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February 26, 2006

クリント・イーストウッド

■ トリノ・オリンピック最終盤であるけれども、オリンピックと政治の関わりを考える上で、興味深いニュースがある。「産経」記事である。
 □ 中国「イーストウッド監督で南京事件映画」 代理人「全くのウソ」
 【ワシントン=古森義久】日本軍の南京攻略を題材とする映画が米国のハリウッドで著名な俳優のクリント・イーストウッド氏の監督で制作されるという情報が中国の新聞などで流されていたが、イーストウッド氏のエージェント(代理人)は二十四日、「全く事実に反する」と述べ、同監督の関与を完全に否定した。
 一九三七年の「南京事件を主題とするハリウッド映画」という話は一月十八日付の上海の新聞「文匯報」などによって伝えられた。同紙は、この映画が江蘇省文化産業グループなどの制作協力を受けてイーストウッド氏が監督、同氏と映画「マディソン郡の橋」で共演した人気女優メリル・ストリープさんが出演し、ハリウッド映画として作られ、二〇〇七年十二月の南京事件七十周年を記念して全世界で同時公開される予定となったとの記事を掲載していた。
 「南京・クリスマス・1937」と題され、南京に当時いた米国人宣教師の目を通して日本軍の中国人大量殺害を描く内容になる見通しだったという。
 しかし、イーストウッド氏の代理人を務めるウィリアム・モリス・エージェンシー社(カリフォルニア州ビバリーヒルズ)のレオナード・ハーシャン氏は二十四日、産経新聞の電話インタビューに応じ、「南京事件に関する映画にイーストウッドが出演するとか監督をするという話はまったく事実に反する」と述べた。さらに同氏は「イーストウッドがこの話にはまったくかかわっていないことを日本や中国の人たちに幅広く伝えてほしい」と強調するとともに、「私自身は数カ月前にこの話を中国の新聞で読んだという中国人から聞いたが、だれかが広め始めたデマだといえる」と説明した。
 さらに関係者によると、イーストウッド氏は現在、太平洋戦争の硫黄島の戦闘を題材とした映画を日米両国の視点から制作しようとしているため、ここ一、二年のスケジュールは詰まっており、女優のストリープさんも多くの企画を抱えて南京事件の映画に出演する余裕はないはずだという。
 ハーシャン氏ら当事者のこうした否定表明から判断すると、「クリント・イーストウッド氏が南京虐殺の映画を監督する」という話はそもそも根拠がなく、中国側の政治プロパガンダ、あるいは政治謀略的なディスインフォメーション(故意の虚報)として広められた可能性も高くなってきた。


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February 25, 2006

Durch Leiden Freude

■ 昨日早朝、女子フィギュア・スケートの競技は総て観た。だから、サーシャ・コーエンやイリーナ・スルツカヤの転倒の光景を信じられない気持ちで観た。そして荒川静香さんを迎えたスタンディング・オベイションには、少し驚いた。結果は、日本人どころか東洋人としても最初のゴールド・メダルであった。フィギュア・スケートのような採点競技では、審判の主観が混じるであろうから、東洋系の選手が「頂点」に立つことはないだろうとおもっていたけれども、その点では、この結果は「日露戦争」並かもしれない。
 荒川さんの「功名が辻」は、「トゥーランドット」の選択かなと思う。イタリアの地で行われたオリンピックで、「イタリアの誇り」の作曲家であるプッチーニの作品を使い、「トゥーランドット」という作品に埋め込まれた「東洋への憧れ」の感情を刺激する形で、東洋人女性である荒川さんが氷上を舞ったのである。荒川さんは、イタリア人の観客が観たい演技を見せることには完璧に成功したのではないか。
 それにしても、この数年の荒川さんの浮き沈みが伝えられると、彼女に相応しいのは、「悩みを突き抜けて歓喜に至れ」の言葉であろうと思う。彼女もまだ24歳である。よい人生を送ってもらいたいものであると思う。

