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January 31, 2006

誕生日の翌日には…

■ 昨日夕刻以降、さくら殿、かんべえ殿、ぐっちー殿、やじゅん殿、副会長殿とともに新年会を開く。ディープな噺が続出の数時間であった。中身は、書けんな…。

■ 前のエントリーで『しんぶん赤旗』が雪斎のことを取り上げたと書いたけれども、全文が確認できた、12月27日付けの紙面に載っていたようである。

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January 30, 2006

政治家の噺

■ かんべえ殿のエントリーをまるごと転記させて頂く。思わず笑ってしまった。

〇こんなことを考えました。
怒ると、怖そうなのが安倍晋三。
怒っても、怖くなさそうなのが谷垣禎一。
怒っていなくても、怖いのが麻生太郎。
怒ると、すねてしまうのが福田康夫。
〇もういっちょ。
笑うと、愛嬌があるのが安倍晋三。
笑わなくても、愛嬌があるのが谷垣禎一。
笑うと、顔が歪んでしまうのが麻生太郎。
笑うと、周囲に殺気が走ってしまうのが福田康夫。
〇なんだか福田総理も楽しみな気がしてきたな。

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January 29, 2006

再び三題噺

■ 本日二十九日、誕生日を迎える。当然のことながら、この年齢になれば、誕生日は、「最も憂鬱な日」の一つになる。昨年の一月二十九日付けのエントリーを読み返すと、苦笑させられる。小椋佳さんの『孤高の鷹』を引用していた。

このたびの命 思い為す宿命
好まずと言えど 戦いの嵐
荒れ止まず 挑みの心 また湧き止まず

誰のようにも 生きられず
誰のようにと 生きもせず

梢の高み 孤高の鷹が
心ならずの 爪を磨く
.
 「好まずといえど 戦いの嵐 荒れ止まず 挑みの心 また湧き止まず」というのは、意味深長な一節だなと思う。何故、「永田町」に戻ったのかといえば、「挑みの心 また湧き止まず」という心情にかられたからであろう。「『孤高の鷹』…か。いいよ、俺はそれで…」と思う。

■ 一昨日、読売夕刊2面に雪斎の紹介記事が載る。東京の冬の青空、白亜の国会議事堂、そして雪斎の三つが収まったカラー写真が付いていた。雪斎四十歳の肖像写真としては、いいものだと思った。

■ 去る25日夕刻、「朝日新聞」が次のような記事を配信していた。
  □ 自民、カジノ解禁プロジェクトチーム設置へ
 自民党は25日、党政務調査会にカジノ解禁を議論するプロジェクトチーム(PT)を来週設置する方針を決めた。
 カジノは刑法で禁止されているが、地方自治体などには観光活性化や地域振興のために認めるべきだとの声が強い。ただ、党内には「犯罪の温床になるのでは」「子供の教育に良くない」といった反対論もあり、PTの主要メンバーとなる愛知和男・党観光特別委員長は丁寧に議論を進める方針を示している。
 自民党内では、「国際観光産業としてのカジノを考える議員連盟」が昨年の通常国会でカジノ解禁法案の提出をめざしていた。だが、議連会長の野田聖子氏が郵政政局で無所属となったこともあって、議論は進んでいない。

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January 26, 2006

清く正しく美しく…じゃないよ。

■ 寒い毎日である。こういう時期に、「冬の日の鍋料理」の意味合いで聴いているのが、ロシア民謡の数々である。「トロイカ」、「カチューシャ」、「赤いサラファン」、「カリンカ」…。確かに、「鍋」である。とてもではないが、夏に聴く気にはならない。


