「鉄は国家なり」…か。
■ 1862年、ヴィルヘルム1世国王によってプロイセン王国首相兼外相に任命されたオットー・フォン・ビスマルクは、ドイツ統一を目指した国王の意を体して、「現在の大問題(ドイツ統一)は演説や多数決ではなく、鉄(大砲)と血(兵隊)によって解決される」という有名な演説(鉄血演説)を行った。以後、ビスマルクには、「鉄血宰相」(Eiserner Kanzler)の渾名が付された。
ビスマルクは、デンマーク、オーストリア、フランスとの相次ぐ戦争を勝ち抜き、「帝国」を完成させた。その軌跡に寄り添ったのが、「大砲王」と呼ばれたアルフレート・クルップが提供した「大砲」と「鉄道」であった。近代以降の戦争では、「大砲」は軍隊の破壊力を意味し、「鉄道」は軍隊の機動力を意味した。ドイツは、「大砲」と「鉄道」、即ち「鉄」によって築かれた「帝国」だったのである。今でも、ドイツといえば、がっしりとした「鉄」のイメージがある。ナチス・ドイツの「鉄兜」、最強の「機甲師団」l、堅牢を旨とするベンツ、サッカー・チーム…・。
だから、「鉄は国家なり」といわれるのも、当然なのである。ところで、今週、割合、大きな経済ニュースとして伝えられたのが、ミタル・スチールとアルセロールの経営統合である。「日経」と「読売」が社説で取り上げている。
□ 6月27日付・日経社説 グローバル再編の号砲鳴った鉄鋼産業
鉄鋼世界2位のアルセロール(ルクセンブルク)が最大手のミタル・スチール(オランダ)との合併受け入れを決めた。アルセロール経営陣は買収阻止をめざしたが、株主の圧力が高まり、方針を転換した。重量物の鉄は長距離輸送に適さず、鉄鋼産業は「偉大なる地場産業」と呼ばれてきたが、ミタル―アルセロールの統合が実現すれば世界をまたにかける巨人が登場する。技術水準では世界一とされる日本の鉄鋼産業も、グローバル競争への備えが急務だ。
インド出身のラクシュミ・ミタル会長率いるミタル社はカザフスタンなど新興市場の鉄鋼会社を次々に傘下に収め、急成長してきたグローバル経済の申し子的な存在だ。
そのミタルに欠けていたのが自動車向けなど高級鋼材の技術。アルセロールを吸収すれば欠落を補い、さらに西欧市場で事業基盤を確立できる。百戦錬磨のミタル会長にとっても会心のM&A(企業の合併・買収)といえるだろう。
一方、アルセロールには苦渋の決断だ。同社は1月のミタルの買収提案以降、買収阻止のために対抗策を繰り出してきた。その1つであるロシア企業との合併発表が逆に株主の不信を招き、ミタルの提案受け入れに追い込まれたのは皮肉である。
一連の事態が浮き彫りにするのは鉄鋼産業の変質だ。中国などの新興市場の成長で、もはや成熟産業ではなくなった。以前の鉄鋼業界は限られた市場を限られたプレーヤーで分け合うカルテル体質が目立ったが、市場が成長性を回復するとともに、競争は激化する。ミタルのような買収に次ぐ買収でのし上がる新興勢力はIT(情報技術)などの成長分野では珍しくない。自ら成長しなければ、M&Aの奔流にのみ込まれる時代が素材産業にも到来した。
もう1つの教訓は産業ナショナリズムの限界だ。ミタルの買収提案の直後は、フランスを中心にアルセロールの拠点国の政治家から反発の声が上がった。しかし、政府が買収阻止のために打てる手は限定されている。加えて「雇用は大事にする」というミタル側の経営方針が浸透したこともあり、政治的な反発は徐々に沈静化した。「愛国主義」が敵対的買収の防波堤になりえないのは、日本でも同じだろう。
グローバル再編の幕が開けた鉄鋼産業。その中で生き残り、成長するには技術力だけでなく、ときに大胆な買収を仕掛けたり、独自の世界戦略を描いたりする経営力が不可欠。ミタルとアルセロールの買収劇は日本にも重い課題を投げかけている。
□ 6月28日付・読売社説 [鉄鋼大再編]「急務になった『合併基準』見直し」
巨大企業の誕生は、日本の鉄鋼業界にも衝撃だろう。
鉄鋼世界首位でオランダ籍のミッタル・スチールと、2位でルクセンブルク籍のアルセロールが合併する。アルセロールがついにミッタルの買収提案に応じた。
ミッタルはM&A(企業の合併・買収)を駆使して、東南アジアや中南米などの鉄鋼会社を次々に傘下に収め、急成長してきた。“業界の風雲児”である。
今は低価格の汎用(はんよう)品が中心だが、自動車向けの薄鋼板など高級鋼材分野を得意とするアルセロールとの合併により、一段と存在感を増すはずだ。
合併後の粗鋼生産量は、1億トン超に達し、国内最大手で世界3位の新日本製鉄の3倍を超える。
ミッタルは次に東アジアを狙う、との観測がくすぶる。技術水準が世界一と言われる日本メーカーは格好の標的だ。
日本では川崎製鉄と日本鋼管が合併してJFEスチールが誕生した。新日鉄、住友金属工業、神戸製鋼所は、株式の持ち合いを含む提携強化策を打ち出すなど買収防衛に躍起となっている。
だが、海外からの本格的な敵対的買収に、どこまで抵抗できるか不透明だ。外国勢に規模でも対抗できるよう、合併という選択肢も用意する必要があろう。以下、中略。
鉄鋼業界は、自動車や電機業界などと協力し、それぞれの製品に最も適合する鋼材を提供している。製造業全体の競争力の源泉でもある。外国企業の傘下に入ると、日本独自の生産体制を維持できなくなる恐れもでてくる。
