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October 29, 2006

原稿を書く日々…。

■ この数日、原稿が溜まっていた。三編を片付けた。
 ① 『産経新聞』「正論」欄原稿 来週月曜日掲載予定
 ② 『読売新聞』文化面原稿   来週水曜日掲載予定
 ③ 『中央公論』「政治学者の永田町暮らし」欄原稿 来月10日発売予定
 しかし、あと三編が残っている、おいおい…と思う。

 下掲の原稿は、『月刊自由民主』に寄せたものである。雪斎テイスト充満の原稿である。特に最後の段落は、そうであろう。皮肉が強すぎたかな。

□ 安倍晋三内閣発足に寄せて― 「常識」の統治と「理念」の統治
 安倍晋三(内閣総理大臣)の執政が始動した。内閣発足直後に行われた報道各社の世論調査の結果は、安倍内閣の船出に六〇パーセントを超える支持率が与えられていることを示している。安倍内閣の滑り出しは上々と評すべきであろう。
 もっとも、安倍の執政と小泉純一郎(前内閣総理大臣)の執政の始動は、高い支持率に祝われたという点では共通しているかもしれないけれども、かなり様相を異にしている。小泉内閣発足の折に日本列島を包み込んだ「熱狂の風景」は、現時点では再現されてない。安倍の「保守色」は、それを受け止める人々によって期待と懸念の双方の極端に割れた感情を呼び起こしているけれども、御祝儀にせよ高い支持率を安倍に与えた一般国民の大勢が期待しているのは、安倍における「保守色」ではなく小泉の後任宰相としての「具体的な仕事」である。というのも、たとえば佐藤栄作における沖縄返還実現、中曽根康弘における国鉄・電電公社民営化の断行、小泉における郵政民営化の断行といったように、宰相の業績は、その「具体的な仕事」の中身によって語られるからである。
 ところで、『長谷川如是閑評論集』(岩波文庫)に収録されている論稿「明治を思う」には、次のような誠に印象的な記述がある。
 「そこで私が『明治にかえれ』というと、何でもいいから、『アングロ・サクソン系に還れ』というのと同じことになる。…イデオロギーに立った大正・昭和人の、観念的に排他的なのとは違って、そのように実践的に包容的なのが、アングロ・サクソン流なのである。…『明治に還れ』を思想の面からいうと、『哲学』否定のアングロ・サクソン哲学にかえれということになるが、それは明治どころではない、祖先以来の実践的ポジティヴィズムに返るということで、つまり本来の自分に返るのだから、ちっともむずかしいことではない」。
 長谷川は、アングロ・サクソン系の「『哲学』否定の哲学」が、明治以前からの日本の「伝統」に合致すると指摘した。長谷川は、明治、大正、昭和の三代に渉って活躍したジャーナリストであるけれども、江戸以来の「職人」の世界に強い愛着を示し、観念主義に走る向きには批判的な眼差しを向けていた。確かに、「職人」の世界ならば、「いいモノ」を造ったかどうかが総ての価値基準であり、「頭でっかちの理屈をこね回す」姿勢は嫌われる。我が国の国民の大勢は、その様相の違いはあれ、「職人」の世界に身を置く人々なのである。
 それ故,安倍晋三内閣発足に際して、筆者は、「イデオロギー・フリー」の統治を説いた。「イデオロギー・フリー」の統治とは、前に触れた長谷川如是閑の言葉を借りれば、「観念的に排他的なのとは違って、実践的に包容的な」統治である。さらにいえば、それは、「理念」ではなく「常識」に拠った統治である。
 安倍の統治における政策上の看板の一つは、教育である。ただし、教育のように人々の価値観が絡む政策課題においてこそ、その「実践的に包容的な」手法が要請される。特に義務教育段階で要請されるのは、主として「読み・書き・算盤」と「礼儀作法」の伝授と体得という極めて地味な営みでしかない。安倍の標榜する「教育再生」の概念の下で何かを手掛けるにしても、その具体的な中身は、その地味な営みをいかにして適切に進めるかというものでしかない。教育の枠組では、大仰な政策展開は必要とされていない。
 加えて、教育の枠組で、どれだけの人材を養成しようとも、その人材に活躍の機会が提供されなければ、その人材養成の目的は貫徹されない。そのためにも、小泉内閣下の「経済復調」の流れを逆転させないことが、安倍にとっての最たる政策課題になるであろう。大田弘子(内閣府特命担当大臣)の起用は、小泉と竹中平蔵(前総務大臣)が主導した「構造改革」路線の継続を示している。「構造改革」は、一般的な印象とは異なり、「観念的に排他的な」手法を最も嫌う政策路線である。「経済」に絡む政策の巧拙は、客観的な各種指標によって判断される。それは、淡々とした作業のみが求められる政策領域なのである。
 安倍の「保守色」に期待する層の中には、「安倍内閣は保守の精神を忘れれば、短命に終わる」と指摘する向きがあるけれども、筆者は、実際には「安倍内閣は保守の精神に拘り、それに囚われれば、短命に終わる」と考えている。政治が「可能性の芸術」であるということの意味は、忘れ去られてはならない。
『月刊自由民主』(二〇〇六年十一月号)掲載

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Comments

雪斎さん

こんばんは

お仕事が忙しいのは、何よりです。ただ、体調には、御気をつけください。

>安倍の「保守色」に期待する層の中には、「安倍内閣は保守の精神を忘れれば、短命に終わる」と指摘する向きがあるけれども、筆者は、実際には「安倍内閣は保守の精神に拘り、それに囚われれば、短命に終わる」と考えている

雪斎テイスト、この辺りでしょうか。

御説の通り、宰相とは、具体的な仕事の中身で、判断されるべきで、自己満足的なイデオロギーに邪魔をされてはいけませんね。

どれだけ、保守にせよ、リベラルにせよ、イデオロギーを排除して、淡々と実務をこなせるか。

ここが安倍政権のコアでしょうか

Posted by: あいけんべりー | October 29, 2006 at 10:16 PM

・あいけんべりー殿
多謝。

Posted by: 雪斎 | October 30, 2006 at 12:24 PM

雪斎さん、

『読売新聞』文化面の「『北』の核 フクロウの知恵」を読みまして、雪斎さんの存在を知りまして、このブログまでたどってまいりました。小生は右翼・左翼的傾向でもなく、さりとて中道的傾向でもないと常々思ってまいりましたが、雪斎さんの「『北』の核 フクロウの知恵」での「フクロウ派」という記述を見て、なるほどと腑に落ちた次第です。

「『タカ派』と『ハト派』は、様々な事態を前にして『明快な処方箋』を示そうとする余りに往々にして極論に走る傾向を帯びる」など、常々左翼、右翼、善意、悪意などの極論派(?)のことを考えていた小生には、ピタリとはまる言葉でありました。

ひとつ、腑に落ちないのは、「庭先」の脅威ということで、キューバ危機と今回の北朝鮮の核保持を「似る」と表現されておられます。しかしながら、地理的な「庭先」という距離感での近似と、周辺の政治状況での相違がありますので、実際には、「フクロウの知恵」を書かれたい余りに、キューバ危機と北朝鮮危機の近似を使われたのかな、と愚考致しました。

-ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ-
by ヘーゲル

Posted by: FRANK LLOYD | November 01, 2006 at 04:06 PM

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