雪の白樺並木
夕日が映える
走れトロイカほがらかに
鈴の音高く

響け若人の歌
高鳴れバイヤン
走れトロイカ軽やかに
粉雪蹴って

 ところで、この広く歌われている『トロイカ』の歌詞は、ロシア語原詞「の趣を全然、伝えていない。原詞の趣を伝えているのは、次の歌詞である。

走るトロイカ一つ 雪のボルガに沿い
はやる馬の手綱取る 御者の歌悲し

何を嘆く若者 たずねる年寄り
何故にお前は悲しむ 悩みはいずこに

去年のことだよおやじ 好きになったのは
そこへ地主の奴めが 横槍を入れた

クリスマスも近いが あの娘は嫁に行く
金につられて行くなら ろくな目にあわぬ

鞭を持つ手で涙を 御者はおしかくし
これで世も末だと 悲しくつぶやく

 要するに、『金色夜叉』の間貫一の心境をロシア語で歌えば、「トロイカ」になるわけである。

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January 24, 2006

三題噺

■ 土日両日は、「言論家」としての顔に戻って原稿を書く予定であったけれども、愛知和男代議士からの「特命」が入り、その対応で追われる。「特命」の中身は、ここで書けるものではない。それは、基本的に「墓場まで持っていく話」である。傍目から観れば、言論家、あるいはブロガーとしての雪斎には、「好き勝手に書いている」という印象があるだろうけれども、実際に書けることは、決して多くはない。うっかり変なことを書こうものならば、色々な筋に迷惑が及ぶ。自分が腹を切ったぐらいでは済まないことだってある。
 「権力」の中で仕事をするということの意味を説明するのは、至難の業である。「権力に迎合した輩」というのが、雪斎に昔日から向けられてきた凡庸な批判の一つであるけれども、「権力」の中で物事を観察している雪斎には、迎合も何もあったものではないのである。「権力」の中に身を置く限り、「権力」の外からの批判に同調することはない。それだけのことである。

■ ホリえもん逮捕である。ホリえもんという人物それ自体には、もはや何の感慨もない。ただし、こういう時節に決まって浮上するのは、「額に汗して働かなければ…」という議論である。
 その議論には異論はないけれども、少し立ち止まって考えてみる。
 今、世界的な「マネーの戦場」で闘える日本人は、どれだけいるのであろうか。1980年代後半のバブルの時代の反省点は、「カネの遣い方が判っていなかった」ということに尽きるのであろうと思う。ぐっちー殿と話をしたとき、「何故、あの時、アメリカの銀行の一つや二つを買収しておかなかったのか…」という話が出てきた。要するに、そうしておけば、1990年代の不況の折に、買収した米国銀行の収益が日本銀行には「援軍」となったていたはずだということである。「次に富を生む卵に投資できなかった」ということで、日本人は「マネーの戦争」で負けたわけである・。
 振り返れば、戦前期、三菱・岩崎、三井、住友、古河といった財閥家の当主が続々と男爵の地位に列せられた中で、例外として爵位の栄誉に与れなかったのが、金融財閥を率いた安田善次郎であった。こうした金融軽視の土壌の上では、「マネーの戦場」で闘う本物の人材は、登場しようもない。東京証券取引所の対応が批判されるのは、そうした「マネーの戦場」のまともな土俵を用意しようとしなかったことの反映なのであろう。「濡れ手に泡」という批判は簡単であるけれども、諸国の金融機関がその「濡れ手に泡」の戦争をやっている以上、日本人も、その「濡れ手に泡」の戦争に勝ち抜いていかなければならないのである。ホリえもんは、「マネーの戦場」で不正を働いたから放逐されるだけのことである。

■ ホリえもん逮捕のお陰で、昨日の衆議院本会議での代表質問の話題は、吹っ飛んでしまったようである。前原誠司代表に続く民主党二番手として登場したのは、雪斎の畏友、長島昭久代議士であった。長島代議士は、雪斎と同様、読売新聞の「賞」のホルダーであるし、雪斎は長島代議士と共同で日米同盟に関する論文を執筆したこともある。
 実に立派な代表質問であったと思う。二年生議員の立場で通常国会冒頭の代表質問に立てたのは、長島代議士の政治的なキャリアには、「大いなる飛躍」であろう。雪斎は、ふと長島代議士が、ワシントンから帰国して最初の選挙戦に臨んだ頃のことを思い出す。長島代議士の活躍に、乾杯である。
 ただし、長島代議士は、現在の雪斎にとっては、「敵将」である。長島代議士にとっても、今の雪斎は、「敵陣営の参謀」であろう。「やりにくい…」という個人的な感情は押し殺さなければならない。何故、互いに「政治の世界」に身を投じたのだろうと思うこともあるけれども…。

