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December 12, 2006

人間にとっての「高貴」と「下賎」・続

■ 昨日のエントリーで書いたことの繰り返しである。人間にとっての「高貴」と「下賎」について次のような分類をした。
 1、それぞれの社会で恵まれない立場、差別される立場の人物が、それにもかかわらず社会のために貢献する。
 2、それぞれの社会で恵まれた立場の人物が社会のために貢献する。
 3、それぞれの社会で恵まれない立場、差別される立場の人物が、社会のために貢献しないで自分のことを考える。
  これにも二種類があって、
  a ひたすら自分の「独立自尊」を図ろうとする。
  b 他人に平然と「寄生」しようとする。
 4、それぞれの社会で恵まれた立場の人物が、それにもかかわらず社会のために貢献しない。

 これは人間としての「姿勢」による分類であって、当座の「暮らし向き」云々は関係がない。
 「ワーキング・プア」層は、どう見ても雪斎の分類における「3a」である。彼らが「特に恵まれた出自」でなければ、そうである。彼らを「3b」にさせないことが大事である。
 人間の「姿勢」であるから、年齢や社会的立場によって変わってくる。
 多分、富豪の家に生れた子供は、最初から、「2」の姿勢を要求される。イギリスのエリートというのは、そういうものである。パブリック・スクールでの教育の中身も、「自分のことで、がつがつしない」ことを教えるのである。こうした人々にとって、「4」は最も恥ずべき状態であるはずであるけれども、何故か日本では余り自覚されていない。たとえば堤義明さんは「4」で、堤清二さんは「2」なのだろうと思う。「恵まれた立場」に生まれ育った人々を羨むことに意味はない。彼らは、うっかりすると「4」に堕ちる人々なのだから…。それはそれで大変な人生である。
 大概の人々は、「3a」で始まり「3a」で終わる。例外は、成功して財を成した人々である。「1」に行く道が開かれるのである。たとえばアンドリュー・カーネギーは、「1」の道に入った人物である。
 故に、「恵まれた立場の人物」には、「4」という「下賎」の極みに堕ちる道が開かれているけれども、「恵まれない立場の人物」は、「1」という「高貴」の極みに達する機会が得られるのである。
 雪斎としては、「1」に達することができるように、精進あるのみである。


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Comments

いいお話をありがとうございました。


Posted by: SAKAKI | December 12, 2006 at 09:48 AM

このような話は親から子に語り継がれるべきものなのですが、昨今の家庭ではどうなのでしょうか。ノブレスオブリージュの精神が失われつつあるからこそ、格差などと言うものが槍玉に挙げられるように感じます。

Posted by: TIG | December 12, 2006 at 10:28 AM

3-aは「世間様に迷惑をかけるな」とか、「お天道様がみているんだから」とか、当然の規範としてあったように思いますし、2か4かというのも、「武士はくわねど~」的な精神があったように思うのですが、すっかり聴かなくなった言葉ですね。

履き違えた個人主義が、こういう古くからの健全な精神を駆逐している現状を覆すには、どこからてをつけたもんでしょう。

3-bに堕した人間が,3-aをよき生き方として教える事は出来ないでしょうから、資質として3-aを志向する人間が、3-bを反面教師とするという、はなはだ消極的な方法によって、3-aが社会の大多数にとってよき生き方と認知されるようになるしかないのかも。

失われたものを取り返すのは大変ですよねぇ。

Posted by: horten | December 12, 2006 at 11:05 AM

・榊殿
 御意。
・TIG殿 horten殿
本来は「1」、「2」の人々が「3b」に堕ちそうな人々を救わないと駄目なのですな。ところが、それを国が「福祉」の名の下にやっている。「3b」の人々にしてみれば、「他人のカネ」という意識がないから、「もっと取っちゃえ」という話になるのでしょう。
「3a」は3b」に成らないように頑張りましょう。少なくとも、「3b」と「4」は恥ずかしいとという諒解を作りましょう、加えて、「1」、「2」は素晴らしいという諒解も・・・。

Posted by: 雪斎 | December 12, 2006 at 11:41 AM

議員の多くが第4分類なのには苦笑いますね やはり 代議制民主主義は制度疲労ですか 代議士商売が家業となり  違う意味で商人国家になってますからね 

Posted by: Ld.Tetsuya H Ryu | December 12, 2006 at 10:07 PM

1も2も、両方とも素晴らしいと思うのですが、他の人々に対する感化力という点では、1は格段と偉大なのでしょうね。

Posted by: 西田瓜太郎 | December 13, 2006 at 12:48 AM

雪斎先生、お忙しい中わざわざコメントをありがとうございました。
1、2を目指して日々精進いたします。

Posted by: kasapakov | December 14, 2006 at 11:03 AM

Ld.Ryu殿
きちんとしたエリートを養成する枠組を作らないと駄目でしょうね。
Kasapakov 殿
どういたしまして。

Posted by: 雪斎 | December 15, 2006 at 12:27 PM

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