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September 22, 2006

どうでもいい判決

■ 時間がないので感想を一言だけ書く。
 

□ 9月22日付・読売社説(1)
 [国旗・国家訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」
 日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法――東京地裁がそんな判断を示した。
 教師には、そうした通達・命令に従う義務はない、国旗に向かって起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったとしても、処分されるべきではない、と判決は言う。
 都立の高校・養護学校教師、元教師らが、日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えていた。
 学習指導要領は、入学式などで「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。判決は、これを教師の起立・斉唱などを義務づけたものとまでは言えない、とした。
 しかし、「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。
 判決は、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱は有意義なものだ」「生徒らに国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要」と言っている。だが、こうした教師たちのいる式典で、「尊重する態度」が生徒たちに育(はぐく)まれるだろうか。
 教師らの行動に対する認識も、甘すぎるのではないか。「式典の妨害行為ではないし、生徒らに国歌斉唱の拒否をあおる恐れもない。教育目標を阻害する恐れもない」と、判決は言う。
 そもそも、日の丸・君が代に対する判決の考え方にも首をかしげざるをえない。「宗教的、政治的にみて中立的価値のものとは認められない」という。
 そうだろうか。各種世論調査を見ても、すでに国民の間に定着し、大多数の支持を得ている。
 後略

 いいたいことは、ただ一つである。教師は、「他人を教える」という職分をまっとうしているか。
 もし、こうした政治活動のために、教育に投下されるべき精力がそがれえるならば、そちらのほうが問題である。
 ところで、国旗・国歌のごとき題材で、「思想良心の自由」が議論されるのは、解せない。
 これは所詮は、「礼儀」の問題である。下らぬ。

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「日々の戯言」カテゴリの記事

Comments

この子供が抱いている疑問の方が、よほど真っ当でしょうね。(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/rasenganblue/1683934.html

Posted by: Baatarism | September 22, 2006 at 11:48 AM

> これは所詮は、「礼儀」の問題である。

まったくです。
礼儀を守らないような“良心・思想の自由”など、擁護に値しません。リベラルを自認する人たちは自縄自縛に陥っているようです。こんな理屈を振り回すなら、彼らが忌み嫌う“ネトウヨ”が中国や韓国を誹謗中傷することを批判できないし、小泉首相の靖国参拝も認めざるを得ないでしょう。彼らは自ら、無意味な中傷合戦に道を拓いたと言わざるを得ません。

そういえば、アメリカでも、リベラルを自認する民主党関係者たちが、ABC制作の911特別ドラマを事前検閲して圧力をかけ、番組を改変させたそうです。

最近のリベラル勢力の迷走にはウンザリさせられます。世界が混迷を深める時こそ、健全な批判勢力の存在が重要になってきているのに、党派的感情に囚われて、その場しのぎの脈絡のない馬鹿騒ぎを繰り返しているようにしか見えません。

Posted by: 木星人 | September 22, 2006 at 12:56 PM

君が代・日の丸が、教師の思想信条とどう関係するのか、という以前に、公的行政組織(公立学校もまさにその一部)の業務指示命令が、その組織構成員の思想信条の自由を侵すという考えが判らない。(というより間違っていると思うのですがね)もしそうなら、上司から、自分の思想信条にそわない(たとえば中国政府が大嫌いな)部下が、日中友好の政府答弁書を書くように指示されたら、こりゃ憲法違反ですかな。こんなことは、役所や企業では日常茶飯事でしょう。訴えるほうも、判決を書いた判事も、子供じゃああるまいしね。笑いもの。

Posted by: M.N.生 | September 22, 2006 at 01:10 PM

ま、どうせ二審でまともな判決が出るでしょうから
一審では思う存分、暴れさせてね(^ ^)ということですか。
それとも基地外、おっと失礼、組合団交春闘の場での活動家の如く
まくし立てる弁護士たちに裁判官が気合で負けたのでしょうか。

公立保育園に子供を通わせましたが
選挙のたびに「共産党の○○さんにぜひ投票して」
「××駅前で不破さんが演説するから、ぜひ来てね」の嵐でした。
こういうの、良心や思想の自由に踏み込んだとは言わないわけで、彼らは。