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January 21, 2006

嵐の一週間

■ 嵐のような一週間であった。通常国会召集直前は、こういうことになるとは予期していたが、やはり五年のブランクは大きかった。
 だが、お陰で、永田町の「勘」が完全に戻った。今後、徹底して「仕事」をさせてもらうつもりである。
 この土日両日は、言論家としての「顔」に戻って原稿を二編、仕上げなければならない。ウホッ。

■ 昨日夕刻以降、東京・外苑前の某トルコ料理店で、愛知和男事務所の若手秘書陣と三人で「新年会」を開く。昔、雪斎が愛知事務所に籍を置いた頃、雪斎は最初から最後まで秘書陣最年少であった。今は、すっかり「おじさん」の域に達してしまった。「若い」というのは、本当に羨ましいものである。まだ二十歳代の二人を前にして、雪斎は、そう思う。
 それにしても、この店のルコ料理は旨かった。いい店だと思う。

■ 「嵐のような一週間」の間には、色々な節目が来ていた。
 ① 17日、雪斎は、「言論活動十年」の節目を迎えた。十年前、雪斎は、読売新聞社から「賞」を受けたのを機に、言論活動を本格的に始動させた。「十年、よくぞ続いてきたな…と思う。読売新聞からの受賞論文には、「権力とは『批判』するものではなく、『誘導』するものである」と書いたと記憶している。その想いは、今でも何ら変わっていない。
 ② 18日昼頃、拙ブログの累計アクセス数が100万件の大台に到達していた。このブログは、雪斎の「思い付き」、「与太話」、「戯言」を書くものである。無論、こうした「戯言」が発展して、きちんとした論稿の下敷きになることもある。「戯言」は、所詮、「戯言」の域を出るものではないけれども、その「戯言」にお付き合い頂いた方々には、謝意を表したいと思う。
 そういえば、エントリー更新のペースも、だいぶ落ちてきたなと思う。「量」よりも「質」を重視した路線に転換せざるを得ないかと思い始めている;。

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January 19, 2006

ヨタヨタの日々

■ この数日、かなり浮き沈みの激しい時間を過ごす。
 月曜以降、愛知和男代議士の指示による政策資料の作成に掛かる。火曜夕刻以降、かんべえ殿を中心とする安保研究会に加わった後、水曜朝まで徹夜で作業し、そのまま数時間の仮眠の後、大学で授業を行う。昼頃、添付ファイルとして送付したはずの政策資料が、きちんと添付されていなかったことが判明し、急遽、国会事務所に入って資料を作成し直し、夕刻以降の会合に間に合わせる。雪斎は、携帯電話を持っていないので、昼頃、「資料が付いてないぞl。雪斎はどこだ」ということで国会事務所が一騒動になっていたらしい。大いに反省する。
 総ての原因は、水曜日未明に睡魔と闘いながら資料作成を続けていたので、きちんと添付ファイルの所在を確認せずに、空のメールを国会事務所に送ってしまったことにある。馬鹿なことをしたものである。
 火曜、水曜の両日で日経平均株価は、1000円を超える下げとなっているけれども、雪斎にとっては、「ライブドア・ショック」よりも、「空メール送付ショック」の方が大きかった。愛知代議士に迷惑が掛かる最悪事態は避けられたとはいえ、かなり焦った水曜の午後であった。騒動が終わった後の夕食の席で、さる人物が笑っていう。「政策担当秘書の仕事って、寿命が縮むと思いませんか…」。雪斎は、へロヘロになって答える。「大学の先生の方が数段、気楽だよね…」。「永田町」復帰は、雪斎にとっては「吉」か「凶」か。判らぬ…。

