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August 31, 2006

二つの「時化た選挙」

 自民党総裁選挙は、「時化た選挙」になりそうである。昔日、田中派・竹下派の権勢が強かった時期には、田中派・竹下派が態度を決めれば「終戦」であったけれども、此度に田中派の役割を果たしたのは、「世論調査」であった。昨年の「9・11」選挙の遺産は、「何はともあれ風を起こせる総裁でなければ困る」という雰囲気を自民党内に定着させたことにある。安倍晋三氏が今までの流れの通りに新総裁になるならば、安倍氏に期待されているのは、「小泉が起こした風を止めないこと」である。
 安倍氏に対する懸念は、実質的に「闘ったことがない」ということである。此度の総裁選挙は、安倍氏にとって格好の「闘う機会」を意味していたはずであるけれども、その通りにはならなかった。小泉総理の場合、特に国内に強大な「敵」が存在していて、その「敵」に対峙していればこそ、小泉総理は、世に「闘う姿勢」を示すことができたのである。そして、そのことは、小泉総理の五年半の執政を可能にした「強さ」の源泉であった。その出発点が五年半前の橋本龍太郎優勢をひっくり返した「激越な選挙」であったのは、いうまでもない。さらにいえば、その「激越な選挙」の「熱」が五年半も保ったというのが、小泉執政の意味である。
 安倍氏の場合、国内には、どのような「強大な敵」がいるというのであろうか。安倍氏は近著『美しい国へ』の中でも「闘う政治家」としての自画像を示しているけれども、何に闘いを挑もうとしているのかが、はっきりしない。
 雪斎が、小泉総理の立場ならば、党内の大勢が安倍支持に走っている情勢であればこそ、「安倍支持」とは書かないであろうと思う。雪斎は、親のライオンが子供のライオンを崖の下に落とすのと同じようなことを考える。「時化た選挙」の悪影響というのは、今後、安倍氏にとっても自民党にとっても出てくるのではないかと憂慮している。
 その一方で、次のような話がある。
 

□ <民主党>河村衆院議員、代表選出馬に意欲
 民主党の河村たかし衆院議員(愛知1区、当選5回)は29日、国会内で記者会見し、来月の党代表選に立候補する意欲を表明した。立候補に必要な党所属国会議員20人の推薦人について「確実なのは5人程度」と語っており、小沢一郎代表が無投票で再選される可能性が高まっている。
 
 民主党党首選挙も、自民党総裁選挙以上に「時化た選挙」になるようである。河村たかし代議士には、是非とも頑張って、小沢一郎氏の「無投票当選」という事態だけは避けてもらいたいものである。

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August 30, 2006

他国の友人にして自国には忠実で献身的な市民

■ 「われわれが自分の国に居るときに信じているのは、一人の人間が、他の国々の友人であって、同時に自分の国には忠実にして献身的な市民のままでいられるということである。それが、われわれが貴殿に観ている流儀である」。
      ―ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ― 
 1987年12月、ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフは、初めて米国を訪れた折、パーティに招かれたジョージ・F・ケナンに、このように語りかけた。雪斎には、この言葉が「冷戦の終結」を象徴しているように思える。ケナンは、冷戦初期には、対ソ「封じ込め」政策の立案を主導し、後に駐ソ大使に就任した折にはソ連政府から「ペルソナ・ノン・グラータ」として入国を拒否された。昔日には「敵方の謀将」であったケナンに対して、ゴルバチョフは、「他の国々の友人であって、「同時に自分の国には忠実にして献身的な市民」と語りかけたのである。
 一般的にいえば、特に政治家であれ外交官であれ、「他の国々の友人であって、同時に自分の国には忠実にして献身的な市民」であることは、職業上、大事なことである。
 ただし、「他の国々の友人であって、同時に自分の国には忠実にして献身的な市民」であることは、実際には、かなり難しい。

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August 29, 2006

雑感二題

■ ようやく、雑誌『論座』に寄せる原稿の執筆、校正作業が終わる。宰相・小泉純一郎をリアル・タイムで論じた最後の原稿になる。小泉内閣の平均支持率は、歴代二位とのことである。これだけの長い政権を保った上で、終始 支持率を40パーセントを割らなかったというのは、率直に驚嘆に値する。
 小泉総理は、「時代に招かれた宰相」であった。こういう宰相の足跡を見続けることができたのは、幸運であったような気がする。これから、次第に学術上の検証作業が始まるのであろうけれども…。
 ポスト小泉絡みでいえば、雪斎は、昨年11月に、このようなエントリーを書いている。これに付け加える話はない。

