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October 30, 2005

皇位継承に関する所見

■ 何故か「天皇賞」中継を観る。最近、競馬を観るのが楽しみになってきた。今日は、「天覧試合」だった。中中、貴重なものを観たのかもしれない。

■ 前々回のエントリーには、数々のコメントを頂いた。雪斎は、皇位継承に関わる「男系男子維持」論者の「語り口」には総じて批判的である。「あれでは、受け容れられるものも受け容れられなくなる…」と率直に思う。それでは、雪斎は、皇位継承について、どのように考えているのか。

 雪斎は、雑誌の取材で「理想の皇室の姿とは、どのようなものか」と問われたことがある。雪斎は、「そのようなものはない。存続すれば、よろしい。皇室のない日本などは、考えられないのだから…」と答えたものである。雪斎は、「…でなければ、皇室の姿ではない」という立論の仕方には、馴染めないものを感じている。そうした硬直した姿勢こそが、皇室の永続に対する「敵」なのではないであろうか。
 下掲の論稿は、雑誌『論座』(2004年11月号)に寄せたものである。雪斎は、皇室の有り様について、あれやこれやと議論することには率直に躊躇いを感じている。雪斎のような「馬の骨」に過ぎぬ者が「皇位継承」を論ずるとは、率直に畏れ多い。今は、偶々、皇室典範それ自体の改正に国会が関与する建前である以上、雪斎も、それを論じなければならない。けれども、皇室典範は、本来は皇室の「家法」なのであれば、それは、「民主主義の手続」から超然としたものであるべきものなのではなかろうか。
 雪斎は、極端にいえば、皇室が、男系男子による継承を維持することに決めたならば、それを尊重すべきであるし、女性による継承、あるいは女系による継承も排除しないと決したならば、それもまた尊重されるべきであろうと思っている。「臣民」の立場からすれば、そうした決定の暁には、財政その他の手当てが講じられるように取り計らうだけである。ただし、雪斎は、そのような皇室の決定が、余りにも国民の意識から乖離し、海外の眼からしても奇異なものにならないことを願っている。皇室に対する国民の「共感」が損ねられる事態は、避けなければならないのである。
 昭和天皇の発した「新日本建設に関する勅書」には、何と記されているのか。「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。男系男子による継承を唱える人々の中には、「天皇個人の人格や人気は、どうでもよい」などと主張する向きがあるけれども、こうした人々は、皇室と国民jの「相互の信頼と敬愛」の意義を説いた昭和天皇の言葉をどのように受け止めるのか。そして、こうした人々は、今上天皇陛下や皇太子殿下が「相互の信頼と敬愛」に実を与えるべく続けてこられた努力をどのように心得るのか。「男系男子」論者は、余りにも論が粗雑である。

