« September 2006 | Main | November 2006 »

October 31, 2006

嗚呼、「核」論議

■ 昨日、『産経新聞』「正論」欄に、「核論議における『無粋』と『洗練』 再論」という原稿を載せた。「再論」と断ったのだから、同じ題名の「初論」がある。雪斎は、「正論」欄では幾度も「核」を論じている。
 ① 核論議における「成熟」と「未熟」  1999年10月26日
 ② 「核」論議における「洗練」と「無粋」  2002年6月5日
 ③ 「核」論議における「洗練」と「無粋」 再論
 産経新聞のサイトには、既に「再論」の、全文が掲載されている。

Continue reading "嗚呼、「核」論議"

| | Comments (4) | TrackBack (1)

October 30, 2006

「政治家」と「予言者」

■ ヘンリー・A・キッシンジャーは、処女著作『復興された世界』の中で、「政治家」(statesman)と「予言者」(prophet)という二つの類型を示した。
 キッシンジャーによれば、「政治家」は、「現実を創り出す」ことに関心を向ける「予言者」とは対照的に、「現実を操作する」ことを職分とする。
 「予言者」は、自らのヴィジョンを最も重視する故に「何ができるか」よりも「何をすべきか」を問う。それ故に、「予言者」は、「政治家よりも人間に対して不寛容になる」のである。
 それに対して、「政治家」は、善意や希望が挫折する可能性を常に念頭に置き、最悪事態に備えようとする。「政治家」にとって、第一の大義は、「生き延びる」ということなのである。
 キッシンジャーは、「政治家」の事例としてクレメンス・メッテルニヒやロバート・スチュアート・カッスルリーを挙げ、「予言者」の事例としてナポレオンやアレクサンドル1世を挙げている。そして、キッシンジャーは、「政治家」の衣鉢を継いだオットー・フォン・ヒスマルクやシャルル・ド・ゴールに対する共感を隠さなかったのである。
 今、論壇の世界では、色々な議論があるけれども、その根本的な対立構図は、「右」と「左」でもなければ「保守」と「革新」でもなく、「政治家」と「予言者」の対立構図なのであろうと思う。昔は、「左」の「予言者」が幅を利かせていたけれども、今では、「右」の「予言者」が多くなっている。「政治家」は、左右の「予言者」に挟撃されながら、必死に「最悪事態」に備えているのである。
 こういう議論は、国際政治畑の学者の中では「常識」だと思うけれども、中々、世間一般には認知されない。政治学者の仕事は、山積している。

| | Comments (7) | TrackBack (0)

October 29, 2006

原稿を書く日々…。

■ この数日、原稿が溜まっていた。三編を片付けた。
 ① 『産経新聞』「正論」欄原稿 来週月曜日掲載予定
 ② 『読売新聞』文化面原稿   来週水曜日掲載予定
 ③ 『中央公論』「政治学者の永田町暮らし」欄原稿 来月10日発売予定
 しかし、あと三編が残っている、おいおい…と思う。

Continue reading "原稿を書く日々…。"

| | Comments (3) | TrackBack (1)

October 26, 2006

おお、札幌の日々よ。

■ 昨日、ファイターズ―ドラゴンズ戦を観る。日本のプロ野球を観なくなった雪斎であるけれども、此度の日本シリーズだけは観ている。無論、、ファイターズ応援のためである。
 雪斎が札幌在住五年の歳月を過ごした頃、札幌に球団が招致され、しかもその球団が頂点に立つかもしれないなどとは夢想だにしなかった。しかし、今や、それが現実になろうとしている。
 ところで、最近、『セーラー服と機関銃』をネタにエントリーを書いた。旧作は、相米慎二監督作品であるけれども、相米監督作品の中でも不思議な一作に、『雪の断章―情熱』というのがある。これは、斎藤由貴さんが主演の映画であった。原作は、佐々木丸美さんである。この作品は、札幌が舞台になっている作品である。雪斎は、札幌に乗り込んだ前後に、この映画を観た記憶がある。斎藤由貴さんの歌った主題歌「情熱」の一節は、かなり耳に残っている。

