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August 16, 2006

八月十五日の風景

■ 昨日午前中は寝ていた。昼前に起床したら、小泉総理が靖国参拝を決行していたことを知った。参拝の模様は、テレビ東京以外は、在京テレビ局の総てがリアル・タイムで放映していたようである。「いい加減、静かにせいよ…」と思う。こういう話は、二十秒くらいのスポット・ニュースで触れれば済む話である。
 もっとも、八月十五日という日付に特別なものを感じていない雪斎としては、総理の参拝は春秋例大祭の折を選ぶべきと思っていた。だから、昨日の参拝に熱くなる人々の気が知れない。

■ 雑誌『論座』に寄せる原稿の執筆作業が最終段階である。締め切りは明日17日である。

■ ところで、昨日、よりによって八月十五日に合わせる形で、『産経新聞』文化面に原稿を載せた。先刻の「富田朝彦メモランダム」を題材にした原稿である。担当編集者曰く、「右も左も怒り狂う」内容らしいけれども、「まぁ、そうだろうな…」と思う。「こういう原稿を、よく産経が載せたな…」と思う。

 □ 「生身の人間」と「大御心」
 一九八八年春に当時の富田朝彦宮内庁長官が崩御前年の昭和天皇の発言を控えたとされるメモランダムの中身が、反響を呼んでいる。筆者は、この「富田メモランダム」の真贋を判定する学術上の知見を持たない。従って、筆者は、昭和天皇が日独伊三国同盟締結を主導した松岡洋右や白鳥敏夫に冷ややかな眼差しを向けていたという広く伝えられた挿話に照らし合わせる限り、A級戦犯靖国合祀に昭和天皇が不快感を示したという「富田メモランダム」に関しては、「昭和天皇ならば、そのように仰せになったかも…」という以上のことは語りようがない。
 むしろ、この「富田メモランダム」に関して興味深いのは、それを受け止めた人々の反応の仕方である。
 普段は余り強調されないけれども、そもそも皇室制度とは、「生身の人間」によって担われている制度である。従って、天皇陛下を初めとする皇室の方々が世の様々な出来事を前に様々な感慨を抱いたとしても、それは当然のことである。このことに留意しない議論は、余り意義を持たない。従来、我が国における奇態の一つは、皇室の方々に半ば絶対の「無私」が要請された一方で、偶に皇室の方々の「私的感慨」と思しきものが公けになった折には、その「私的感慨」を利用しようとする層が続々と出てきたことである。此度は、「進歩・左翼」層を中心としてA級戦犯靖国合祀に批判的な層が、持説の補強のために昭和天皇の「大御心」を利用している風情であるけれども、今年初頭の皇室典範改正論議沸騰の折には、男系男子による皇位継承の堅持を唱える「保守・右翼」層が、とある宮家から示された「女系天皇容認論への懐疑」に寄り掛かろうとしていたはずである。振り返れば、昔日、源平の時代から幕末まで、国内各層が「院宣」、「勅許」の類を得るべく熾烈な朝廷工作を展開したものであるけれども、平成の御代に至っても、「進歩・左翼」層であれ「保守・右翼」層であれ、持説に絶対の権威を付与するために皇室の方々の「私的感慨」に依ろうとしている構図は、何ら変わらない。「富田メモランダム」への反響は、そうした旧き構図を再び浮かび上がらせているのである。
 しかしながら、このように国民各層の中に皇室の方々の「私的感慨」に依ろうとする傾きが残っている限りは、我が国は、立憲君主国家としての体裁を完全に整えていないことになる。そのことは、国民各層が個々の政策評価に際して皇室に頼っていることを意味するからである。「富田メモランダム」に関していえば、立憲君主国家における国民各層に求められる構えとは、「メモランダムが本当に昭和天皇の想いを伝えているのであれば、その想いは重く受け止められるべきである。ただし、それによって、個々の政策判断が左右されることは決してない」といったものであろう。君主の「私的感慨」と国家の「政策判断」が峻別されるのは、立憲君主国家の原則である。そして、こうした構えが国民各層の中に定着すればこそ、皇室制度は、「生身の人間」が担うものとして従来に比べ無理の少ない制度になるのであろう。筆者は、皇室の方々が今までよりも伸びやかに国民各層と交わり、様々な物事に「私的感慨」を示す場面が増えることを歓迎する。皇室の方々が出来るだけ窮屈さや無理の伴わない環境の下で日々の務めに臨まれるのであれば、それは誠に結構なことである。
 国民各層にとっては、皇室は「敬意と信頼」の対象である。そして、皇室の方々の「私的感慨」に対する依存と便乗の姿勢は、そうした「敬意と信頼」とは程遠いものなのではないか。
  『産経新聞』(2006年8月15日)掲載

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「学者生活」カテゴリの記事

Comments

そうですか、雪斎先生も興味無しですか。私ももうどうでもいい気分です。来週あたりになったら、靖国参拝の話なんてみんな忘れてるんですよネ(笑)。
三宮に出たら神戸新聞の号外が壁に貼ってあったりしてたんですが、別にみんな興味を示さない(笑)マスコミ笛吹けど(一部を除き)国民踊らずの典型じゃないでしょうか?

