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December 27, 2006

「戌笑い」の年の暮れの風景

■ 「いざなぎ越え」景気最中である。ところで、現下の景気は、将来、何と呼ばれるのであろうか。「構造改革景気」、「ヒルズ景気」…。そろそろ、何かを考え付くべきであろう。
 1980年代後半、「バブル景気」の阿呆らしさを象徴する話があった。大阪の女性料亭経営者に、興銀リース、興銀ファイナンスなどのノンバンクが融資を続け、興銀グループだけでピーク時には約2400億円を貸し込んでいた事件があった。「料亭の女将さん個人に2400億円も貸して、どうするつもりであったのであろう」。今から冷静に考えれば、そう思う。また、日興コーディアルで不正会計が露見している。こういうことは、早く根絶してもらわないと、東京が「世界のマネーセンター」になるのは、難しいのではないいか。
 だから、「実感なき景気回復」というのも、「バブル」の時代のツケを払い続けていたと思えば、致し方ないのかもしれない。
 ところで、株式相場の干支にまつわる格言に次のようなものがあるのだそうである。。
 「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ、戌笑い、亥固まる、子は繁栄、丑つまずき、寅千里走り、卯跳ねる」。
 戦後の日経平均株価の干支別騰落率を観ると、辰年、巳年、亥年、子年の上昇率が際立っているのだそうである。雪斎の投資活動は、申年の春に始まった。この格言と経験則の通りでとあれば、来年と再来年は、ウハウハであろうけれども、どうなるのであろうか。

■ 下掲は、自由民主党機関誌『月刊自由民主』(2007年1月号)に寄せたコラムである。このコラム執筆に際しては、金融資本主義の現場に居る二、三の人々にコメントを頂いた。政治学者は、「政治」以外のことに首を突っ込まないのが原則であるけれども、たまには、こういう文章を書くのもいいかもしれない。

 □ 日本の金融資本主義社会の成熟のために
 昨今、「格差社会」批判の文脈で浮上しているのが、「汗水たらして働かなければ駄目だ」という類の議論である。確かに、こうした議論は、「労働の尊さ」を説く意図に裏付けられているのであるから、それ自体としては何ら異論を差し挟むべき類のものではない。ただし、こうした「労働の尊さ」を説く議論の持つ危険は、それが「汗水を垂らさずにカネを稼ぐ姿勢」に対する非難の意味を含んでいることにある。実際のところ、「汗水を垂らさずにカネを稼ぐ姿勢」に対する世の視線は、厳しい、戦前期、三菱・岩崎、三井、住友といった財閥家の当主が続々と男爵の爵位を与えられた一方で、純然たる金融財閥を率いた安田善次郎には何らの爵位も与えられなかった事実は、金融資本主義が「汗水を垂らさずにカネを稼ぐ姿勢」と結び付けて解されていることの証左である。
 しかし、こうした金融資本主義に対する理解の乏しさは、その成熟のためには負の効果しか及ぼしていない。金融資本主義の意義を軽視する社会土壌からは、「賢明なカネの遣い方」に関する常識は根付かない。一般的には、多くの国民は稼いだカネを貯蓄に回すことで安堵しているけれども、そのことは、一般国民レベルで「賢明なカネの遣い方」を考えない現実を説明しているのである、
 振り返れば、一九八〇年代後半、世が「バブルの狂爛」の最中にあった頃、日本経済の強盛の象徴として語られたのは、「ジャパン・マネー」が米国の企業や不動産を次々に呑みこんでいったことである。三菱系企業がニューヨークにあるロックフェラー・センター・ビルを買収したり、ソニーがコロムビア映画を傘下に収めたりしたのは、その有名な事例である。しかし、往時の「ジャパン・マネー」を象徴していた日本の金融機関は、たとえば他国の金融機関を買収し、名実ともに備わった「投資銀行」に脱皮する域までには達しなかった。もし、往時の日本の金融機関が、こうした「投資銀行」への脱皮を果たしていたならば、一九九〇年代以降の景気後退局面においても、被った損失は局限できていたであろうと指摘する向きがある。一九九〇年代の国際経済情勢に鑑みれば、「投資銀行」としての海外活動で得られた収益は、国内での収益悪化を補って余りあるものであったであろうという趣旨である。しかし、実際には、土地などを担保にした安易な融資のスタイルが、幅を利かせた。要するに、一九八〇年代後半の日本の金融機関は、「賢明なカネの遣い方」ができなかった。一九九〇年代の「失われた十年」とは、その代償の重さに呻吟した歳月であったのである。
 小泉純一郎(前内閣総理大臣)の執政における業績の最たるものは、一九九〇年代以降に積み上がった金融機関の不良債権を半ば強制的に処理したことである。実際、去る十一月下旬、大手銀行六グループの二〇〇六年九月中間連結決算は前年同期に続き過去最高益を更新したことが報じられている。三菱UFJ、みずほ、三井住友の三行は、既に公的資金を完済し、株主還元の観点から増配を打ち出した。客観的には、日本の金融資本主義社会の状況は、「最悪期」を脱したといえるであろう。そうであるとすれば、今後に考慮されるべきは、「賢明なカネの遣い方」を実践できなかった一九八〇年代後半の轍を踏まないということである。目下、アジア地域を中心とした支店網の整備、米国での金融持ち株会社の認可取得、海外銀行の買収といった対応が、検討されているようであるけれども、それが「賢明なカネの使い方」を反映したものであるかは、意識的に注視する必要があるであろう。
 ジェフリー・アーチャーの小説『ケインとアベル』に描かれた物語から浮かび上がるのも、そうした「賢明なカネの遣い方」の意味である。一代の刻苦勉励でホテル王として成り上がったアベルが、父親の銀行を継いだケインとの長きに渉る確執の果てに気付いたのは、自分の経営するホテルに投資した匿名の投資家の正体が、ケインであるという事実であった。ケインにしてみれば、アベルに対する個人的な感情はともかくとして、アベルのホテル事業それ自体が投資妙味を持つ案件であったのである。そして、日本の金融資本主義を担う群像が再び対峙しなければならないのは、『ケインとアベル』が描き出した金融資本主義の風景なのである。
   月刊自由民主』(2007年1月号)掲載

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Comments

牛歩景気ってのはどうでしょう?
歩みが遅く、時々立ち止まる。ただし、息は長い

Posted by: t02s828e | December 29, 2006 at 12:51 PM

: t02s828e 殿
上手い。座布団三枚。

Posted by: 雪斎 | December 29, 2006 at 04:48 PM

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