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March 04, 2006

共同通信配信の記事

■ 昨日午後、愛知和男代議士事務所のソファーで昼寝をする。完全に漫画『美味しんぼ』に登場する山岡士郎の状態であった。「いやあ。済まない済まない」と内心、照れ隠しをする。ところで、昼寝最中に、愛知事務所に共同通信社から地方紙十紙近くの現物とコピーが届けられた。雪斎のインタビュー記事が載ったのである。
 下掲は、「熊本日日新聞」(2月26日付)の記事である。名前のところは改変した。それぞれの地方紙によって、見出しやレイアウトが微妙に異なることに気付いた。一番、大きく扱ったのは、「沖縄タイムス」であった。「戦争と平和」の問題には敏感な土地柄であれば、さもありなんといったところであろうか。雪斎の議論は、沖縄の人々にはどのように届いたのであろうか。

  □ 続・憲法を考える=国会への注文
 憲法改正に向けた国民投票法案をめぐる自民、公明、民主三党の協議が進んでいない。耐震強度偽装事件など与野党対決のあおりを受け、与党が当初、三月をめどとしていた法案提出は難しくなりつつある。衆参両院の温度差という自民、民主両党の内部事情も浮き彫りになった。社民党は二月十一日、憲法改正に反対する「社会民主党宣言」を党大会で採択したが、護憲派の動きも鈍い。ひところの各党論議の勢いは一体どこへ行ってしまったのだろうか。いま国会に何を注文したいか。作曲家の池辺晋一郎さんと政治学者の「雪斎」さんに聞いた。
           ▽                 ▽
 ●政治学者・「雪斎」さん まずは国民投票法案の通過 9条改め軍隊位置付け
 私は憲法学者ではなく、安全保障、国際政治を研究している立場ですから、関心の中心を占めるのは憲法第九条の扱いや自衛隊・軍隊の位置付けです。九条の精神は別段、日本だけのものではなく、国連憲章もまた同じ精神の下で書かれています。侵略戦争の否定、国際紛争の平和的な解決という考え方が反映されたのが九条です。にもかかわらず、なぜ、そういう意味での平和主義が、国連憲章にも根拠のない非軍事主義に転化していったか。国連憲章には、自衛権や制裁の発動を実行するための武力行使を否定する条項はない。平和主義イコール非軍事主義ではないのですよ。
 ▽真剣と竹みつ
 比喩(ひゆ)としていえば「真剣か竹みつか」の議論です。今までの日本は、実態としては真剣(軍隊)を持っているにもかかわらず「これは竹みつですよ。真剣は持てませんので…」と説明したわけです。他の国々から見ると「君の持っているのは真剣だよ。何で竹みつと説明するのだ」という反応になる。だから改憲の議論では「われわれは確かに真剣を持っていますよ」と明白に表明しないと駄目です。
 日本の左派系、護憲派、平和主義者の議論は「真剣を持ったら必ず抜いて、どこかでつじ切りをやるに違いない」というものです。確かに、戦前期の日本は「真剣」を粗雑に扱った結果、周辺の国々に被害を及ぼし、自分自身も深手を負いました。その記憶から「真剣を持つべきではない」という雰囲気があったのは否定しませんが、実態としては既に真剣を持ち、しかもそれが必要とされているという現実をどう考えるべきでしょうか。
 逆に、日本の右派系の人々は「真剣を持つべきだ」と唱えていますが、彼らの多くは「真剣を持って、その後どうするか」ということを語っていません。国家の威信とか、自立とか、独立国の証しとかだけを口にしているから「真剣を持った後」に不安がぬぐえない。
 私は九条を改めて、自衛隊を軍隊ときちんと位置付けるべきだとは思う。けれど、何より議論しなければならないのは「真剣を持ったら、今度はいかに抜かないで済ますか」ということです。
 例えば以前、北朝鮮に対する制裁論が盛り上がった時期に、もし日本が「普通の国」としてまともな軍隊を持っていたら、どうなっていたか。今でこそ経済制裁の可否が議論されていますが、そうした立場だったら、自衛隊を派遣してでも拉致被害者を取り返せというような議論が出てきていても、不思議ではない。真剣を持ってもいかに抜かないかが重要なのに、そうした議論は、右派系の人々も左派系の人々も、あまりまじめにやっていません。
 ▽後藤田氏の護憲論
 昨年亡くなった後藤田正晴氏(元副総理)が最後の最後まで憲法を変えるなと唱えたのも、その点を問題にしていたと思います。自衛隊を軍隊にした後、どうするかという議論が全くないから、彼は不安だったと思う。
 後藤田氏は戦前は内務省、戦後は警察庁で過ごし、警察庁長官当時は警察権力を行使して極左過激派のテロに対処した。彼の部下は、一人、二人どころか何人も亡くなっています。彼はハト派とか平和主義者のように評されていますけれども、法相在任時には、前の法相たちが渋った死刑執行の命令を下した。彼は、軍隊、警察、司法に象徴される国家の「暴力装置」に手を掛けることの必要と怖さを熟知した人物であったと思います。
 とりあえず、憲法改正をするにも国民投票法案を通さないと話は進みませんので、今期か来期の通常国会、あるいは来年の参院選まで時間を区切って通さないと駄目だと思います。与党の議席数からすれば、通そうと思えば通せますが、こういう法案は、民主党も大人になって議論して協力してほしい。今はライブドアなど「四点セット」問題で自民党をたたくのに忙しいようですが、政局レベルの話で時間を費やすのは、いいかげんにしてもらいたい。小泉純一郎内閣は九月で終わるのだから、もう少し建設的なエネルギーの使い方があるのではないでしょうか。(聞き手は共同通信編集委員 山崎剛)