Posted by: やすゆき | August 16, 2006 at 12:46 AM

 僕も雪斎先生同様午前中はぐっすり寝てました。靖国問題は日中韓の対立の「本質」ではなく、「口実」に過ぎないと考えています。領土・領海の問題や、北朝鮮問題を含めた将来の東アジア情勢に関する利害が一致しない所に「本質」があるのだと思います。だから中韓の批判は基本的に聞き流していればいいのでしょう。
 ただ今回の公約達成で今後の首相の靖国参拝が既定路線化された感がありますね。今後は天皇陛下に参拝していただくためにはどうすれば良いか、という話に移っていくと思うのですが、雪斎先生には何か考えがありますか?。

Posted by: ささらい | August 16, 2006 at 02:21 AM

『皇室の方々が今までよりも伸びやかに国民各層と交わり、様々な物事に「私的感慨」を示す場面が増えることを歓迎する。』という意見に賛成です。公人であっても私的感情が存在するわけですから、それが別人のメモとして本人の言のごとく発表されるこは、生存中であったら否定も肯定もできますが、崩御された後ではどうにもならないのです。

Posted by: mario | August 16, 2006 at 05:30 AM

私は新聞を読んで、膝を打ちましたよ。
左はともかく、「真正保守」への違和感がどこから来るのか
モヤモヤしていた気持ちが、一気にすっきりさっぱり致しました。
このたびの「富田メモ」報道は
「その人が帝の威を借りる人間であるのか、そうでないのか」を
明確にあぶりだす、リトマス試験紙であったのではないかと
思っています。

>担当編集者曰く、「右も左も怒り狂う」内容らしいけれども

はあ、そうなんですか。
私なんざ「帝たるもの、かくあるべし」「皇族たるもの…」みたいな
演説聴くと、
「お前、いつからそんなに偉くなったんだ…あんた、何様?」と
突っ込みたくって仕方ありません。

Posted by: るびい | August 16, 2006 at 09:57 AM

僕も自分のブログで少し前に書いたのですが、右であれ左であれ、自説の政治的な正当化のために天皇陛下を持ち出すのは止めて欲しいですよね。
あと、正当化のために英霊を持ち出すのも止めて欲しいです。そんな態度は追悼とは正反対ですから。

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20060730/1154263950

Posted by: Baatarism | August 16, 2006 at 10:25 AM

書き忘れていました。

愚息は友人とともに、昨日、靖国へ参拝に出かけました。

「新しい歴史教科書」
「外国人参政権反対運動関連」
「大紀元」
これらの活動家のみなさんが、ビラ配りをしていたようです。
息子は、大紀元のビラを持ち帰っていました。

靖国神社は、鎮魂の場であって
政治的プロパガンダの場ではないと
中国、韓国はこの点について大きな誤解をしていると
保守系論客の方々は、口を揃えておっしゃる。
しかし一方で、組織的なのか個人の勝手な行動なのか判りませんが
政治的志向の強いビラ配りを、保守系が靖国で行っている。
活動家が、靖国の社の中だか近くだかでで政治的活動をしている。

不思議な光景だと、思います。

Posted by: るびい | August 16, 2006 at 11:29 AM

8月15日が終戦の日として、今のような趣旨で大きくクローズアップされだしたのは何時ごろからか、誰か教えて下され。昨日、いろいろ当たったがどうもよくわからない。というのは、20年代30年代(昭和です)は、今のような扱いではなかったですよ(これは確かな実感として言える)。勿論、甲子園球場で高校球児が黙祷することなで、やられてませんでした。

Posted by: M.N.生 | August 16, 2006 at 02:10 PM

小生もサンケイ新聞見ました。米国経済減速金利安定で日本も株債券が買われる状況では人々はあまり政治に関心高くないでしょうね。紀子さま入院のニュースが大きく報道されすぎる感あり、息子は不快感を示しています。靖国もいいが天皇制の議論も進展してほしいものです。敬意、信頼どちらも重要ですね

Posted by: 星の王子様 | August 17, 2006 at 04:08 AM

 雪斎先生の意見に賛成です。玄倉川さんもおっしゃっているように、結局小泉首相が今となってはもっとも冷静に言動されているように思います。変に煽動することもなく、マスコミにキレルこともなく、中韓にもブチキレルこともなく、立派だと思います。次期首相にも落ち着きつつ長期にわたって国論を熟成させるような指導をしてほしいものです。
 ところで、以前も気づいたのですが、関西の産経新聞は掲載する内容がやや遅いのでしょうか。雪斎先生の論文は本日掲載だったようですが。

Posted by: 酒乱童子 | August 17, 2006 at 11:01 AM

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Tracked on August 18, 2006 at 09:39 AM

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