Posted by: るびい | September 22, 2006 at 02:30 PM

嵐の電話の主は、公務員たる保母さんたちです。
書き忘れてしまいました。汗。

Posted by: るびい | September 22, 2006 at 02:35 PM

日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えている教職員たちは、自らの思想を生徒に強制している事に関してなんら疑問を感じないのだろうか?
感じないからこんな間抜けな裁判をしているんだろうな。
安倍さんにはぜひとも教育改革、特に教員免許の更新を実現していただきたい。

Posted by: 波導 | September 22, 2006 at 06:23 PM

翌日になってもやっている、お祭りを盛り上げたいのがみえみえの「報道」で見せられてうんざりしました。

高校時代には教壇の預言者と煽られて「お前は(国旗掲揚に)立つのか、歌うのか」と詰め寄ってまわる運動部の奴らがいたのを思い出します。

味噌汁吹きそうになったのは東京都が上告するのはおかしいと言っているのを見た時。自分の権利は100パーセント要求しても、相手の市民としての権利は平気で否定できる僕らです、と教師最不適を宣伝しているようなものです。

そんなにいやなら、よその国にいけばいいのに。

Posted by: KU | September 23, 2006 at 07:02 AM

>そんなにいやなら、よその国にいけばいいのに。

ぬくぬくとした環境で、ちょっとした手ごたえのある「闘争」を
やりたいのでしょう。
他流試合を避け、内輪で馴れ合ううちに、日本の左翼は闘争する範囲も、みみっちく狭くなりました。
国が物質的に豊かになり、闘争できる場が段々と縮小してきたからだと思います。
本来ならば礼の問題、心の問題、或いはマナーの問題を
大げさな政治闘争にしていかないと、存在する意味を見失ってしまうのでしょう。
雪斎先生が「下らぬ」と切って捨てる問題が、連中の大事なメシの種です。

以前、日教組の役員をしてるという、40代の男性高校教師と話をする機会がありました。
意見や考え方の違う人間には、怒鳴りつける、というコミュニケーションの取り方しか出来ない人でした。
とても、世間の40代が仕事している場には出せない、
こういう人間は一般的な企業では一日たりとも通用しないだろうと思った記憶があります。

それでも17、8歳の生徒の前では、大人として見てもらえているのでしょう。
大人だと言う顔をしてるのでしょう。

聞いた話ですが、日本教育会館一階の喫茶店は
普通の業者が経営し、組合とは無関係で誰でも入れる店ですが
春になると新人オルグの教師たちが傍若無人に怒鳴り散らし
迷惑なんだそうです。

本当に、下らない話です。

Posted by: るびい | September 23, 2006 at 02:00 PM

確かにどうでもいい判決ですが、安倍政権にとっては最大のプレゼントだと思います。担当弁護士は皮肉のつもりで言ったのでしょうが、マスコミが報道すればするほど安倍さんが訴えていた教育改革の必要性が図らずとも証明されていくのではないでしょうか。民主党の輿石東参院議員会長が率いる山梨県教職員組合の選挙活動の実態や、教科書採択における中核派の関与などをリンクさせれば選挙対策や諜報機関創設の有用なカードになるのではと妄想してしまいました。

Posted by: 通りすがり | September 23, 2006 at 05:32 PM

 皆さん、ありがとうございます。
 今回の判決は、安倍氏の執政に対する「御祝儀」になったかもしれません。

Posted by: 雪斎 | September 23, 2006 at 11:34 PM

January14,2006のバックナンバーでは、「…「拠点」としてのモンゴルの位置に着目していたのは、永井陽之助先生であった」と書かれています。是非、読んで見たいので文献名などを具体的に教えていただけないでしょうか。