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February 24, 2006

頑張れ、ネオ民主党

■ 椎名恵さんが、シャーリーンの「愛はかげろうのように― "I've Never been to me"」をカヴァーした「LOVE IS ALL~愛を聴かせて」は、割合、よく聴く曲である。この曲のサビの部分は、かなり有名であろう。

Love is all
女なら何よりも 愛を選ぶわ
たとえそれが苦しみでも かまわない       
そうよ
遠くても 大切なものが 見えるから
生きていける
You know my love is true

 この歌が主題歌として使われたのが、TBSが1986年から1987年に掛けて放映したドラマ『おんな風林火山」』(出演/鈴木保奈美、伊藤かずえ他) であった。このドラマは、「裏」がNHK大河ドラマの最高傑作『独眼竜政宗』であったために、今では「知る人ぞ知る」作品であろう。それは、かの大映テレビのテイストが濃厚な異色の時代劇であったと記憶する。

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February 23, 2006

ああ、惨め。 

■ 昨日、党首討論を観る。怒りを通り越して泣けた。これほどまでに虚脱感の大きい「討論」も初めてである。
 泣けた一度目は、前原誠司民主党代表を思ってのことである。前原誠司という政治家は、「良い人材」ではあると思う。だが、党代表としては、「無能な身内」を庇わなければならなかったということであろう。雪斎は、前原代表のファンなので、唖然としている。
 二度は、こういう体たらくの民主党に議員として身を置き続けなければならない友人達を思ってのことである。偶々、民主党にいるために、こういうことの尻拭いをしなければならないとは、誠に痛々しい。地元に帰れば、「何をやってんだ」の突き上げが待っているのは、火を見るよりも明らかである。
 三度は、日本のデモクラシーのためを思ってのことである。昭和初期、政友会と民政党の党争は、「憲政」の崩壊に行き着いた。政策論争とは無縁の「党争」に熱を上げるのは、やめてもらいたい。仕えている秘書団も、「やってられない」という気にはなるだろう。
 「朝寝、昼酒、幼稚な会話、そして愚か者の集いに名を連ねること、これが身を滅ぼす」。ユダヤ世界に伝わる言い伝えである。もし、今の民主党が、、「幼稚な会話」と「愚か者の集い」に事欠かない空間であるならば、こうした空間に関わること自体、「身の破滅」を招く振る舞いになる。冗談じゃねえなと思う。
 もっとも、もうすこし冷静に考えて、民主党に希望をつないでみよう。次のような記事が配信されている。「読売」記事である。

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February 22, 2006

色々な「独り言」

■ この三、四日、代議士の講演原稿の執筆で忙殺される。仕上がったのが、何と月曜の朝七時であった。事務所に添付ファイルで原稿を送り、その後は泥のように眠る。月曜日は、完全な「抜け殻」の状態であった。

■ 昨日、代議士と面談する。「よい原稿だった。次もよろしく」との一言である。安堵した。

■ 「永田町ジャンク・メール」事件は、やはり阿呆の沙汰であったのか。鶴田浩二の「傷だらけの人生」の一節を思い出す。

 古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。
 どこに新しいものがございましょう。
 生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか。

 何から何まで 真暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある

■ 日経平均株価は、450円超の上げである。こういうジェット・コースターのような相場は何とかならないのかと思う。

■ 夕刻以降、かんべえ殿主宰の研究会に参加する、弁当を食した後、突如襲ってきた睡魔に勝てず、暫時、研究会室の外のソファーで寝る。かんべえ殿、申し訳ない。

■ この数日、楽しませてもらったのは、トリノ・オリンピック、女子カーリングであった。予選リーグ敗退となったとはいえ、カナダ、スウェーデン、イギリス、イタリアとの試合は、たっぷりと楽しませてもらった。特に、NHKの実況アナウンサーが、日本チームの二番手である本橋麻里選手を「マリリン!!」と呼んでいたのは、かなり驚いた。公平中立を旨とするNHKが特定の選手を愛称で呼ぶとは…などと野暮なことはいわない。「可愛いから許す」。これが結論である。日本チームの世界を相手にした活躍は、元青森県民&北海道民である雪斎には、結構、うれしい。