  □ 皇位継承に関わる一切を皇室に委ねよ
 一、皇室論議の沸騰を前にして
 去る五月十日、デンマーク、ポルトガル、スペイン三ヵ国御訪問を前にした記者会見の席で、皇太子殿下が発せられた御発言は、内外に波紋を投げかけた。殿下の御発言は、メディアを通じて伝えられた雅子妃殿下の御病状に併せ、国民的な関心を集めるとともに、女性天皇登場の是非を含め皇位継承の有り様や今後の皇室像に関する議論を誘うことになった。この数ヵ月、広い意味での論壇の中では、皇室に関する論議は、必ず何らかの雑誌が関連の論稿を載せるほどの盛況を呈している。
 筆者は、三年前、後に拙書『奔流の中の国家』に収録した論稿の中で、現下の皇室論議の焦点となっている皇室典範の有り様について私見を披露したことがある。ただし、筆者は、その三年前の私見を本稿で再び披露することはしない。というのも、皇室の有り様に関しては、他に踏まえておくべき論点があるからである。
従来、皇室の存在は、日本という一つの国家の「統合」にとっての意義という観点からのみ議論されてきた嫌いがある。しかし、「グローバリゼーション」が進展し、近代国家の枠組が明らかに動揺を来たしている昨今、我が国の皇室は、日本を取り巻く世界の中でどのようなものとして位置付けられることになるのであろうか。また、我が国の人々は、皇室の方々に対して、どのような役割を期待するのであろうか。国際社会との関係の中での皇室の有り様を考えることは、女性天皇登場の是非を含め皇位継承に絡む議論にも比して意義深いものであろう。
 二、皇室とソフトパワーと
 「グローバリゼーション」が進展する客観情勢の中での皇室の位置付けを考える上で示唆深いのは、船橋洋一(朝日新聞コラムニスト)が六月二十四日付朝日新聞朝刊紙上に発表した論稿「皇室は日本のソフトパワー」である。船橋は、同論稿中、「皇室は、文化の力を含んだ日本『統合』のソフトパワーにほかならない。それを世界『統合』のソフトパワーともするのが皇室外交のこれからのフロンティアであろう」と書いている。筆者は、船橋の議論の細目には馴染めないところがあるけれども、皇室を我が国の「ソフトパワー」の中に位置付けた船橋の指摘は、誠に大事なものであると考えている。
 「ソフトパワー」とは、この言葉を世に送り出したジョセフ・S・ナイ(国際政治学者、ハーヴァード大学教授)によれば、「相手を魅了する力」のことであり、「相手を屈服させる力」としての「ハードパワー」に対比される。振り返れば、我が国の歴史の中では、皇室は、一貫して「魅了する力」としての「ソフトパワー」に依って周囲に相対してきた。そのような歴史を踏まえ、皇室は、そのような「ソフトパワー」に依って、どのように我が国の外の世界に相対しようとするのか。そのようなことを考えるのは、確かに意義深いことである。船橋洋一の論稿には、「恵まれない人と弱い人に心を向ける天皇の『お気持ち』の表明は『統合の象徴』としての営みでもある。それは、国境を超えて世界の『弱者』にも向かう。世界化の急速な進展を前に、世界はいかにして『弱者』を保護し、『敗者』を再生させるか、つまり『統合』の課題に直面している」という記述がある。現在、国際社会が取り組まなければならない課題は、テロリズムの撲滅から、大量破壊兵器拡散の防止、「破綻国家」の復元、地球環境の保護、貧困の克服、感染症の予防、人権の擁護などに至るまで、誠に多岐に渉っている。筆者は、このような課題に我が国が実質性を伴って取り組んでいくためにも、軍事力に体現される「ハードパワー」の面での整備が大事であり、それ故にこそ「普通の国」としての立場を得ることの要を説いてきた。ただし、我が国が「普通の国」としての立場を得たとしても、その後に待ち受けているのは、自らの「ソフトパワー」を実の伴ったものにしながら、他国の人々の「共感」を獲得していく歳月であろう。たとえば地球環境の保護、貧困の克服、感染症の予防、人権の擁護といった課題は、「ハードパワー」ではなく「ソフトパワー」に依ってこそ対応できるものなのである。日本を取り巻く世界の中で皇室が示す肖像もまた、これらの課題に取り組むに際して我が国が示す姿勢に関わっている。国内における弱者や敗者に向けられてきた皇室の気遣いが海外にも向けられることの意義を説いた船橋の議論は、その意味でも正しいものであろうし、実際のところ、皇室が対外関係の中で手掛けることは、国際交流活動であれ慈善活動であれ、そのような性格を持つものなのであろう。平安末期、西行は伊勢神宮参拝時に、「何事の おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」の有名な歌を詠んだと伝えられる。たとえ我が国の人々が永きに渉って皇室に対して西行の歌にある「かたじけなさ」の感情を半ば当然のように寄せてきたとしても、「グローバリゼーション」の進展に伴って我が国を行き交うことになる海外の人々に対して、それと同様の感情を持つことを期待することはできない。ただし、我が国の「ソフトパワー」の中核としての皇室の活動が、他国の人々の「共感」をも博していくとすれば、それは、わが国の幾多の人々にとっても幸福なことなのではないか。