Posted by: モンゴルマン | September 24, 2006 at 02:02 AM

・モンゴルマン殿
これは、永井先生の著書「平和の代償」に書かれていたはずです。具体的に何ページであったかは、うろおほえですので容赦。

Posted by: 雪斎 | September 24, 2006 at 02:12 AM

 政治的な心情からそれを歌いたくないという人々が少なからず実在している歌を、「生徒の一生の思い出」を掛け金にして無理矢理歌わせようというあたりに、私は権力を握った者のいやらしさを感じてしまいます。
 「現場に混乱をもたらすおそれのある指示は、よほどの必要がなければ出さない」という自制心のない上司というのは非常に迷惑な存在であるという考え方は最近はなかなか理解されにくくなっており、むしろ、特定の勢力を「敵」認定した上で、「敵」に不快感や屈辱感を与える行為を敢えて取ることに拍手喝采を浴びせる考え方が力を持ってきたのは非常に心配なことです。

Posted by: 小倉秀夫 | September 25, 2006 at 09:09 AM

>「敵」認定した上で、「敵」に不快感や屈辱感を与える行為を敢えて取ることに拍手喝采を浴びせる考え方
で「現場」を支配をしてきたことが、世に晒されて「変」といわれているだけだと思いますけど

Posted by: KU | September 25, 2006 at 12:27 PM

>政治的な心情からそれを歌いたくないという人々が少なからず実在している歌

生徒さんの中に、どれくらいいるのだろうか。
「君が代」に、日本の「軍国時代の価値観の正当化」をダイレクトに結びつけたのは、むしろ日教組なのではないでしょうか。
偏った「政治的心情」をわざわざ生み出し、政治闘争の道具としたのは日教組でしょ?

当方、小学校入学は昭和41年。
場所は東京都世田谷区の公立。
「君が代」は、入学直後に習いましたよ。
あわせて「白地に赤く…ああ美しい、日本の旗は」の
「日の丸」(という題名かどうかが不明です…恥)も習いました。
朝の予鈴の時の国旗掲揚と、直立不動も普通にやっていました。
すべて、授業中は静かにするものだというのと同じように、
自然に児童も先生方も受け入れていて、問題にする人は
一人もいなかった。
(内輪話ですが、保護者の一人、朝日新聞の本多勝一氏も
一言も文句を言っていません。本多君は同学年です)

「歌いたくない心情」は、別に自然発生したわけではないでしょう。
何かの目的のため、作り出したものです。

Posted by: るびい | September 25, 2006 at 12:52 PM

以前、雪斎さんがジョージ・F・ケナンの言葉として引用されていた「「敵」に張り合おうとする余りに「敵」に似た思考態度に陥り、結果として自らの「美風」を失うことの愚」が、今の東京都教委にも当てはまってしまってるのでしょう。
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/04/post_5.html

一部の教師やそれに扇動された生徒が、式典で壇上から日の丸を引きずり下ろしたり、日の丸君が代を式典に導入しようとする校長をつるし上げるようなことがなければ、都教委がこういう美しくない手段に出ることもなかったのでしょうけどね。

Posted by: Baatarism | September 25, 2006 at 12:55 PM

 拙者は、こういう「礼儀」に関する議論を「思想良心の自由」に組み替えて議論するのは、賛成しないといっているのです。
 「日の丸」で戦争を想像するのであれば、主要国の中で「血塗られた国旗」を持たない国は、ほとんどない。反対論者は、自分だけが「処女」のように振る舞っているわけけですな。「何をかまととぶってるねん」といいたくなるわけです。
 子供たちに、「軍国主義じゃない国の旗って何処」と聞かれたたら、どう応えるのでしょうかな。