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February 18, 2006

どうでもいい話

■ 一昨日、東京・汐留の共同通信本社でインタビュー記事の取材を受ける。汐留メディアタワーという空間に足を踏み入れるのは、初めてであった。もっとも、隣のカレッタ汐留には何度も足を運んでいるのであるけれども、メディアセンターまでは足を運ぶ機会を持たなかったのである。

■ 四月に朝日新聞から刊行される書の中に雪斎の論稿が収録されることになった。雪斎も今では「リベラル派」なのか。時代は、変わったものである。 

■ この数日、とある民主党議員が巻き起こした「振り込めメール」の一件で、騒然となっている。ホリえもん氏が自民党幹事長親族宛に三千万円を振り込むようにと指示したとされるメールが、取り上げられているのである。
 どうやら、このネタは、「ガセ」であるらしい。どうでもいいことに関わっている暇はない。
 昔、「国会の爆弾男」と呼ばれた野党政治家がいた。この一件は、「国会の自爆男」の登場ということであろうか。あ・ほ・ら・し・い。

■ 雪斎にとっては、ブログやネット上で行われている議論は、あくまでも「裏」の世界の議論である。「裏」の世界で語られたことに依拠して、「表」で語ることをしないというのが、雪斎のような「表」でも仕事をしている人間の作法である。「裏」の世界の情報には、「検証できない情報」が多い。「永田町」にも、「怪情報」という名の「検証できない情報」は、色々と飛び交っている。普通の神経ならば、こうした「検証できない情報」には手を出さないという判断が働くものであるけれども、中には、この「検証できない情報」を「特ダネ」と思って飛び付く人物がいる。知識人の中にも、、こういうことをやっている御仁は、意外に多い。「検証できない情報」くらい、怖いものはない。
 追記、ここいう「永田町情報」は、「永田の町の情報」である。確かに、あてにならないかもしれない。

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February 16, 2006

国連事務総長の椅子

■ 一昨日、「産経」が次の記事を配信した。
  □ 韓国外相 国連事務総長選 きょう出馬表明
 【ソウル=久保田るり子】韓国の潘基文外交通商相(61)は十四日、次期国連事務総長選に正式出馬を表明する。出馬表明はタイのスラキアット副首相、スリランカのダナパラ元国連軍縮局長に次いで三人目。出馬が有力視されていた潘氏はすでに今年初めから支持取りつけに動き始めていた。
 潘氏は、現在の外交通商省に入省し、駐米公使やオーストリア大使を歴任。国連大使、国連総会議長秘書室長も務めた国連通で、実娘は国連児童基金の職員としてスーダンに赴任している。
 〇四年からは盧武鉉政権で外交通商相を務めているが、盧大統領の対米発言にはブレが目立つのに対し、米高官に知己の多い潘氏の対米外交は「安定感」がみられた。
 一月中旬に米韓戦略対話で訪米した潘氏は、アナン事務総長を表敬訪問し、安全保障理事会常任理事国の国連大使とも会合を持った。これをもって「事実上の出馬表明」と見る向きが多かったが、輪番制による自動的なアジアからの次期総長選出に難色を示すボルトン米国連大使も「潘氏が米国に勤務したときから知っている。たいへん尊敬している」と語った。
 国際舞台で存在感を示したい韓国では「現職外相で顔が広い点でも、アジア圏では有力候補」(外交筋)とされる潘氏への期待は大きい。
 だが、この問題は日韓に新たな波紋も呼びそうだ。事務総長は安保理の推薦を受けて総会で任命されるが、韓国は、現在、非常任理事国である日本の賛成を期待している。しかし、韓国は日本の安保理常任理事国入りに反対しており、日本としては当面、態度を保留する方向とみられる。