 ところで、皇室という制度が我が国の「ソフトパワー」の中核を占める制度であるとすれば、次に考慮されなければならないのは、どのように、この制度の実質性を担保していくかということである。筆者は、この点では次の二つの事柄が考慮されるべきであると考えている。
 第一に、皇室という制度を担う方々の層が、現状を放置する限り明らかに薄いものになる事実は、深刻に受け止められなければなるまい。対外的な「ソフトパワー」の発揮というという観点からすれば、天皇皇后両陛下や皇太子同妃両殿下といった内廷の方々の役割よりも、他の宮家の方々の役割のほうに、期待されるものが大きいはずである。たとえば平成十四年十一月に薨去された高円宮憲仁殿下は、生前、音楽や舞踊の領域,あるいはサッカー、ホッケーなどのスポーツ振興の領域において精力的な活動を続けてこられた。特に二〇〇二年初夏のFIFAワールドカップ日韓共催大会に際して、ピッチの上で各国のプレーヤーを激励されていた殿下の姿は、特に外に対して皇室の意味を知らしめるものであったろう。然るに、高円宮殿下の薨去の後、青壮年世代の男性皇族は、皇太子殿下、あるいは健康を害されていると伝えられる三笠宮寬仁殿下や桂宮宜仁殿下を除けば、秋篠宮文仁殿下を残すのみとなっている。しかも、現行皇室典範の規定を前提とする限りは、現存の宮家のほとんどは、絶家を避けられない趨勢である。皇室という制度の基盤は、誠に脆いものなのである。筆者は、この情勢に対応するための提案として、拙書『奔流の中の国家』の中で、終戦直後に皇族から離れた旧十三宮家の中の然るべき数家を復活させるべきであると書いたことがある。それは、男性皇族の役割が重視されてきた従来の経緯を尊重し、現行皇室典範の改正の幅を出来るだけ小幅に留めるという考慮を優先させた所見であった。しかし、筆者は、今では、その所見が無理の多いものであったと考えている。今後に旧宮家を復活させるにしても、その復活の基準が、どのようなものであるかは、全然、定かではない。また、既に皇籍離脱から半世紀余りの歳月が経ち、孫の世代に至った旧宮家の人々が、たとえ現に皇族として成長した方々と同様の「魅了する力」を発揮できるのかは、率直に疑問もなしとしない。その点、たとえば高橋紘(静岡福祉大学教授)や笠原英彦(慶応義塾大学教授)が提案しているように、現行皇室典範を改正することによって女性皇族による宮家の継承に道が開かれるならば、高橋や笠原の提案のほうが、明らかに無理の少ないものであろう。どのような制度であれ、無理を抱え込んだ制度は、行く行くは機能不全を来たすことになる。今は、出来るだけ無理の伴わない形で、皇室という制度の基盤を確かならしめることを考えるべき局面なのであろう。
 第二に、根本的な議論として、皇室という制度の存続を担保するためには、その制度を厳密な法的な裏付けの下で機能させることの必然性は、検証し直されなければなるまい。近代国家は、万事が法令の裏付けを伴って進められることを建前としているけれども、皇室制度それ自体は、我が国が近代国家としての体裁を整える遙か以前から存立していたものである。明治期に大日本帝国憲法や皇室典範の制定を通じて、皇室制度には近代法の装いが与えられることになったけれども、そのような近代法の装いが却って皇室制度を窮屈にしていないかと疑うことは、決して無意味なことではあるまい。この窮屈さを克服するための一つの考え方としては、皇室典範を皇室の純然たる「家法」と位置付け、婚礼、退位、譲位を含め皇位継承に関わる一切を決める権限を皇室に委ねることである。現行憲法典上、皇室典範は「国会の議決した」法律と位置付けられ、その改正には国民の意思が反映されることになっている。現時点では、法律としての皇室典範は、国民の論議の結果として改正されるものである以上、筆者を含め多くの論者がそれぞれの所見を示すのは、当然のことであるかもしれない。しかし、その一方で、筆者は本稿を執筆しながらでも、「これは、一般国民の立場で論ずるに相応しい事柄なのか」という想いを拭い去ることができない。婚礼、退位、譲位などの皇室制度の運用に関わる事柄は、皇室の方々が適宜、判断して決められればよいのではなろうか。具体的には、現在、皇室典範に依拠して置かれている皇室会議を皇族中心の構成に改めた上で、皇室典範それ自体の改正を含む皇室制度の運営に関わる権限を付与するという有り様が、考えられるかもしれない。この前提として、皇室典範を「国会の議決した」法律と規定する現行憲法の条文も、見直されるべきであろう。無論、筆者の議論には、「皇位継承に関わる事柄が皇室の恣意によって決められることにならないか」という懸念も示されるかもしれない。確かに、国家に関わる事柄の万事に民意を反映させることを民主主義の建前とするならば、筆者の議論は民主主義の建前には明らかに沿わないものであろうし、そのような懸念も故なきものではない。