Posted by: 雪斎 | September 25, 2006 at 01:12 PM

 むしろ、公立学校の入学式・卒業式で「君が代を斉唱するか否か」をイデオロギーの問題にしてしまったのは、これを何が何でも斉唱させようとしている側なのではないかと思うのです。
 私の出身高校(都立高校)でも従前君が代の斉唱は行ってきませんでしたが、何も「君が代が血塗られた歌だから」斉唱してこなかったからではなく、卒業式でそれを斉唱しないのが伝統だったので斉唱してこなかったわけです(戦前でも儀式等での国歌斉唱が義務づけられたのは小学校までなので、旧制中学の流れをくむ高校では、君が代を歌わないことが古くからの伝統だったりする可能性があります(学校によって事情は違うと思いますが。)。
 そういう各学校ごとに様々な事情があるのに、そういったものを無視して、それをいやがる人が少なからずいる「君が代の斉唱」を現場に押し付ける人達というのは、「礼儀」に反しないのでしょうか。権力を有する者が、儀式の場にイデオロギーを無理矢理持ち込んできたときに、現場の人間はこれに唯々諾々と従わなければ「礼儀に反する」ことになるのでしょうか。
 この問題を考えるにあたって、イデオロギーを押し付けられた側にのみ、「礼儀」を求めるのはフェアではないように思います。

Posted by: 小倉秀夫 | September 25, 2006 at 02:00 PM

> 公立学校の入学式・卒業式で「君が代を斉唱するか否か」をイデオロギーの問題にしてしまったのは、これを何が何でも斉唱させようとしている側なのではないかと思うのです。

“イデオロギーのない儀礼など存在しない”という、根本的な批判はさておいても、これは事実関係に反しているのではないでしょうか?
教育現場をイデオロギー闘争の場にしたのは、日教組や解放同盟など、特定の団体でした。彼らが子供たちを人質にして、団交を繰り返し、“権利”という名の特権を享受してきたことが、事の本質です。
“国旗・国歌”法制定の背景も、世羅高校における教員の不服従がありました。“国旗・国歌”は、不服従を正当化するための“口実”や“象徴”として、後付けで利用されているに過ぎません。

こうした問題が何もなかったとしたら、都教委のやり方が不適切だという主張には、一定の説得力が生じるでしょう。けれども、市立国立二小卒業式の校長土下座事件や都立板橋高校卒業式のビラ播き事件などが頻発する現状を踏まえるならば、都教委を責める前に異常行動を繰り返す問題教員を責めるのが順当だと考えます。

Posted by: 木星人 | September 25, 2006 at 02:53 PM

 東京に関していえば部落解放同盟の影響力なんてそもそも小さかったのですが、それはともかく、世羅高校等での不服従の前に、高石文部事務次官らによる日の丸掲揚・君が代斉唱の押しつけが先にあったことは無視すべきではありません。入学式や卒業式の式次第をどうするかということは、「主役」である卒業生を中心とする参加者の意向および地域の実情等を踏まえて現場レベルで決定していたところが、一部の文部官僚と一部の全体主義者がそのイデオロギーを押しつけるために、現場を無視して全国一律に日の丸掲揚・君が代斉唱の押しつけを推し進めたところに混乱の原因があります。
(ここで「保守勢力」という言葉を用いず、「全体主義」という言葉を用いたのは、真の保守であれば、地域社会を含む部分社会での「伝統」というのを全く蔑ろにして、中央が決定した「全国一律の理想社会」を押しつけることに躊躇を感ずるはずだからです。)

Posted by: 小倉秀夫 | September 26, 2006 at 02:12 AM

国旗掲揚、国歌斉唱に関する諸外国の判例・事例です。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
>a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。
>b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて国旗国歌を強調する。しかし、例外がいくつもある
>c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。
>アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。
どのような国々が現場の裁量に任せ、どういった国々が強制しているか、確認しましょう
今回の判決は
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/chisaihanketu.html

http://critic3.exblog.jp/5732545/
で述べられているように
>国旗国歌法が施行されている現行法下において、生徒に日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てるのは重要なことである。学校における入学式、卒業式等の式典において、国旗を掲げ、国歌を斉唱することは有意義なものということができる。
>「国旗、国歌は自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨であり、学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられる」
>教職員は、国旗掲揚、国歌斉唱を積極的に妨害するような行為に及ぶこと、生徒らに向かって起立し、国歌を斉唱することの拒否を殊更に煽るような行為に及ぶことなどは、許されない。
との立場から、くだされたものです。
更に云えば、一昨年の十月28日の秋の園遊会で表された今上陛下の御意志に沿って、この判決は為されたと、云えます。