さよならねって言い出したのは
私のほうが先だったのに
動き出す汽車 最後の握手
まだほどけない 放せない
情熱 情熱 愛が燃えてる

 「雪」と「情熱」は、北海道という土地柄を最もストレートに表した言葉である。あれだけの「厳しい空間」で生きていこうと思えば、それなりの「熱」が要る。
 因みに、北海道帝国大学予科明治四十五年寮歌「都ぞ弥生」の歌詞も、その「雪」と「情熱」の風景を描き出している。


寒月懸(かか)れる針葉樹林 橇の音(ね)凍りて物皆寒く
野もせに乱るる清白の雪 沈黙(しじま)の暁霏々(ひひ)として舞ふ
ああその朔風飄々(ひょうひょう)として 荒(すさ)ぶる吹雪の逆巻くを見よ
ああその蒼空(そうくう)梢聯(つら)ねて
樹氷咲く 壮麗の地をここに見よ


朝雲流れて金色(こんじき)に照り 平原果てなき東(ひんがし)の際(きわ)
連なる山脈(やまなみ)冷瓏として 今しも輝く紫紺の雪に
自然の藝術(たくみ)を懐(なつかし)みつつ 高鳴る血潮のほとばしりもて
貴(たふ)とき野心の訓(をし)へ培ひ
栄え行く 我等が寮を誇らずや

 この詞を作った横山芳介は、東京出身であり、卒業後は静岡の地方官として生涯を送った。横山は、この作詞のために一年留年していたと雪斎は記憶する。外から来た人物が、北の大地に足跡を刻み、そして去っていく。ウィリアム・S・クラーク博士以来、北海道には、そうした風景がある。そして、帰米後のクラーク博士が、「札幌の日々が幸福だった」と語ったように、札幌を去った人々にとって、「札幌の日々」は、忘れ難い思い出になる。おそらくは、SHINJOもヒルマン監督も、十数年後には、そうした感慨を抱くことになるのであろう。雪斎も、そうした感慨を抱いている。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

October 24, 2006

自民党の「慢心」はあるか。

■ 一昨日の補選の分析は、色々なところから出ているけれども、雪斎の昨日のエントリーと同様に、民主党の「自滅」説を示す向きがないのは、何故であろうか。
 たとえば、とある報道番組は、此度の結果の要因を二つ挙げていた。
 ① 公明党の組織票
 ② 北朝鮮核実験の影響
 しかし、どちらも決定的な要因ではない。
 ①は、四月の千葉補選で自民党候補が負けた理由を説明できない。四月の千葉補選では、投票率は低く「組織票」がモノをいうはずだったのに、自民党候補は負けているのである。
 ②は、以前の「拉致」表面化の折に比べれば、日本国民は「危機」慣れしている。だから、此度に関する限り北朝鮮ファクターが大きく作用したということはない。
 だとすれば、民主党の「自滅」を考える他はない。
 もっとも、自民党にも、「慢心」の根はある。来夏の参議院選挙を控えてクローズ・アップされてきているのは、郵政造反議員の復党問題である。この問題は、自民党執行部が「組織票」と「無党派票」のどちらを重視するかで判断されるであろう。雪斎は、造反議員の復党を認めることによって、相当部分の「無党派票」が逃げるであろうと読んでいる。故に、雪斎は、造反議員復党には否定的である。世が世なら、造反議員は総て、「関が原」の石田三成、毛利輝元のように、「打ち首」か「領地没収」である。一年ほどで何事もなかったように復党とは、その「政局判断の誤り」に対する報いとしては、甘いというほかはない。
 最近の政治家の風景で最も不愉快であったのは、小沢一郎氏、堀内光雄氏、綿貫民輔氏や平沼赳夫氏の「ゴルフ・ウェア」である。セント・アンドリューズやバーニング・ツリーでのゴルフの風景は、えらい格好良い印象があるけれども、日本でのゴルフの風景というのは、どうして全然、ファッショナブルでないものになってしまうのであろうか。こういうファッショナッブルでない風景を自ら演じてみせる感覚jが解せない。

| | Comments (9) | TrackBack (1)

