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December 24, 2005

言論における「美しさ」とは…

■ 雪斎が故・高坂正堯教授や永井陽之助教授の影響を受けたことは、既に何度も書いている。ただし、高坂先生と永井先生のどちらも雪斎にとっては、「直接の師」ではない。永井先生には、学生時代以来、度々、お眼に掛かることができたけれども、高坂先生には、直に言葉を交わす機会を持たなかった。
 北大時代に最もお世話を頂いたのは、木村汎教授であった。木村先生は、京都大学では高坂先生と同じく猪木正道教授の門下であり、北大赴任が決まった折には、「永井先生の同僚になれるのか」と喜んだのだそうである。木村先生を通じて、雪斎は、高坂先生と永井先生の思考に間接的に触れていたのである。木村先生のソビエト現代政治の講義で忘れられないのが、「帝国主義打倒」などと書かれた北大構内の左翼過激派の立看板を引き合いに出して、「あれは美しくないのだな…」と漏らしていたことである。この言葉は、外川継男教授が19世紀のロシアの文化的な豊饒さを説いた講義の後では、かなり印象に残った。共産主義の精神は、ただ単に「美しくない」のが問題だと実感した瞬間であった。19世紀に、トルストイやドストエフスキーらの文学世界やチャイコフスキーらの芸術世界を生み出したロシアは、20世紀の共産主義体制下でまともなものを生み出さなかったのである。
 共産主義の体制の「理念」云々というよりも「美しくない」という点が、雪斎が「左翼的なるもの」に馴染めなかった理由であると気付いたのは、その後の雪斎の思想形成にlは大きな影響を与えた。

 ところで、雪斎は、どちらかといえば、高坂教授よりも永井教授の言説の方にこそ、多くの影響を受けているのではないかと思うことがある。エリック・ホッファーの名前を知ったのも、永井先生の著作を通じてであった。エリック・ホッファーには、次のような言葉がある。
 「平衡感覚(sense of proportion)がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらくは道徳的誠実さもありえない」。
      ―『情熱的な精神状態』
 「熱狂的な人、狂言的な人物をわれわれが警戒するのは、その中に『おもいやり』のなさを嗅ぎ付けるからだろう。『他人をおもいやる感情は、内面の平衡状態の静けさのなかで』だけ聴き取れる『静かな細き声(神・良心の声)だからだ。内面的にバランスのよい人は、熱狂しない」。
      ―『情熱的な精神状態』
 平衡感覚(sense of proportion)というのは、かなり重要な言葉である。これは、ただ単に二つのものの間でバランスをとるということではない。かのマリリン・モンローの究極のプロポーションは、「B90・W60・H90」だそうであるけれども、「巨乳」がもてはやされる昨今の日本のグラビア・アイドルの世界でも、バストだけが無闇に大きいアイドルというのは、率直に美しいとはいえないであろう。もっとも、このグラビア・アイドルには、「おおっ…」と思ったが…。
 これと同じ理屈で、言論の世界でも、一つの考え方だけを大仰に唱える仕方が、果たして美しいものだといえるであろうか。人間の世界では、誰かが全的に正しく誰かが全的に誤っているなどということはない。だから、言論の場では、「自分は誤ったことを語っているのではないか」と疑ってみる姿勢は、どのような場合でも大事である。そうした姿勢で臨めば、自ずから自分の言論の展開にしても、相当な慎重さが備わるようになる。無論、他人を罵倒する言論に走る振る舞いなどは、論外の沙汰である。物事には色々な「含み」があるのであれば、そうした「含み」の一切を引き受けた言論をこそ、目指さなければならない。言論における「均整の感覚」(sense of proportion)というのは、そうしたものなのである。そして、その「均整」こそが、「美しい」ということに結び付いているのである。
 2005年は、雪斎には、「保守論壇」からの完全撤退の年と位置付けられるであろう。「熱狂的な人、狂言的な人物をわれわれが警戒するのは、その中に『おもいやり』のなさを嗅ぎ付けるからだろう」というホッファーの言葉は、そのまま保守論壇からの撤退の理由でもある。意見を異にする人物への敬意や尊重も置き去りにしてしまったような空間に、雪斎が敢えて身を置き続けなければならない理屈はない。そこは、「美しくない」のである。
 そういえば、永井先生は、1985年頃、「永井君も今ではハト派なのか…」と政治学の先達(故・丸山真男教授と推測される)と水を向けられ、苦笑したのだそうである。雪斎も、永井先生を同じ道を辿っているのであろうか。それならば、保守論壇からの撤退も、決して悪いことではない。

