« 嗚呼、「核」論議 | Main | 「教育再生」にまつわる話 »

November 02, 2006

読売論稿/ 「北」の核 〝フクロウ〟の知恵

■ 昨日、『読売新聞』に、「『北」の核 〝フクロウ〟の知恵」と題した原稿を載せた。1400字程度の紙幅の中で、「タカ派」、「ハト派」、「フクロウ派」の三類型の説明をするのは、ちょっとばかり悩ましい作業であった。
 日本では、「フクロウ派」という立場はj認知されていないので、雪斎としては、この「フクロウ派」という立場が認知されるように、努力したいとおもう。
 そういえば、中川(女)秀直幹事長が、九月の総裁選挙直前に次jのような発言をしている。
 

□ 中川政調会長、「古い」「軟弱」とアジア重視派を批判
 自民党の中川秀直政調会長は24日、那覇市内で講演し、アジア外交について「日本のリーダーの一部は、『日本は兄貴分だから、弟分の周辺国に譲ってやれ』という古い感覚のまま将来に向かおうとしている。最悪のシナリオは、古いアジア重視派が古い感覚のまま周辺国に譲歩し誤解を与えることだ」と語り、小泉首相の靖国神社参拝を批判する谷垣財務相や加藤紘一元幹事長らのグループを牽制(けんせい)した。
 中川氏は「今後のリーダーは排他的なタカ派でもなく、軟弱なハト派でもない、その中間のワシ派が求められている。日中関係を政局に利用しようとしている人々も少し冷静になって分析していただきたい」と訴えた。
    『朝日新聞』(2006年8月24日)付

 「タカでもハトでもない」立場が要請されているのは、第一線の政治家にも理解されている。中川幹事長の発言は、そのことを示している。ただし、「タカでもハトでもない」立場がどのように呼ばれるかということの合意は、まだできあがっていない。「タカ」(hawks)と「ハト」(doves)に対するものが「ワシ」(eagles)というのは、どうも合点が行かない。「タカ」と「ワシ」の区別が、よく判らない。やはり、「フクロウ}(owls)とすべきであろうと思う。