Posted by: akakiTiysque | September 26, 2006 at 04:46 AM

>全体主義者がそのイデオロギーを押しつけるために、現場を無視して全国一律に日の丸掲揚・君が代斉唱の押しつけ

あー、はいはい。
自分たちで理屈と膏薬貼り付けて騒いで、「騒がれるから止めましょう」としたり顔でささやく。
そういう役者を二つ用意しての「マッチポンプ」のからくりは、もうばれています。
それだけの話。

Posted by: KU | September 26, 2006 at 07:15 AM

>全体主義者がそのイデオロギーを押しつけるために、現場を無視して全国一律に日の丸掲揚・君が代斉唱の押しつけ
そもそも小倉氏は「イデオロギー」の介在が無かった場合には国旗国歌を尊重するのが通常であると考えておられるのでしょうか。個々の事情や伝統を尊重されると言う事であれば、伝統的に国旗国歌を尊重してきた学校に対し後から個人の思想信条を理由に批判する人間が出てきたようなケースや、学校でなくても横浜市議の国旗引き降ろし騒動等に対し強く批判されることと思いますが。

Posted by: TIG | September 26, 2006 at 12:08 PM

>伝統的に国旗国歌を尊重してきた学校に対し後から個人の思想信条を理由に批判する人間が出てきたようなケース
>自分たちで理屈と膏薬貼り付けて騒いで、「騒がれるから止めましょう」としたり顔でささやく

「教え子を二度と戦場に送らない」という旗印の下
こういうことをするので、特殊な環境はともかく
一般社会では、もう信用されていないのです。

私の話した「日教組役員高校教師40代」氏も
「北朝鮮と戦争になるくらいなら、拉致被害者なんて
帰国できなくても構わない」
「戦争になったら遠くの山奥にすぐ逃げる」
と言い放っていたのですが
こういう人たちが、別の局面でなにやら自分たちがひどい弾圧、人権侵害を受けているかのような口を利くので
ますます信用を失うのです。

信用されていない人たちが主張する権利なので
説得力がないわけですね。

でも小倉氏は、比較的冷静な口調で書き込まれています。
そういう点は、大事になさってください。

Posted by: るびい | September 26, 2006 at 12:29 PM

 イデオロギーの介在がない場合には、公立学校での入学式・卒業式の趣旨とは特段の関係がない「君が代」が斉唱される歌として選択される割合は相当小さいであろうとは思っています(卒業式の主役である卒業生とも、脇役である在校生や教員とも、特段の関係がありません。)。
 私は東京の人間なので東京のことしかよくわかりませんが、「君が代」というのは国歌を意識した行事や文科省の傘下にある行事以外で自然発生的に斉唱されることの少ない歌であるように認識しています(私の母校(早稲田大学)では学内のコンパの際にも当たり前のように校歌と紺碧の空が斉唱されますが、そういうレベルでの親しみは、特段左翼的でない人々の間でも、君が代はもたれていないように認識しています。)。従って、「入学式や卒業式では『国歌』を斉唱させなさい」というのは、余計に唐突であり、押しつけがましいと認識されるのでしょう。
 いずれにせよ、どちらが押し付けがましい課については具体的な学校ごとの実情を無視して話をしてみても堂々巡りにしかなりませんので、入学式や卒業式でどの歌を斉唱するのか(あるいは斉唱というイベントを設けないのか)については、各学校ごとに、主役である生徒の意向に配慮しながら決めていけばいいのではないかと思います。
 

Posted by: 小倉秀夫 | September 26, 2006 at 04:50 PM

色々な議論が出てきましたが、拙者は高校に至るまでは、学校の行事で「君が代」を歌ったことはありませんでした。とはいえ、「日の丸、「君が代は素朴にいいものだと思っていました。
 拙者は、「本来ならば強制などしたくない」という気持ちは理解しますけれども、それにしても、「日の丸・君が代=7軍国主義の象徴」とい観念を振り回す人々が多いと思うのですよ。
 こういう人々は、米国に行ったときに、「星条旗は戦争の象徴であるから、尻を向ける」などというのでしょうか。そういうことでは、国際交流などできないと思うのですが…。