しかし、筆者は、皇位継承に関わる一切を決める権限を皇室に委ねたとしても、皇室が国民の「共感」や「納得」から乖離した決定をすることはないと考えている。少なくとも近代以降の皇室は、そのような国民の「共感」や「納得」を得る努力を続けてきた。事実、昭和三年九月、秩父宮雍仁親王御成婚の折に入輿したのが、最後の会津藩主・松平容保の孫娘にあたる勢津子妃であり、その折に旧会津藩に縁のある人々の多くが感涙したという挿話は、この御成婚が戊辰戦争以来の国民の間の「亀裂」を修復する意味合いを持っていたことを物語っていよう。多分に「開かれた皇室」という考え方ですら存在しなかっただけではなく、天皇の地位も「国民統合の象徴」とは位置付けられてはいなかった戦前期においても、国民の間の「統合」、「和解」、「共感」といったものに対する配慮が、皇室の行為の中で閑却されることはなかった。皇室制度とは、国民との関係の上では、そのような性格を持つものではなかったか。
 「柳に雪折れなし」という言葉がある。我が国の国制の中核たる皇室制度の性格を表現しようとすれば、この言葉ほどに適当なものはあるまい。筆者は、国民の側で慮らなければならないのが、この皇室における「柔軟性」を損ねないことではないかと考えている。たとえば皇位継承に関する議論の中で散見されるのは、男性皇族による皇位継承を絶対の与件とした上で既に臣籍降下した旧皇族を復活させて対応しようという議論である。現行皇室典範の規定を金科玉条とするならば、そのような議論も当然のように導かれよう。しかし、「皇室(天皇)は、かくあらねばならない」という厳密な前提を付した議論の仕方は、この「柔軟性」に背馳するものではなかろうか。原武史〈明治学院大学教授〉の著書『大正天皇』が解き明かしているのは、明治天皇の姿を念頭に置いて「皇室〈天皇〉は、かくあらねばならない」と振る舞った山縣有朋の姿勢が、大正天皇を心理的に追い詰めた経緯であるけれども、今でも、この山縣に類する姿勢の下で皇室の有り様を語る向きがないとはいえない。筆者は、そのような硬直した向きの持つ弊は、きちんと省みられるべきであろうと考えている。
 三、時代の相の下に
 皇室制度は、時代の相の下に様々な変貌を遂げてきた制度である。近代以降に限っても、軍服姿の明治天皇の肖像は、「富国強兵」を掲げた明治の時代の大義を反映していたのであるし、軍服姿から背広姿へと替わった昭和天皇の肖像もまた、第二次世界大戦を機に「武」から「文」へと我が国における価値観の焦点が移ったことを象徴的に示していた。また、御成婚の折には民間から妃を迎えられ、阪神淡路大震災直後には被災した人々を皇后陛下とともに膝詰めでお見舞いになった天皇陛下の姿は、「国民とともに歩む皇室」の具体的な像を世に示すものであったろう。このような皇室の一つ一つの風景は、それ以前の時代の価値尺度からすれば、「異例」、「前代未聞」、「驚天動地」とも評されるものであったかもしれない。しかし、このような「異例」、「前代未聞」の出来事は、皇室が刻んだ永い歴史の中では、幾度となく繰り返されてきたのではなかったか。
 このように考えれば、冒頭にも触れた五月十日の皇太子殿下の御発言が投げ掛けた波紋もまた、皇室の姿が常に移り変わるものであることを逆に示しているのかもしれない。振り返れば、皇太子殿下は若き日にオックスフォード大学に留学され、雅子妃殿下もまたハーヴァード大学を卒業し、後には第一線の外交官として活躍された。一九八〇年代以降、「“国際” 国家」(中曽根康弘の言葉)が標榜され、「世界の中の日本」が強く意識された我が国の時代思潮の中で、両殿下は、そのような時代の精神を鮮烈に体現する存在であられた。然るに、皇太子殿下が「(雅子妃は)外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました」と発言されたのは、「世界の中の日本」という文脈の中で両殿下が認識された役割が、両殿下の期待ほどには受け容れられなかったことを暗に示している。筆者は、今後は、両殿下かなさりたいことのできるように可能な限り配慮することが、両殿下の周囲にある人々の務めであり、一般国民はそれを見守るべきなのではないかと考えている。おそらくは、両殿下が「世界の中の日本」を象徴する皇室の今後を展望しながら、思い描いておられることは、決して時代の要請から乖離したものではないのであろう。筆者は、天皇皇后両陛下を初めとする皇室の方々には、我が国内外の人々を「魅了する力」を発揮し続けて頂きたいと念じているけれども、そのためにも、皇室の方々を取り巻く現下の環境が余りにも窮屈なものであるならば、その現状は改められなければならないのではないか。戦後、三島由紀夫は、自らの小説の中で、「などてすめらぎはひととなりたまひし」と嘆いた。しかしながら、皇室という制度もまた、紛れもなく人間によって切り回されてきた制度なのである。
  雑誌『論座』(2004年11月号)掲載