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「新聞に寄稿した論稿」カテゴリの記事

Comments

雪斎さんの仰るとおりです。当面は、議会では、憲法問題と、関連しますが国防問題、米軍再編問題などを、もっとも優先順位高くして議論すべきです。なのに、メディアや「識者」も、四点セット、ひどいときはメール問題しか言及しない。平和ボケですね。

Posted by: 珈琲 | March 04, 2006 at 02:06 PM

こんばんは。
右も左も「真剣」で斬る様な文章ですね。良識ある沖縄の人にはちゃんと届くと思います。

Posted by: やすゆき | March 04, 2006 at 09:47 PM

「真剣を持ったら、今度はいかに抜かないで済ますか」という問題の立て方に深く共感いたします。門外漢からすると、真剣をもっているけれども、公に真剣であるとはいえない風潮がありました。真剣をいかに抜かずに済ますのかという問題は、憲法を改正しようが改正しまいが、考えておかなければならない問題であったと思います。私は、少なくとも外交・安全保障に関心をもつ政治家がこの問題をおざなりにしていたとは思いません。ただ、真剣を真剣じゃないと言わざるをえない状況では、この種の議論を行いにくかったのだろうと思います。専門家の間での議論はもっと進んでいると思いますが、外交と安全保障を切り離してしまう発想が外交や安全保障に関心をもつ一般の方(私はこちらのカテゴリーに入ります)の間でも支配的であったと考えます。

もう一つの問題は、アメリカの「善意」のおかげで平和が保たれてきたために、この国の軍事力をどのよう評価するのかという点が曖昧になる傾向です。私自身は、憲法改正そのものよりも集団的自衛権を行使することができると明言することの方が大切だと思います。素朴に見てこの国は、アジア・太平洋地域における「現状維持」から利益をえていると考えます。この安定した状況は、アメリカのプレゼンスによるところが大きいと思います。アメリカの「善意」からこの国が自らの意思でこの地域の安定に貢献し、そのためにアメリカとの協力をより密に行うことはこの国にとって望ましいと評価します。しかし、中国はこのような事態を好まないでしょう。軍事面から日本が単独で中国へ影響力をおよぼすリソースはほとんどないと思います。しかし、日米の関係を調整し、日本が極東や東南アジア、南アジア(中東はむずかしいでしょうが)の大国・小国と利害を一致させることは、まず日本の利益にかなうことが多いですし、結果としてこれらの地域を安定させるでしょう。中国を封じ込めるというよりも、日本がこれらの地域で現状を変える意図がないこと、互恵的な関係を結ぶことを望んでいることをけっして自明のこととは考えずに、不断の努力で関係国に確信させることが大切だと思います。非常に抽象的な話で申し訳ないのですが、素人の床屋談義を終えます。

 

Posted by: Hache | March 05, 2006 at 12:29 AM

「真剣か竹みつか」の比喩に賛成ですが、同じ真剣でも米英仏軍や旧日本軍が太刀であるのに対して、自衛隊は脇差ではないでしょうか。どのような任務のために編制・装備・訓練されているかの問題です。もし北朝鮮制裁論が盛り上がった時期に、憲法第9条2項がなくて自衛隊が軍隊と呼ばれていたとしても、現状のように戦力構成が第1項に規定されているならば、
1 北朝鮮に侵攻して所在不明の拉致被害者を取り返す能力はない
2 そのような能力を備えるには5年、10年の年月をかけて戦力構成を一変させなければならない
3 「脇差」に換えて「太刀」を持つことについて米国をはじめ諸外国の理解を得なければならない
という点はわれわれの世界と同じです。
「脇差を持つが太刀は持たない」と宣言するかどうかが、次の論点になるのではないでしょうか。

Posted by: 炎暑雪国人 | March 05, 2006 at 07:08 AM

「軽々に剣を抜かない」は大事な事だし、現実主義だ。
そもそも過去の日本、即ち東アジア全域で軍事的フリーハンドを持っていた時代と現在を比較するのも虚しいし、そもそも過去の日本は「抜かなさすぎて事態を悪化させた」とも考えられる。

だが最初から「私は絶対抜きません」と宣言する必要は無く、有害である。「睨みを利かす」という表現があるが、それを阻害し、結果として事態を「自分がコントロール出来ない状況」にまで悪化させる可能性も大きくなる。

もっとも日本の平和主義や非武装中立論は日本の「ソ連の衛星国化」「世界共産化最終戦争への参加」がその目標であったわけで、詐欺であったわけなのだが・・・

Posted by: ぺパロニ | March 06, 2006 at 10:00 AM

真剣は抜かないで済ますためにあるというお話。「安全保障というのは、攻められたらどうしようという話ではなく、いかに攻められないかをを議論するものだ」「学生時代のスポーツと自衛隊の違いは、試合をしないために訓練することだ」石破先生と同じことをおっしゃっているなあと思いました!

国民投票法案、動きますでしょうか。最近すっかり憲法のことを忘れているさくらでした(汗)

Posted by: さくら | March 07, 2006 at 04:11 PM

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