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August 26, 2006

愚行の世界史

■ 日独伊三国軍事同盟には、次のような条項がある。
第一条 日本国はドイツ国及びイタリヤ国の欧州における新秩序建設に関し、指導的地位を認め、かつこれを尊重する。
第二条 ドイツ国及びイタリヤ国は、日本国の大東亜における新秩序建設に関し、指導的地位を認め、かつこれを尊重する。
第三条 日本国・ドイツ国及びイタリヤ国は、前記の方針に基づく努力に付き相互に協力すべき事を約する。更に三締結国中何れか一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国によって攻撃せられたる時は、三国はあらゆる政治的・経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約する。

 雪斎が学生時代に抱いていた疑問の一つは、「何故、アドルフ・ヒトラーは、真珠湾攻撃の後に対米宣戦に踏み切ったのか」ということであった。日独伊三国軍事同盟は、第三条に「三締結国中何れか一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入しおらざる一国によって攻撃せられたる時は」と記されることに示されるように、共同防衛の枠組としての性格を持っていた。けれども、それは、「三締結国中何れか一国が、他国に宣戦布告した場合に、他の二締結国も、その国に宣戦する」という性格のものではないのである。
 そうであるとすれば、ヒトラーには、たとえ日本が対米宣戦に踏み切ったとしても、それに付き合って対米宣戦に踏み切らなければならない義理はないのである。当時、ドイツにとっては、英国とソ連の二正面で闘っていた情勢では、敢えて対米宣戦して「敵」を増やすことには何の合理性もなかったはずである。ヒトラーは、独ソ不可侵条約を反故にしてソ連に攻め込んだし、『我が闘争』にも書いているように黄色人種に対する差別感情も尋常ではなかったのだから、日本に対してだけ義理立てしなければならない理由はなかったのである。実際、日本もまた、独ソ戦が始まったときには、ドイツに呼応してソ連に攻め込む挙に出ていない。
 にもかかわらず、ヒトラーは、対米戦争に踏み切った。何故だったのか。

 もし、ヒトラーが対米戦争に踏み切っていなかったら、どうなっていたのか。その場合は、米国は、日本とだけ闘うしかないのである。三国同盟締結国であっても、日本が相手にしているのは専ら米国であり、ドイツが相手にしているのは専らソ連であるという構図が出現したのとしても、不思議ではなかったのである、
 12月8日に 真珠湾攻撃が行われ、12月11日に、ドイツとイタリアが対米宣戦布告に踏み切る。この72時間くらいの時間の長さを考えると、相当な葛藤がヒトラーにあったのではないかと推測する。
 因みに、真珠湾攻撃の報を聞いたウィンストン・チャーチルが、「これで勝てる」と反応したというのは、有名な挿話であるけれども、チャーチルがこのように反応したのは、本当なのであろうか。雪斎が記憶している限り、、このチャーチルの反応が出たのは、11日以前なのであるけれども、何故、チャーチルは、日米開戦が米独開戦に結び付くと喜ぶことができたのであろうか。チャーチルが日独伊三国同盟の性格を「勘違い」していたのであれば、そういう反応もありうるのであろうけれども、解せぬ話である。
 第二次世界大戦の「起源」論の一つとして折々に示されるのは、「米国が無理矢理、日本を戦争に引きずり込んだ」という類の「陰謀論」である。ただし、「陰謀論」の持つ阿呆らしさについては、既にこちらのエントリーでも書いた。米国の「陰謀」の理由にも色々あるけれども、「欧州戦線に加わりたかった米国が、日本に手を出させた」という議論は、三国同盟の性格を踏まえる限り、まるで根拠がない。また、「対日戦争に伴う戦争需要によって、大恐慌以来の経済停滞から脱却しようとした」という議論にしても、そのような「軍事支出による有功需要の創出」という政策手法の正しさが、一九三〇年代に認知されていたことを示す材料はない。「戦争が終わったら、経済停滞から脱出していた」のは事実であるにしても、「戦争をしたから、経済停滞から脱出できた」ということではないのである。
 このエントリーを書いてみたのは、靖国神社遊就館の展示物に添えられた英文説明の中に、「日本は米国に無理矢理、引きずり込まれて戦争に突入した」という意味の記述があるからである。この記述の変更を提案したのが、岡崎久彦大使が先刻、産経新聞「正論」欄に発表した原稿である。雪斎は、岡崎大使が書いたように、こうした戦争が何らかの一貫した「意図」によって始められるという議論は、かなり有害だと思っている。戦争とは、大体、偶然、人間の感情、誤解、思い込みの積み重ねによって始められる。
 「米国の陰謀論」などに走っている人々は、たとえばバーバラ・タックマンの『八月の砲声』を読んだことがあるであろうか。第一次世界大戦という惨害が、人間の予断と誤解、その他の偶然によって起こったことが判る作品である。タックマンは、別の著書『愚行の世界史』でも、「日本が真珠湾さえ攻撃しなかったら、東インド諸島を手に入れることは出来た」という趣旨のことを書いている。日本がマレーなどの英領殖民地や蘭印に攻め込んだところで、米国がそれをとめる国際法上の義務は存在しなかったからである。
 タックマンは、日本の真珠湾攻撃を「愚行」と呼んだ。そして、その「愚行」を真珠湾攻撃から二十年後に米国がヴェトナムで繰り返した。戦争と平和に絡む話は、そうした「愚行」を見据えてこそ、意味を持つものであろう。 

