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December 08, 2006

「ケインとアベル」再読

■ ジェフリー・アーチャーの小説『ケインとアベル』を再読する。これを最初に読んだのは、「バブル最盛期」の学生時代であり、当時は、テレビ・ドラマも放映されていた。
 1906年の同じ比に全く違う境遇で生れた二人の生涯を描いた本作品は、文字通りの「大河ドラマ」である。一人は、ボストンの富裕な名家ケイン一族の一人息子、ウィリアムであり、もう一人は、ポーランドの罠猟師の息子として育ったヴワデグ(のちにアベルと改名)である。ケインは父親が遺した銀行を継ぎ、銀行家として大成し、アベルはヨーロッパの戦乱で総てを失った後、移民として米国に渡り、自らの手で創業したホテルチェーンの経営者して「アメリカン・ドリーム」を実現するわけである。物語は、この二人の長年の確執が軸になっている。加えて、お互いの息子と娘が実質、駆け落ちしたりしている。二十世紀の米国を感じさせる作品である。

 昔、読んだときには、二人の男の野心と矜持の激突、そして最後の「落ち」に印象付けられたもののである。けれども、今、読めば、「カネ儲け」の基本が結構、詰まった物語であることが判る。
 印象深かったのは、まだ12歳くらいの頃のウィリアムが株式投資を始める経緯である。銘柄選別の基準を4つにして^それを厳密に守ったと書いている。
 1 高い資本回転率
 2 資本の確かな裏付け
 3 高い成長率
 4 ビジネス上の展望
 確かに、これは基本である。
 もう一つ笑ったのが、ウィリアムが、「メディアや巷の推奨銘柄には手を出さない」という原則を持っていたことである。これには、雪斎も同意する。「銘柄選び」などは、独りの作業で徹底するものであって、他人の話を聴くべきものではない。だから、「株式サイト」や「株式クラブ」で出る「これが騰がります」などという話には、原則上、耳を貸さないのが賢明なのであろう。
 名門の御曹司とはいっても、歌舞伎役者のように「カネの殖やし方」を幼少期から徹底して体得しなければならない。小説の世界の話と割り切ればいいと思うけれども、これに近い話があるのかもしれないとおもえば、かなり怖くなる。
 そういえば、4日の『日本経済新聞』が次のような記事を配信している。
 

□ 米大手信託銀BONY、同業のメロンと合併
 【ニューヨーク=財満大介】米大手信託銀行、バンク・オブ・ニューヨーク(BONY)は4日、旧メロン銀行を前身とする同業のメロン・フィナンシャル・コーポレーションと合併すると発表した。新会社名は「バンク・オブ・ニューヨーク・メロン・コーポレーション」。合併後の株式時価総額430億ドルは米金融機関では11番目の大きさ。合計の信託財産は16兆6000億ドルで資産管理銀行としては世界最大となる。
 両行は、機関投資家を対象に、株式や債券などの有価証券や資産管理を手がける。巨大なコンピューターシステムを使うため、資産規模の拡大でコスト削減効果を得やすいことから、統合に踏み切ったとみられる。
 新会社の最高経営責任者(CEO)にはメロンのロバート・ケリーCEOが就任する。BONYのトーマス・レニーCEOは新会社の会長に就いた後、1年半後に退任し、ケリー氏に会長職を譲るとしている。 (01:52)
 日本人は、「クラフトマン・シップ」を大事にする人々である。だから、経済人でも、本田宗一郎や井深大のような人々が尊敬される。だが、折角、クラフトマン・シップを発揮し、営々と蓄えた「富」も、金融資本主義の論理に精通していなければ、他人が儲けるための「ふんどし」として使われてしまう。金融資本主義の世界では、他人のふんどし=カネ」で、「相撲=濡れ手に粟のマネー・ゲーム」を上手くやった人々の「勝ち」である。1990年代の日本の苦境は、それが「バブルの時期」に」できなかったが故の「負け」であった。大体、無名の料亭の女将に数千億を貸して焦げ付かせるなどは、正気のl沙汰ではない。往時の日本は、「カネをどぶに捨てる」名目を探すことに必死であったような気がしてならない。
 次は、「勝ち」を収めなければならない。「濡れ手に粟のマネー・ゲーム」が非難されるべきなのではなく、「濡れ手に粟のマネー・ゲーム」で勝てないことこそが、非難されるべきである。われわれの同胞が築いた「富」は、われわれの判断に依って使ってこそ、意味がある。日本のバンカーには、今度こそ頑張ってもらう必要がある。

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Comments

>「カネをどぶに捨てる」名目を探すことに必死であったような気がしてならない。

マネーゲームで次のサイトを思い出しました。ライブドア事件をこういう風に見てる方もいるのかと感心しました。書生人の戯言でしょうか。
http://blog.livedoor.jp/ld_opinion/archives/50225738.html

Posted by: jouzetu | December 08, 2006 at 11:02 AM

こんにちは。

今回、雪斎さんから「株式投資の極意」を教えていただいたように感じました。私自身も以前「ケインとアベル」を学生時代に読み、それからしばらくジェフリーアーチャー氏の著書を読み漁ったことを思い出しました。

ただ、当時の私は、ただ単なる読み物としか感じることができませんでした。雪斎さんは「ミリオネア」への夢を当時から持っていたのでしょうか。小説の読み方一つでも大きな違いがあるのを感じました。

Posted by: MAKO | December 10, 2006 at 09:33 AM

>金融資本主義の世界では、他人のふんどし=カネ」で、「相撲=濡れ手に粟のマネー・ゲーム」を上手くやった人々の「勝ち」である。

まぁ、それはそうなのですが、クラフトマンシップに拘る強みというのもあって、それは、他人が作れないモノを作れる、ということです。
他人が作れない、というのは、何も技巧技芸やハイテクの話ばかりじゃなくて、昔はどこでも作っていたものが廃れて誰も作り方わからなくなった、とか。
つまり、勝ち負けではなく、サバイバルとしてのクラフトマンシップという観点も重要なのではないでしょうか。サバイバルですから、平時は負けにみえても、非常時にどんでん返しは望めるわけです。
ただし非常時は一時で、すぐに平時に戻るのが当たり前(でないと困る)ですし、常日頃非常時到来を期待して待ちぼうけばかりは宝くじに賭けるのとなんら変わり無いので、ま、文(マネーゲーム)武(クラフトマンシップ)両道が望ましいというか。

Posted by: ■□ Neon / himorogi □■ | December 10, 2006 at 12:31 PM

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