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January 14, 2006

おお、モンゴル

■ 以前、モンゴルについてのエントリーを書いたことがある。それを基にして、ひとつの論稿を書いてみた。

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January 13, 2006

けものみち

■ この三日は、「潜伏」生活であった。

■ 滞米中の愛知和男代議士の発言が、「時事通信」によって伝えられている。
  「福田首相」の可能性高い=自民・愛知氏
 【ワシントン9日時事】自民党の愛知和男元防衛庁長官は9日、ワシントン市内で講演し、小泉純一郎首相の後継を選ぶ9月の党総裁選では対中国外交の立て直しが最大の争点になるとの見方を示すとともに、「ポスト小泉が福田康夫元官房長官の可能性はかなりある」と述べた。(時事通信)

 六年前、愛知代議士は自民党のODA政策の責任者であった。その折に検討されたのが、「対中ODAの見直し」であった。そのことからすれば、愛知代議士には、「中国の嫌がることも平気でする」人物という印象がある。ただし、そのことは、愛知代議士が原理的な反中傾向を持っているということでもない。福田康夫氏や山崎拓氏が「国立追悼施設」の設営に熱心であったとしても、そのことは、福田氏や山崎氏が中国に特別なシンパシーをl持っているということを直接には意味していない。福田氏は、官房長官時代に父・赳夫総理以来の宿願であった有事法制策定を実現させたし、山崎氏は他派に先駆けて自派独自の憲法改正案を発表した。もし、福田氏や山崎氏が対中配慮の権化であるならば、両氏は、中国政府が明らかに歓迎しない「普通の国」への動きを抑える方に回るはずではないか。当然のことながら、福田総理誕生の可能性に言及した愛知代議士が、その故を以って中国シンパだと語られるのは、雪斎には、ギョッとさせられる話である。
 ところで、「国立追悼施設」設営に関していえば、その論理は、鎌倉・円覚寺の現代版を設けようということであろう。円覚寺の由来は、「鎌倉五山第二位の円覚寺は、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が弘安五年(1282)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山である。文永・弘安の役で蒙古の大軍を撃破した時宗は、両軍戦死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと願い、その師・無学祖元(仏光国師)への報恩の念から、祖元を開祖に円覚寺を建立した」ということらしい。要するに、敵も味方も区別しない弔いというものは、明治以前の日本人が既に手掛けていたものである。 そうした「敵」も「味方」も区別しない追悼は、果たして「中国に甘い」などと評し得るものであろうか。
 雪斎は、中国や韓国の要求に応ずるという名目ではなく、円覚寺の現代ヴァージョンを建立するという名目ならば、「国立追悼施設」の設営も考慮に値するかもしれないと思い始めてきた。それをしたところで、靖国神社が廃されるわけでもない。靖国神社合祀から抜け落ちた人々の分も追悼するということならば、「国立追悼施設」は靖国の「補完施設」ともなり得る。このような施設は、どのようなタイミングで打ち出すかが問題なのである。
 「○○だから、中国に甘い」といった議論の仕方は、判りやすいものであるが故に、人間の多様な現実を説明し切るのは無理である。政治家の発言や行における「含み」が理解できなければ、おそらくは政治も理解できない。