  □ 「北」の核 〝フクロウ〟の知恵
 北朝鮮の「核」は、日本の安全保障に対しては、「観念上の脅威」ではなく「現実の脅威」を浮上させている。北朝鮮「核」危機への対応は、一九六二年十月のキューバ危機の際の米国の対応と似たものになるであろう。キューバ危機の折に、米国政府が「庭先」の脅威に相対したように、現在の日本もまた、朝鮮半島という「庭先」の脅威に向き合っているのである。
一九八〇年代半ば、 ジョセフ・S・ナイ(国際政治学者)は、他の学者との共同論文の中でキューバ危機当時の米国政府要人の立場を「タカ派」、「ハト派」、「フクロウ派」の三つに分類した。M・D・テーラー統合参謀本部議長に代表される「タカ派」とA・E・スティーブンソン国連大使のような「ハト派」は、それぞれ「キューバ・ミサイル基地に対する直接攻撃」と「外交交渉によるミサイル撤去」を唱えたのに対して、R・S・マクナマラ国防長官を中心とした「フクロウ派」は、情勢の変化に応じて政策の柔軟性を確保することを優先し、「キューバの海上封鎖」を模索した。そして、様々な議論の結果として、J・F・ケネディ大統領は、「海上封鎖」を選択したのである。
 ところで、この「フクロウ派」という発想は、日本では余り定着していない。日本における安全保障論議は、従来は「タカ派」と「ハト派」の二項対立の図式の中に膠着し、誠に観念的な様相を呈していた。しかも、「タカ派」と「ハト派」の議論は、本来は国際政治認識のスタイルを表すものに過ぎないにもかかわらず、冷戦期の「保守」や「革新」といった党派対立に巻き込まれた結果、互いに響き合わない感情的な言葉の遣り取りに終始していた。そうした観念的にして感情的な議論の応酬は、本来は「可能性の芸術」である政治の場において、たとえば自衛隊イラク派遣や集団的自衛権行使に絡む議論の折に、様々な政策上の可能性が冷静に検討されるのを妨げてきたのである。「フクロウ派」には、たとえば「中道」という言葉に醸し出される折衷主義的な意味合いはない。「タカ派」と「ハト派」は、様々な事態を前にして「明快な処方箋」を示そうとする余りに往々にして極論に走る傾向を帯びるという点では、実は互いに似た性格を持つ。けれども、「フクロウ派」は、現実の国際情勢が「明快な処方箋」で相対するには複雑なものであることを知る故に、軽率な対応によって事態が「糸が切れた凧」のようなものになるのを懼れ、そうした極論を戒めようとする。様々な対外政策課題を前にして本質的に「待てない」国民世論を相手にして、「フクロウ派」は、「忍耐」を説こうとする。日本においては、こうした「フクロウ派」という立場は、対外政策課題に「明快な処方箋」を求める国民感情には応えるものではなかったかもしれないけれども、「現実の脅威」が浮上した現在、それが認知されることの意義は決して小さくないのである。
 もっとも、ナイは、たとえばイラク戦争に際して自らを「フクロウ派」と位置付けたけれども、「タカ派」、「ハト派」、「フクロウ派」の何れが正しいのかという問いには、他の学者とともに「三つの何れもが正しい」と答えている。重要なことは、「現実の脅威」を前にした「タカ派」、「ハト派」、「フクロウ派」の三者三様の実践的な議論が幅広く行われることである。こうした三者三様の幅広い議論こそが、全体として日本の「抑止力」を担保し、その安全保障に寄与する。北朝鮮の「核」は、日本における広い意味での「論」や「知」の世界にも試練を与えているのである。
   『読売新聞』文化面「論壇」欄(2006年11月1日)掲載

|

« 嗚呼、「核」論議 | Main | 「教育再生」にまつわる話 »

「新聞に寄稿した論稿」カテゴリの記事

Comments

雪斎さま、

中川氏の文章、読んで「ん?」と思って調べてみたら既にアチコチで突っ込まれてましたが、本当に何故タカとハトの中間がワシなのでしょうね。タカとワシは大きさによって区別される同じ仲間ですし、じゃあサイズがタカ>ワシ>ハトかというと逆でワシ>(大体50cm)>タカ>(大体25cm)>ハトですし…。
実は超タカ派になれということ?それとも「ワシは群れず(Eagles Fly Alone)」という諺をもじって孤高を保てということ?ワシを国璽とするアメリカ寄りの立場を取れということ?うーむ…。

Posted by: mitsu | November 02, 2006 at 01:36 AM

タカもワシも猛禽類ですが、フクロウも実は猛禽類なのです。
ですから、現実的という点では、フクロウはハトよりもタカに
近いのかも知れません。
少し前まで、フクロウはハトからタカ呼ばわりされていた事も
思い起こされます。

Posted by: ysaki | November 02, 2006 at 12:08 PM

タカとハトの中間ということで言えば、カラスでしょうね。カラスは雑食で、ハトを襲う存在ですが、タカからは襲われる存在です。
しかしタカからは襲われるだけの存在ではなく集団で反撃し撃退することもします。加えて頭の良さは鳥類随一ということからすると、日本の目指すべきはカラスということになります。
しかしカラスというやつ、このての例え話にはイメージが悪すぎるという問題があります。それでも他人の目を気にして右顧左眄しがちな日本人の性癖からの決別を願ってあえてカラスというのもいいかも知れません。

Posted by: パブドック | November 02, 2006 at 09:22 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71618/12518036

Listed below are links to weblogs that reference 読売論稿/ 「北」の核 〝フクロウ〟の知恵:

« 嗚呼、「核」論議 | Main | 「教育再生」にまつわる話 »