■ グスタフ・マーラーが「第9交響曲」を書かずに「大地の歌」を書いたというのは、音楽史上の有名な逸話である。雪斎にとっては、「齢五十五」を無事に抜けられるかは、かなり重要な問題である。
 雪斎にとっては、同郷、同じ誕生日の知識人である吉野作造が逝去したのは、齢五十五であったし、「昭和の吉野博士たらん」と自ら語った清沢洌もまた、齢五十五で鬼籍に入った。「平成の吉野、清沢たらん」と想い描いている雪斎は、この「偶然の符合」が気になる。健康オタクの道を進み、「齢五十五」の関門を超えることができたら、ジョージ・F・ケナンよろしく、齢百まで執筆できることを目指したいものである。

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August 28, 2006

西洋占星術と「冥王星」脱落

■ かんべえ殿が「占星術」フリークであったのを知って、かなり驚いた。実は、雪斎も、かなりの「占星術フリーク」なのである。自宅に西洋占星術関連の英文専門書が数冊ある。
 因みに、雪斎のホロスコープには
 乙女座に、天王星、冥王星
 牡牛座に、木星
 山羊座に、水星、金星    があり、
 それぞれが四重のグランド・トラインを形成している。
 それ故、「冥王星」が脱落すると、吉相とされるグランド・トラインの有難みが減るようで、寂ししい。
 「冥王星」には、「究極」、「再生」、「極端」という意味合いがある。
 ホロスコープから判断すると、「神懸り」的なことをやるという意味合いになるのであるけれども、果たして、どうなのであろうか。どうやら、「冥王星」脱落によって、雪斎の「神通力」も消滅ということであろうか(苦笑)。
 もっとも、安心したこともある。雪斎の「冥王星」は、「第8ハウス」に位置しているのであるけれども、この相は、間違えば「カサノヴァ」になってもおかしくない相である。若き日の雪斎は、「おいおい…。全然、違うだろ…(そうだったら、ムフフだが…)」と思ったものである。これが弱まるのであればという想いもあり、そうなると寂しいという想いもある。
 それにしても、雪斎の周囲には、「占星術フリーク」が意外と多いものだということが判った。強烈な「確信」の下に振る舞っているような人物であっても、拠り所が要るということであろう。そういえば、アドルフ・ヒトラーにも、フランクリン・ローズヴェルトにも、傍らに占星術師がいた。ロナルド・レーガンの傍らにも、居たようである。

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August 27, 2006

清沢洌の「煩悶」

■ …僕は「…僕は十二月八日、大東亜戦争勃発の時に持った感じを忘れることはできない。私は愛国者として、これで臣節を全うしたといえるか、もっと戦争を避けるために努力しなければならなかったのではないかと一日中煩悶した。米国の戦力と、世界の情勢を知っていたからだ」といった。
                    -昭和18年7月9日
        清沢洌著『暗黒日記1』(ちくま学芸文庫)

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August 26, 2006

愚行の世界史

■ 日独伊三国軍事同盟には、次のような条項がある。
第一条 日本国はドイツ国及びイタリヤ国の欧州における新秩序建設に関し、指導的地位を認め、かつこれを尊重する。
第二条 ドイツ国及びイタリヤ国は、日本国の大東亜における新秩序建設に関し、指導的地位を認め、かつこれを尊重する。
第三条 日本国・ドイツ国及びイタリヤ国は、前記の方針に基づく努力に付き相互に協力すべき事を約する。更に三締結国中何れか一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国によって攻撃せられたる時は、三国はあらゆる政治的・経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約する。

