する傾向があります。
その最たるものが、福島県の産婦人科医逮捕事件です。
全力を尽くしても医学的に妥当であっても、患者が死ねば逮捕という暴挙を、日本国民が許す風潮があることこそ、安全に産んで当たり前、つまり出産機械と思う心理的土壌の証明です。
医療者側からみれば、所詮この大臣も国民も同じ穴の狢であり、当の妊婦ですら大臣と同レベルのものがいると思います。
手垢がついた言葉ですが、この国民にしてこの大臣ありでしか無いでしょう。少し話がずれたかも知れませんのでお詫びいたしておきます。
参考となる産婦人科医のBlogをここに挙げておきます。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/
Posted by: 小児科医 | January 31, 2007 12:53 PM
>雪斎さん
こんにちは。
科学技術・医療技術の進歩によって、出産なるものの、安全神話が作られつつあるのでしょうか。
私は、女性(だけには限りませんが)の多様なライフ・スタイルを尊重しております。その中でも、やはり、御説にもある通り、子供を持つことへのインセティヴを持っている社会でなければいけないと思っています。
私は、生涯、子供を持つかわかりませんが、もし、そのような機会に恵まれたなら、出産に立ち会ってみたいです。
雪斎さんも是非^^(大きなお世話ですいません
Posted by: forrestal | January 31, 2007 03:25 PM
いつも拝読させていただいております。今回の柳沢大臣の発言について、ちょっと世評でも頷けないものがありますので一言。
柳沢大臣の言葉が戴けないのは「女性出産機械説」だけではありません。機械は物品を生産します。しかし、「新生児」は物品ではありません。しかも生まれてすぐ人間になるわけではありません。そこから十数年にわたる献身的育児や教育、なにより愛情がなくては「育ち」ません。柳沢大臣は、出産する女性を機械に喩えたばかりでなく、生まれてくる生命を物質と同等とみなしたのです。
真に女性が辛苦するのは、産んだ後「親としての言うに言えない苦しみ」が待っています。それがわかっていずに「産め産め」という。
そんな人に少子化対策ができるはずはありません。産んでも虐待が増えるばかりです。産むことはうれしくても「私は虐待しやしないか」という不安を抱えていない女性はおりません。
真に人間のための施策に腐心していれば、間違ってもできる比喩表現ではありません。
人間として、こんな政治家が闊歩していることが悲しい。
Posted by: もも | January 31, 2007 03:37 PM
医療技術・医学・科学一般 人間の力に対する過信は 自然への畏怖を知らない人々を生みました 命という尊く はかない営みが 人智の及ばない恵みによってかろうじてある事への感謝を 母や医師にささげ 神仏に畏敬の念を持つ事が政治や法の根底から すこしづつ 喪失してきた感があります
政府が子供を生めるわけも無く サポートを少しできるだけなのは あまりに当たり前 全能感は政治家としていただけないし 保守じゃないでしょうね 改革政治は人間が妄想にもとずいて社会を計画できるかのように為政者を錯覚に誘ったのでしょうか 罰当たりな事です
Posted by: Ld.Ryu | January 31, 2007 10:24 PM