Posted by: 雪斎 | September 26, 2006 at 05:32 PM

そう、結局「内向き」「内輪」の論理なんです。
狭い世界に限定した場合のみ有効な善悪の二元論といったら
言いすぎでしょうか。

論ずる世界が広くなればなるほど
単純な二元論が通じなくなっていく如く、ですね。

「日の丸=軍国主義の正当化」
「星条旗=米国帝国主義の正当化」
「五星紅旗=チベット侵略正当化、知的所有権侵害正当化
        環境汚染正当化、反日デモ正当化」
「英国国旗=中東混乱状況発生の正当化」
「インド国旗=カースト正当化」
「北朝鮮国旗=核、拉致、ミサイル開発正当化」
「フランス国旗=南太平洋上核実験正当化」

キリがないじゃ、ありませんか、ねえ。

ところで
>私の母校(早稲田大学)では学内のコンパの際にも当たり前のように校歌と紺碧の空が斉唱されますが、

新入生歓迎コンパ等で
教えて貰う、或いは先輩たちが歌うのを聞いて
自然に覚えるのでしょう?
かつての君が代も、そうだった。
あなたも別に、大隈重信が1925年の初の普通選挙で
金に飽かした金権選挙をやったからとて
校歌を歌うとき、自分が金権選挙の正当化してる、なんて別に考えていないでしょうし
これからも母校の校歌として、懐かしく歌うのでしょう?

歌に何かの思想が入っているという発想自体
なんというか乱暴です。
そういう人は、たまたま2003年のヒット曲だからと
「世界に一つだけの歌」を反戦歌だなんて
素直に思ってしまうのだと思います。
まあ、キムタクが紅白で説教したのには、辟易としましたが。

Posted by: るびい | September 26, 2006 at 06:30 PM

「世界に一つだけの歌」…

世界に一つだけの花、だろうが。

Posted by: るびい | September 26, 2006 at 06:34 PM

 「日の丸・君が代=軍国主義の象徴」論が未だ出てくる背景には、日の丸・君が代を押し付けたがっている人々に、あれやこれやを若者に義務づけよとか国家のために命を捨てる覚悟を持たせよ的な議論をする方が少なからずいること等もあったりするので、ある意味やむを得ない点もあることでしょう(「君が代」に関しては、「天皇の治世が長く続きますように」という歌詞を歌うことを潔しとしない国民主権主義者(≒共和主義者)もいるのであって、その場合、「君が代」というのが軍国主義の象徴ではなく、旧体制(君主制)の象徴ということになろうかと思います。)。

Posted by: 小倉秀夫 | September 27, 2006 at 02:06 AM

 とはいえ、反対派の人々の主張がいまひとつ一般市民の支持を得られないのは、大概が、日の丸・君が代押し付けの反対とはまったく無関係の政治的主張を交えてくるから、どこかうさんくささを感じ取られてしまうわけですな。
 私自身、「こうこうこういう理由で卒業式などでの国旗掲揚・国歌斉唱には反対です」という意見にはできるだけ耳を傾けようとは思いますけれども、こうした人々は他の主張もごったにした上で喧しく議論を挑んでこられるので、そもそも議論の土俵というのが成立しない(微笑)。
 “そちら側”の人々の中では、小倉さんのような方は少数派とお見受けいたしました。

Posted by: talleyrand | September 27, 2006 at 05:27 AM

>あれやこれやを若者に義務づけよとか国家のために命を捨てる覚悟を持たせよ的な議論をする方

結局、ここの部分だと思います。
若者が「国のために命を捨てることもあるかもしれない」と
思い至るのは、上からの押し付けによるのではなく
実は近年の、東アジア情勢が大きな要因だと思いませんか。
若者以外の普通の人たちも、近隣諸国を見渡して
決して平和が安定して保たれている地域に住んでいるわけではないことを、何となく感じる人は多いです。
万が一を覚悟することも、あるかもしれないと
私も思うときがあります。