October 23, 2006

民主党の「自滅」でしょう。これは…。

■ 昨日、衆議院補選投開票が神奈川、大阪で行われる。自民党の二戦二勝である、雪斎は、自民党関係者としては、この結果を歓迎するけれども、政治学者としては複雑な想いを以て眺めなければならない。
 この結果は、自民党の「勝利」ではない。民主党の「自滅」である。民主党が不用意に自分の「魅力」を落としたことの反映である。
 雪斎は、この補選が自民党にとって「劣勢」である聞いていた。「良くて一勝、悪くて二敗」と聞いていたのである。
 おそらくは、風向きを変えたのは、次の三つである。
 1 民主党議員の不倫騒動
 2 民主党議員の「ふざけた質疑」
 3 大将・小沢氏の精彩のなさ
 1は、.あえて論評するまでもない。
 2は、「美しい国を逆さに読むと『憎いし苦痛』」という質疑をやった議員のことである。
 3は、「党首討論」のことである。
 「それ民は賢にして愚、愚にして賢」である。日本人の多くは、「職人」気質を持つ人々であるから、政治家が「職人」として「よい仕事」をしようとしているかは、かなり厳しく判断するのである。現在の民主党は、この意味が判っているのであろうか。「鬼気迫る」形相で政治に取り組んでいる様が、伝わってこない。
 雪斎は、「精神主義」と呼ばれるものは一般に毛嫌いしている。ただし、「よい仕事」をしようという「職人」の内面を支える「精神主義」ならば大いに尊重する。
 話は変わるが、昨日、『モーツァルト交響曲全集』を購入する。カール・ベーム指揮、ベルリンpo のものである。

| | Comments (5) | TrackBack (1)

October 21, 2006

「セーラー服と機関銃」を観てしまった…。

■ 昨晩、リメイク版「セーラー服と機関銃」を観る。現在の年齢になって、こうしたテレビ・ドラマを観るのも、気恥ずかしいものであるけれども、旧作の印象を強く受けた世代の一人としては、「誘惑」には勝てなかったということであろうか。
 ドラマは、どちらかといえばコメディーの要素が強くなっているのであろうか。雪斎の目線は、かっては渡瀬恒彦さんが演じ、今は堤真一さんが演じる「若頭」に近くなっている。それは、そうであろうなと苦笑する、
 ところで、オープニングで歌われた「セーラー服と機関銃」のテーマは、主演の長澤まさみさんが歌ったもののようである。「旧」と「新」の違いを感じさせたのは、このテーマの歌い方だったかもしれない。薬師丸ひろ子さんの歌った「旧」は、どことなくもの憂げな「陰」の雰囲気を漂わせていたのに対して、長澤さんの「新」は、かなり陽気なものである。1981年と2006年との時代の「空気」の差を感じさせる。
 雪斎は、女性ヴォーカリストの歌を聴くのは好きであるけれども、そのヴォーカリストの中には、薬師丸ひろ子さんは間違いなく入る。あらためて、このアルバムを聴いてみる。「透き通った声」である。本当に…。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

October 20, 2006

シャルル・ド・ゴールへの想い

■ 昨日、フランス大使館を訪問する。
  麻布界隈の坂道がやたらにあるところを通って、辿り着く。
  雪斎に何の用かと思えば、「ふーん、そういうことなのね」で納得する。
  出迎えてくれた一等書記官R・P氏と、シャルル・ド・ゴールの政治指導をネタに話をする。
  雪斎は、熱烈な「ド・ゴール憧憬の徒」である。
  ド・ゴールは、日本では、「フランス民族主義者」の権化と見られているけれども、実際には柔軟な現実主義者であった。ド・ゴールは、キューバ危機の折には米国を決然と支持したし、ジョン・F・ケネディにはヴェトナム介入の愚を説いた。ド・ゴールは、自分に期待を掛けた「右派勢力」を裏切るようにして、アルジェリア独立承認に乗り出した。だから、ド・ゴールは、「右派勢力」からは命を狙われ続けた。引退後は、山村にこもり、陸軍准将としてのささやかかな年金だけで余生を過ごした。僅かに残っていた個人資産も、障害者として生まれ夭折した愛娘を記念した財団の運営に充てた。「右派」や「民族主義者」が必ずしも「愛国者」と一致するわけではない。ド・ゴールの生涯に接して、雪斎はそうしたことを思う。
 

