« 正月休みプレミアム | Main | 夢想 060110 »

January 07, 2006

外交と「誠実」

■ 政治や外交における「誠実」の徳目の意味を考える折に思い浮かべるのが、次の二つの記述である。

 ● 「君主にとって、信義を守り、奸策を弄せず、公明正大に生きることがいかに称賛に値することかは、だれでも知っている。…君主は前述のいろいろなよい気質をなにもかもそなえている必要はない。しかし、そなえているように思わせることは必要である。…慈悲ぶかいとか信義に厚いとか人情があるとか表裏があるとか敬虔だとか思わせることが必要である。それでいて、もしそのような態度を捨てさらなければならないときには、まったく別の資質に転換できるような、また転換の策を心得ているような気がまえが、つねにできていなくてはならない」。
     ―ニコロ・マキアヴェッリ著『君主論』―
 ● 「外交の極意は、正心誠意にあるのだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだョ」。
     ―勝海舟著『氷川清話』―

 人間の世界では、「誠実」は最も基本的な徳目である。たとえば、ベンジャミン・フランクリンは、十三の徳目を壁に掲げて自ら修養に務めたけれども、その十三の徳目とは、「節制 沈黙 規律 決断 節約 勤勉 誠実 正義 中庸 清潔 冷静 純潔 謙遜 」である。明治の世に、昭憲皇太后は、侍講・元田永孚からフランクリンについての進講を受け、それを参考にして一二首の和歌を詠んだ。「誠実」の徳目に即した御歌は、、「とりどりに つくるかざしの 花もあれど にほふこころの うるはしきかな」というものである。因みに、昭憲皇太后は、「温和」の徳目に関しては、「みだるべき をりをばおきて 花桜 まづゑむほどを ならひてしがな」という御歌を詠んでいる。こうした御歌は、小学校の道徳の時間にでも教えられるべきであるけれども、今は、どうなっているのであろうか。

 ところで、国際政治や外交の世界では、「誠実」の徳目は、どれだけの価値を持ち得るものであろうか。特にロシア、中国、韓国、北朝鮮のような「厄介な隣人」を抱える日本としては、このことは、きちんと確認すべきことである。というのも、こうした「厄介な隣人」が、「誠実」や「善意」の通用する相手ではないという認識は、かなり広く浸透しつつあるからである。
 雪斎は、「悪意」や「敵対意識」を前面に押し出して国際政治の舞台で振る舞うのは、愚劣この上ないことだと思っている。そうした振る舞いは、周囲からの「悪評」を自らに返すものであるからある。加えて、国際政治の世界で「力」が根本的な位置を占めるのは、当たり前すぎて敢えて指摘するまでもないけれども、「力を恃む」流儀では、対外政策を円滑に進めるのは難しい。その意味では、現在の日本では、対外関係の機微を理解しない「粗雑な現実主義」が頭を擡げている。
 むしろ、マキアヴェッリが書いているように、「誠実でなければならないことはないけれども、誠実に見えることは大事だ」と構えるのが、賢明である。だから、どのような場合でも、「誠実」を自ら演出することは、必要なことなのである。だから、たとえば小泉純一郎総理が、現下の日中関係を前にしても「中国の発展はチャンスであって、脅威ではない」と語っているのは、正しい姿勢なのである。無論、こうした演出は、国家指導者にこそ要請されるものであっても、普通の人々には要請されるものではない。普通の人々は、「誠実」を旨として生きるのが賢明である。
 永田町での新年が始まった。雪斎としては、「正心誠意」を旨として日頃の職務に臨みたいものである。折々に発表する論稿を執筆する際も、然りである。

■ 前に触れたベンジャミン・フランクリンのが「十三の徳目」は、以下の通りである。

第一  節制 飽くほど食うなかれ。酔うほど飲むなかれ。
第ニ  沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
第三  規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
第四  決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
第五  節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
第六  勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
第七  誠実 詐り(いつわり)を用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すことも
       また然るべし。
第八  正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
第九  中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
第十  清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
第十一 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うことなかれ。
第十二 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳をにぶらせ、身体を弱め、
       または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
第十三 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし

 あらためて、この十三徳を前にして我が身を省みる。精進あるのみである。

|

« 正月休みプレミアム | Main | 夢想 060110 »

「学者生活」カテゴリの記事

Comments

おそらく釈迦に説法でしょうけど、マキアヴェッリと勝海舟の言っている事の微妙な相違は、理論家のマキアヴェッリと江戸城開城交渉を行った、外交の実践者としての勝海舟との相違のような気がします。
実際の外交交渉の場では何らかの柱となる信念が必要になる場合があるのでしょう。
もっとも勝の相手の西郷は誠意の通じる相手でしたけどね。
現在の国際的な外交のベテラン達はどのような信念を持っているのか興味深いです。

Posted by: T君 | January 08, 2006 at 01:49 AM

共産圏の外交官は外交の成果よりも自分の国内における立場を重視するでしょうから、そこを利用すべきなんでしょうね。
外よりも内を重視してしまうのが独裁国家の宿弊ですから、独裁国家を相手にしなければならない国は、そこを利用すべきなんでしょう。

Posted by: Baatarism | January 08, 2006 at 02:27 AM

僭越ながら、「正月プレミアム」よりも達意の文章だと思います。外交に関しては(ラテン語を理解しているわけではないですが)、やはり昔からの金言が大切だと思います。

"Aliis licet: tibi non licet."

