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October 04, 2006

折々の言の葉14 陸羯南

■ 「住人なきの屋は廃屋なり、住屋なきの人は漂人なり。漂人はその生を保つべからず、廃屋はその用をなすべからず」。
   ―陸羯南著『近時政論考』
 これは、明治言論界の巨峰であり、新聞『日本』を舞台に活躍した陸羯南の言葉である。この陸の言葉は、「住人」と「住屋」の比喩を用いて、「個人の自由」と「国家の権威」の関係の有り様を示している。「住人」は「個人の自由」であり、「住屋」は「国家の権威」である。

 陸によれば、「個人の自由」と呼ばれるものもまた、具体的には「国家の権威」によって保障されるものであるけれども、「国家の権威」が「個人の自由」を侵すことは、極力、避けられなければならない。陸は、「国家の権威」と「個人の自由」の間には、抜き差しならぬ緊張関係があることを承知していた。そして、陸は、『』近時政論考』z書中、「吾輩は国家権威の下における個人自由をもって真の自由と信ずるものなり」と続けた上で、「自由主義は個人の自由を伸長するにあり、国家権威の区域を減縮するにあり。しかれども社会の秩序および個人の権利を保持するに要用なる権威は自由主義もとよりこれを存立せしめんことを望むべし」と書いている。
 陸が主宰した新聞「日本』には、三宅雪嶺、志賀重昂、長谷川如是閑といった人材が集った。陸の論調は、明治政府主導の西洋化を批判し、日本の「伝統」を擁護するものであった故に、「国民主義」と呼ばれている。また、藩閥政治や官僚制度への激しい批判でも知られていた。しかし、陸の「国民主義」は、自由主義的な色彩の濃いものであった。陸の「国民主義」の自由主義的な部分を継いだのが長谷川如是閑であり、そのナショナリスティックな部分を継いだのが三宅や志賀だったということになるのあろう。昭和初期までのオールド・リベラリストは、陸のl影響下にあるとされている。
 もっとも、「国家権威の下における個人自由」を唱えた陸は、「国家権威を越えたところにある個人自由」を想定する天賦人権論は理解しなかったし、容認もしなかった。戦後の日本では、「個人の自由」とは、「国家権威の下における個人自由」ではなく、「国家権威を越えたところにある個人自由」のことである。「国家権威を越えたところにある個人自由」を強調する立場からすれば、「国家の権威」をどんなに貶めようとも、「個人の自由」は成立するのである。
 なるほど、オールド・リベラリストが退場するわけである。戦前期の反省から、「個人の自由」を尊重するために「国家の権威」を抑制的に観ようとしたオールド・リベラリストの言論は、何時しか「国家の権威」それ自体を否定するかのような「左翼・進歩主義者」の言論によって、取って代わられた。「左翼・進歩主義者」の牙城であるかのように見られている雑誌『世界』や朝日新聞のようなメディアもまた、昭和二十年代位のものは、かなり幅があるのである。
 皇室制度を尊重し、日の丸・君が代を尊重しつつ、「個人の自由」を擁護するというスタイルは、オールド・リベラリストにあっては当然至極のものであった思われるけれども、そうしたことは、今ではきちんと伝えられていないのである。先日の「日の丸・君が代」判決で浮上したのは、「国家権威」を何とかして軽視したい人々とそれを過度に強調する人々のせめぎ合いである。雪斎が「どうでもいい」と書いたのは、間違いではなかった。
 雪斎が復活させたいのは、陸を原点とし長谷川が受け継いだような「オールド・リベラリストの魂」である。そのためにも、「国家権威を越えたところにある個人自由」を強調する人々と「国家の権威」それ自体を強調する人々の両方に対峙しなければならない。「左」、「右」に対する「中道」というのには表現しきれない険しさが、そこにはある。