Continue reading "シャルル・ド・ゴールへの想い"

| | Comments (10) | TrackBack (0)

October 19, 2006

雑感061019

■ 昨日の党首討論は、ちょっとした虚脱感をさせるものであった。
 小沢代表の姿は、誠に痛々しいものであった。小沢氏が提起した「普通の国」の政策課題が既に小泉内閣下で断行され、安倍総理が継いでいる。政策志向からすれば、小泉・安倍の「構造改革」路線を支持していても、おかしくないはずの小沢氏が、それに「反」を唱えざるを得ない。そこに無理がともなっている。
 「表看板―小泉純一郎」、「裏方―小沢一郎」というコンビが実現できていたら、さぞかし凄まじい「統治」ができていたかもしれないと夢想する。
 若き日に「憧れの君」であった女性が十数年後に場末のキャバレーでホステスをやっているのを目の当たりにする。現在の小沢氏には、そうした風情が漂っている。
 本日午後、フランス大使館に呼ばれて、出向くことになっている。フランス大使館が、雪斎に何の用件であろうか。

| | Comments (9) | TrackBack (0)

October 17, 2006

「セーラー服と機関銃」考

■ 先週、『セーラー服と機関銃』のリメイク版テレビ・ドラマの放送が始まっていたようである。
 旧作が制作されていたのが、1981年だから実に四半世紀前である。
 映画版は、当然、薬師丸ひろ子さんの主演であったけれども、実は同じタイミングでテレビ・ドラマ版が制作されていた。主演が原田知世さんである。 「角川三人娘」の二人が登場である。「カドカワ」が最も勢いを持っていた頃かもしれない。
 ところで、この作品に関しては、ヒロイン、星泉がマシンガンをぶっ放して、「カ・イ・カ・ン」と口にするシーンが余りにも有名なのであるけれども、高校時代に見た時には別の二つのシーンが印象に残った。

Continue reading "「セーラー服と機関銃」考"

| | Comments (3) | TrackBack (0)

October 16, 2006

あなたは「富裕層」になれるのか…という話 

■ とある雑誌に、「あなたは「富裕層」になれるのか―チェック・シート」というのがあった。物の試しに紹介しておこう。

Continue reading "あなたは「富裕層」になれるのか…という話 "

| | Comments (5) | TrackBack (4)

October 13, 2006

「いざなぎ」に並ぶ

■ 昨日の一番のニュースは、これかもしない。「北」はなるようにしかならないわね…。

□ 景気拡大「いざなぎ」に並ぶ・10月の月例経済報告
 大田弘子経済財政担当相は12日夕、10月の月例経済報告を関係閣僚会議に提出した。報告では景気の基調判断を2月からの「回復している」で据え置いた。企業の収益改善、設備投資の増加などを背景に、民需主導の景気回復が続いていると判断した。これで景気拡大期間は57カ月となり、戦後最長の「いざなぎ景気」(1965年10月―70年7月)と並ぶことになる。直近の景気の「谷」は2002年1月だった。
 10月の月例報告では設備投資や個人消費、物価動向などの個別項目について、それぞれ前月からの判断を維持した。もっとも、内閣府では「景気は成熟期にあり、今後の減速リスクには留意する必要がある」とし、生産や個人消費の動向についてはリスク要因も明記した。また、基調判断の対象外の貿易・サービス収支の黒字については、「減少している」から「横ばいとなっている」に表現修正した。〔NQN〕

 

Continue reading "「いざなぎ」に並ぶ"

| | Comments (5) | TrackBack (1)