 雪斎が学生時代に抱いていた疑問の一つは、「何故、アドルフ・ヒトラーは、真珠湾攻撃の後に対米宣戦に踏み切ったのか」ということであった。日独伊三国軍事同盟は、第三条に「三締結国中何れか一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国によって攻撃せられたる時は」と記されることに示されるように、共同防衛の枠組としての性格を持っていた。けれども、それは、「三締結国中何れか一国が、他国に宣戦布告した場合に、他の二締結国も、その国に宣戦する」という性格のものではないのである。
 そうであるとすれば、ヒトラーには、たとえ日本が対米宣戦に踏み切ったとしても、それに付き合って対米宣戦に踏み切らなければならない義理はないのである。当時、ドイツにとっては、英国とソ連の二正面で闘っていた情勢では、敢えて対米宣戦して「敵」を増やすことには何の合理性もなかったはずである。ヒトラーは、独ソ不可侵条約を反故にしてソ連に攻め込んだし、『我が闘争』にも書いているように黄色人種に対する差別感情も尋常ではなかったのだから、日本に対してだけ義理立てしなければならない理由はなかったのである。実際、日本もまた、独ソ戦が始まったときには、ドイツに呼応してソ連に攻め込む挙に出ていない。
 にもかかわらず、ヒトラーは、対米戦争に踏み切った。何故だったのか。

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August 25, 2006

「太陽」と「海」

■ 映画『太陽』を観た。アレクサンドル・ソクーロフ監督が手掛け、イッセー尾形さんが昭和天皇を演じた作品である。今、この映画を公開している銀座の映画館は、盛況のようであるけれども、雪斎は、輸入版DVDを購入して観た。
 感想を書くのは難しい。ただし、この映画を通じて、外国の人々がどのような印象を昭和天皇に対して抱くのか。そちらのほうが重要である。多分に、「反感」よりも「親近感」を持った人々の方が多いのではないであろうか。だとすれば、それ自体は、「いい映画」だったと評価してもいいのではないであろうか。
 こういう映画は、日本人には作れないであろうというのは、間違いない。

■ 最近、「地政学リスク」という言葉が、マーケット用語として頻繁に使われている。元々は、グリーンスパンFRB前議長が言及して、定着した言葉であるらしい。要するに、グローバル・マーケットに与える政治変動の悪影響ということなのであろう。
 十数年前には、「地政学」は、一種の「トンデモ理論」のような扱いを受けていた。地政学を紹介した書が「悪の論理」といった名前で出されていた時代である。確かに、国家の行動が地勢的な要因に規定されるという考え方は、余りにも単純過ぎて、とても学術的な議論の対象にはならないのであるけれども、国際政治認識に際して踏まえておくべき「一つの観点」であることは、間違いない。実際、戦争と平和を扱った概説書には、アルフレッド・T・マハンやハルフォード・J・マッキンダーの名前は、地政学の文脈で当然のように出てくる。
 

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August 24, 2006

「水金地火木土天海冥」-「冥」

■ このところの靖国云々、総裁選挙云々よりも、こちらの方が「歴史が変わる」事件だと思うのであるけれども、どうなのであろうか。
 

□ 冥王星、「降格」へ=太陽系惑星「8個」に縮小-天文学連合、定義案で最終調整
 【プラハ23日時事】プラハで総会開催中の国際天文学連合(IAU)が焦点となっている太陽系惑星の定義案について、冥王星を惑星の地位から格下げし、太陽系の惑星数を計8個に縮小する内容の修正案で最終調整に入ったことが23日、明らかになった。この定義修正案が24日の総会の投票で承認されれば、冥王星は1930年の発見から76年にして太陽系9番目の惑星の地位を喪失、太陽系に関する教科書の記述が書き換えられる。
 IAU総会筋が明らかにしたもので、修正案は(1)太陽の周りを回り、自己重力で球形を取る天体(2)軌道上で「圧倒的に大きい天体」-と規定。月の7割程度の大きさしかない冥王星は海王星と軌道が重なっていることなどから、「圧倒的に大きい天体」とは言えず、惑星の分類から外される方向になった。