私が迂闊なのかもしれませんが、「ああはなりたくないな」という方のほうが周囲では多数で「近隣諸国」に「目には目を」という表面的に威勢のよい方は見当たらないです。むしろ、相手の善意に依存しすぎているのは対米関係ではないかと杞憂かもしれませんが、感じます。「同盟は無礼講ではない」という極悪師匠の金言は常に念頭にあります。

フランクリンの徳目のうち、私は、第二は他の徳目の少なからぬ部分に優先します。どの徳目が該当するかは、沈黙いたしますが。

Posted by: Hache | January 08, 2006 at 02:43 AM

例えば、チャイナスクールと称せられる外交官達にとって最優先すべき利益とは一体何なのか、現場が日本国の国益を守ることを最重要課題として考えているのか今ひとつ確信が持てない環境で、「反日デモの混乱に乗じて中国を転覆させる試み」が現実的に可能なのか、疑いたくはないですが、着手するより早く中国側に全部筒抜けだったりしても、全く不思議ではないだろう…そう考えたことが、私にとって「保守の分裂」を実感したきっかけでした。
瀋陽の日本領事館に駆け込んだ脱北者の取り扱い方然り、最近明るみに出た、北京の日本人外交官自殺事件の扱い方然り、です。
それとも後先省みず火を付けて廻り(放火する、という意味ではありません。比喩としてです)、尻尾をつかまれ国際社会で窮地に陥り(いざとなれば、中国の援護に回る国は少なくないことでしょう。先進国が眉を顰めるような独裁国家に、中国はせっせと援助をしてますし。マーケットとしての中国の魅力を捨てがたく思う国も多いでしょう)、先方に軍事的攻撃の口実を与えても、最終的に「神風が都合よく吹いて」くれるわけじゃなし。そんな準備が、憲法上、法制上、軍事上、今の日本にきちんと整っているとは思われない。
相手を挑発するなら、叩き潰せる裏付けが必要でしょう。国際世論としても。

敵意をむき出しにしていれば、事がきれいに解決できるわけではない以上、日本の国家国民を出来るだけ危険に晒さない方法で対処していかなければならない。それが政治だと思います。
だからといって、それが「弱腰だ」「中国を良き隣人であるとでも思ってるのか」などと考えてしまえば、日本はまた、60年前の悲劇を繰り返す気がします。

Posted by: るびい | January 08, 2006 at 10:49 AM

溜池通信の中国旅行記(最新のもの)のご一読をお勧めします。
事実を事実として知らせ、其の判断は読者がするの趣旨。ここでの中国観察には近来に無く感銘しました。最近の対中国外交を論じるうえからは必読のものでしょう。

Posted by: 六車 | January 08, 2006 at 03:17 PM

学者であるならば、まず、日米中の枠組みですべての物事を考える癖はやめてほしいものです。
政治に近いならなおさらです。
日米中で考えるなら、日本人のほとんどが異口同音に
キッシンジャーの頭越し米中外交をイメージしなが
ら、日米同盟依存の恐怖と米中接近の悪夢を言います。
しかし、これは論理的必然であって、どんなことをしても変更不可能な潜在性なのです。
変えられると思うから、米中接近を悪夢と考える。
日米中の三カ国関係は、そういうものだというところ
から始めてほしいものです。
日米同盟以外に、日本が何かを為しえるとしたら、
この三カ国関係の外にしかありません。
中国に対する敵意は、日本の外交が新しいステージに
入るための第一歩です。

Posted by: 反中派 | January 09, 2006 at 11:05 PM

・T君殿
マキアヴェッリも元々は「実務家」でした。ただし、『君主論』自体が「マニュアル本」的な作品ですから少し単純化した嫌いがあるのですよ。
・Baatarism殿
国内に眼を向けて外交をやらなければならない事情は、民主主義国家でも同じですが、問題は、どちらが「外での妥協」である外交を進める上で、やりやすいかということです。
・Hache殿
「人徳者」への道は険しいですな。
・るびい殿
70年前にも、「支那の暴を懲らしめよ」という雰囲気があって、時の宰相がそれに引きずられたこともありましたからね。
・六車殿
「溜池通信」は毎日、見ています。
・反中派殿
 そういうご指摘ならば拙者も物事を考える気にさせられますわな。多謝。
 ところで貴殿が敵意を持つべしと唱える「中国」というのは、「中国共産党体制」なのか。「漢民族国家」なのか。どちらですか。前者ならば、その敵意を表向き出さなくても、拙者は貴殿の立場に同意しますが…。

Posted by: 雪斎 | January 10, 2006 at 12:18 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/71618/8043222

Listed below are links to weblogs that reference 外交と「誠実」:

« 正月休みプレミアム | Main | 夢想 060110 »