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December 01, 2005

『坂本多加雄選集』刊行

■ 「有識者会議」が「女子・女系による継承」の容認を打ち出したことは、特に「保守」層の反発を招いている。場違いな批判の中には、座長を務めた吉川弘之先生が機械工学専攻であることを指して、「ロボット工学者に皇室制度の何が判るのか」というものがある。しかし、吉川先生の肩書きは、「日本学術会議会長」であり、吉川先生は、全国の総ての学者を代表する形で「高度な常識」に基く所見の披露を要請されているのである。その点は、他の「有識者会議」メンバーについても同様である。たとえば、奥田禎・トヨタ会長は、経営上の専門知識ではなく、日本経団連会長として財界を代表する形で「高度な常識」の披露を期待されたわけである。逆にいえば、二、三の例外を除けば、「有識者会議」の人選は、そうした「高度な常識」の披露という意味において、かなる理にかなったものなのである。
 こうした事情は、「保守」層が、こうした場に人材を送り込めなかったことの意味を示唆している。 「保守層」の意見は、最近は、「学識に基く見解」というよりは、たんなる「プロパガンダ」や「アジテーション」の色彩を色濃くしている。これでは、「保守」層は尊敬されないし、その言説の影響力が狭まるのも当然である。
 もっとも、保守論壇の中でも、「有識者会議」に名を連ねるに相応しい人物の一人が、故・坂本多加雄教授であったのは、間違いないであろう。坂本先生のような人物が「有識者会議」にいなかったのは、残念なことであった。坂本先生ならば、政治的な立場を異にする人々ですらも、その学識には敬意を払っていたはずである。
 そうした坂本教授の論稿を収録した『坂本多加雄選集』が先頃、刊行された。下に紹介したのは、『産経新聞』に掲載された同署の書評である。雪斎にとっては、坂本先生は、知識人として憧憬の存在であった。

  □「坂本多加雄選集」刊行に思う 慎慮、中庸、情熱の人 
 全二巻千二百ページ近くになる本選集(藤原書店)に収録された論稿の中心を占めるのは、故・坂本多加雄教授が遺した論稿の中でも、既に刊行された単行書に収められるに至らなかったものである。これらの論稿は、もし本選集の刊行がなければ、世の人々の眼に触れることは難しかったかもしれない。
 また、これらの論稿が執筆されたのは、坂本教授が活動した期間の総てに及んでいるし、その論稿の体裁もまた、学術誌に載せたものから新聞・論壇誌に寄せたものまで多岐にわたっている。本選集の刊行は、その意味でも意義深いものであり、収録された論稿のライン・アップは、坂本教授の知識人としての姿勢や思考の軌跡を辿(たど)るには、誠に適切なものである。編集に携わった杉原志啓氏(学習院女子大学)の努力には、敬服するより他はない。
 ◆出発点に福地研究
 就中(なかんずく)、評者にとって最も興味深かったのは、一九七九年に発表された坂本教授の処女論稿「福地源一郎の政治思想」(第I巻所収)であった。世の人々にとって坂本教授の業績として馴染(なじ)み深いのは、教授がその令名を高からしめた著書『市場・道徳・秩序』(創文社刊)を上梓(じょうし)し、さらには歴史教科書刷新運動に関与し始めた一九九〇年代前半以降の時事論稿であろう。実際、そうした論稿の多くは、本選集第II巻に収められている。ただし、山路愛山や福澤諭吉の研究によって名を馳(は)せた坂本教授の足跡の出発点に福地源一郎があったという事実は、坂本教授の性格を理解する際には踏まえておくべきものであろう。杉原氏は、坂本教授の「福地源一郎」論に関する「解題」の中で、「処女作は著作家のその後の本質を規定するとはよくいわれるところだが、ある意味ではそれはこの論文にも符合する」と書いているけれども、評者もまた、この杉原氏の見方には納得する。
 坂本教授の「福地」論に拠(よ)れば、明治初期、当時の新政府顕官との距離の近さから「御用記者」と揶揄(やゆ)された福地は、「愛国」という国民意識の担い手としての平民の精神の向上を期待した。民権運動を主導した士族民権派は、ジャン・ジャック・ルソーの影響の下で民権に関する「理念」を先走りさせるきらいがあったけれども、「一身独立の生計」の裏付けを持つ平民に期待した福地は、民権運動の成果たる国会開設に際しても、具体的な「実際」の要請を重視したのである。しかも、福地は、権力の行使を伴う政治という営みの目的が「社会ノ秩序」の保持にあると限定的に把握する一方で、その「秩序」の維持が「進歩」に寄与するという「含み」を持たせた見方を示した。
 坂本教授の「福地」論には、一九九〇年代以降に披露された「国家」、「政治」、「歴史」、「知識人」に関する教授の論稿の諸相が、既に現れている。国家にせよ政治にせよ歴史にせよ、それを語る際には幾許(いくばく)かの「含み」を持たざるを得ないけれども、そうした「含み」を持たせた言論の展開は、実際には然程(さほど)、容易ではない。後に「文人」と呼ばれた人物を扱った坂本教授の「福地」論は、言論における「含み」の意味をも示しているのである。
 ◆共鳴と憧憬新たに
 評者は、東京大学大学院生時代に坂本教授の前述の著著『市場・道徳・秩序』や論稿「『万国公法』と『文明世界』」を読み、強烈な印象を受けたものである。そして、評者は、特に言論活動開始以後に度々、坂本教授の謦咳(けいがい)に浴する機会を得た。その縁によって、坂本教授には拙書『国家への意志』(中公叢書)の書評を手掛けて頂いたこともあれば、評者が教授の著書『国家学のすすめ』(ちくま新書)の書評を書いたこともある。
 評者が接した坂本教授は、本選集に収録された幾多の論稿に醸し出されるように、慎慮と中庸と情熱の人士であった。評者は、「国家」や「政治」を語る構えにおいて坂本教授に共鳴を覚えていたし、知識人としての坂本教授には憧憬(しょうけい)の念すら抱いていた。本選集は、そうした坂本教授への「共鳴」と「憧憬」を新たにさせるものであった。