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August 22, 2006

総裁選挙モード

■ 気になる記事がある。

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August 21, 2006

「甲子園」の夏

■ 「甲子園」の決勝は、引き分け再試合のようである。
 雪斎の言いたいことは、ただ一つである。
 「準々決勝と準決勝、決勝の間に一日ずつ『休養日』を入れろ」。
 こういう話が何故、出て来ていないのかが不思議である。
 ニュースでインタビューを受けた人々が「明日も頑張って…」と言っているけれども、「冗談じゃないな…」と思う。
 ああいう炎天下の環境で下手をすると三日も連続で野球をやることを当然と思う感覚が解せない。
 ピッチャーに至っては、一試合百数十球も投げるわけだから、昨日も含めると四試合で軽く五百球近くは投げるのであろう。控えピッチャーでどれだけカヴァーできているのか知らないいけれども、「これは、やりすぎであろう…」と率直に思う。
 「頑張れ…」などと妙な「精神主義」を称えてはいけない。
 こういう「非合理」は止めるべきだと率直に思う。
 もっとも、延長は15回までになったし、控えの人数も増えているようであるから、以前よりも、ましになっているのかもしれないけれども…。
 「岩見沢苫小牧」と「早稲田」の若者達が「いい試合」をしていたようであるだけに、主催者を含む大人達の「鈍感さ」を腹立たしく思う。
 幼稚園に上がる前の時分の雪斎にとっては、「太田幸司」はヒーローの名前だった。太田さんは、三十七年前、「甲子園」決勝の延長十八回l、翌日再試合を独りで投げ抜いた青森・三沢高校のピッチャーである。確か、三沢の隣町の八戸の中心街で開かれた「凱旋パレード」を母親と見に行ったような記憶が、おぼろげながらある。子供の頃は、熱心に「甲子園」の中継を観ていた。「深紅の優勝旗」は、「岩見沢苫小牧」が一気に津軽海峡の向こうに持っていくまでは、「白河の関」ですらも越えなかった。「甲子園」には、東北人の落胆が詰まっている。
 雪斎が高校三年の夏、我が母校は、県大会決勝で敗れ、「甲子園」行きを逃した。それ以降、雪斎は、「甲子園」を観ることもなくなった。

 訂正、三年の間、「駒大苫小牧」ではなく「駒大岩見沢」だと思い込んでいたようである。昔の思い込みで書くと、こうなる。「甲子園」がいかに関心の範囲から消えていたかの証明である。こっぱずかしいが、「三方ヶ原戦後の家康の自画像」として、さらしておこう。

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August 19, 2006

へばった夏の日。

■ 昨日朝、締め切りから24時間遅れて、四百字詰原稿用紙20枚分の論稿を雑誌『論座』編集部に出した。バーン・アウトしてしまったので、昨日は、ほとんど何もしなかった。担当編集者のT氏からメールが入り、「力作でした…」と記されていた、

■ 「八月十五日」ネタで色々なコメントと教示を頂いた。
  皆さん、ありがとうございます。

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August 18, 2006

八月十五日の「神話」

■ 案の定というべきか、16日になったら、「戦争と平和」の話題が、潮の退くように消えている。
 16日は、早朝から、納沙布岬沖の日本漁船拿捕事件が報じられている。これが、24時間早く起こっていたら、どうなっていたのであろうか。
 17日は、「ジョンベネちゃん」殺害犯逮捕の報が流れた。これは、日本のメディアが取り上げるべき話題であろうか。解せぬ。
 というわけで、しつこく、「8月15日」の風景にこだわってみる。何故、「8月15日」は特別な意味を持つようになってきたのか。

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August 16, 2006

八月十五日の風景

■ 昨日午前中は寝ていた。昼前に起床したら、小泉総理が靖国参拝を決行していたことを知った。参拝の模様は、テレビ東京以外は、在京テレビ局の総てがリアル・タイムで放映していたようである。「いい加減、静かにせいよ…」と思う。こういう話は、二十秒くらいのスポット・ニュースで触れれば済む話である。
 もっとも、八月十五日という日付に特別なものを感じていない雪斎としては、総理の参拝は春秋例大祭の折を選ぶべきと思っていた。だから、昨日の参拝に熱くなる人々の気が知れない。

■ 雑誌『論座』に寄せる原稿の執筆作業が最終段階である。締め切りは明日17日である。

■ ところで、昨日、よりによって八月十五日に合わせる形で、『産経新聞』文化面に原稿を載せた。先刻の「富田朝彦メモランダム」を題材にした原稿である。担当編集者曰く、「右も左も怒り狂う」内容らしいけれども、「まぁ、そうだろうな…」と思う。「こういう原稿を、よく産経が載せたな…」と思う。

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August 15, 2006

只今、八月十五日未明

■ 昨日、竹炭製「フクロウの置物」が届く。いいものが手に入ったと思う。「炭の効果」というのは結構あると思う。雪斎は、普段、座っている椅子の敷物にも、「竹炭」入りを使っている。健康オタクの道を驀進中である。