動員された中国の反日デモ、領海を侵犯しながら逃げ回った中国原潜、何かあれば日の丸や小泉首相人形を焼き捨ててデモをする一部の韓国国民、偽遺骨を送りつけ、拉致は解決済みだとうそぶき、ミサイルを発射してくる北朝鮮、韓国は「反民族的」の一言でフリーズし、ミサイルを飛ばす北朝鮮に何一つ実効的な抗議ができていません。

無知な国民が、上から上手に持っていかれて
戦争に参加してしまった…というシナリオは
いかにも戦後民主主義好みな筋書きですが
これだけ情報が入る現在、国民の意識はかつてないほど
安全保障等に当事者意識を持つようになっています。

むしろ労組日教組のほうが、上からの指示に反した意見を持つことを許されず、
上からの情報を丸呑みして活動しなければいけない、硬直化した状態にあるのではないでしょうか。

反日の丸君が代運動が、もう一般社会から隔絶したところで
闘争する形になっているのは
決して平和だとは断言できない東アジアをどう捉えるか
普通の人々と乖離した解釈の上に成り立つ政治闘争であることを
見抜かれているからです。

Posted by: るびい | September 27, 2006 at 06:56 AM

なんか、皆さんずれてるね。もともとの雪斎殿のコメントがさすがそのものずばりかと。日の丸=軍国主義の短絡さも、嫌ならこの国を出て行けといった幼稚な物言いも「どうでもいい」の一言。

でもね、そもそも小渕氏が「内心の自由に踏み込まない」と言った事に対し石原君の意をうけたんだかなんだか知らないけど都の処分の仕方は度を越えてると私は思う。その点において司法は結構まともじゃない?逆に言えばその程度のことでしょ。なんでわざわざ日教組の左巻き氏たちの個別事例をだしてくるのかねぇ。

内閣が変われば、前内閣での諮問会議の結論を「拘束は受けない」(ってもともと拘束力は法的にはねーだろ!)の一言でなかったことにしちゃうくらいだから、継続性なんて関係ないのかな。いらんことばっかりアメリカ型だな(笑)

Posted by: ぷらなりあ | October 02, 2006 at 01:03 AM

・ぷらなりあ殿
おお。お久しぶりです。
素晴らしいフォローをありがとうございます。
本当に、「それだけのこと」です。

Posted by: 雪斎 | October 02, 2006 at 02:03 AM

 今年、みそじを迎える一霞ヶ関公務員です。かなり後発になってしまいましたが、このブログの動きを見てかなり衝撃を受けたので、コメントさせていただきます。私の衝撃は、自分がこの判決を見たとき、「お、まともな判決が出てよかった」と思ったことが、レアなことなのか?と考えさせられたからです。
 ただ、思い出してみると、このブログで取り上げられていた読売は判決の方向性は間違っていると言っていますが、毎日、中日(東京)、朝日新聞の社説は、どれも、もっともな判決であると書いています。東京都は通達を見直すべきであると踏み込んでいる社もありました。このような論調も、的外れなのでしょうか? 
 個人的には、若い世代ですので、日の丸君が代に抵抗はありませんが、学生時代、歌わない先生が居ることにも、抵抗を感じませんでした。むしろ、そういった先生の信条の自由と、その先生の教える内容(日の丸君が代を教えてもらったことはありません)を区別することが大切である、ということを学んだ経験は、人を色眼鏡で見ないこと(偏った-このような主張をお持ちの方にはすみませんが-主張を持った人にも平等に対応するという意味で)が必要だということを知るのに、非常に大きな経験となったと思っています。もちろん、個人的には知りませんが、何人かの方がおっしゃるように、日の丸活動に熱心なあまり、教壇で教えることがおろそかになっている先生がいるのでしょう。それはもちろん(別の次元で)非難されるべきことだと思います。 
 まあ、日本のマスコミ各社のレベルが低いという批判はありましょうが、この判決は、そうそう「どうでもいい」と切り捨てられるものではないと思います。

Posted by: tyimo | October 10, 2006 at 04:28 AM

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