孤高の鷹
■ 拙ブログでは、ことがあるたびに、小椋佳さんの『孤高の鷹』を引用していた。この曲は、元々は1996年正月にテレビ東京系列で放映された「徳川剣豪伝―それからの武蔵」のテーマとして使われたものである。この曲が収録されている小椋さんのアルバムは、「バラードセレクション~ことなり~」である。「巌流島」以後の宮本武蔵を描いた物語の雰囲気にはあっていたと思う。
このたびの命 思い為す宿命 好まずと言えど 戦いの嵐 荒れ止まず 挑みの心 また湧き止まず誰のようにも 生きられず
誰のようにと 生きもせず梢の高み 孤高の鷹が
心ならずの 爪を磨く
何故、雪斎がこの曲が好きかといえば、「知識人」という存在は、「孤高の鷹」でなければならないと考えているからである、中には、群れて何かをしようとする御仁達もいるようであるけれども、そうしたことは雪斎の趣味ではない。
ところで、中田英寿さんが現役を引退するとの報が流れた。プロ・サッカーの世界から完全に引退するのだそうである。「誰のようにも 生きられず 誰のようにと 生きもせず」という言葉そのままのサッカー人生であったように思う。彼が日本のサッカーを世界水準に届かせた功績は大きかったはずである。彼は、「パイオニア」だったということであろう。此度のワールドカップでは、「ジーコ・ジャパン」が決勝トーナメント進出を果たせなかった事実が強調されるけれども、ブラジルから得点を取った唯一のチーム(フランスを除く)であったことも留意されるべきかもしれない。「中田スタンダード」のプレーヤーを続々と養成するという目標ができたのは、いいことであったと思う。
そういえば、政界の「孤高の鷹」の一人であった橋本龍太郎元総理が世を去った。彼は、旧経世会人脈の中では、「浮いた」存在といわれた。「永田町」では、強烈な政策志向を持つ政治家は、その程度の差はあれ「浮いた」存在である。「永田町」は、どうしても、「理」よりも「情」が勝つ世界なのである。
そして、「孤高の鷹」そのものの存在である小泉純一郎総理も、二箇月程後には宰相の座から退く。
「孤高の鷹」の去り際は、何時も、どことなく、もの悲しい。
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