■ 只今、八月十五日未明である。小泉総理は、本当に靖国参拝に踏み切るのであろうか。
 ただし、雪斎は、八月十五日という日付には特別なものを感じていない。おそらく、戦争と平和という人間の「死」に関わる話が、「お盆」という「死者が還ってくる季節」に重なったが故に、第二次世界大戦後の「八月」の雰囲気が醸し出されているのであろう。もし、終戦の日が、四月であったり十一月であったりしたら、戦後における「戦争の語り方」は、大分、変わったのではないであろうか。「お盆」が過ぎて、「戦争と平和」を考える季節も過ぎる。どうも解せぬ風景である。
 『朝雲新聞』に原稿を書いた。

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August 14, 2006

「少年時代」の風景

■ 今は、世は「お盆休み」の最中である。
 井上陽水の名作「少年時代」の風景を思い起こす。今年は「永田町」の世界に戻ったので、雪斎には「お盆休み」はない。

夏祭り 宵かがり
胸のたかなりに合わせて
八月は夢花火 私の心は夏模様

目がさめて 夢のあと
長い影が夜にのびて 星屑の空へ
夢はつまり 思い出のあとさき

夏が過ぎ 風あざみ
だれのあこがれに さまよう
八月は夢花火 私の心は夏模様

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August 11, 2006

二階派の政策提言・続

■ 自民党「二階派」の政策文書の全文を読んでみたいという奇特な方がいる。こういう政策文書というのは、普通は読んでいて面白くない。ただし、何が書かれていて何が書かれていないかに着目すれば、こうした文書を読むのは、それなりに味わいがある。

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August 10, 2006

二階派の政策提言

■ 二階俊博経済産業大臣を中心とするグループの政策提言が出された。最もまとまった記事を書いているのが、ロイター通信なので、これを紹介しよう。

□ 消費税は福祉目的税化を視野に税率など議論=自民・二階グループの政策提言
 [東京 8日 ロイター] 自民党の二階グループ(会長・二階経済産業相)は8日、9月の総裁選に向けて政策を取りまとめた。このうち消費税については福祉目的税化することを視野に入れ、今後、税率や引き上げ時期を議論していくことを明記。アジア外交に関しては、アジア諸国との間に築いてきた信頼関係のうえに、友好・共存関係を深めることが重要とした。
 消費税に関しては、行財政改革のなかで「2011年度に基礎的財政収支(プライマリーバランス)を均衡させ、その後も債務残高対GDP比を安定的に引き下げる」とし、歳入改革のうち消費税の今後のあり方について「福祉目的税化を視野に適用税率・導入時期などについて、国民的議論を一層深め、国民的合意のうえに決定する」としている。
 また「少子高齢化への対応や国際競争力の強化の視点から所得税、法人税などの税体系を見直す」とした。社会保障制度改革に関しては、基礎年金の国庫負担割合が2009年度までに2分の1に引き上げられることに対応し、消費税などの安定的な財源を確保する、との考えだ。
 一方、外交に関しては、喫緊の課題として、総裁直属の機関として「外交戦略推進会議」(仮称)を設置し、全方位の政治的、総合的、中長期的外交戦略の立案にあたる体制を早急に整備することの重要性を強調。
 このうちアジア外交については「アジア諸国の一員であるとの自覚をもち、ASEAN(東南アジア諸国連合)をはじめアジア諸国との間に築いてきた信頼関係のうえに、友好・共存関係を深める」とした。また、中国や韓国との歴史認識の相違に関しては「第三者を含む専門機関による研究を促し、相互の理解と信頼を深め、近隣諸国との政治関係の安定化に努める」との表現にとどめ、靖国参拝に関しては言及を避けた。
 これらのほか、「常に挑戦できる社会の構築」や「地域の活力を生かす社会の構築」なども盛り込まれた。前者は安倍官房長官が掲げる「再チャレンジ推進」に近く、後者は谷垣財務相が提唱する「地方の活性化」に通じる。  二階氏は、総裁選で誰を支持するかなどの対応については明言を避け、「候補者が出そろっていない段階で申し上げるのは僭越だ。一定の結論に達したら適当な時期に発表する」と述べるにとどめた。
 

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August 08, 2006

「フクロウ派」の信念

■ ジョセフ・ナイがイラク戦争に至る時期に『フィナンシャル・タイムズ』に寄せた原稿に、「イラクに関しては、フクロウ派がタカ派よりも賢明だ」("Owls are Wiser About Iraq Than Hawks”, Joseph Nye, October 21, 2002, The Financial Times) という題のものがある。
 この論稿の全文は、ハーヴァード大学ケネディ・スクールのサイトに、転載されている。締めの文は以下の通りである。

 American people seem to understand that the issue is more complicated than doves versus hawks and that the crucial choice the US faces is between impatient, unilateral hawks and patient, multilateral owls.