                  ◇

 坂本多加雄氏は平成十四年十月二十九日に死去した。享年五十二。当時学習院大学教授で専門は日本政治思想史。『象徴天皇制度と日本の来歴』(読売論壇賞)など、価値の高い著作を多数残した。
            『産経新聞』(2005年11月17日付)掲載

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「学者生活」カテゴリの記事

Comments

私は,皇室典範の改正について,女性天皇はともかく,女系天皇については,強い反発を覚えています。以前は,男女平等と言うことで,そうでもなかったのですが,神道に関わり,宗教的精神を自分の物にする内に,やはり女系ではダメだという感覚になってきました。
これは,感情的で論理ではないのでお好みではないと思いますが,感情に関わるだけに,有識者会議の案に強い反発を覚えています。
有識者会議で,皇太子と雅子妃を離婚させるという案が出てきても良かったとは思います。皇太子が,2人とか,3人の,ある程度の男子をもてないようなら,5年ぐらいで結婚を繰り返すと言うことで,男系の問題は解決できるはずです。少なくとも皇太子は皇統を残すという大事なことを怠っているのですから,それぐらいは受け入れて貰いたいという気持ちがあります。
非人間的な案ですが,倫理の問題で側室をもてないなら,離婚の自由もあるべきです。嫌いでもないのに離婚させるのが反倫理と言えば,そもそも天皇制そのものの維持が,非人間的な行為でしょう。
愛子様に大きな重圧を押しつける女性天皇も,あまり倫理的に正しい行為とは思えないのです。

Posted by: 荊原泰利 | December 01, 2005 at 10:11 AM

>「ロボット工学者に皇室制度の何が判るのか」

反女性女系天皇派は、トンデモと言われている動物行動学者の竹内久美子氏を出していますが、これでロボット工学者云々を言われても…という気がしますね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051130-00000004-san-pol

少なくともY染色体を根拠に出すのは、やめておいたほうが良いと思うのですが。

Posted by: Baatarism | December 01, 2005 at 10:45 AM

「保守」層の立場を取る人たちの拠って立つところがどのようなものかを反映しているのではないでしょうか。
かつては有産者は保守、無産者は革新で常に有産者に対して富の再分配を求める、という単純な図式があったと思います。しかし最近、従来なら無産者側に分類されたような層が「保守」を気取る傾向が見られます。革新側、無産者側につくには自分が社会的弱者たることを認めなくてはなりませんのでそれが我慢ならない、という思考があるのかもしれません。そういう人にとっては「高度な常識」よりアジテーションのほうが心地よく響くことでしょうね。
※表題の坂本氏の選集に関するコメントでなくてすみません。