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「折々の言の葉」カテゴリの記事

Comments

こんにちは。私は雪斎さんよりちょっと年上の、二十数年間、エリオットとの出会いをきっかけに「保守」に目覚めた自営業者です。
保守「回帰」ではありません。エリオットは保守を標榜する一方で「荒地」という当時最先端のアバンギャルドな詩を書いていた。エリオットにおいては自然に融合していた保守と前衛のせめぎ合いにこそ「自由」の本義があると信ずるからです。今日の「言の葉」に、なんとなくそんなことを思い出しました。
今、清沢洌読んでます。恥ずかしながら、読むのはこの年で初めてです。まさに今日読み返されるべき人ですね(所謂左翼のいう意味でなく)。雪斎さんのおかげです。どうもありがとう。

Posted by: かろかろ | October 04, 2006 at 09:05 AM

>「国家権威の下における個人自由」
このことを忘れている人が多すぎますよね・・

Posted by: SAKAKI | October 04, 2006 at 09:25 AM

>「国家権威の下における個人自由」
国家権威を否定したがる人に限って、個人自由の乏しい国家に傾倒するのは滑稽に思います。若い人が権威に反発する事がカッコイイと思ってしまう背景もそのような人たちでしょうし。

Posted by: TIG | October 04, 2006 at 10:15 AM

>雪斎が復活させたいのは、陸を原点とし長谷川が受け継いだような「オールド・リベラリストの魂」である。

だとすれば、貴方は「極普通に卒業式を行いたい」とする都の立場にたつべきではないでしょうか? 卒業式の壇上に国旗が掲げられ、国家斉唱する事が「過剰に国家の権威を協調する」なのでしょうか? オールドリベラリストは首是しないと思いますよ。

「くだらない」は逃げのお言葉だと評価せざるを得ません。

Posted by: ぺパロニ | October 04, 2006 at 12:21 PM

雪斎さんが「どうでもいい」と言ったのは、
一つに、雪斎さんがどちらにも与すべき立場にないから。
もう一つに所詮「礼儀の問題」であるから。この2点からではないかと思います。
オールド・リベラリストたる立場からは、日の丸・君が代の問題は当然“争点”ではないのです。そしてそれらの争いは所詮“礼儀”の範疇のものでしかない。ですからこんなことで大騒ぎすることの奇異を感じるということではないでしょうか。
しかもそれが教育の現場でなされているというお粗末。
やはり「くだらない」という言葉が適当かと思います。

Posted by: せきお | October 05, 2006 at 01:43 AM

・かろかろ殿
清沢洌を読んでおられるのは、いいことだと思います。
・SAKAKI殿
御意。
・TIG殿
今の右傾化というのも、「朝日新聞」既成秩序に対する「造反」という色合もありますね。
・ペパロニ殿
教員側には同情しませんが、それにしても、このネタは「くだらない」という他はないとおもいます。
・せきお殿
ご賢察の通りです。

Posted by: 雪斎 | October 05, 2006 at 02:06 AM

「オールド・リベラリストの魂」の復活。
偉大な志だと思います。

Posted by: 西田瓜太郎 | October 06, 2006 at 12:45 AM

「国家権威の下における個人自由」を考えることと、天賦人権論の当否を論じることは、議論のレベルが違うのではないでしょうか。前者は、国家と個人の存在を所与として、両者の関係を問うているのに対し、後者は、人権の成り立ちそのものを問う、いわば人権の形而上学であると考えるからです(国家の形而上学としては、例えば、社会契約論などを考えれば良いでしょう)。もちろん、天賦人権論を拒否したからといって個人自由を否定することにはなりませんが、その場合には、天賦人権論に代わる人権の形而上学を用意するか、あるいは、人権の形而上学的基礎付け自体を否定して、“常識”や“経験”に基づくのだと述べるに止めておくことも可能なのかも知れません。私見では、“常識”や“経験”に基づく議論は分かり易く柔軟という強みがある一方、社会状況や歴史背景などが暗黙のうちに前提に混入され易いという弱みがあるように思っています。

もう一点。本来、天賦人権論は、“神が人権を与えた”という意味で、信仰や神学の一部をなしており、宗教的なモラルが伴っていたはずです。けれども、政治思想の世俗化にしたがって、信仰や神学から独立した人権を想定するに至って、“何者にも拘束されない人権”=人権原理主義という怪物が育ってしまいました。現在の人権原理主義は、思想としては、脆弱かつ危険だと感じています。

Posted by: 木星人 | October 06, 2006 at 12:54 AM

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