 要するに、イラク戦争に際して米国で出現したのは、ハト派とタカ派の対立ではなく、フクロウ派とタカ派の対立だったというのである。当時の第一期ブッシュ政権でいえば、ドナルド・ラムズフェルドがタカ派であり、コリン・パウエルがフクロウ派ということになる。タカ派は、「我慢が足りない一方的な」軍事偏重のの人々であるけれども、フクロウ派は、「忍耐強い多面的な」外交重視の人々である。
 イラク戦争には、ジョージ・F・ケナン、スタンリー・ホフマン、ジョセフ・ナイといった「現実主義者」が一斉に疑問の声を上げた。彼らは、「イラクとアフガニスタンは違う」と主張したのである。こうした現実主義者たちが何故、「フクロウ派」と称されるかといえば、スタンリー・ホフマンの著書『ヤヌスとミネルヴァ』が象徴するように、彼らが「戦争と平和の両面を持つ神の問題に知恵の神が関わる」という姿勢で臨もうとするからである。ジョセフ・ナイは、「知恵の神」であるミネルヴァの従者のフクロウに自分を仮託したけれども、それは多分にハーヴァード大学の同僚教授であるスタンリーホフマンの影響を受けたものであろう。
 雪斎も、日本の知的風土の中では「タカ派」と呼ばれた。しかし、雪斎は、自称するならば、ナイに倣って「フクロウ派」である。雑誌『論座』でも、山崎拓、石破茂の両氏が「元祖タカ派」として紹介されているけれども、彼らは、実際には、「フクロウ派」なのである。そして、日本の安全保障研究者の多くは、「フクロウ派」なのである。

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August 04, 2006

ブラジルの話

■ この記事を、どのように考えるか。
 

□ ブラジルCVRDの第2四半期決算、純利益が過去最高
 [リオデジャネイロ 2日 ロイター] ブラジルの鉱業大手バレ・ド・リオ・ドセ(CVRD) が2日発表した第2・四半期決算は、鉄鉱石の販売増と価格上昇を背景に純利益が過去最高を記録した。
 米国会計基準によると、純利益は前年同期の16億ドルから15.3%増の19億ドル。
 利払い・税・償却前利益(EBITDA)は7%増の22億ドル。前年同期は20億3000万ドルだった。
 ロイターがアナリスト5人を対象に行った調査では、純利益予想は平均で15億5000万ドル。
 第1・四半期の純利益は12億ドルだった。
 上期の利益は合計で38億ドルで、前年の30億ドルを上回った。
 ブラジルの会計基準では、第2・四半期の純利益は39億レアル。前年は35億レアルだった。
 第2・四半期決算には、5月と6月に世界の鉄鋼メーカーと交渉が行われた19%の鉄鉱石価格引き上げが一部含まれている。

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August 03, 2006

二つの戦記映画

■ 例年、この時期になると、メディアの中には「戦争回顧モード」に入るものがあるらしい。
 CS放送の日本映画専門チャンネルで、『ああ陸軍隼戦闘隊』、『ああ海軍』という二つの映画が放映されていた。
 どちらも、昭和四十年代前半に制作された映画である。
 『ああ陸軍隼戦闘隊』の方は、「加藤隼戦闘隊」で名を知られた加藤建夫中佐の生涯が描かれている。
 『ああ海軍』の方は、中村吉右衛門さん主演で、山本五十六提督戦死の折に護衛機隊長を務めていた架空の航空士官を主人公にしている。
 中村吉右衛門さんといえば、「鬼の平蔵」のイメージであるけれども、この映画の中の吉右衛門さんは、率直に若い。他にも、島田正吾、宇津井健、峰岸徹といった俳優が出演している。
 興味深かったのが、国士・右翼と思しき人物が、後に最後の海軍兵学校校長を務める井上成美少将のところに詰め寄って、「それでも軍人か」と罵倒している場面である。こういう人々が役に立たないのは、何時の時代でも変わらないようである。
 この昭和四十年代前半には、色々と「戦記映画」が制作されている。丁度、世は「昭和元禄」の最盛期、「明治百年」の時期であった。司馬遼太郎の『坂の上の雲』の新聞連載が始まっていた。