グローバルなM&Aは、化学、薬品などの業界でも活発になっている。今後、国内の様々な業界で、規模拡大を模索する動きが出てくる可能性がある。…以下、略。
雪斎は、大手鉄鋼会社株のホルダーなので、この鉄鋼業界再編の動きからは、「株価上昇」という形で幾分かでも利益を得られそうである。ぐっちー殿も「雪斎はしめしめ…(と思っている)だろう」と書いておられた。確かに、安心して持っていられる株ではあるので、ウォーレン・バフェットよろしく、長期で持つ方針ではある。故に、目先の相場は余り気にしていない。他の会社株よりも割高な配当がもらえそうなので、その点は楽しみだが…。
ただし、この「日経」、「読売」の記事を読み比べれば、少し興味深いことがある。政治学畑の頭で考えるには、こちらのほうが楽しみである。
● 日経 「政府が買収阻止のために打てる手は限定されている。加えて『雇用は大事にする』というミタル側の経営方針が浸透したこともあり、政治的な反発は徐々に沈静化した。『愛国主義』が敵対的買収の防波堤になりえないのは、日本でも同じだろう」。
● 読売 「鉄鋼業界は、自動車や電機業界などと協力し、それぞれの製品に最も適合する鋼材を提供している。製造業全体の競争力の源泉でもある。外国企業の傘下に入ると、日本独自の生産体制を維持できなくなる恐れもでてくる」。
一国の産業全体のことを考えれば、基幹鉄鋼会社が外国資本の下に置かれるというのは、気分の良いことではないのであろう。だから、「読売」社説の懸念は正しいのであろう。ただし、外国人資本家が本気になって、日本の鉄鋼会社を買収しようと決断すれば、それを阻むものはない。その点では、「日経」社説は、現実を説明しているのであろう。これは、「国益」をどのように考えるかということの材料である。
それにしても、「日本は匠の国だ」などと自惚れてはいけないのであろう。ホリえもんや「偽・欽ちゃん」の振る舞いに幻惑されて、企業の吸収・合併を「濡れ手に泡」の振る舞いとネガティブに見る空気があるのは、かなり問題である。日本の鉄鋼会社が生み出す高級鋼材は、「強く柔らかく軽い」を実現させた「匠の技」の結晶である。そういえば、日本には、「たたら製鉄」の伝統があるのである。折角、日本人名匠が「高級鋼材」をせっせと生み出しても、会社の経営権を外国人投資家が握ってしまえば、その果実を先ず食するのは、外国人である。日本人は、「良いモノが出来たぞ…」と歓んでいればいいのであろうか。「その通りだ…」と言い出す人々が結構、居そうなのが、嫌なことである。やはり、「金融の戦場」で闘う日本人の存在は大事である。
ミタル・アルセロール統合の後、次のターゲットになりそうなのは、ドイツのティッセン・クルップだと伝えられる。あのアルフレート・クルップが築き、ドイツを世界強国の座に押し上げた会社もまた、百数十年後にはグローバリゼーションの渦の中に巻き込まれようとしているのである。
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Comments
本題とは関係ありませんが、括弧付きとはいえ、雪齋さんまで濡れ手「に」粟と書くようになるとは、この誤用も市民権を得たようですね(嫌みではない。「全然」の例を引くまでもなく、言葉というのはそう言うモノだと思う)。
買収の話は、単に庶民感情的に複雑ですが…で済むのか、金融方面の弱さを危機と捉えるべきか…。買収自体はやり返せば済むのかもしれませんが、技術は「育て」ないといけませんから。
Posted by: 中山 | June 29, 2006 05:17 AM
・ 中山殿
おひさしぶりです。
ああ。やっぱり誤記でしたね。正確には「濡れ手で粟」ですな。
企業買収・合併の話というのは、庶民レベルでは、ちょっとピーンとこないところがるかもしれません、え。
Posted by: 雪斎 | June 29, 2006 05:39 AM
漏れは小異を捨てて大同へと呼びかける日本人が
なんか北朝鮮のスパイに見えてきてしょうがない。
たぶん、今回もスローガンとかいうやつで大同と
かいって日本海にミサイル打ち込んだ。
このように、資本主義型ルールを断固として無
視する、あるいは市場メカニズムを未体験な企業
は日本にもある。それは鉄道、電力などいろいろ
あるが実はもっともその旧内務省的な国家主義が
のこっているのは「鉄は国家なり」をいまだにさ
けんでいるNew日鉄だろう。この会社はいろいろ
なデマで株式市場をかく乱してきたし、日本には
そういう製鉄所はもういらないと思う。
ほかの製鉄所で十分まかなえて最近出来たヨー
ロッパ系の超巨大製鉄会社に吸収されればよい。
大きい経済のメリットは無言の圧力だが、市場
メカニズムを甘く見ないほうが良い。噂はものす
ごく早く駆け巡る社会において、巨大さ一辺倒で
その企業の性能は判別できなくなってきている。
社内の情報伝達網よりも社外の伝達網が早くなっ
たらそれはホメオステーシスを外部に宣言できない
ただの、寄せ集めの原生動物になるからだ。
Posted by: そういう時代を超えて | July 06, 2006 02:40 AM