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February 14, 2006

「憂国家」にはならない。

■ 昨日昼刻、東京・南麻布にあるイラン大使館でレセプション・パーティに参加する。名目は、代議士の代理であったけれども、実態は、食い意地が汚くなっている雪斎が、「ペルシャ料理は食ったことないな…」ということで、かなり強引に参会の「仕事」を回してもらったのである。なるほど、確かに旨かったと思う。特に「チキンの串焼き」が…。
 ところで、パーティの場では、軍服に身を包んだ各国の駐在武官の姿が目立った。確認できただけでも、韓国、中国、ロシア、スイスと来ている。無論、我が自衛隊からも、結構な数が来ていた。実は、昨日朝、イラン核施設の空爆計画があるという報道がなされたばかりである。随分と微妙な時期にイラン大使館に行ったものだと思うけれども、雪斎は、「そんなことは知らないよ…」とばかりに「チキンの串焼き」にパクついていた。随分と「お気楽な人物」になったものである。

■ 「むやみに神経を使って、やたらに世間のことを苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それが為に頭が禿げ鬚が白くなって、まだ年も取らないのに耄碌してしまうような憂国家とかというものには、おれなどにはとてもなれない」。
      ― 勝海舟著『氷川清話』 ―
 「そうだろうな…」と雪斎は思う。雪斎が日々、政治に関わり、「天下国家」を論じても、それは、「仕事」だからやっているのであって、「仕事」を離れた場所でも、それをやろうとは思わない。人間の世界には、政治活動や経済活動よりも、価値のあることは多々ある。にもかかわらず、自分の「仕事」以外の時間に、「朝から晩まで頼みもしないことに奔走する」種類の人々が、政治的な翼の左右を問わず、あちらこちらにいる。そうした人々は、雪斎には、「立派な人々だ」とは思うけれども、「そうはなりたくない人々」でもある。

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February 11, 2006

オリンピック雑感

■ トリノ・オリンピック開幕である。4年に一度しか行われない催事は、それぞれの人々の「人生の瞬間」を感じさせるものであろう。雪斎は、昭和四十年一月生まれなので、前年十月開催の東京オリンピックの折の世の歓声などは、母親の胎内で聞いていたはずである。雪斎の印象に残っているオリンピックのシーンは、次のようなものがある。

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February 08, 2006

慶事が伝えられた午後

■ 昨日午後、秋篠宮妃紀子殿下御懐妊の報が伝わる。畏れ多いことでであるけれども、雪斎はl、内心、「おおっ、やりましたな…」と快哉を叫んでしまった。今までの皇位継承に関する議論は、これにて一旦は「保留」であろう。今までの議論は、煎じ詰めれば、愛子内親王殿下が天皇皇后両陛下の「最後の孫」であることを前提としていたわけであるけれども、その議論の前提が変われば、物事の議論の仕方が変わってくる。もし、秋篠宮家に誕生する第三御子が親王殿下ならば、そもそも現行皇室典範の改正は必要ないであろうし、皇位継承のための旧宮家復帰という半ばアクロバティックな対応も必要ないであろう。そうした可能性が出てきたのであれば、今期通常国会での典範改正は急ぐ理由は何もない。無用な政治的コストは払う必要はないのでる。
 それにしても、この時節に妃殿下御懐妊と相成ったことには、日本という国の「豪運」を実感させられる。昨今、「男系男子堅持」論と「女子・女系容認」論との間での論争がヒート・アップしていたことを考えれば、此度の御懐妊の報は、それをクール・ダウンさせることになるであろう。こういう議論のヒート・アップが国民意識の中に「亀裂」を生じさせることこそが懸念されるべきことであったのであれば、此度の妃殿下の御懐妊が、そうした懸念を打ち消すことになるであろう。日本の「豪運」というのは、国民統合に軋みが生じる事態が避けられたという意味においてである。
 それ故、今はただ、妃殿下が無事に御出産の日を迎えられるように、余計な雑音を立てないようにすることが、一般国民の示すべき配慮である。無論、雪斎は、誕生することになる第三御子が親王殿下であれ内親王殿下であれ、ひとしく歓迎する。「男系男子堅持」論者は、内心、親王殿下御誕生を熱望するであろうけれども、そうしたことは物事の結果でしかないのである。
 ところで、もしかしたら、秋篠宮家に第三御子が誕生することに最も好ましい影響を受けるのは、愛子内親王殿下であろうと思う。愛子内親王殿下の御成育にとっては、御自分に年齢の近い皇族方がいないのは芳しくないことであると思われるけれども、年齢の近い従弟妹ができるのは、まことによろしきことであろうと思う。

