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September 19, 2006

時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…。

■ 今週は、「時代の移り変わり」の一週間である。
   一九八〇年代後半に日本テレビ系が放映したテレビ・ドラマ『田原坂』の中で、風間杜夫さん演ずる木戸孝允が次のような台詞を発している。西南戦争最中、京都で病に倒れ臨終の時を迎えようとしていた木戸が、見舞った近藤正臣さん演じる大久保利通に語るという設定である。
 「わしの役割は終わった…。時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…。わしも西郷も…。やがて、おぬしも…」。

 雪斎は、雑誌『論座』に載せている「対中関係という『抵当』は解除できるのか―『時代に招かれた宰相』の条件」で、小泉純一郎総理を「時代に招かれた宰相」と呼んでいる。この表現の仕方は、率直にい」えば、この木戸の台詞から影響を受けている。ドラマ『田原坂』を観たのは、二十年近く前、政治家の言行録に触れるのが、何よりも楽しかった時代である。だから、この木戸の台詞には、たとえそれがドラマの上のものであったにせよ、忘れ難い印象を持っている。
「時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…」。
 今、小泉総理の執政が終わり、竹中平蔵氏が政界を去ろうとしている時を前にして、雪斎には、この台詞が強烈な感慨を以って迫ってくる。小泉総理も竹中氏も、今や、 「時代に選ばれ、時代に捨てられる」存在であるからである。 小泉総理が「時代に選ばれた」のは、一九九〇年代以降の経済停滞と政治混乱に終止符を打つためであった。小泉総理は、そのことを多分に判っていたが故にこそ、五年半の執政を続け、静かに退場しようとしているのであろう。
 だから、次期宰相が 「時代に選ばれた」存在であるのかは、かなり重要である。次期宰相が「総理になれた理由」を理解しないまま、「時代の要請」から離れた政策を断行しようとすると、途端に失速するような気がしてならない。
「時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられていくんだ…」。
 おそらくは、政治学者・言論家としての雪斎もまた、そうした存在なのであろう。三十歳過ぎに言論活動の機会を得た雪斎も、 「時代に選ばれた」存在であるかもしれない。ブロガーの世界には、言論家として名を成した人物以上の「見識」を披露している人々は多い。その中で、持説を披露をすることで世に出られているのは、自分が 「時代に選ばれた」存在だからだと雪斎は得心している。
 「わしらは、時代に捨てられていくんだ…」。
 何時まで時代に選ばれ、招いてもらえるのかは、定かではない。偉ぶらず誠実に「時代」に向き合うしかない。

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Comments

論座であったかどうかわかりませんが、雪斎さんの文章を本屋で立ち読み(ゴメンナサイ) したときに、総理が「時代に捨てられ・・」という言葉に何やら唐突な印象を受けたとともに、どういう意図でこの言葉をお使いになったのだろうか、と少し考え込んでしまいました。

謎が解けたような気がします。ガッテンです。

Posted by: Dag | September 19, 2006 at 05:18 AM

常々、「歴史は、必要なときに、必要な人材を選び、舞台に乗せるときがある」とは思っておりましたが、「時代に捨てられる」ことまでは、思い及んでいませんでした。
選び取られた人間が、自ら去るときを知り、去っていくものだと勝手に思っていましたが、しがみ付くことを是とする向きも、沢山いることを知り、自分の甘さを嗤っております。

竹中氏の引退を巡り、河野太郎議員のブログがプチ炎上してました。

取り合えずは自分の使命の尽きた時を知り(また歴史に呼ばれてのご奉公もあるやも知れず、なので「とりあえず」)、舞台から去ることを「無責任」と言い捨てる考え方は、まさに「ギョーカイ」人的発想に思いました。長くいると、そうなってくるもんなんでしょうか。

Posted by: るびい | September 19, 2006 at 07:56 AM

私もそのセリフを覚えています・・。
 政治学者・言論家としての雪斎殿は時代に選ばれただけでなく、時代を見据えた存在でもあって欲しいです。
 日本って・・時代に選ばれた人がなぜか輩出するんですよね。神国なんですかねぇ・・。隣国の方はそれがまた気に入らないようですが・・

Posted by: SAKAKI | September 19, 2006 at 09:14 AM

初コメントさせて頂きます。

今日のエントリーは心に響きます。
政治や言論の世界限らず、人間が社会の中で組織をつくり生きていくとするのならば、人それぞれが時代に招かれそして捨てられるのかもしれません。
で、また招かれる人間は稀であり、自らの引き際を心得ることのできる人はさらに稀であるのかなと思います。

分岐点に立っている自分を考えるとそう思えてなりません。

Posted by: Alglory | September 19, 2006 at 07:36 PM

「時代に捨てられる」という表現ですが、私は「時代に選ばれた者」はその時代の一部となり、故に時代と共に遠ざかっていく。
そう考えます。
時代が人を捨てるのでは無く、「時代」に招かれ、その時代の一部・一切片を象徴することができ、「時代の象徴」の一つとして「時代と共に遠ざかっていける」ということが「歴史に名を残す」ということであると。

Posted by: TOR | September 19, 2006 at 10:15 PM

私はそのドラマを知らないのですが、「捨てられる」と言い残すという設定にはなにか抵抗を感じます。
そういう「恨みがましいような」物言いを働いてきた実務家は自分に許さないのではないか?という気がするのです。「捨てられる」という言葉にはあまり透徹さを感じなくて、少し違和感を感じます。勝手な感想スミマセンm(..)m

史実の木戸孝允は「西郷もういい加減にしろ」と言って死んでいったと聞いております。
私は「時代に捨てられる」という言葉を吐いて逝くよりもずっとこの最古参の志士の終わり方としてらしい気がします。

Posted by: KU | September 19, 2006 at 11:30 PM

 皆さん、ありがとうございます。
 因みに、『田原坂』のテーマだったのが、「遥かな轍」だったのですな。
 「こうとしか生きようのない人生がある せめて消えない轍を残そうか」の一節は、西郷、大久保、木戸の「こうとしか生きようのない人生」を描いたドラマに相応しかったと思います。

Posted by: 雪斎 | September 20, 2006 at 12:23 AM

こんばんわ
このテーマは興味をそそられますね。
ローマ帝国ファンとしては、違う切り口で書いてみます。

Posted by: Alglory | September 21, 2006 at 06:45 PM

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Tracked on September 19, 2006 at 08:36 PM

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