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Comments

開設一周年おめでとうございます。

うまくいえませんが「美しさ」ってのは、複数の
意味があるように思います。共産主義の「美しく
なさ」ってのは、単に「均整がとれてない」だけで
なく、嫉妬から来る醜さってのもあると思うのです。
嫉妬ってのは、基本的に生産的なところは何も
ない感情ですから、これで共産主義のもたらした
結果のいくばくかは説明できると思うのです。

Posted by: おおみや%バイト君 | December 24, 2005 at 01:47 PM

はじめまして。

永井陽之助先生の著作を愛読していたものです。
先生はお元気でしょうか?

Posted by: 島田 | December 24, 2005 at 06:36 PM

・おおみや殿
「嫉妬」ですか。自分の「分際」を弁えていれば、そうした感情にとらわれることもないはずですが…。
・島田殿
この数年、永井先生にお目にかかっていないのですな。知人に近況を尋ねてみたいと思います。

Posted by: 雪斎 | December 25, 2005 at 04:20 AM

今回のエントリーを読み、すぐに思い出した本があります。

数年前、「プリンス近衛殺人事件」というノンフィクションを読みました。
近衛文麿首相の長男、文隆氏を主人公にした作品です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410540301X/qid%3D1135469182/249-6539016-9856332

シベリアに捕虜として抑留された文隆氏が、場所を転々と変えて尋問され続ける場面が山場の一つです。
ソ連の、それなりの地位の人間が尋問するわけですが、彼らは学問もないし知性もない。あるのは「持てる者」への怨嗟のみです。
問題は学歴が高い低いと言うことではなく、学識や教養、知性、感性、それが土台となって形成される人間性、そういったものに対する尊敬の念という発想そのものがないということに、強い衝撃を受けました。

一人一人の人間に尊厳と言うものがあることを理解せず、ゲームの駒の様に人を扱い続けたことが、「美しくない」という言葉に凝縮されていると、そう思います。

Posted by: るびい | December 25, 2005 at 09:23 AM

個人的には讒言者が大手を振って歩く体制というのは、左右を問わず美しくないように思います。
僕はマスコミ嫌いなのですが、その理由は彼らの中に讒言者としての役割を見てしまうからなんですね。こういう輩は肩をすぼめて小さくなっているのが美しい社会であって、今のように大きな顔をしてのさばってる状況は美しくないと思います。
まあ人間に嫉妬という感情がある限り、この世から讒言者はなくならないとは思いますが。

Posted by: Baatarism | December 25, 2005 at 01:10 PM

確かに自分自身に対して「均整のとれた」見方が
できておれば、「分際」をわきまえることは
できますから、「嫉妬」なんぞ出て来ようがない
ですね。
ところが自分自身のことなだけにそれが難しい。
σ(^_^;自身にとっても死ぬまで常に問い続け
なければならない課題です。

Posted by: おおみや%バイト君 | December 27, 2005 at 01:38 AM

・るびい殿
近衛文隆氏は、確か若き日にプリンストンに留学した「知米派」だったはずです。拙者が翼の左右を問わず「極論派」が嫌なのは、貴殿が仰る意味での「野卑さ」を持っているからですね。こういう「野卑さ」を持っている人物には、近衛氏の持っていた「美」が判らない。拙者も、言論の世界でも「野卑さ」を平然と出しているような人物は、最初から相手にしないことにしています。
・baatarism殿
「権力」を批判する人々が欲しいのは、実は「権力」だったりするわけです。拙者を「御用学者」と批判する人々には、「だったら、御用学者をやってみれば…」といいたくなるときもあります。
・おおみや殿
もっとも、拙者も、「均整」が実現できているかといえば、限りなく疑わしいでしょうね。精進です。

Posted by: 雪斎 | December 27, 2005 at 07:01 AM

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