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Comments

雪斎先生に全く同感です。女帝を容認するかどうかも、「国民」ではなく、陛下がお決めになるのが一番自然な姿だなぁとかねて思っておりました。

>無論、筆者の議論には、「皇位継承に関わる事柄が
>皇室の恣意によって決められることにならないか」
>という懸念も示されるかもしれない。

皇室典範を「家法」にすることに対して私も同様の懸念を持っていました。しかし、天皇家はそんな無謀なことをなさらないだろうと私も思っています。われわれの象徴である「天皇」に対しては、それくらいの「信頼」を持って接したいものですし、そのような関係こそ「紐帯」と呼ぶに相応しいように思います。

Posted by: 副会長 | October 30, 2005 at 06:24 PM

先生の今回のお考えには反対です。女系への移行は
禅譲の一種で、このようなことは道鏡の前例からも
わかるように例え恐れ多くも陛下のご意向であっても変えることはできない祖法であり日本を日本たらしめている根本原理であると考えます。

東晋簡文帝が禅譲しようとしたとき、臣下は
「天下は皇祖の天下で、陛下が私にできるものではない(意訳)」と諌めました。万一陛下がそのような
お考えならお諌めすることこそ臣下の道と思います。

ただ女系反対派の論客の方の論点はずれてるなと
思います。有識者会議は制度の安定性を強調していましたが、本当でしょうか?
皇室の至上性も併せて維持していくという観点から
考えると旧皇族を猶子(婿ならベスト)とする方
が総合的に安定しています。なぜなら伏見宮系の旧皇族の男系がすべて断絶するという事態は当面考えにくいからです。翻って、女系の場合、数代続いて女帝ということも考えられその場合、皇室の至上性は保られるのでしょうか。
(下世話な言い方ですが「ありがたみ」がなくなりませんか?)
あと、復帰された旧皇族に対する国民の親近感ですが、お人柄しだいかと、それに実際に皇位につくのは
復帰の次の代からにすれば、何の問題ないかと思います。

Posted by: itanomazyutushi | November 05, 2005 at 04:02 PM

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Tracked on October 31, 2005 at 05:58 PM

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