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Comments

http://www.sankei.co.jp/news/060825/sha029.htm

溜池通信で、その後の顛末を知りました。
4月ごろから見直しの検討に入っていたとの事、
私は、全くの「通りすがり」に近い人間でありますが
なんだか安心致しました。

Posted by: るびい | August 26, 2006 at 08:47 PM

「陰謀論」という切り捨て方はなんかずるいと思う。
親米に都合が悪ければみんな陰謀論とする悪癖は
可能性の検討を妨げるばかりか、卒然とものを見る能力も
失わせませんか?
日本を引きずりこんだという考え方には根拠がなくないですよ。
三国軍事同盟の文言とは別に政治的要素があるんですから。

Posted by: takuto | August 27, 2006 at 01:51 AM

陰謀論がある限り、政治学・歴史学は不可欠である。
実は、陰謀論は、政治学者・歴史学者が食うに困らぬために
蒔いている陰謀そのものだ!

…。失礼しました。冗談にもほどがあるのは
承知しておりますので、お許しを。

Posted by: Hache | August 27, 2006 at 02:55 AM

考えてみれば、陰謀論という言葉自体もある種の政治的な
レッテルという場合もありますね。「それは陰謀論だよ」みたいに。「陰謀論だよ」といわれると、何か自分が立場をなくしたみたいで恥ずかしくなるんですよね。バカといわれた気分になってしまいます。でも、「推理」と「陰謀」は違うもんだと思いますし。

もっとも遊就館の展示物の変更は、岡崎論文が出る前から、検討されてたみたいですよね。TBSでずいぶん前に見た記憶があります。要は、ここまでメジャーな施設になると、参拝という本道からずれるものには拘泥しないという意図は靖国神社にあったのでしょうね。

私自身は、岡崎氏の主張には政策的には賛成です。
でも、遊就館の対米史観って本当に根拠のない妄想だったとも
思えないんですけどねえ・・・。「日米同盟の手段として、遊就館の懸念される部分を改める」という手段を有効だと考えるので、私は賛成ですが、本気でそれを「安っぽい」とは考えていません。

Posted by: オッカム | August 27, 2006 at 05:37 AM

>「日本が真珠湾さえ攻撃しなかったら、東インド諸島を手に入れることは出来た」
>日本がマレーなどの英領殖民地や蘭印に攻め込んだところで、米国がそれをとめる国際法上の義務は存在しなかった

なぜこれを誰も指摘しないのだろう?と昔から不思議でした。

案外、海軍が対米戦以外のシナリオを持っていないし他人(陸軍)主導で国策が決定するのが嫌だから、国家そのものを対米戦争(自分たちが主役の世界)に引き込んだ、という側面もあるような気がしますけど。

Posted by: KU | August 27, 2006 at 06:23 AM

「日独伊三国同盟は三国の何れかが他国によって攻撃された場合の相互援助を約したものであり、三国の何れかが他国を攻撃した場合の参戦義務を約したものではないにも拘わらず、1941年12月8日の真珠湾攻撃から僅か3日後の11日に独伊は対米宣戦布告を発したのは何故か?」という疑問に対して小生の考えを披露します。
ハルノートが手交された1941年11月27日の時点では、“他国”というのはアメリカに他ならなかったのですが、三国同盟が調印された1940年9月の時点では、“他国”はアメリカとソ連だったのでしょう。なるほど1939年8月には独ソ不可侵条約が調印されていましたが、ヒットラーから見れば、後には自分が破ったこんな条約をスターリンが守るわけはない、と踏んでいたのでしょう。ヒットラーは盛んに日本がソ連を攻撃することを求めていました。日本にしろ、日ソ友好条約を1941年4月に調印して帰国した松岡洋介は6月の独ソ開戦を聞き、日本もすぐソ連を攻めようと天皇に進言して天皇を驚かせたという話があるくらいです。
日米開戦の頃、すでにヒットラーは遅かれ早かれアメリカは欧州戦争に参戦すると予測していたでしょう。アメリカはモンロー主義といいながら、軍需品の供与から船団護衛と欧州戦争への関与をエスカレートさせていたのです。対独宣戦布告は米海軍の護衛艦がUボートに撃沈されれば名目は立ったわけですから。その場合、ヒットラーにとってのベスト・シナリオは「日本と共同して米ソに立ち向かうことによりソ連には東西二方面作戦、アメリカには太平洋・大西洋の二方面作戦を強要する一方、日本には東南アジアのみならず、インドからスエズ運河までを抑えてもらい、英国に対する東南アジア、インド、東アフリカからの物資供給ルートを遮断する」といったものだったでしょう。
ただ、日本の実力については不安があったでしょうが、真珠湾に続き、10日のマレー沖での英主力戦艦撃沈の快挙を見て意を決したのでしょう。
こうした史実を解釈する際、当時の各国のリーダー達が合理的にかつ、沈着に物事を判断し決定していたと考えるのは間違いでしょう。ヒットラーにとっては、ポーランドをソ連と山分けし、欧州の西側は全て手に入れた時点で有利な平和条約を結ぶべきだったのですが、英国の占領を目指して多くの航空機とパイロットを失い、続く対ソ戦の愚行では陸上部隊まで損耗してしまったわけです。対米開戦はこうした誤謬の最後の締めくくりになってしまったようです。ただ、対米戦はいずれにしても避けられなかったでしょうが。