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January 10, 2006

夢想 060110

■ ただ今、愛知和男代議士は外遊中である。通常国会召集前というのは、政治家はたびたび東京を空けることがあるのでスタッフも表向きは暇になる。ただし、それは、あくまでも表向きであって、実際には色々な「仕込み」が行われている。
 それは、さしずめ、テレビ・ドラマ『必殺・仕事人』の中で、仕事人の一人である「組み紐屋の竜」が仕事の前に紐を組んでいるという風情である。雪斎も、余計なことを考えずに、仕事の「仕込み」である。
 ところで、政治家の外遊といえば、小泉純一郎総理がトルコに出発している。「共同」の記事である。
 □ 首相、トルコ訪問に出発 中東和平めぐり意見交換
 小泉純一郎首相は9日午後、トルコ訪問のため、羽田発の政府専用機で出発した。10日にアンカラでエルドアン首相との首脳会談に臨み、2国間関係の強化を確認、中東和平やイラク復興などについて意見交換し、13日に帰国する。
 当初予定されていたイスラエル、パレスチナ訪問はイスラエルのシャロン首相の緊急入院で中止となり、トルコ訪問だけに短縮された。11日にはイスタンブールも訪れ、現地在住の日本企業関係者と懇談する。
 首相は出発前、首相公邸前で記者団に対し「トルコは明治時代から日本に非常に好意を持っている友好国であり、イスラエル、パレスチナ両国といい関係を保っている」と指摘。エルドアン首相との首脳会談について「日本とトルコの友好関係発展だけでなく、中東和平やイラク復興支援で協力できるのではないか。そういう話し合いをしてきたい」と強調した。

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January 07, 2006

外交と「誠実」

■ 政治や外交における「誠実」の徳目の意味を考える折に思い浮かべるのが、次の二つの記述である。

 ● 「君主にとって、信義を守り、奸策を弄せず、公明正大に生きることがいかに称賛に値することかは、だれでも知っている。…君主は前述のいろいろなよい気質をなにもかもそなえている必要はない。しかし、そなえているように思わせることは必要である。…慈悲ぶかいとか信義に厚いとか人情があるとか表裏があるとか敬虔だとか思わせることが必要である。それでいて、もしそのような態度を捨てさらなければならないときには、まったく別の資質に転換できるような、また転換の策を心得ているような気がまえが、つねにできていなくてはならない」。
     ―ニコロ・マキアヴェッリ著『君主論』―
 ● 「外交の極意は、正心誠意にあるのだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだョ」。
     ―勝海舟著『氷川清話』―

 人間の世界では、「誠実」は最も基本的な徳目である。たとえば、ベンジャミン・フランクリンは、十三の徳目を壁に掲げて自ら修養に務めたけれども、その十三の徳目とは、「節制 沈黙 規律 決断 節約 勤勉 誠実 正義 中庸 清潔 冷静 純潔 謙遜 」である。明治の世に、昭憲皇太后は、侍講・元田永孚からフランクリンについての進講を受け、それを参考にして一二首の和歌を詠んだ。「誠実」の徳目に即した御歌は、、「とりどりに つくるかざしの 花もあれど にほふこころの うるはしきかな」というものである。因みに、昭憲皇太后は、「温和」の徳目に関しては、「みだるべき をりをばおきて 花桜 まづゑむほどを ならひてしがな」という御歌を詠んでいる。こうした御歌は、小学校の道徳の時間にでも教えられるべきであるけれども、今は、どうなっているのであろうか。

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January 04, 2006

正月休みプレミアム

■ 世の大勢は、本日四日を以て「仕事始め」とするけれども、雪斎の「仕事始め」は、明日である。従って、本日は、正月休みの「プレミアム」の一日である。エンジンの試運転を始めねば…。

■ 正月三箇日中、雪斎にとって大恩ある人物から、賀状が届く。賀状には、「最近の政界や保守陣営の品性の欠如は、まことに困ったものである。雪斎は、ぜひとも中庸の立場を貫け」との文言が記されていた。この人物も、以前は「保守」傾向の論客として高名な方であった。雪斎は、この賀状に深く感謝した。