October 11, 2006

キューバ危機と北朝鮮危機

■ 昨日昼まで、具合が悪かった。大事を取って、自宅で、静養する。。

■ 昨日午後、「週刊プレーボーイ」の関係者から取材が入る。「週刊プレーボーイ」…。懐かしい。二十歳前の頃にだいぶ、「お世話」になった記憶がある。それで、取材の趣旨は、北朝鮮核実験に関する論評である。
 折角だから、「タカ」、「ハト」、「フクロウ」の図式を使って説明しておいた。「週刊プレーボーイ」の読者は、若者であるから、わかりやすいのがいいであろう。
 夕刻、産経新聞千葉総局から取材依頼が入る。
 結構、慌しかった。

Continue reading "キューバ危機と北朝鮮危機"

| | Comments (7) | TrackBack (5)

October 10, 2006

東アジアは燃えているか。

■ 昨日午前、北朝鮮が地下核実験を実行した。別段、驚きはない。
 ただし、今まで、「核」や「ミサイル」のカードを小出しにしてきた北朝鮮政府が、この段階で「核実験」という「最終カード」を切ったことの意味を考えなければならない。今後の情勢の推移によっても、「核放棄」というマイナスのカードしか使えなくなった北朝鮮には、もはや切れるカードは多くない。
 多分、北朝鮮政府に核実験実行を決意させたのは、日中接近という客観情勢の浮上の故であろう。要するに、安倍総理は、今まで実質的に「抵当」に入れていた対中関係を実際に使える道具にした。北朝鮮の「ストーカー行為」の対象は米国であるというのが専らの評であるけれども、此度の地下核実験に関する限り、「中国へのあてつけ」であろう。そして、対中関係を activateさせるためには、歴史認識の案件は実質的に封印した。それは、確かに大事なことである。雪斎の安倍総理への懸念は、相当程度、減殺された。

Continue reading "東アジアは燃えているか。"

| | Comments (10) | TrackBack (3)

October 04, 2006

折々の言の葉14 陸羯南

■ 「住人なきの屋は廃屋なり、住屋なきの人は漂人なり。漂人はその生を保つべからず、廃屋はその用をなすべからず」。
   ―陸羯南著『近時政論考』
 これは、明治言論界の巨峰であり、新聞『日本』を舞台に活躍した陸羯南の言葉である。この陸の言葉は、「住人」と「住屋」の比喩を用いて、「個人の自由」と「国家の権威」の関係の有り様を示している。「住人」は「個人の自由」であり、「住屋」は「国家の権威」である。

Continue reading "折々の言の葉14 陸羯南"

| | Comments (8) | TrackBack (3)

October 02, 2006

折々の言の葉13 長谷川如是閑

■ 『長谷川如是閑評論集』(岩波文庫)を読む。誠に印象的な記述が続く。抜き出してみる。
 「国家は人民をして、国家自体の偏見に盲目的に服従せしむる策を取るよりも、自由に独立の批判を国家に加えることの出来るような人民を有つことが自家の安全のために必要なことなのである。合理的の批判によって国家組織の進化を促すことは、不合理な理想によって国家組織を硬化せしめるよりも、国家を強固にし、安全にする途であって、そうすることが遙か愛国的なのである」。
          ―「国家の進化と愛国的精神」―
 「そこで私が『明治にかえれ』というと、何でもいいから、『アングロ・サクソン系に還れ』というのと同じことになる。…イデオロギーに立った大正・昭和人の、観念的に排他的なのとは違って、そのように実践的に包容的なのが、アングロ・サクソン流なのである。…『明治に還れ』を思想の面からいうと、『哲学』否定のアングロ・サクソン哲学にかえれということになるが、それは明治どころではない、祖先以来の実践的ポジティヴィズムに返るということで、つまり本来の自分に返るのだから、ちっともむずかしいことではない」。
          ―「明治を思う」―

Continue reading "折々の言の葉13 長谷川如是閑"

| | Comments (3) | TrackBack (0)

« September 2006 | Main | November 2006 »