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November 22, 2006

帝力何ぞ我にあらんや。

■ このところ、政治学者にあるまじきエントリーを書き続けたので、そろそろ真面目なものを書く必要がある。
 とはいえ、安倍晋三総理になってから、雪斎は醒めた感情で物事を観ている。
 色々なネタがあるはずなのに、政治に対する「期待値」が下がっているのである。
 もっとも、政治に対する期待値が低いということは、決して由々しきことばかりと片付けるわけにはいかない。
 「鼓腹撃壌」の故事を思い起こす。

   日出でて作き、
   日入りて息う。
   井を鑿りて飲み、
   田を耕して食う。
   帝力何ぞ我にあらんや。

 これが「理想の統治」である。安倍晋三総理の統治において何が行われなければないかというメニューは、既に出尽くしている。安倍総理に問われているのは、そのメニューのどれだけのものを実際に実現できるかということでしかないのである。

 下掲は、『月刊自由民主』に載せた原稿である。自らの信条に忠実であることは、政治家の条件ではない。沖縄県知事選挙でも、「平和主義」の信条に忠実であろうとした野党系候補は、敗北した。政治上の信条を前面に出して、殊更に他との「対立点」を際立たせるような手法は、決して上策とはいえない。小泉純一郎の政治手法は、小泉前総理であるからこそ、取り得た手法であった。他の人間が真似すべきものではないのである。


  □ 「政治家」と「予言者」
 安倍晋三(内閣総理大臣)の最初の一ヵ月の執政は、各方面に意外な印象を与えている。安倍は、就任直後に、「村山談話」の踏襲を表明し、対中歴史認識摩擦の再燃の芽を摘んだ。また、安倍は、政策看板の一つである「教育再生会議」の発足に際しても、その布陣に多様な人材を取り込んだ。こうした安倍の執政における「保守色」の抑制は、確かに「豹変」と評されてもよいであろう.安倍の「豹変」は、その「保守色」に懸念を示した層と期待を寄せた層には、それぞれ安堵と落胆の感情を漂わせているようである。
 筆者は、この一ヵ月における安倍の「豹変」を大いに歓迎する。というのも、安倍の「豹変」にこそ、「政治とは何か」という問いに対する根源的な答えが含まれているからである。政治家の「豹変」の最も劇的な事例は、シャルル・ド・ゴールの軌跡である。
 ド・ゴールが第四共和政下の首相として国政に復帰した折、フランスが直面した難題は、仏領アルジェリア植民地における独立の動きへの対処であった。十九世紀初頭以降、フランス人は、続々とアルジェリアに移り、第二次世界大戦前後には総勢百万名を超えていた。「コロン」と呼ばれたフランス人移民は、「フランス人のアルジェリア」を叫び、戦後のアルジェリア独立の動きに抵抗した。ド・ゴールは、第四共和制下フランス政府からは「コロン」を含む右派勢力を懐柔することを期待され、右派勢力からはアルジェリア独立の動きを阻止することを期待されたのである。結局、ド・ゴールは、第五共和制を樹立させ、大統領権限を掌握した後には、アルジェリア独立に向けて歩みを進めた。ド・ゴールの「豹変」は、「コロン」と軍部が結び付いた右派勢力の憤激を招き、右派勢力によるフランス国内やアルジェリアでの破壊活動や騒乱を激化させた他に、ド・ゴールもまた、幾度も暗殺の対象となった。ド・ゴールは、こうした右派勢力の抵抗を第五共和制下の大統領の「独裁」権限に拠って封じ込める一方、ラジオやテレビを通じて一般国民に団結を説き、アルジェリア独立に持ち込んだのである。
 ド・ゴールの政治家としての卓越性は、アジア・アフリカにおける植民地独立の流れを見誤ることなく、植民地経営からの「撤退戦」を闘い抜いたことである。政治家にとって最も難しいのは、自らを熱烈に支持する層の利害や期待に背く政策を断行することであるけれども、ド・ゴールは、アルジェリアからの「撤退戦」のために、その難行を潜り抜けたのである。
 そして、一九七〇年十一月、ド・ゴールが逝去した折、世界各国から国葬に参列した群像の中には、ヘンリー・A・キッシンジャー(当時、国家安全保障担当米国大統領補佐官)の姿があった。キッシンジャーが大統領の幕僚に過ぎぬ身分での参列を望んだことの背景には、「米国では最もド・ゴールを理解し、尊敬しさえした」というキッシンジャーの自負と憧憬が、反映されていたと伝えられる。キッシンジャーもまた、処女著作『復興された世界』の中で、「政治家」(statesman)と「予言者」(prophet)という二つの類型を示し、自ら「政治家」の系譜に位置付けたクレメンス・メッテルニヒ、そしてその衣鉢を継いだオットー・フォン・ヒスマルクやド・ゴールに対する共感を隠さなかった。キッシンジャーによれば、「政治家」は、「現実を創り出す」ことに関心を向ける「予言者」とは対照的に、「現実を操作する」ことを職分とする。「予言者」は、自らのヴィジョンを最も重視する故に「何ができるか」よりも「何をすべきか」を問うのに対して、「政治家」は、善意や希望が挫折する可能性を常に念頭に置き、最悪事態に備えようとする。現在の日本には、「左」にも「右」にも「予言者」がいるのではなかろうか。安倍の「保守色」に期待を寄せた層というのも、その大勢は、「現実の操作」という政治の営みとは相容れない「予言者」なのではないか。
 「フランスの偉大さ」を追い求めたド・ゴールが依拠したのは、自らを熱烈に支持した層の利害ではなく、フランス全国民の利害であった。安倍の執政においても、そのことの意味は参考とされるべきであろう。
『月刊自由民主』(2006年12月号)

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Comments

ド・ゴールというと、どうしても先生の一ヶ月前ほどの
エントリーを思い出してしまいます。我が国の
国防のあり方についてじっくりと腰をすえて議論する
必要性を感じます。その意味で軽薄な核武装議論も、
それに対する感情的な拒絶反応にも、魅力を感じ
られません。
でも、この国は空気で動く部分があるだけに、先行
きに注意をしておく必要性も感じます。

Posted by: おおみや%バイト君 | November 22, 2006 at 08:45 PM

雪斎様
もしかして「永井教授の論文に依拠する」を口実に、prophetという言葉と訳語の「預言者」と占い師の意味の「予言者」という言葉を、あえて混在させて使っていませんか?

Posted by: KU | November 23, 2006 at 09:28 AM

おおみや殿
過去の傑物の足跡に倣うという態度で議論に臨めば、それなりの重みがでると思いますけれども、思いつきの議論が多すぎるとおもうのですよ。

KU殿
アイザック・ドイッチャーの業績には、『武装せる予言者 The prophet armed』(1954年)、『武力なき予言者 The prophet unarmed』(1959年)、『追放された予言者The prophet outcast』(1963年)のトロツキー伝三部作があります。どの作品も、prophet には「予言者」の訳語が与えられています。

Posted by: 雪斎 | November 23, 2006 at 09:52 AM

殆どの翻訳が「予言者」で済ませているのは、「神の言葉(命令)を預かる者が現れる」という文化のない故の我々日本人の野放図さなんだと思います。

Posted by: KU | November 23, 2006 at 11:45 PM

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