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March 06, 2006

折々の言の葉 1

■ 総ての計画化に抵抗するための計画は、その反対物よりもましかもしれないけれども、同じスタイルの政治に属する。
 ―マイケル・オークショット著「政治における合理主義」

 要するに、「ミイラ盗りがミイラになる」ような愚は避けよという趣旨である。オークショットそれ自身は、エドマンド・バーク以来の英国保守主義の精神を継いだ政治学者であり、雪斎は学生の時分からオークショットの書を読んでいた。前に触れたオークショットの言葉は、フリードリッヒ・フォン・ハイエクを批判した文脈で語られたものである。ハイエクは、共産主義に象徴される「計画化された経済」を舌鋒鋭く批判した人物であり、マーガレット・サッチャーが影響を受けた人物として知られている。オークショットは、ハイエクの議論に半ば工学的な「偏狭さ」を見て取った。共産主義に対抗するために、「反共十字軍の徒」になってはならないのである。
 「反○○」という姿勢こそ、オークショット流の保守主義の精神からは遠く隔たったものである。この○○には、米国や中国といった特定の国名であれ、自民党や民主党といった党派名であれ、小泉純一郎や前原誠司といった個人名であれ、どれを入れても構わないものであろう。だが、こうした「反○○」の論理に走って「保守」を自称する人々が跳梁跋扈しているのは、どういうことであろうか。

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「折々の言の葉」カテゴリの記事

Comments

現在の中韓との関係は過度期にあるという事なんでしょうね。日本が「変わる」という選択を取った以上今までのような盲目的な反日政策を続けていれば軋轢は増すばかりで、力関係を考えれば日本の変化に合わせて中国も韓国も変わっていかなければならないんじゃないでしょうか。そろそろ中韓の政治家・官僚にもその必要性に気付き始めて欲しいものですが。ハンナラ党の代表の訪日あたりが潮目になるでしょうか。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060223-00000112-kyodo-int

Posted by: ささらい | March 06, 2006 at 10:26 AM

・ささらい殿
 中国も韓国も日本に対する「反」の論理から抜け出さないと、さらなる飛躍は望めないでしょうな。もっとも、飛躍したくなければ何時までも「反日」でどうぞという気分があります。日本には、大した実害はありません。

Posted by: 雪斎 | March 06, 2006 at 10:40 AM

>「反○○」の論理

 頭使わなくていいし、溜飲下げられるし、金に
なるし、と来ればそう簡単にはやめられんでしょうな(苦笑。

 もちろん、こんなこと続けてれば、遠からず
自らの「言論」とおぼしきものなど誰も顧みて
くれなくなることは、十分承知の上でのこと
なのでしょうがね。

Posted by: おおみや%バイト君 | March 07, 2006 at 01:48 AM

>「反○○」の論理
これをもっともうまく活用しているのは米国ですね。

Posted by: SAKAKI | March 07, 2006 at 11:13 AM

「保守」と言えば、その言葉の通り今までの価値観を「保ち守る」と言うイメージがあります。「反○○」と敵を明確にして攻撃するという行動とは確かにそぐわないものを感じます。

「反○○」という姿勢は、やはり「革新派(革命派・改革派」の方がしっくりしますね。

Posted by: 藤田 | March 07, 2006 at 12:59 PM

字面から言えば「保守」とは、「革新」という言葉があってこその概念であると思います。
しかし「革新」が、むしろ硬直化し独善的なものであったと認識されるにつれ、それまで埋没していた「革新」「リベラル」「左派的」なものに対する違和感、また戦後社会の「自虐的」な空気への強い違和感と、戦後に於いては否定的に囚われがちだった、日本民族の美質や独自性への賛美を評価する気持ちが相まって、「戦う保守」が誕生したのではないでしょうか。
…って、全くこなれていない言い方で申し訳ありません。
が、閉塞感のようなものを感じ、それを打ち破りたい空気が、「保守」の一部にあるのを感じます。
「真正保守」を名乗る人たちが、しばしば「維新」を意識しているよう感じるのも、そのせいかも知れません。

Posted by: るびい | March 07, 2006 at 04:55 PM

>「反○○」の論理に走って「保守」を自称する人々が跳梁跋扈している

一つは今まで受けた仕打ちに対する怨念が噴出しているからではないでしょうか。
もうーつは、「良く負ける」ということを人の徳目としてこなかった結果ではないでしょうか。
立身出世主義と減点式を評価の基本に採用する社会なら、他人の異なるものを対話するのではなく、悪としてあげつらうのは合理的な行動な気がします。
迂遠な事を言ってるとは自分でも思うのですが

Posted by: KU | March 07, 2006 at 06:32 PM

日本人は、非常にあいまいなバランスを取ろうとする。
私が、反中派を名乗っているのは、中国に反対するだけではなく、あなた方の知性の姿勢に対しても反対するからだ。
あなた方が、中国と宥和的な関係を築くにしても、反中派を納得させるだけの合理性を持たなくてはいけない。
日本人は非常に特異で、途上国の人間でさえ、日本人は子供だという。利害関係が無ければ、愛でてくれるだろうが、すこしでもぶつかれば、そういうことはない。

Posted by: 反中派 | March 08, 2006 at 12:02 PM

オークショットが駄目なのは、
ハイエクとハイエクが見ているものの両方を見ずに、
ハイエクのみを見るから、彼の偏狭さを疑うようになる。
共産主義を見続けている者からみれば、ハイエクは
とてもまっとうで正直で純粋だということがわかる。
同じように、韓国の反日に関しても、その対象である
戦前日本を同時に見れば、反日感情の正当性・妥当性が
判定できる。
私は、昔は、韓国人の反日に同情できだったが、戦前の日本を調べるにつけて、正当ではないと思うようになった。
このへんで、中国と宥和とか
そろそろ、中国と宥和とか
もういいだろうとか
そういうことは、状況を望ましい方向に進ませない。
あいあまいな宥和政策が、天皇訪中を実現し、同時に
強烈な反日政策を生み出したことを忘れるべきではない。

Posted by: 反中派 | March 08, 2006 at 12:12 PM

「中国の『反日』の論理」といっても、実際は「論理」でなくて「感情」でしょう。「論理」があるならあそこまでの暴走はない。「論理」は褒めすぎで、「感情」なのだから問題の本質と深刻さがあると思いますが。

Posted by: フムフム | March 08, 2006 at 08:25 PM

「反なんとか」で物事を論じる時の注意点。

いつの間にかその「なんとか」が

森羅万象をコントロールできる闇の組織とか
どんなパソコンでも遠隔操作できるスーパーハカーとか
100mを3秒で走れる超人行列とか

そういうものに化けてしまうことがままありますので、用法と用量には注意しましょう。

…あと「悪の秘密基地」とか「暗闇指令」とかもバリエーションとしてあります。

Posted by: あっとさせぼ | March 08, 2006 at 10:57 PM

皆さん、有難うございます。
 中国と韓国の「反日」も、日本の「反米」も、日本左翼の「反帝」も、日本右翼の「反小泉」も、精神構造においては、どれも同じですな。「楽」ですからね。


Posted by: 雪斎 | March 09, 2006 at 08:07 AM

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