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February 05, 2006

日曜の朝の風情

■ 精神的な「荒れ」を感じた数日間が過ぎ、ようやく正気に戻ってきた感じがする。クレメンス・フォン・メッテルニヒの『回想録』を読む。ナポレオン戦争以後のヨーロッパにあって「復興された世界」の再現に尽力したメッテルニヒの言葉には、色々なインスピレーションのネタが詰まっている。
 日本では、メッテルニヒは、フランス革命以来の国民主義、自由主義の流れを抑えようとした「保守反動」の徒として語られることが多いけれども、メッテルニヒが1809年の外務大臣就任以降、何よりも優先しようとしたのは、決して強盛とはいえないオーストリアという「帝国」の護持であった。要するに、メッテルニヒにしてみれば、自らを外務大臣に任じた皇帝に対して、臣下としての務めを果たすことが、大事なことであったのである。こうした人物に保守云々の評価というのも、余り面白いとはいえない。
 メッテルニヒの凄いところは、ナポレオン没落以後のヨーロッパにあって、オーストリア一国の利害を露骨に追求する振る舞いを避けたことである。松本健一先生が「テリトリー・ゲームの言葉で表したように、当時の国際政治では戦争の勝者が敗者から領土を割譲されるのは、常識の話であったけれども、メッテルニヒは、そうしたことをしなかったのである。
 「…ごく自然な政治的理由を行動の指針としてきた同盟列強は、ベルギーが再びオーストリアに併合されることを望んでいたのだ。我が国はこうした領土拡大を拒否した。とくに帝國に関する考慮があったためではなく、われわれは何よりも平和工作の成功を確保することを望んでいたからである」。
 メッテルニヒの言葉である。メッテルニヒによれば、オーストリアが迂闊にベルギーに手を出してフランスと国境を接してしまえば摩擦の火種を残すことになるという計算が働いたようであるけれども、このメッテルニヒの深慮が、第一次世界大戦勃発に至るまでの「百年の平和」をヨーロッパに出現させる一因となった。こういう話に触れるのは、何時も楽しい。

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February 03, 2006

馬鹿馬鹿しい人生より…

■ 九月までは無風で淡々と過ぎる「永田町」であった…はずであるけれども、何故か、大荒れである。その大荒れになる理由が、よく判らない。「忙」とは「心」を「亡くす」という意味だとか。そういえば、過日、かんべえ殿や他の方々との「新年会」の席で、「最近は、どうだ」と問われて、「もう、どうでもよくなってきた…」と答えてしまった。心が荒み始めている。
 こうした精神状態の時に頭の中に流れるのが、黒沢年雄さんが歌った「時には娼婦のように」のメロディーである。「時には娼婦のように」といえば、一九七〇年代後半に、なかにし礼さんが作詞、作曲し、一世を風靡した。同名のポルノ映画も制作されていたはずである。この歌は、「18禁」の中身であろうけれども、次の一節には、かなり深い意味を感じさせられたものである。「カラオケ」で時々、歌うことがある。

 馬鹿馬鹿しい人生より、馬鹿馬鹿しいひと時が嬉しい♪

 確かに、こういう心境になtっている。人間は、ポジティブ・シンキングだけの存在ではない。

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