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October 19, 2006

雑感061019

■ 昨日の党首討論は、ちょっとした虚脱感をさせるものであった。
 小沢代表の姿は、誠に痛々しいものであった。小沢氏が提起した「普通の国」の政策課題が既に小泉内閣下で断行され、安倍総理が継いでいる。政策志向からすれば、小泉・安倍の「構造改革」路線を支持していても、おかしくないはずの小沢氏が、それに「反」を唱えざるを得ない。そこに無理がともなっている。
 「表看板―小泉純一郎」、「裏方―小沢一郎」というコンビが実現できていたら、さぞかし凄まじい「統治」ができていたかもしれないと夢想する。
 若き日に「憧れの君」であった女性が十数年後に場末のキャバレーでホステスをやっているのを目の当たりにする。現在の小沢氏には、そうした風情が漂っている。
 本日午後、フランス大使館に呼ばれて、出向くことになっている。フランス大使館が、雪斎に何の用件であろうか。

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「永田町の話」カテゴリの記事

Comments

小沢氏は、1990年代前半が一番、輝いていました。
輝きがきらめくほどだっただけに、現在の姿を見ると、
時代の流れの移ろいやすさを感じます。

それにしても、「場末のキャバレー」と「フランス大使館」。
雪斎先生はやはり「非道」なのでしょうか?

Posted by: Hache | October 19, 2006 at 08:58 AM

場末のキャバレー…
小沢氏に対して感じていたなんともいえないやるせない感情が腑に落ちました。
私は、「チー坊」を知る者にとっての現在の杉田かおる。を連想してしまいました。

Posted by: 波導 | October 19, 2006 at 10:37 AM

今から考えると、もし小沢氏が自民党を割っていなかったら、橋本元総理の役割を小沢氏が担うことになっていたのかもしれませんね。小沢総理は制度改革では功があったけど、経済政策を誤って大不況を招き寄せていた、というのは皮肉に過ぎる見方でしょうか?w

Posted by: Baatarism | October 19, 2006 at 10:57 AM

それにしても、いつまで鳩・菅・小沢でやっていくんでしょうね。
自民がベテランから若手まで抱える大手芸能プロなら、民主は人気凋落した演歌歌手がいまだに看板を張っているプロダクションみたいなものでしょうか。しかも手塩にかけて育ててきた新人アイドルはスキャンダルで干されている…。
前原氏失脚の後、若い世代はすっかり影が薄くなってしまいました。
自民党の肩を持つわけではありませんが、「安倍が倒れても、あいつがいる、あ、あの人もいけそうだ」なんて話になるでしょうが、民主の場合、ポスト小沢の影すら感じられないのは、寂しいものです。

Posted by: talleyrand | October 19, 2006 at 01:52 PM

小沢代表ゆえに、御説の通り、対立軸が見えにくい。これは、小沢代表に限らず、民主党一般に言えることでしょうか。

批判と言っても、たいした批判では、なかったし、オルタナティブを提示するわけでもなく。

得てして、日米関係の強化に反対する知識人からも、そのオルタナティブは聞こえてきませんが。。。

Posted by: あいけんべりー | October 19, 2006 at 08:45 PM

小沢さんがこのスタンスで自民党に反対するというのも不思議な構図ですよね・・・。前原さん、周辺事態認定しなさいと言ってましたけど、党割れるのかしら?(笑)

Posted by: やじゅん | October 20, 2006 at 12:31 AM

こんなテイタラクでも、マスコミが揚げ足も取らなければ正面切って批判もしないのは、民主党が「野党第一党」という、期待値だけで存在できる「自称・政権準備党」(でしたっけ)だからですね。
敵の足だけ引っ張っていればメシが食えるのは、気楽で良いですね。
もっともそれ以外に何が出来るのか、良く判りませんけど。

Posted by: るびい | October 20, 2006 at 07:01 AM

Hache殿
拙者は「華やかさ」と「うらぶれた世界」の両方が好きなのですな。
波導殿
輝かしい時代が余りにも早く来過ぎると、きついかもしれません。
何時も変わっていないと駄目なのでしょう。
Baatarism殿
どうなんでしょう。
Talleyrand殿
民主党は「前原」に依ってしか建てなおせないと思います。
あいけんべりー殿
民主党にしてみれば、「政策」を乗っ取られたわけですから、やりにくかったと思います。
やじゅん殿
こうしたところに明確なものを打ち出せないところに、小沢氏の「今」の辛さがあるのでしょうね。
るびい殿
メディアの責任も大きいと思いますよ。

Posted by: 雪斎 | October 20, 2006 at 04:12 PM

宮城県の方ならご存知だと思いますが、小沢氏はもともと公共工事に癒着した利権配分型の政治家でした。。
「普通の国」論をぶちあげて新自由主義の先鞭をつけたときですら、実際には公共工事を餌に地元建設業者を支配し支持を集めていました。
そのため1990年後半公共工事の縮小で建設業が傾くと、地元では小沢氏の支持団体が崩壊し、もし民主党に合流していなければ小沢氏は選挙に落選して突然政治生命を絶たれていたかもしれない程追い詰められていました。(実際に選挙直前なのに運動員が全くいないと言う状態でした。)
全国的にはサッチャリズムの模倣を唱えていた小沢氏でしたが、結局サッチャリズム的な緊縮財政が自分の首をしめていたのです。
それが、民主党合流とその後のヨーロッパ訪問でサッチャリズムの弊害とポスト新自由主義の必要性に自覚するようになり、かえって小沢氏の政治生命は延びたと言えます。
新自由主義は主義でも政策でもない単なるめちゃくちゃであることは今や明らかです。もし小沢氏が新自由主義の旗手として政権をとっていたら、後世、日本を破壊した政治家の筆頭にあげられてしまっていたでしょう。
かつての小沢氏に代わって小泉・竹中両氏が新自由主義を推し進めたため、今ではむしろ新自由主義を打破する者として小沢氏への期待が大きくなっていると言えます。公式サイトへの支持者の投稿もほとんどが新自由主義の是正を求めるものです。
小沢氏本人もすでに新自由主義への反対の姿勢を明らかにしており、現在新自由主義に代わる自身の立場を模索しているところでしょう。
あとは前原氏ら党内の新自由主義者を転向させられるか、あるいは自民党に移籍させるかなのですが、小沢氏は前原氏らを特定の主義者ではないとして庇っています。
しかし、新自由主義を放棄し、地域主義に走っている小沢氏では前原氏らを黙らせることは出来ても変えることは出来ないのではないでしょうか

Posted by: 岩手人 | October 21, 2006 at 01:32 PM

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