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August 14, 2006

「少年時代」の風景

■ 今は、世は「お盆休み」の最中である。
 井上陽水の名作「少年時代」の風景を思い起こす。今年は「永田町」の世界に戻ったので、雪斎には「お盆休み」はない。

夏祭り 宵かがり
胸のたかなりに合わせて
八月は夢花火 私の心は夏模様

目がさめて 夢のあと
長い影が夜にのびて 星屑の空へ
夢はつまり 思い出のあとさき

夏が過ぎ 風あざみ
だれのあこがれに さまよう
八月は夢花火 私の心は夏模様

 そういえば、四半世紀前の十代半ばの頃、雪斎が何を考えていたかといえば、「力が欲しい」ということであった。雪斎は、具体的には、次のようなことを考えていたような気がする。
 ① どんなことをしてでも旧帝国大学 or 一橋大学 には入りたい。
 ② 億万長者になりたい。
 雪斎は中学までは養護学校に通っていた。養護学校は、障害を持つ子供だけの空間である。偶に昨日まで生きていた子供が今日になったら死んでいたということもあった。今、「格差社会」のことが語られるのは、雪斎には笑止千万という他はない。雪斎には、「そうした障害児施設は、社会の最底辺だよな。五体満足でピンピンしている奴が、何故、底辺なのか」という想いがある。そして、当時には例外的な事例として県下の名門高校に進んだ。それ以降、雪斎は、周囲に障害を持つ人々が誰もいないという空間で暮らしてきた。たとえていえば、白人社会に単身で乗り込んだ日本人の風情である。そこでは、「これが俺の実績だ。文句があるか」と身構える習性が自然に身に付く。「あいつに何が出来るのか」という視線を向けられているような気がしたので、高校時代の雪斎は、そうした視線をは撥ね付けたかった。そうしたことを裏付ける「実績」が何よりも欲しかった。「どんなことをしてでも旧帝国大学 or 一橋大学 には入りたい」と思ったのは、それが「実績」の一つであったからである。もっとも、周囲は、「頑張っているけど、無理だろう」と思っていたようである。パソコンもなかった時代にペンを持てないのでは、それが「常識」であったといえよう。二年の浪人生活の末に、ほとんど神懸りの結果で北海道大学進学を果たせた。昔の和文タイプライターで答案を書いたのだから、無茶苦茶なことをしていたと思う。今は障害を持つ生徒に当然のように認められる試験時間延長措置も、雪斎には認められなかった。以降は、徹底した「実績の積み重ねの歳月である。雪斎は、そうした「実績」を積み重ねる折に、徹底的にリアリスティックに振る舞った。「現実主義者」でなければ、生きていけなかった。雪斎の「現実主義」に対しては、「現実に妥協している」とか「権力に迎合する」と批判する向きがあるけれども、そうした批判くらい、雪斎にとって下らないものはない。もし、雪斎が「現実に妥協し、権力に迎合する」輩ならば、迷うことなく社会主義者として、「弱者切り捨て反対」を叫ぶ側に回っている。雪斎の「現実主義」は、頭の中で考えただけの代物ではなく、雪斎の全人格の反映である。国際政治を語りながら、自分の人生の現実を語る。それが雪斎にとっての「現実主義」思惟の基本姿勢である。「現実」と格闘し「現実」を切り開こうとするのが、「現実主義者」である。
 だから、雪斎は、そうした「実績」の積み重ねの歳月を踏まえながら、少し前までは、「今、標高三千メートル付近を登っているけれども、海面下二千メートル付近から登ってきたから結局、既に五千メートルを上ったことになるな…」と口にしていたことがある。客観的には、富士山登頂も果たせていないけれども、本来ならば既にモンブラン登頂を果たしているし、キリマンジャロも射程に入っているはずだということである。こうした物の言い方は、やはり、色々な筋からの不興を買っていた。「傲慢不遜」だというのである。
 どんな思想でも、その人々が生きた時間の反映である。人生八十年だとすれば、雪斎は既に折り返し点を過ぎた。「何が出来るかを証明しようと躍起になっていた」のが前半生だとすれば、「何を残すかを考え、それを実行する」のが後半生になるのであろう。夏の夜のちょっとした「メモワール」である。

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Comments

重く、そして希望に満ちた言葉を頂きました。

私も母子家庭運営者として、いささかの、本当にささやかな苦労を経るうちに
「現実の中を、走りながら考えていく」人間に成長できた気がします。人生のピッチで、転んでも泣いても起き上がって走れ!という感じでしょうか。

人とは弱いもので、理想や原理原則から一歩も踏み出せないケースも多々ありますね。
弱さに支配されず、独善的にもならず生きることは難しいですが
「学ぶ」「知る」「驚く」ことを楽しみに、生きていこうと思いました。

今朝も、蝉の声が朝から賑やかです。
盛夏の中、どうぞご自愛下さい。

Posted by: るびい | August 14, 2006 at 05:58 AM

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