Posted by: 南野何樫 | December 01, 2005 at 01:03 PM

坂本教授が泉下に在って無理ならば、せめて渡部昇一名誉教授か岡崎大使をかませておけばよかったのにと思うのですが…。

●Baatarismさん
ついでにいえば緒方さんは人権マフィアの国連の手先のサヨクで、奥田さんは中国に新幹線を献上する国賊ということでわかっています。

…後者は個人的には激しく同意ですが(苦笑)。

●南野さん
そこまでややこしいことでなくて
「極端に振り切れてしまえば右も左も痛いことには変わりない」という話ではないか…などと、某板にヲチスレが晒されたこの方を見ながら思ってみる次第であります。

http://d.hatena.ne.jp/mahotan/

Posted by: あっとさせぼ | December 01, 2005 at 08:04 PM

「歴史観については当然議論すべきだが、国会ですべきだ」
これが全てでは無いでしょうか。

女系を認めるにしても、あるべき女帝の配偶者のありかた。これまでの伝統との折り合い、女系天皇にいかに正当性を付与するかなど、多くの人が感じるであろう疑問を大所高所から議論することが「有識者」には求められるのではないでしょうか。
(それをしないのなら官僚のワーキンググループで十分では?)

単に男子が生まれないから女帝・女系で、配偶者の問題は考えない、歴史も政治も考慮外。これが「全国の総ての学者を代表する形で「高度な常識」に基く所見」なのでしょうか?

まあ、伝統維持派も「Y染色体」ですからねえ。
「法隆寺をコンクリートに・・・」のほうが遥かに説得力があります。この国の頭脳はどうしちゃったんでしょうか。

Posted by: itanomazyutushi | December 01, 2005 at 10:27 PM

いやぁ、この程度の議論で、我が国の今後
数百・数千年分のあり方を左右されるのかと
思うとねぇ....ため息が出てきますね。
お役人様お得意の「先送り」でもよさそうな
気のする今日この頃でございます。

Posted by: おおみや%バイト君 | December 01, 2005 at 11:07 PM

 皆さん。ありがとうございます。
 「こういうときに坂本先生がいないとは…」とは、現下の保守論壇の様をみていると、率直に思えてきます。「Y染色体」云々という話を出してきた時点で、「これは馬鹿な…」と思いました。たとえば、拙者は、桓武天皇から平氏、北条氏と来て、その北条氏の庶流の末裔になっているはずですが、拙者にも神武天皇の「Y染色体」があるのでしょうかな。限りなく、トンデモ話に近づくと思うのですが…。
 拙者などは、とりあえず愛子内親王殿下に「次の次」の地位を受け継いで頂くにしても、その「次」のことは三十年くらい時間を掛けて結論を導き出すしかないのかなと思い始めてきました。それまでに、「男系男子」維持派は、きちんとした理論構築を成し遂げるべきでしょう。この作業は、相変わらず冷戦思考に囚われた現下の保守論壇には、手掛けられません。拙者が「皇室に委ねればいい」と書いたのは、現下の保守論壇には全然、信を置いていないという理由があります。
 もっとも、三十年後には拙者も七十歳になっていますから、そのときまでには、広く尊敬される識者になっていたいものだと思います。

Posted by: 雪斎 | December 02, 2005 at 05:26 AM

「坂本多加雄選集」立派な本ですが、高いんですね(苦笑).私がお世話になった高坂先生も現役中に逝去されたんですが、死後出た著作集は高かった.現役中は著名出版社から妥当な値段で本がでるのに、逝去されてからの著作集が高価なのは、もうちょっとなんとかならないものかと.
出版業界の事情でしょうが.

Posted by: M.N.生 | December 02, 2005 at 09:13 AM

Y染色体だのミトコンドリアだのという話になってきた時点でグダグダ感が度し難く強まりまして。
ひとまず眞子さまがご成年となられる平成21年秋までにはさしあたっての目鼻をつけないといけないわけで、もうリミットまで四年しかない訳ですが。

結局「ま、どんな結論が出てもどうにかしちゃうんじゃないだろうか」という実に非論理的諦念に達したのですがそれもどうかと…_| ̄|○

Posted by: あっとさせぼ | December 05, 2005 at 11:18 PM

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