■ 昨年大晦日までの三日間、箱根で温泉に浸かりつつ読んでいたのが、ジョージ・F・ケナンのナショナル・ウォー・カレッジ時代の講義録であった。ケナンにとっては、この時期は、いわゆる「長文電文」を打ったモスクワ大使館参事官勤務の後、高名な「X論文」を発表した国務省本省政策立案室長勤務の前である。要するに、、それは、ケナンが「封じ込め」政策立案の最前線に立つ直前の「充電期間」にあたる。
 一読して、「これは、興味深い講義録だ」と思った。確かに、そこには、「X論文」よりもヴィヴィッドに「封じ込め」の論理が表されている。ケナンによれば、「封じ込め」の目的とは、「ヨーロッパからソヴィエト共産主義の影響力を排除すること」であったのである。
 ケナンの展開した「封じ込め」の論理が現在でも参照されなければならないのは、現下の我が国が明らかに対中「封じ込め」の論理を徐々にではあっても確実に展開しつつあるからである。東アジア共同体にインドやオーストラリアを巻き込もうとした我が国政府の努力は、多分、「東南アジア地域から中国の影響力を排除する」という「対中封じ込め」の論理からは、誠に理に叶ったものであるであろう。
 ただし、「封じ込め」の論理が想定する目的は、その「影響力の排除」という水準までである。保守論壇誌には、「中国の崩壊」を期待するかのような議論が雨後の筍の如く出現しているけれども、そうした議論の多くはは、「中国の崩壊」以後の状況に何の展望を示していないという意味では、誠に無責任極まりないものである。一例としては、中国国内に存在する「核」の管理の問題がある。中国共産党政府が瓦解した後に、誰が「核」の管理を引き受けるのかという仮定の話は、それを考えれば考えるほどに憂鬱になる。当面、上海総領事館の外交官の自殺の一件によって、我が国における対中感情の悪化も加速しそうな雰囲気であるけれども、我が国の対中政策の文脈では、中国共産党体制の不安定化を促すような施策は、採りようがない。
 今年九月以降の小泉純一郎総理の退陣は、我が国の対外政策の一つの「転機」になるであろう。対ソ「封じ込め」政策が展開された冷戦期ですら、一面においては「長い平和」であり、その期間には「デタント」と呼ばれる時節があったことは、きちんと確認されなければならない。国際場裡における影響力の削ぎ落としを狙った「友好芝居」を、どれだけ上手くできるかが、今後の対中政策の眼目であろうし、雪斎は、その「友好芝居」を折に触れて提案しようと思っている。もっとも、この「友好芝居」の提案も、特に文学・思想畑の保守層からは「媚中派の議論だ」などという短絡的な反発を受ける公算が、小さくないであろうけれども…。

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January 01, 2006

新年の御挨拶

■ あけましておめでとうございます。

■ 「主義といい、道といって、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。単に道といっても、道には、大小厚薄濃淡の差がある。しかるにその一つを揚げて、他を排斥するのは、おれの取らないところだ。人が来て囂々とおれを責めるときには、おれは『そうだろう』と答えておいて争わない。そして後から精密に考えてその大小を比較し、この上にもさらに上があるだろうと想うと、実に愉快で堪えられない。もしわが守るところが大道であるなら、他の小道は小道として放っておけばよいではないか。智慧の研究は棺の蓋をするときに終わるのだ。こういう考えを始終持っていると実に面白いョ」。
          ―勝海舟著『氷川清話』―
 二〇〇六年の「最初の一冊」は、勝海舟が著した『氷川清話』であった。書中、政治や外交の要諦として「正心誠意」の意義を勝が説いていたのは、有名であるけれども、前に転記した件も、雪斎には誠に味わい深い。勝は、江戸城無血開城に立ち会い、維新後には旧主・徳川慶喜を初めとして旧幕臣層の立場の保全に奔走した人物である。以前、阿川尚之先生は、福澤諭吉の「痩我慢の説」を取り上げながら、「実際に痩我慢の言葉よろしく、自らの境涯と責任の重さに耐えながら黙々と振る舞ったのは、勝のほうであった」と指摘していたけれども、勝が引き受けた維新後の仕事の意味を考えるとき、阿川先生の勝への評価は、納得に価するものであろう。
 勝は、故・江藤淳先生の評では、愛されることを諦めた「政治的な人間」であったと記憶する。雪斎もそうした「政治的な人間」の姿には惹かれるものを感じているし、前記の『氷川清話』の一節も、誠に重要なものと諒解している。新年の始まりに際して、あらためて、この一節の意味を噛み締めることにしよう。

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