Posted by: 赤堀篤良 | September 05, 2006 at 10:18 AM

日本に第一撃を加えさせたかったという米国の陰謀説ですが、小生は貴説通り、こうした説は戦後の後付けと捉えております。もし、米国がそうした意図を持っていたなら、ハルノートなどという、中途半端な通告は出さなかったでしょう。ハルノートは戦後の史家がよく吟味していないようですが、日米を除く各国の中国に於ける既得権を放棄させ、日米で中国を共同管理しよう、と解釈できるプロポーザルが入っているのです。ハルノートの第二項5で、「両国政府(日米)は・・・中国に在る一切の治外法権放棄方につき、英国政府及びその他の諸政府の同意を取り付くべく努力すべし」といっております。日米も放棄するとは言っていないのです。また、日米間の通商協定締結に向けて協議を開始するとか、資金凍結を解除するとかいったアメも加えているのです。日本を怒らせるのであれば、こんな甘い条項は不要です。日本の対応も、例のワシントンでの手交が遅れた対米覚書では、その五で、「・・・合衆国の提案中には通商条約締結、資産凍結令の相互解除、円ドル為替安定等の通商問題、乃至支那に於ける治外法権撤廃等、本質的に不可ならざる条項なきにあらざるも、・・・」とこれら提案を正しく評価しているのです。
ハルノートは最後通牒ではなく、むしろ引き伸ばし作戦の一環と解釈した方が当たっているでしょう。アメリカはドイツがもう少し弱ってから欧州戦争に参加したかったのではないでしょうか?最小のコストで最大の利益を得る為に・・・。
この頃のアメリカの立場で物事を考えると全体像が見えるように思います。アメリカは自身が出遅れた中国市場へ参入する為に、欧州戦争の機会を捉えて欧州勢を中国から追い出し、ただし、日本との衝突を避ける為に日米共同の中国管理案を考えたのでしょう。毛沢東軍と共同して日本と戦っていた蒋介石も、長く続いた欧州諸国の植民地支配を払拭し、日米と協力することにより、毛沢東率いる共産軍を駆逐したかったからこそハルノートに同意したのでしょう。ただ、アメリカとして日本軍の仏印への出兵は見逃すことは出来ませんでした。仏印を足がかりとしてシンガポールを陥し、更に南の石油を始めとする資源を狙う日本の意図は歴然としておりました。ボルネオにはパレンバンの油田だけで当時の日本の需要を満たす産油量があったので、これを日本が入手すれば日本は満州、支那、蘭印だけで資源を確保でき、アメリカを必要としなくなるからです。それ故に、アメリカは日本の仏印進駐は許せなかったのでしょう。
アメリカは20世紀始めから日本を敵性国と見做し、ハワイに対する攻撃も十分予測し、それに対する訓練も行っていました。例の日本航空機大編隊を捕捉しながら役に立たなかったレーダーも、日本の攻撃に対して据えられたものです。当時、日米関係が険悪化する中、ハワイのアメリカ太平洋艦隊は、当然ながら日本の攻撃に備えるべきだったのに油断した、というのが本当のところでしょう。ただ、それでは格好がつかないし、責任者の処罰までしなければならなくなる為、戦後になって、あれはわざと日本に撃たせたのだ、などという話をデッチ上げたのでしょう。日本も開戦当初は「アメリカの油断を見澄まして、強烈なパンチを加えた」と自慢していたのですが、戦後にはそれは都合が悪くなり、アメリカに騙されたという話にすり替えていったのでしょう。日米の思惑がピッタリ合ってしまったので、この話は大手を振って通用することになったというのが小生の判断です。
こんな話に興味をお持ちの方は、是非小生のHP http://akabori.web.infoseek.co.jp を覗いてください。

Posted by: 赤堀篤良 | September 05, 2006 at 01:23 PM

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