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August 02, 2006

イスラエル情勢

■ 今、行われているのは、果たして第五次中東戦争なのか。別名、イスラエルーイラン戦争ともいわれる現下の紛争の様相は、イラン情勢とも絡んで中々、複雑である。
 日本で報道される印象だけで判断すれば、イスラエルが荒っぽいことをやっているように見えるけれども、最初に挑発を仕掛けたのは、イランの影響力が濃いとされる民兵組織「ヒズボラ」のほうだったはずである。
 雪斎は、もしかしたら、事態を複雑にするためにイランがヒズボラをけしかけたなどということはないであろうなと疑ってみる。イランは、核開発に絡んで国際圧力にさらされているけれども、渦中にイスラエルを引き込めば状況が変わると踏んだ節がある。湾岸戦争の折にも、米国が神経を使ったのは、イスラエルに自制させることであった。
 こうして考えると、「イラン牽制のために、サダム・フセインを温存して置いたほうがよかった…」という冗談みたいな話が出てきても、不思議ではない。米国が中東地域で展開した政策は、従来、決して上手くいっていたわけではない。
 以前、石原慎太郎都知事が「日本の北方領土をロシアから返還させた後に、パレスチナの民を丸ごと移住させる」という破天荒な案を出したことがあった。こういうことでもしないと問題は、解決しないような気がする。それにしても、「砂漠の民」が、緑の世界に移住したら、どのように性格が変わるのであろうか。

■ 吉村昭氏が逝去した。雪斎にとっては、『ポーツマスの旗』が忘れ難い。「明治」を描いた描いた作品としては、雪斎には、司馬遼太郎作品よりも、こちらのほうに思い入れがある。「売国奴」と罵倒される人々の方が「売国奴」と罵倒する人々よりも、数段、質が上である。小村寿太郎の足跡を描いた小説は、そうしたことを教えてくれた。
 高校時代に小説を通じて逢った人々は、誰でも雪斎に影響を与えてくれた。吉村作品のほかには、城山三郎作品である。広田弘毅、濱口雄幸、渋澤栄一、西竹一…。
 吉村氏のご冥福をお祈りする。

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August 01, 2006

独身男が増えれば国が衰える。

■ 高坂正堯先生の著書『文明が衰亡するとき』は、雪斎が政治学の世界に足を踏み入れる契機になった作品である。この著書の中では、ヴェネツィアの衰亡の兆しの風景として、「独身の男がやたらに増えた」という事例が紹介されている。
 元々、干潟の上に築かれた国であったヴェネツィアは、海上交易と海軍によって隆盛したのであるけれども、何時の頃から男達は海に出なくなった。ヴェネツィアは、隆盛の過程でイタリア半島対岸に広大な土地を有するようになり、その土地からの収益で食えるようになったのである。これは、ヴェネツィアの社会が、「ハイリスク・ハイリターン」型から「ローリスク・ローリターン」型に変貌したことを意味している。
 「ハイリスク・ハイリターン」型から「ローリスク・ローリターン」型への変貌が、何故、「独身の男」を増やしたかといえば、そうした「安定」が多分に、「俺達に明日はある」という感覚を生むからであろう。ヴェネツィアの男達にとっては、海に生きていた時代には、「明日」はなかった。海に出れば、船が難破したり海賊に襲われたりということで、「明日」を考えることができなかったのである。「俺達に明日はない」と思えば、さっさと結婚しさっさと子供を作ろうとするのである。陸に上がっているうちに、「生きた証」を残したいという心理が働いたからであろう。しかし、ヴェネツィアの男達が、「海に出なくともよい…」と思い始めた途端に、そうした切迫感もなくなったのである。
 無論、これは仮説である。高坂説に従えば、依然として独身である雪斎は、「日本の衰亡」に十二分に寄与していることになる。もっとも、雪斎は、完全な「ハイリスク・ハイリターン」型の人間なので、この説を自分で証明することはできない。
 近年の少子化」対策の議論は、何故か「女性政策」の文脈で行われる。けれども、それは、コインの片面である。「何故、男達は結婚しなくなったのか」。この疑問に対する緻密な検証は、まだ行われていない。ヴェネツィアの運命と日本の運命を考える。

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